第25話 あの世、この世に。

   

   前は、あの世が。

   あの世、この世に。

   今は、この世さ。

   転生、めでたし。

   誕生、めでたし。

    


           ――理教、出産祝い節――



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 満開の時期を過ぎて、御霊樹の花が散りだしていた。

 悠は集めた花びらの色分けに余念よねんがない。籠を八つ並べ、慎重に選別している。この花からは、色ごとに違う甘味料と香料が作れるらしい。これも又、霊力のなせるわざなのか、風味が長持ちする貴重品だそうだ。

 ハラハラとはかなげに舞う花びらを見ていると、その夢幻むげんの美しさに圧倒されて、霊力の別の側面、あの圧倒される破壊的な力に覚えた恐怖が、心の底へと沈殿していくのを感じる。

 ふと、素朴な疑問を感じて、倫子は悠に聞いてみた。

「どうして、御霊樹を聖リンフジカと呼ぶの? ここにいるのは〈御大〉なんだろう? だったら、神霊の霊名をつけるべきだと思うけど」

「霊名は、みだりに口にするものではないの。特に、神霊の御名は、招請する場合だけね。呼ぶたびに、顕現けんげんされたら、大変でしょう」 

「確かに、それは怖いな」

「それに、御霊樹というのは、しろだから。まつっているのは、あくまで、大祖霊のリンフジカだったし。神霊は、聖リンフジカの守護霊なので、その名にかれて降りて来られるけど、いつも宿やどっているわけではないそうよ」

 でも、倫子の臨終の時は、この樹に宿っていたのだろう。そして、鮮やかに輝き、道を指し示してくれた。倫子は、守護霊の霊名など知らず、あの世の父に祈っていたのだけれど。

(私を助けてくれて、ありがとう)

 倫子は、悠と同じ言葉を守護霊に捧げた。無限の感謝をこめて。

 未だに、自分が聖リンフジカの〈再来者〉だなどという実感はないが、あの時、祈りに答えて、あれだけの水が吹き上げられた以上、自分を守護してくれる何かがいるのは、間違いないのだと思える。

「あら、クレオジだわ。権現山に上がって来るなんて珍しい。どうしたのかしら」

 悠がクレオジ院長の方へ走り寄って行った。杖をついた老人に手を貸そうとしている。本当に優しい子だ。これは親馬鹿ではない。まぁ、もう親ではないが。

 だが、ほのぼのとした気分は、子供を愛するが故に、身を誤った母親を思い出して、重く沈んだ。

 潮屋の勝子は、息子を城主にするためには、手段を選ばなかったようだ。聖女狩りを主導し、〈竜殺し〉の密売もした。どこまで自分で手を下したのかはわからない。火事の後、夜叉族二人組とともに、遺体が確認され、供述が全く取れなかったからだ。姉の秀美や家族、高峰屋の雇い人も、ほとんどが亡くなってしまったのだが、アンヤンの母親のお良が、重傷を負いながらも生き残って証言したおかげで、ある程度の事情は明らかになった。


 アンヤンの実父は、先々代の北上城主に仕える九克教徒で、家督争いに巻き込まれて殺された。理教徒のお良は、生まれたばかりのアンヤンを連れて新河岸に逃げ、商家の乳母奉公に上がった。レンヤンはその主人の息子で、アンヤンとは異父兄弟になる。アンヤンが医寮生になってから、離れて暮らしていたため、亡き夫の弟――氷室征二郎から、息子が言葉巧みに引き入れられて利用されていることに、お良は気づかなかったらしい。

 だが、聖女狩りの犯人を追っていた暴力団の闇組は、お良も仲間と思い込み、アンヤンの名をかたって、征二郎の居場所を突き止めるためおびき出したのだ。結局、そこで、征二郎は追いつめられて自ら死を選び、お良は、息子達と蔵に閉じ込められ、勝子から話を聞く機会を得たそうである。

 お良によって、征二郎の家僕、耕介の存在が明らかになり、新河岸を脱出しようとしていたところを捕縛ほばくすることができた。高峰屋に火付けした犯人であるだけでなく、美笛屋の笛子を連れ去った男で、ほかの聖女様たちをどこの誰に渡したか知っている唯一の生き残りであった。当然のことながら、尋問は、審問班が担当したというが、耕介には一言も喋らせずに、情報を引き出したというから凄い。セイギは、ポイントをついた質問を矢継ぎ早にして、耕作の頭に浮かぶ答えを神通力で全て読み取ったのだという。普通であれば、たとえ死んでも、耕介が絶対に口にしなかったであろう真実を、あっさりと。

