第一部 第一章 魔女見習いの一日 5
* 5 *
早いと暗くなりきる頃には寝静まってしまうエリストーナでは、露店はもちろん常設のお店も閉まるのはものすごく早いです。三日に渡る月市のときは別となりますが、時間にすれば三時を過ぎる頃には露店はどんどん撤収していってしまいます。
日の傾きがどんどん大きくなっていく中、わたしはカツ君にも手伝ってもらって、手分けして露店を回って、次の市までに必要な食材を買い揃えることができました。
「これで全部、かな?」
いろいろと買ってずいぶん重くなった袋の中身を確認しておきます。物によっては常設のお店でも買うことはできますが、露店でしか買えないものも多くありますし、日々やることもあるので早々街に出てくることはできません。
「もう大丈夫?」
「うん。とりあえずは。ゆっくりお店を見て回りたかったけど、仕方ないからね」
心配そうな顔をしているカツ君に、確認を終えたわたしは笑顔を向けます。
あの後、リーナちゃんは無事家に帰ることができたそうです。カツ君も一度家に帰ったそうですが、お父さんのガロットさんに事情を話すと、わたしのことを手伝うように言われたのだそうでした。
「そろそろ帰らないといけないしね」
春と言ってもまだ日が落ちるのは早いので、いまから帰って夕食をつくり終える頃には、もう暗くなってしまっていることでしょう。
「よぉ。今日は大活躍だったそうだな、ひなのちゃん」
帰ろうと思って、露店も人も減って閑散とし始めた西側街道を中央広場に向かって歩き出そうとしたとき、常設のお店の方から声をかけられました。
「そんな……。わたしはたいしたことはしていませんよ」
声をかけてきたのはお店の小父さん。
店先には大きな樽や、低いテーブルのような台の上に桶が乗せられていて、その中にはいろんな種類の穀物が、そのままだったり粉にしてあったりして売られています。
朝すれ違ったときにも声をかけてくれた小父さんは、主に穀物を扱っているお店の店主さんです。
「本当にすごかったんだぜっ。剣を持った男二人に一歩も引かずにひと睨みで黙らせちゃってさ」
「聞いてるぜぇ。王都から来た商人らしい奴らって話だろ? 王都の奴らはいつも態度がでかいからな。そんな奴らを追い払ってんで、もういろんなとこに話が回ってるぜ」
「そ、そんな……。わたしは、その……」
あのときは必死で、怖いなんて感じてる余裕すらなかっただけなのですが、そんな風に言われると恥ずかしくていたたまれません。
「そんなひなのちゃんに相談なんだがよ。アンタ確か、遠くの国から来たんだよな?」
「えぇっと、まぁ」
「ちょっとここらじゃ見たこともねぇもん分けてもらったんだがよ、どうやって食えばいいのかわらかなくてな。物知りだって話も聞いてるし、もしわかったら教えてほしいんだ」
そう言って小父さんが店の奥から持ってきたのは、木の器。
差し出された器の中に入っていたのは、精白されているらしい穀物の粒が見える白く濁ったお湯でした。
「なんだよ、ただの粥じゃねぇか」
覗き込んだカツ君が言うように、わずかに湯気を上げている器の中身は、ただのお粥にしか見えません。
エリストーナでも麦のお粥は一般的な食べ物です。
とくによく食べるのはオート麦を軽く煮込んだお粥です。水を多く吸うものの、比較的短い時間煮込むだけでふやけて食べられるようになるので、時間がないときや小腹が空いたときにはわたしもよくつくります。
塩味だけの場合や、ハーブや蜂蜜で味をつけたり、お肉や野菜を入れてスープ風にしたり、ドライフルーツなどの具材を入れたりと食べ方もいろいろです。
「俺も初めて見る物だったんで、とりあえず煮りゃ食えるってんだが、どうも他の麦とは違うみてぇなんだよな」
器と一緒に差し出された木のスプーンを受け取って、ひと口掬ってみます。
水で煮込んでみただけらしいお粥は、見た目だけでは他の麦のお粥と違いがあるようには見えませんでした。
スプーンを口に運んで、食べてみました。
わずかに塩味のするお粥は、粒の表面は水を吸ってふやけているのに、煮込み時間が足りないのか、真ん中は固い芯が残っていました。
「ど、どうしたの? ひな姉ちゃん!」
「不味かったか? いや、俺も食べたけど、そんなに美味いものじゃなかったが……」
深くうつむいて、わたしは器の中身をじっと見つめていました。
肩が、震えていました。
胸の中に仕舞い込んでいた何かが、あふれてきそうになっていました。
心配するふたりの声に応えられず、わたしはもうひと口お粥を口に運んで、じっくりと噛み、味わいます。
「あの、これ、全部いただいても、いいですか?」
「いや、それは別に構わないが」
「ありがとう、ございます」
詰まりそうになる喉から必死に声を出して、わたしは残りのお粥を口に運びます。
薄い味しかせず、芯が残っていて、ずいぶん冷めてしまっているお粥は、決して美味しいものではありませんでした。
でも、独特の粘り気と、何度も噛んで出てくる微かな甘みは、わたしのよく知る食べ物です。
お米です。
これはお米のお粥でした。
オート麦などの麦の類いを煮込んだお粥とは違います。品種などはおそらくわたしが食べていたものとは違うでしょう。
それでも、これはお米でつくったお粥です。
エリストーナで食べられている麦のお粥ではなく、わたしが元の世界にいるときに食べていた、お米でつくったお粥でした。
あふれてきた涙で顔を上げることができなくて、うつむいたままお粥を口に運んで、たくさん噛んで味わって、あっという間に全部食べてしまいました。
こぼれてくる涙の粒をどうすることもできなくて、無言のまま器を小父さんに返したわたしは、こみ上げてくるものをどうにか抑え込んで問います。
「あの、これ、まだ残っていますか?」
「あ、あぁ。遠くから来た商人に売れ残りをもらっただけだから、たいした量はないが」
「全部ください。おいくらですか?」
「いや、売りもんじゃねぇから、金はいいけどよ」
「ひな姉ちゃん?」
カツ君も小父さんも心配してくれているのはわかっていますが、どうしても顔を上げることができません。
ずっと胸の中に仕舞っていたものが、いまにもあふれ出してしまいそうで、くしゃくしゃになっている顔を見せることができませんでした。
小父さんが差し出してくれたあまり大きくない袋を左手で受け取って、右手で包むようにして抱きます。
「もし食べ方がわかったら教えてくれればいいからな」
「わかりました。ありがとうございます。でも今日は、済みません」
言ってわたしは踵を返します。
もう居ても立ってもいられませんでした。
一度動かし始めた脚を、止めることはできません。
「ひな姉ちゃん!」
カツ君の声が背中を追ってきますが、振り向くこともできずにわたしは街の外に向かって走っていました。
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