第一部 第一章 魔女見習いの一日 4
* 4 *
目を開けて最初に見えたのは、白い天井。
でも家のとは違って、学校のような感じの、塗り固めた天井をしていました。
「あれ?」
まだちょっとボォッとしている頭で、自分がいまどこにいて、何をしていたのかを思い出そうとします。
「リーナちゃんは?!」
さっきまで自分がしていたことを思い出し、慌てて上半身を起こしてみて、初めて毛布がかかっていたことに気づきました。
見回してみると白い壁と天井をした広い部屋にいて、壁沿いの長椅子に寝かせられていたことはわかりましたが、ここがどこなのかはわかりません。会議室のように中央に大きなテーブルとそれを囲むように長椅子が置かれているここには、わたし以外の人はいませんでした。
微かに汗と土の混じったような匂いがし、壁も天井も頑丈そうな造りのここはどこなのでしょうか。
リーナちゃんを助けることに成功して、ユーナスさんが来てくれたことまでは思い出すことができましたが、その後自分がどうなったのかわかりませんでした。
「起きたか」
そう言って水差しとコップを手に扉のない入り口から入ってきたのは、ユーナスさん。
ゆったりとした歩みで近づいてくる彼に、わたしは急いで毛布を畳んで脇に置き、乱れていた髪や服を直します。
「わたしは、あの……」
「まずは水でも」
わたしの前に立って陶製のコップに水を注いで手渡してくれたユーナスさんの言葉に、喉を濡らすくらい水を飲みます。
思っていた以上に喉が渇いていたのか、水が冷たくて美味しかったからか、ひと口のつもりがすっかり飲み干していました。
コップに水をもう一杯注いでくれたユーナスさんは、水差しをテーブルに置いてわたしの隣に腰掛けます。
「あの……、ここは?」
「兵舎だ。君が気を失って倒れてしまったのでね、ここまで運ばせてもらった。勝手に済まない」
「いえいえっ。わざわざありがとうございます!」
神妙な顔をして頭を下げてくるユーナスさんに、わたしは慌ててしまいます。
ユーナスさんは街を守る兵士隊の副隊長もしていますが、本来は正騎士の称号を持つ方。
レレイナさんはエリストーナでも希少な魔女というだけでなく、何か街にとって重要な役割を担っていたりするようです。詳しくは訊いたことがありませんが、時折お城から呼ばれたりしていて、生活費などはお城から支給されて暮らしているということです。
そんなレレイナさんの弟子で、魔女見習いと言えど、街の中にあってわたしはただの人に過ぎません。
決して大きくないエリストーナでは本来の意味での貴族と呼べるのは領主様だけですが、ユーナスさんはお父様もまた正騎士の称号を持ち、エリストーナの創建時より続くとされる創建四家の中で代々騎士家であるストーナム家の方。雲の上の方というのは大げさかも知れませんが、本来わたしみたいなただの人が気軽に話をできる方ではないはずです。
わたしの頭の中にある貴族とか上流階級の人とは違って、距離を感じない優しい笑顔を向けてきてくれるユーナスさんに、わたしはどんな風に応じたらいいのかわかりませんでした。
――あれ、わたしって……。
先ほどユーナスさんが運んだという言葉。
もしかしたら抱き上げられて運んでもらったのかも知れない、と思ったら、顔が熱くなっていくのを止めることができません。
「事情については木工屋の息子さんと交易商の娘さんから訊いている。あのふたりの正体はわからないが、あのままだったらあの子も、街にとっても大変なことになっていたかも知れない。ありがとう」
「わ、わたしはたいしたことはできていませんからっ」
リーナちゃんを助け出すことはできましたが、結局わたしは騒ぎを収められたわけではありません。騒ぎを収めたのはユーナスさんです。
「いやいや。あぁした騒ぎで前に出ることは簡単ではない。君はよくやったと思う。素直に誇るべきだろう」
「えぇっと……、はい。ありがとうございます……」
こうして近くで見ると、本当にユーナスさんは格好いい方です。
