第一部 第四章 月下の追跡 2


       * 2 *


 人がすれ違うこともできないくらいの通路をしばらく歩いて、途中で現れた螺旋階段を上っていくと、いくつかの分岐路がありました。

 たぶんここはアニメなどで出てくるお城にもあるような、隠し通路なのでしょう。

 どうやら柱の中らしい構造の、日常的に使うとは思えない狭さの階段を一番上まで上っていくと、行き止まりになっていました。

 ランプで照らしてみると、そこだけ木の板となっている行き止まりは、扉のようです。

 ランプの火を消して耳を澄ませてみますが、人の声などは聞こえてきません。

 できる限り音を立てないようゆっくりと押してみると、思ったよりも簡単に開いた扉の向こうは、部屋になっていました。

 壁や大きな机の上に置かれたランプやロウソクには火が灯っていますが、人はいないようです。

 思い切って隠し通路から部屋に出ていくと、通路の入り口は木の太い柱に上手い具合に隠されていることがわかりました。

 息を潜めつつ通路の入り口を閉めて、上手く入れたらしいお城の中の音を聞いてみます。

 ここまでは、カツ君は来てしまったことがあると、隠し通路の入り口に向かっている途中に聞いていました。

 ここから先は捕まるのが怖くなって引き返してきたそうです。

 天井近くまで取られた窓にはガラスがはめ込まれ、ランプの明かりで見た限り継ぎ目のない絨毯が敷かれたこの部屋は、もしかしたファル君の、領主様の部屋なのかも知れません。

 いまはここにはいないようですが、お城の中に騒がしい声も聞こえてきていないので、たぶんまだあの三人はお城に来ていないんだと思います。

 このままこの部屋か、隠し通路に隠れていればファル君に会えるかも知れないとも考えますが、もう夜もすっかり更けています。いつファル君が襲われるともわからない状況で、待っているわけにはいきません。

 ――捕まったらどうしよう。

 部屋の外に向かおうと思って一歩踏み出したところでそんなことがふと思い浮かびますが、首を振ってそれを頭の外に追いやります。

「やれることをやろう」

 そう心に決めて、わたしはたぶん廊下につながる両開きの扉に近づいていきました。

 外に人の気配がないことを確かめてから、静かに扉を開け、外へと滑り出ます。

 壁に並んだランプと、北を向いている窓から差し込んでいるわずかな月明かりに薄暗く照らされた廊下には、人影はありませんでした。

 石と木でできた建物は、ファンタジーの世界のお城と違ってお屋敷のような雰囲気があり、廊下に等間隔に並んだ美術品が置かれた台座に身を潜め、辺りの様子を窺います。

 ガラス窓から外を見てみると、たぶんいまいるのは建物の四階。お城の敷地内にあるたくさんの建物の中で、おそらく領主様が寝起きしたり仕事をしたりするのに使われている建物でしょう。

 ファル君にどうやってあの三人のことを伝えようかと思ってるとき、話し声が聞こえてきました。

 ――まずい、かな?

 できるだけ身体を小さくして台座の影に身を隠し、やってきた人をやり過ごすことを考えます。ファル君に会うまでは、捕まるわけにはいきません。

「まったく、相変わらずあの人たちと来たら!」

「致し方がないでしょう。あの方々は恐がりなのです、街の住人たちと同じように。そしてそれがエリストーナには必要なことでもあります」

「だからって、鐘楼が倒壊したのだって本当に歪魔がやったかどうかだってわかってないでしょう? いったん捜索を辞めて原因を調べた方がいいって言ってるのに!」

「調査は明るくならなければできませんし、捜索もそろそろいったん打ち切りになるでしょう。いまは、しばし」

 聞こえてきたのは、怒っている様子のレレイナさんと、それに応じているファル君の声でした。足音はふたりの他に、あと数人くらい。

 美術品の影から声がしてくる方向を見てみると、レレイナさんとファル君、それから武器を持った護衛の方など五人が近づいてきていました。

 ――ど、どうしよう。

 ファル君を発見して、無事であることは確認できましたが、どうやって話をするかなんてこと、考えていませんでした。

 いま出ていって話そうとしても、招かれもせずにお城にいるわたしは、完全に不審者です。

 いったんやり過ごして隙を見てファル君かレレイナさんとふたりきりになって、と考えながら近づいてくる人たちを見ていると、ちょうど後ろの窓が音もなく開いていくのが見えました。

「あれは……」

 無意識のうちに小さく呟いていました。

 見ていなければ気づかないほど気配もなく窓から入ってきたのは、黒ずくめの服装の、三人。

 彼らが剣を抜いたのを見たわたしは、反射的に身体が動いていました。

 廊下の真ん中に飛び出したわたしに、護衛の方が槍を構え、ファル君とレレイナさんは驚いた顔をしています。

「みんな伏せて!」

 言いながら袋に手を突っ込んで準備してきたものを取り出し、ファル君たちの後ろに迫っている剣を振り上げた人たちに向かって投げつけます。

 わたしの言葉を察してなのか違うのか、腰を屈めたファル君とレレイナさんの頭の上を通過したコショウを主成分とする催涙玉は、うまいこと三人の真ん中の人に飛んでいきました。

 でも、剣を振り上げていない左手につかまれてしまいました。

 ――それで充分!