 その成果によって、重臣の家に献上された三人の幼女の居場所は、全て判明し、北上城と内密の交渉の末、取り戻すことができたのである。誘拐された子とは知らずに養子縁組したのであって、犯罪には加担していないと主張する北上城側の抗弁を受け入れ、表沙汰にはしないことを条件に、三人の聖女を速やかに親元へ返還させることができた。

 問題だったのは、残りの四人目。美笛屋の笛子の連れて行かれた場所が、なかなかわからなかったことにある。お良が、征二郎は城下から離れた山の中に、内密の屋敷を持っていると小耳にはさんだことがあったが、それがどこにあるかまでは知らなかった。耕介の思考からは、場所が特定できずにいたところ、その情報は思わぬところから提供されたそうである。獬豸族の野菜売りが、人里離れた山荘で『美笛屋のうた』を聞き、新河岸の聖女がいるようだと連絡してきてくれたのだ。最終的に、屋敷の中に笛子がいる確認がとれた時点で、大斎院の瞬動力者や武官によって、救出作戦が決行されたという。


 かくして、四人の聖女たちは、それぞれの家へと無事に戻ってこられた。お良の情報量は豊富だった。北上城の権力構造や、主だった家臣の屋敷の場所、果ては、交渉相手の性格まで把握していたので、必要な証拠と証人を集めることができて、談合はうまくいったのだといえる。北上城城主の顔はあくまでつぶさない形を取り繕い、誘拐された幼子達を取り返すことができたのも、全てはお良のおかげといって過言ではない。

 だが、お良自身の長男は死んでしまった。二度と戻ることはない。

 倫子は、悠が事故死した後の地獄を思いおこして、身につまされた。何とかしてやれなかったのかと自分を責め、あの時こうしていたらと苦しみにのたうち回るのだろうと。

 しかし、お良は、『なぜ、私の子が?』と嘆くようなことはなかった。勿論、深く悲しんではいたが、理教徒ならではの信念から、現実を受容して、後悔はしないようだった。

「あの子とは、来世でまた必ず会えると信じています。守ってあげられなかった償いは、その時にできるでしょう」

 転生してきた倫子には、実感できる真実だ。

 もっとも、〈転生者〉なのか、それとも、〈再来者〉なのか、決着をみてはいないのだが。どちらであろうと、たとえ、どちらでもなくとも、別にかまわないと思う。それで、自分自身が変わるわけではないのだから。


「この度は、新河岸を火災より救済していただきまして、衷心ちゅうしんより御礼申し上げます。御陰様をもちまして、被害は最小限に抑えることができました。尚、今後とも、斎王領の復興のため、お力を賜ります様、大斎院を代表して、お願い申し上げる次第でございます」

 クレオジ院長が、深々と頭を下げて言った。

 いつの間にか、その後ろには、既に慣れ親しんだ人達の顔が並んでいる。パレヴァ、ジャレンリー、セイギまで。そして、勿論、悠もいる。

「遅ればせながら、御再来ごさいらいを歓迎致します。お帰りなさいませ。聖リンフジカ。私は、クレオジェンヤレンキャルンの霊名を継いだ者です。どうぞ、クレオジとお呼び下さい」

 院長が、左手を斜め上に上げ、再度一礼する。

 パレヴァが、仏頂面のセイギを流し目でちらりと見てから、倫子に笑いかけた。

「これで、三人目の上級位認証が得られました。追って、大斎院より、〈再来者〉として、正式の認定が下されることになるでしょう」

 これは、他人の人生なのだと思っていた。何かの間違いで、入り込んでしまっただけだと。

 でも、違ったようだ。ここには、自分が戻るのを待っていてくれた人達がいる。

 まだ、タムシラキの素性は、五里夢中で判然としないけれど、彼の魂が、この身体に戻ることはあるまい。だから、多分、リンの新たな人生が、始まったと考えていいのだろう。もはや斉藤倫子ではなく、タムシラキの借り物でもなくリンフジカとしての人生が。


 既に、日本は遠くなって、『この世』とは呼べなくなり、新河岸が、次第に現実的なものとなって、『あの世』という感じではなくなった。

 今のこの感覚を端的に表現した、お誕生の言葉がある。理教徒は、産まれたばかりの子供を囲み、皆で唱和して聞かせるのだそうだ。

『あの世』が、『この世』になったんだよ、と知らしめるために。

『転生おめでとう』と祝いながら。



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 これを持ちまして、第一章が終わりました。

 ここまで、おつきあい下さいました皆様、本当に有難うございました。


 第二章に移る前に、新作のライトノベルに着手しております。

 どちらの作風が良いか、御感想をいただければ、非常に助かります。

 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

  

    

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守護聖人リンフジカ再来記 彼方廻 @hoshinomiyakoku

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