映画でしか見ることのない外国人俳優のようなちょっと甘い感じのある顔立ちと、おそらく騎士をされているからでしょう、精悍な印象のあるユーナスさん。
そんな方に優しげに笑顔を間近で向けられると、緊張でまともに喋れなくなってしまいそうです。
そんな笑顔に、突然影が差していました。
「最近はあの手の輩が増えつつある」
「そうなんですか?」
「あぁ」
両手を開いた足の間で組んで、ユーナスさんは何か考え込むようにしばらくの間、足下に目を向けていました。
「ひなのは、確か遠い国から来たのだったな」
「えぇっと……、はい。一応」
わたしはファルアリースとは異なる世界に住んでいたわけで、距離としては遠いどころの話ではありませんが、そのことは黙っていることにしました。
わたしが異世界の人間であることは、わたし自身とレレイナさんしか知りません。
異世界という言葉自体がそうしたものが存在していることを知っている人でしか通じませんし、概念を説明するのはとても困難でもあります。
それに、レレイナさんから魔女以上に希少な異世界人は、あまり人に知られるべきではないと言われていました。
「ならばあまりエリストーナの置かれた状況を理解していないかも知れないな」
「どういうことでしょう?」
また少しの間黙っていたユーナスさんは、顔を上げ、睨むように強い瞳でわたしのことを見つめてきました。
「エリストーナの街は大きくなった。最初の頃は小さな農村でしかなかったというが、いまではファルアリースの東西をつなぎ、海への道を持つ要のひとつとなっている。おそらくこれからもっと重要な街となり、街自体も大きくなっていくだろう。それに連れて、外の人間がエリストーナで幅を利かせようと動き始めている」
「外の人間、ですか」
「あぁ。元々、北西の小国だったリストメア王国もエリストーナを征服しようとしていた。いまでこそ条約が結ばれていて、表向き優遇されているが、条約にはいろいろと王国にとって有利な条件が含まれている。他の街の領主や貴族、商人なども表から裏から、様々に口や手を出してきている」
「そう、なんですね……」
レレイナさんに見せてもらったことがある地図では、現在のファルアリースはリストメア王国が東西に長い地域を治めていて、王国が一番大きな国となっています。王国の中にあって、中央より少し東寄りにあるエリストーナは、王国中央を貫く大動脈である東西街道の上にあり、南の海にも北部の山にも比較的近く、交易の要所となっています。
交易路としては海路もありますが、ファルアリースのさらに東、小国がたくさんある地域の交易品のほとんどはエリストーナを通って西にある王都に運ばれているはずです。そうした要にあるからこそエリストーナには活気があり、発展を続けているのでしょう。
わたしは街に来た回数がまだ数えるほどなのでそうしたことを感じたことはありませんが、エリストーナに勢力を伸ばしたいと思う人が多くいることは、ユーナスさんの説明で納得ができます。
「それに最近、封魔の地に新しい魔王が立ったという噂がある」
「魔王、ですか」
ユーナスさんが難しそうな顔をするのに釣られて、わたしも顔が強張るのを感じていました。
リストメア王国の北西には「歪魔」と呼ばれる存在が数多くいるという話は、レレイナさんから聞いていました。
恐ろしい者や邪魔な者を意味する言葉に、歪んでいるという意味が組み合わさった言葉であるため、妖怪とか悪魔と言った言葉よりも、「歪魔」と呼ぶのがふさわしい存在であるのだと思います。
歪魔とは、歪みによって生み出される、自然には存在しない歪んだ生き物のこと。
元々歪魔たちはファルアリースのいろんなところにいて、その恐ろしい力で人々と争いを繰り返していたそうです。
リストメア王国は一部には違うところもあるそうですが、力を持った都市などが戦争をして他の都市を併合して大きくなったのではなく、歪魔に対抗する力をつけるために条約を結んで成立したという性格の強い国で、エリストーナの外の街壁も戦争の防衛のために建造されたのではなく、歪魔の侵攻を防ぐために造られたものだということです。
