第14話 虹霓教徒セシムの助言

 

 虹霓教では、子孫を残すことが義務と定められており、配偶者を持てない聖職者と言えど例外ではない。

 特に、霊薬師れいやくし霊楽師れいがくし霊舞師れいまいしなどの霊能力者は、その貴重な血筋を絶やさないよう、子作りを熱烈過熱気味に奨励されている。

 但し、聖職者には親権はなく、手元で育てることもできない。自分が産んだ〈内子ないし〉の扶養責任は、自分の血族にあるが、他に産ませた〈外子がいし〉の場合、認知はしても養育義務が一切ない。


                          ――比較宗教学より――



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 セシムは、緊張していた。

 微力ながら霊能力者であることから、三毛様の守役もりやくを務めて早十二年。退屈きわまりない雑用をこなしてきたわけだが、今日を限りに、状況は変わるはずだ。〈樹魂〉の御帰還とあっては、どんな大事が出来しゅったいするかわからない。何しろ、聖リンフジカと言えば、新河岸が危難に見舞われる際に、再来されるだろうと予知されていた大祖霊なのである。

 では、その危難とは、一体、何か? 

 その詳細はつまびらかにされていない。残念ながら、予知とはそういう曖昧あいまいなものだ。ともかく、予知力者として近代最強とうたわれた神宮一世が明言された以上、何かが起きることだけは間違いない。大災害か、大事件か、それとも、虹王領から襲撃でも受けるのか。今の所、問題として思い浮かぶのは、聖女狩りくらいのもので、領民の関心はこれ一色といって良いほどの大事件ではあるのだが、はたして新河岸の危難とまで言えるかは疑問が残るところである。

 だが、セシムの仕事は予知の解析をすることではない。斎王家より拝命している任務は、宰家嫡流つかさけちゃくりゅう巫子みこ、ユウリシャスレナイズミ(通称、三毛様)を守り導くことだ。もっとも、三毛様は七歳の時から十二歳の今日まで学院で寮生活を送っており、新河岸に来られる時以外は警護が不要なため、御霊廟ごれいびょうの管理人や鐘付き番を兼ねてはいるものの、何より重要なのは、三毛様の身の安全を図ることなのである。危難が起り得るとなれば、何をおいても、三毛様を新河岸より避難させなければならない。

 そこで、パレヴァが聖リンフジカを御霊廟に案内して行ったあと、三毛様を学院に送り届けようとしたのだが、責任感の強い少女は、御奉仕を終わらせると言って譲らなかった。確かに、落葉したものを放置しておいては危ないし、すぐに他から葉に触れても無事な者を連れてくるのは難しい。議論の末に仕方なく、三毛様が落ち葉拾いを終えるまで、セシムは御霊樹の下で待つことになった。新河岸の最新情報に関する質問に答えながら。

「聖女狩りですって? それで、審問班が結成されたわけなのね」

「学院では、まだ噂になっとらんのですか」

「なってるのかもしれないけど、私は聞いてなかったわ。宰の本家からも、特に連絡を受けてないし……。始めから話してくれない、セシム?」


 最初の事件は、半年以上前、二丁目の松戸屋でおきた。母娘そろって風伯系の美形だと評判の高い小間物屋だったのだが、庭先から五歳の青子が連れ去られ、近くに家紋の入った印籠いんろうが落ちていた。青子は生母が出入りしていた武家の落としだねなので、遺留品を証拠として、当初は、父方の縁者が力づくで奪い取りに来たものと考えられていた。だが、最近になって、実父は既に亡くなり家は断絶していたことが判明し、捜査は振り出しに戻ってしまっている。


 次は、三ヶ月前、四丁目の志木屋である。こちらは、大女将と娘の若女将、孫娘と三代続けて、聖女という老舗しにせの呉服問屋であった。この時は子守が殺されて、身代金を要求する文が残されていた。捜査官の張り込みに気づいたのか、犯人からその後連絡は途絶とだえたが、筆跡から若女将の元愛人が割り出された。しかし、その男の足取りは不明のままで、七歳の典子も見つかっていない。