 距離もあり、ランプの薄暗い灯りではよく見えませんでしたが、玉状のストッキングから微かに煙のようなものが漏れ出すのが見えました。

「ぐわぅ」

 ひとりの悲鳴の直後、一斉にくしゃみを始めた三人。

「紐よ、彼らを縛り上げろ!」

 くしゃみに気づいて最初に反応したのはレレイナさんでした。

 振り向いた直後、虚空から取り出した短杖を三人に向け、レレイナさんの腰の辺りから現れた紐が魔法によって生きてるようにうごめき、いくつかに別れて男の人たちの手足を縛り上げていました。

「な、なんだっ。ぐすっ……、こいつらは! お前は、くしゅんっ! いったい何者だ!!」

 ひと際背の高い男の人が、わたしの声でしゃがめなかったため少し催涙玉の影響を受けてしまったようですが、ファル君をかばうように背中に隠して、床に倒れ込んだ三人と、それからわたしのことを見て、叫び声を上げていました。

 ――この後、どうしよう。

 三人の襲撃を失敗させることはできました。

 鐘楼のことも、調べてもらえばわかると思います。

 不安はありますが、逃げたりするよりも知ってることを全部話した方がいいか、と考えているときでした。

 縛られていたはずの三人のうちのひとりが立ち上がって、他の人が反応する前に開いたままの窓から外に飛び出して行きました。

「ごほっ、捕まえろ!」

 少しむせながら背の高い人が声を上げますが、窓まで走り寄った護衛の方は、すぐに首を振って戻ってきてしまいました。

「他の者に連絡。追って捕らえろ!」

 背の高い人が指示を出している間、わたしは厳しい視線を向けてくるレレイナさんと見つめ合っていました。

 どう説明すればいいだろう、と考えていると、耳元に微かに風が当たる感触がしました。

『話は後で聞くわ。いまはいったんここから逃げなさい。後のことは私がどうにかしておくから』

 おそらくレレイナさんが使った風の魔法の効果でしょう。耳元で囁く声が聞こえました。

 厳しい視線はそのままに、微かに頷くレレイナさん。

 頷きを返したわたしは、すぐ近くの隠し通路がある部屋の扉を開けて走り出しました。

 急いで隠し通路の扉を開けて中に入り、通路の扉を閉めて狭い階段を駆け下ります。

 ――確かこの後は……。

 あの家で聞いたのでは、金印を奪うのに失敗した場合は、北の水門を壊すと話していました。

 北の水門は街やその近くの畑に行く水をストーナル河から引いている水路の取水口のはずです。それが壊されたらどうなるのかは、わたしにだってわかります。

 ――ゴメンね、カツ君。

 まだまだ教えてもらった小屋に隠れていることができそうにないことを心の中で謝りながら、わたしは水門に行くために狭い隠し通路を走っていきました。


          *


「いないはずはない。探すんだ!」

 兵士の応援が駆けつけ、ひなのが入っていった領主の執務室の捜索が開始されたが、見つからなかったらしい。

 ――抜け道でもあるのかしら?

 領主であるファルとともに兵士に守られながら小首を傾げ、レレイナはひなののことを考えていた。

 いまの騒ぎが起こる前まで、レレイナはファルや街の重鎮たちと、現れたという歪魔への対策を話しあっていた。話しあうというより、老人たちが怖がって声を上げているばかりだったが。

 鐘楼のところでひなのが魔法を使ったのはわかっていたが、その件については黙っていた。大侵攻の際の争いをその目で見ている老人たちの歪魔に対する拒絶は激しく、魔法についても同じほどではないにしろねじ曲がった認識を持っているのは知っていたから。