その歪魔たちは多くの都市が力を合わせたリストメア王国や、周辺の国々の力によって、現在ではそのほとんどが北西の封魔の地に追いやられていて、王国の王都はそこに睨みが利かせられるよう領地のかなり北西にあります。
追いやられた歪魔たちは度々封魔の地からファルアリースにやってきて戦いが起こることがあり、ユーナスさんが正騎士の称号を受けることになった戦いもそうしたもののひとつです。
そして魔王は、歪魔の中でもとても強い力を持った者のこと。
魔王が立つことにより歪魔は結束し、軍隊をつくって組織的に戦争を起こすことがあり、確認されている最後の魔王は、六十年ほど前から十年にも渡る戦争を起こし、ファルアリースを脅かしたのだそうです。その最後の魔王軍との戦争も、封魔の地奥深くに侵入した七人の勇者により魔王が討ち取られ終結したと、レレイナさんに教わっています。
「それに東にも不穏な動きがある」
「東?」
頬に指を添えて考えてみますが、ファルアリースの東のことはあまり詳しいことを思い出すことができません。
いくつもの都市国家があって、交易が盛んで、エリストーナに運ばれてくる交易品の中には東の国々からのものが多く含まれているという話しか、聞いたことがありませんでした。
「あぁ。東の国々は絶えず小規模な争いはあったが、しばらく前までは概ね平穏だった。それがここ数年、勢力をつけた国が周辺の国を併合し始めていて、大国に成長する動きがある。血気盛んな国が多い地域だ、すぐにではないが、そのうち王国にも波及する火種になりかねない」
東の国々の状況はわたしにはわかりませんが、苦々しげに言うユーナスさんの言葉通りであるなら、今後どのようになるかは予測がつきません。
中学で習っていましたが、人の歴史は本当に戦争が多いことは確かです。
大きな力をつけた国が、他の国に戦争を仕掛けるという状況は想像しうる未来だと思います。
「エリストーナは大きくなった。しかし、兵力は小さい。いざ戦争になったときには、街を守り切れないほどに。――いまこの街は、岐路に立たされているんだ」
下を向いて眉根にシワを寄せ、険しい声音で言うユーナスさん。
この街で生まれ、この街で育ち、封魔の地との国境で戦った経験を持つ彼は、たぶん本当にエリストーナの未来について考えて、心配しているのだと思います。
確かに魔王の噂や東の国々の状況がユーナスさんの言う通りならば、王国の東寄りながら中央に近い場所にあるエリストーナと言えど、影響は少なからずあるでしょう。戦禍がすぐに街までくることはなくても、戦争が起こればいつかは魔王軍や東の大国の軍隊に囲まれる日があるかも知れません。
エリストーナにどれくらいの兵士の方がいるかはわかりませんが、ユーナスさんが心配するくらいには少ないものなのでしょう。
「街を守るためには力が必要だ。例えば、こうした」
言って彼が腰の後ろに手を回して取り出したのは、鉄製の筒と、それに沿うようにあつらえた木製の把手のある道具でした。
「『銃』、ですか」
「ジュウ?」
「あ、いえ、なんでもないです……」
思わず日本語で言ってしまいましたが、わたしはユーナスさんの手にあるのと似たものを見たことがありました。
絵や写真、博物館などで見たことがあるだけでしたが、彼の手にしているものはたぶん、短筒とか呼ばれている、銃でした。
種子島に伝わった火縄銃は、引鉄を引くと火のついた縄が動いて火口から火が入り、火薬に点火されて弾が発射されます。ユーナスさんの持つそれは火縄の代わりに石が取り付けられている、確か昔のヨーロッパなどで使われていた火打ち石で火を付けるタイプのものと同じだと思います。
「これは最近王国の最前線で試験されている武器だ。鉛の弾を火薬で発射するもので、剣よりも遠くに届き、短弓よりも威力があり、訓練もそれほど必要がない。しかしこれを大量に造るためには鉄が圧倒的に足りていない」
