第一部 第四章 月下の追跡 4


       * 4 *


 夜も遅くなっているというのに、潜める様子もない足音が近づいてきて、ノックもなしに扉が開かれた。

「ファル様!」

 執務室に入ってきたのは、バルフェ。

 眠ることもなく、各所からの報告を残った仕事をこなしながら待っていたファルに、バルフェは焦った様子で机まで小走りに寄ってきた。

「ノックくらいしろ、バルフェ」

「す、済みません……。それよりも、報告です」

 はたと気づいたように一度扉を閉めに行ったバルフェは、戻ってきて報告を始める。

「北の水門にて先の侵入者の男が水門を破壊しようと工作。済んでのところでこれを阻止することができたとのことです」

「侵入者は?」

「捕まえました。これより尋問に入ります。それと、侵入者の側に街で見られた歪魔と思しき少女がいたとのことです。こちらは捕らえようとしたものの、怪しい術を使われ、逃げられたそうです」

「……そうか」

 口元で手を覆い、ファルは少し考え込む。

 ――やはりひなのはどこかで奴らの計画を知ったということか。

 城の中でファルの前に現れたのがひなのであることはわかっていたが、彼女がいま歪魔と思われている以上、それをどうすることもファルにはできなかった。

 歪魔への憎しみと、ここ最近の噂で溜め込まれた恐怖は、領主の言葉だけで収められるものではない。

 助けに来てくれただろうひなのの無事を祈ることしかファルにはできなかった。

「それで、その少女はどうなった?」

「不明です。近くを捜索しましたが発見できず、おそらく街の外に逃げたものと思われます」

「そうか」

 少し安心して、ファルは椅子の背もたれに身体を預けた。

「それよりもこれを見ていただきたい」

 言ってバルフェが机の上に広げた幾枚かの紙。

 そこに書かれていたのは、歪魔の噂の発生源に関する報告書だった。

 その内容によると、噂の発生源と思われる場所は主に三カ所。

 一カ所は中央広場に建っている兵舎の中で、休憩中の兵士の間の雑談として。

 二カ所目は城の中にある兵士の訓練所の中で、訓練中の話として。

 三カ所目は城の西、主に商人などが利用する酒場で、若い男が話していたというもの。

 本当にその三カ所が噂の大本なのかどうかはわからなかった。どの話も雑談のような形で話され、誰かから聞いた話として語られたと書かれている。

 酒場については話し相手が交易商人だったと思われ、酒場の店主に話の内容が聞こえていたというだけで、双方の人物が誰であったのかは不明。

 他にもいくつかの根元と思われる噂の出所があったが、時期的にはその三カ所が時期が近く、一番最初の頃のものと思われた。

 酒場以外の二カ所については、その場に共通して居合わせた人物がいた。

「いますぐに居場所を確認しろ!」

「いえ、それが……。城への報告を部下に言いつけて、現在はどこにいるのかわからず……」

 立ち上がって声を張り上げたファルに対し、バルフェは言葉を濁して答えていた。

「探せ!」

「いま探させています。それよりももうひとつの報告を」

 最後に示さされた紙に書かれていたのは、街の木工屋が城に来て話していったという報告に関して。

 鐘楼はこの時期にしては不自然に虫に食われ、風によって倒壊したのだと言う。本格的な調査は朝にならなければできなかったが、現場を確認した城の者が、激しい虫食いの跡を確認していた。

 ――ならば、ひなのは倒壊の犯人ではないということか。

「いますぐに騎士隊長に……。いや、まずはレレイナ殿のところへ!」

「わかりました」

 報告書をまとめて後ろを着いてくるバルフェを待たず、ファルは廊下へと続く扉へと歩き始めた。


          *


 ――この魔力は?

 部屋に軟禁されるように押し込められて、結構な時間が経っていた。

 食事と酒が運び込まれていたが、手を付ける気にはなれなかった。

 ソファに寝そべるように腰掛け、レレイナ苛々しながら待っていることしかできない。

 北の方でひなのが魔法を使ったのには気づいていた。

 詳しい魔法の内容まではわからなかったが、その後ほとんど魔力が残っていない魔石がどこかに移動していくのが感じられていたから、ひなのがいまも無事なことだけはわかっていた。