 会議という名の叫び合いを終えた後、ファルが話をしたいというので着いていって、ひなのと襲撃者に遭遇した。

 感知できるはずのひなのに持たせた魔石の接近に気づかなかったのは、魔力がほとんどなかったこともあるが、会議で気が立っていて注意を向けていなかったことが大きい。

 ――最初から気づいていたら、あんな無茶させなくても済んだかも知れないのにね。

 ため息を漏らしつつ、守るというよりもレレイナのことを警戒しているらしい兵士に、ちらりと目をやった。

「いったい奴らは何者だったんだ?」

 苛立ちを押さえない大きな声でバルフェが言う。

「逃げた男も、あの少女も!」

「女の子の方はひなのよ。私の弟子の」

「何故貴女の弟子が城に忍び込んでいるんですかっ」

「さぁ? そこまではわからないけれど」

 肩を竦めたレレイナに、バルフェは噛みついてきそうな目を向けてきていた。

 ひなのが城に忍び込むための方法や経路はわからなかったが、目的だけはわかっていた。

 ファルが襲われるのを防ぐためだ。

 何故彼女がそんなことをしに来たのかはレレイナにも想像つかなかったが、コショウなどでつくったと思しき玉を襲撃者に投げつけたことからも目的だけは確かだった。

 身長差のあるファルのことを見下ろしてみると、彼もまた視線とともに軽く肩を竦めてみせていた。

「まぁいい。こいつらに訊けば済む話だ」

「それは無駄よ」

 少し離れた場所に縛られたまま転がっている痩せた男と太り気味の男。

 ぴくりとも動かない彼らからは、オイルランプの光ではよく見えなかったが、血の臭いが漂っていることにレレイナは気づいていた。

 おそらく逃げた男は、紐を切って立ち上がる一瞬のうちに、ふたりの首を掻き斬っている。

 見張りのためにふたりの側に立っていた兵士が、バルフェの指示で確認してみるが、無言のまま左右に首を振った。

「ならば貴女に訊くしかないっ。レレイナ様」

 奥歯を噛みしめて顔を上げたバルフェがレレイナのことを睨みつけてくる。

「あの少女が貴女の関係者だと言うなら、夜は寒いでしょうが城の地下の――」

「バルフェ!」

 手にしたままだった魔法の杖から魔力を引き出そうかとレレイナが考え始めたとき、彼の言葉を遮ったのはファルだった。

「失礼いたしました、レレイナ殿。しかしながらひなのが城に侵入してきたのも事実。この件については何かご存じで?」

 まだ幼さを残す少年とは思えない口調で言うファルは、さらに口を開こうとしたバルフェを押さえて一歩前に出てきた。

「知らないわ。どこからかこいつらのことを聞きつけて、貴方を助けに来たんだろうとは思うけどね」

 もう動くことのない男ふたりが運ばれていく様子にちらりと視線を飛ばす。

「なるほど。それから、現在黒髪の少女の姿をした歪魔が街に入り込んでいるという件、ひなのである可能性はありますか?」

 現れた歪魔への対策として集まった先ほどの会議では、結局まともな話ができずに時間が経ち、レレイナが口を挟む隙すらなかった。ファルが会議の後、部屋に呼んだのはその件についてだったのだと理解する。

「高いと思う。街であの子が魔法を使ったのは確かだから」

「ふむ……」

 少し考え込むように視線を逸らしたファルは、もうひとつ質問を口にする。

「ひなのは、歪魔ですか?」

 弟子を取り、ファルに与えてもらった家に一緒に住むことを書類での申請と、口頭での報告は名前や軽く状況などを含め行っていたが、彼が妙にひなのを気にしている様子があるを感じる。

 他の人の目があるいまはそのことを気づかない振りをして、レレイナは質問に答えた。

「違うわ」

「絶対に?」

「えぇ、絶対に。あの子は人間よ」

「そうですか。わかりました。捜索を行っている兵には発見した場合、できるだけ危害を加えず捕らえるよう指示します」

「ファル様!」

「バルフェ。レレイナ殿を部屋に」

 文句の言葉を口にしようとしたバルフェに指示を出し、ファルは安全が確認された執務室に向かって兵士とともに歩き始めた。

 レレイナもまた、苦々しい顔をしているバルフェの先導で、階下にあるここしばらく過ごしている部屋に向かおうとする。

「そうだ、最後に」

 声をかけられ、振り向く。

「街に、本当に歪魔が入り込んでいると考えていますか?」

「わからないわ。気配は感じないし。でも、嫌な予感はしてるのよ」

「なるほど。それではまた後ほど、お話を聞きに伺います」

「わかったわ」

 ファルがどんなことを考えているかは、レレイナにはわからなかった。

 冒険公と字名され、様々な冒険と旅を経てエリストーナに多大な益をもたらし、客死というらしい最期を迎えた先公のような剛胆さは持ち合わせていないが、まだ若いながら先公以上の聡明さと思慮深さを持つファルが、いまの状況についていろんな方向に考えを巡らせているだろうことだけはわかった。

 部屋に入っていったファルを見送り、止まっていた脚を動かす。

 ――それよりも、大丈夫かしら? あの子。

 魔石の位置を探ってみると、街を出て北の方に向かっていた。

 まだ何かするつもりであろうことはわかったが、いまは駆けつけることはできそうもない。

 何かあった際にまず最初にエリストーナを守るというのは、先公と交わした約束であり、現公ファリアスとした契約であり、女神ストーナとの盟約でもあった。

 ――それにまだ、何かが隠れているような気がするのよね。

 あくまで勘と、これまでの起こった事件からの推測に過ぎなかったが、ファルにも話した通り、レレイナは何か嫌な予感がして仕方がなかった。

 ひなののことを心配しながらも、その予感の正体がつかめるまでは、彼女の元に駆けつけることはできなかった。

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