エリストーナで使われている鉄は、泥鉄鉱と呼ばれる泥や土に含まれた鉄を燃やして抽出するものです。
金や銀の鉱山はあるそうですが、鉄鉱石や石炭の鉱山はないようです。たぶん、鉱山の技術や鉱脈の問題だと思いますが、鉄は比較的希少な金属になっています。
銃を造るのに適した金属は鉄なのだと思いますが、大量生産にはたくさんの鉄が必要になることでしょう。
「しかしひなの。これをどこかで見たことがあるようだったな? どこで見たんだ?」
「えぇっと、それは、その……」
眉根にシワを寄せたまま、ユーナスさんが睨むような目でわたしのことを見つめてきます。
わたしが見たことがある銃と言えば、歴史の教材や博物館のものの他は、アニメやドラマなどのテレビで見たものくらいしかありません。
それをどう説明していいのかわからず、顔を近づけてくるユーナスさんに思わず逃げ腰になってしまいます。
「詳しく、どんなものだったのか教えてくれ」
「えと、それはその、わたしが見たことがあるのは――」
そのときわたしが思い浮かべたのは、刑事ドラマで見た拳銃でした。
「確か弾を後ろから籠めるようになっていて……。あれ? 違うのかな? 弾を他のケースに入れて、握るところから籠めるんでしょうか? あれは。それでバンバンバンッてたくさん撃てて……」
「もっと詳しく教えてくれ」
日本人ではない、海外映画の俳優さんのような顔をさらに近づけられて、わたしは顔に血が上っていくのを感じながら、どうしたらいいのかわからなくなっていました。
「弾はさらに小さい筒の中に入っていて、火薬もそこに一緒に入ってて、それで、その――」
「そうすることでどんな意味があるんだ?」
「な、なんでしょう。雨の中でも撃てるの、かな? たくさんの弾を籠められるのが利点? ど、どうなんでしょう。詳しいわけではないのでよくわかりません!」
息がかかるほど顔を近づけられて、わたしはもうその場にいられなくて、長椅子から立って部屋の端に逃げ出していました。
――アルカディアになら。
腰に下がったままの袋に手を触れ、わたしは考えます。
図書館ひとつ分の情報を内蔵しているアルカディアになら、銃の図解などもあると思います。それを見せれば口で説明するよりも早いのだと思いつきました。
――でも。
アルカディアを取りだそうと伸ばした手を、わたしは止めます。
わたしと同じように、アルカディアは異世界の物。エリストーナにとって異物。
わたし自身は顔立ちなどが違うだけで、人であることに変りはありません。いろんな地域の人が出入りしているエリストーナでは、日本人であるわたしの顔立ちも、決して目立つほどではありません。
でもアルカディアは、明らかにわかる異物です。
わたし自身もそうであるように、歪みによってこの世界に来てしまったアルカディアを、例え街のことを心から心配していて、大切に想っているユーナスさんであっても、見せていいのかどうか判断ができませんでした。
「いや、済まなかった。君に聞くようなことではなかったし、君に話すようなことではなかったな。どうかしていた。済まない」
まだ難しい顔をしながらも、ユーナスさんは諦めてくれたようです。長椅子から立ち上がって、深々と頭を下げてくれました。
ユーナスさんの力になれるはずなのに、力にならなかった自分のことに、少し胸の奥に痛みを感じつつもほっと息を吐いたとき、鎧戸を開け放っている窓の外の陽射しがずいぶん傾いていることに気づきました。
「か、買い物をして早く帰らないとっ。済みません、ユーナスさん。わたしはこれで!」
「あぁ。時間を取らせてしまったな。一緒にいた少年は外で待っているはずだ」
「カツ君が? わ、わかりましたっ」
まだ難しい顔をして腕を組み考え込み始めたらしいユーナスさんに、何かを言おうと思いましたが、何も言うことはできませんでした。
長椅子の脇に置いてあった荷物を手にして、わたしは急いで部屋から飛び出しました。
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