 それから少しして、北の方で感じた魔力。

 ひなののものとも違う異質な魔力は、過去に感じたことがあるような気がしていたが、遠すぎてよくわからなかった。

 そしてその魔力の発生源のすぐ側には、ひなのの魔力が感じられていた。

 立ち上がったレレイナは、扉へと向かっていく。

 外には警備という名目で彼女のことを出さないよう兵士が立っているはずであるが、そんなことを気にしてはいられなかった。

 レレイナが扉を開けようと手を伸ばしたのとほぼ同時に、ノックの音が響いた。

「失礼。いまよろしいか? レレイナ殿」

「こんな時間に何の用かしら? 領主様。少し急ぎの用ができたので、そこをどいてくれないかしら?」

「何を言っておられます! この状況で!」

 レレイナよりも背の高いバルフェが上から噛みついてくるのに対し、冷たい視線で応じるだけだった。

「本来私は領主の命令以外聞くような立場にはない。それがわかった上での言葉か?」

 先公の金印を持ち帰った恩があり、その先公との約束、現公との契約、さらにエリストーナにとって重要な役割である、ストーナの巫女の役を負うレレイナは、本来ならば創設四家の当主よりも立場が高く、領主の要請以外の言葉に従う必要はない。

 言葉を詰まらせるバルフェに、レレイナは部屋から出ようと一歩前に踏み出す。

「しばしお待ちを。お耳を」

 バルフェに控えるように手で制し、一歩近づいてきたファル。レレイナは屈んでファルの顔に耳を近づける。

「歪魔の噂を流したのは、おそらく兵士隊副隊長のユーナスです」

 まだ公にしていいことではないのだろう。ファルはレレイナにだけ聞こえる声で囁いた。

 ユーナスとはエリストーナに来てから何度か会っているが、彼が歪魔の噂を流す理由がわからなかった。

 エリストーナの創設四家のうちのひとつ、街を守る騎士家となったストーナム家の長男で、街を守りたいという想いが強く、それが少し暑苦しいくらいだという印象しかない。

 若く、誠実ではあるが、街を恐怖に陥れることになるのがわかっている歪魔の噂を流す理由は、レレイナには理解できなかった。

「鐘楼の倒壊についても、朝になって調べてみなければなりませんが、おそらくわかるかと。ひなのにいまかけられている歪魔の嫌疑については、いますぐというわけにはいきませんが、晴らせるでしょう」

「ありがとう。――ひなのとは、どこかで会ったことがあるの?」

 領主であるファルとは、とくにそうした機会がなかったために、これまでひなのを面会させたことはなかった。

 それなのに彼女に肩入れをしているらしい彼の様子に、そう訊いてみた。

「街で一度。少し話しました」

 ファルが城を抜け出して街にお忍びで歩き回っていることがあるという噂は、聞いたことがあった。

 おそらくそのときにひなのと会ったのだろう。

 少し考えて、レレイナはファルの耳元に口を寄せ、言う。

「あの子は、私と同じようにしてこの街に、この世界に来た子よ」

 驚いたように目を見開いて、ファルが顔を離してレレイナの瞳を見つめてくる。

「なるほど……」

「私は行くわ。あの子を助けに行かないと」

「お願いします。彼女は街にとって必要な人となるでしょうから」

 ファルとすれ違って廊下を歩き出そうとしたレレイナは、その言葉に振り向く。

「利用しようとでも言うの?」

「そうではない、とは言えません。ですが、彼女のような人を、僕はこの街から失いたいとは思わない」

「そ。わかったわ」

 どうしていいのかわからないらしい兵士を押しのけ、レレイナは城の外に向かうために廊下を行く。

「ファル様!」

「後はレレイナ殿に任せるしかない」

 そんな言葉を背に受けて、我に返ったらしい兵士のひとりの先導で城の外へと歩いて出た。

 城壁の門で案内してきた兵士と別れ、堀に架かる橋を渡ったところに、小さな人影があった。

「あら、貴方は」

 そう声をかけると、顔を上げたカツが走り寄ってきた。

「レレイナ様?」

「カツ君、だったかしらね? こんな時間にどうしたのかしら?」

「オレ、ひな姉ちゃんが心配で……。ユーナス様がひな姉ちゃんのとこに向かったんだけど、それでも、オレ……」

「ユーナスが?」

 急がなければならないのはわかっていたが、ユーナスが向かっているというならば、いま以上に急がなければならないだろう。

 ――仕方ない、か。

 レレイナはそう思って右手で虚空をつかむ。

 いままで何もなかった手の中に現れていたのは、身長よりも長さのある杖。

 杖をつかんだまま低く水平に構えて、そこに椅子のように座る。

「貴方も来る? これからひなののところに向かうわ」

「え? えぇっと、……はい!」

「じゃあ杖にまたがって、私の腰にしっかり手を回してちょうだい」

 何なのかわからない様子のカツは、言われた通りに杖をまたがって怖々と腰に手を回してきた。

「しっかり捕まっていなさい」

 言ってレレイナは、魔力の流れを感じ取る。

「飛べ!」

 その声と同時に、杖をふわりと浮かんだ。

 高度を取り、驚いている様子の城門の前の兵士に笑みを投げかけてから、レレイナはカツとともにひなのの魔石がある場所へと飛び立った。

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