 三番目は、先々月、一丁目の金松屋である。数名の夜盗が入り、三歳の正子が連れ去られ、他の家人は惨殺された。悪名高い両替商だったので、怨恨えんこんの線で調べた所、五名の実行犯は捕らえられたが、首謀者と思われる武家の男と正子は行方知れずである。


 四番目は、半月前の祭の夜、三丁目の美笛屋の笛子の姿が消えた。両親と一緒に花火見物をしていたのだが、いつの間にかいなくなっていたのだという。美笛屋は笛吹き教室を兼ねている小さな楽器店で、身代金が取れる大店ではないし、他人から恨まれるような商売もしていない。虹王領から駆け落ちしてきたという主人夫婦は仲睦なかむつまじく、女中と番頭は忠義者で、特にトラブルもなかった。


 かくして、ここに至って初めて、一連の事件が聖女を狙った犯行であることがわかったのである。今まで、印籠が落ちていたり、文が残されたりしていたのは、偽の手がかりを追わせるための目くらましだったのだと。恐らくは、新河岸全域で、幼い聖女を物色した上で、それぞれの家の事情に合わせ、手を変え品を変えてさらってきたのだろう。聖女を確保するという本来の目的をできるだけ隠蔽いんぺいし、警戒されないよう、犯人は周到に情報収集をしていたと思われる。


 そして、七日前、渡し船が襲われ、高峰屋の友子が行方不明となった。用心棒と乳母は切り殺され、同乗者のうち七人が川に流され溺死した。助かったのは、船頭ジェイガと友子の叔母、勝子だけである。その他に、身元不明で怪しげな獬豸の男が一人、瀕死状態で見つかったというわけだ。

「怪しげですって。あの方のどこが? とても優しくて誠実そうな獬豸じゃないの」

「勝子様が証言されたらしいんですよ。川から救いあげられた後、半狂乱になってね。あの獬豸が自分も連れて行こうとした。襲ってきた連中の仲間に違いないと」

「そんなの嘘だわ」

 三毛様がきっぱり言い切った。それから、口を丸く開いて掌で覆った。自分が発した言葉に、自分で驚いたように。三毛様には霊能力がないが、宰家嫡流の巫子である。たとえ当人にまだ巫子としての自覚がないとしても、大祖霊の聖リンフジカにまみえて、惹かれないわけがなかった。霊能力者の端くれに過ぎないセシムでさえ、時報を打った時に銅鑼で増幅された霊力には圧倒された。成程これこそが〈樹魂〉のもつきらめきなのか、と。そこには疑いを差し挟む余地は全くなかった。

「嘘でなきゃ勘違いでしょうな。どちらにせよ、これで審問班のお疑いは晴れたでしょう。何しろ、あのパレヴァ様が、正式にリンフジカと認証したんですからね」

 セシムの言葉に、三毛様は首を振った。

「それだけじゃ、セイギ先生は納得しないと思う。神通力や霊能力で知り得た情報は、証拠にはなり得ないって、いつも言ってるもの」

「でしたら、三毛様が御自分で、セイギ様を説得なさってみたらどうですかな」

「私が? 冗談でしょ、セシム。私なんかに先生を説得できるわけないじゃない」

 あきれたように断じられて、それもそうかと、セシムは唸った。学院のセイギは、知識と理論で完全武装した学者で、簡単に説得できるような相手ではない。

「うー、まぁ、説得はちょっとばかり難しいかもしれませんが、意見を伝えることくらいはできますよ」 

「まさか。担当教官に対して、生徒が偉そうに意見なんて言えないのよ。特に、セイギ先生が相手じゃね。皮肉混じりの反論が八倍くらい返ってきて、あっさりと言い負かされてしまうだけだわ」 

 議論に負けるところが易々やすやすと想像できたようで、三毛様が深い溜息をついた。

「面と向かって言うのではなく、それとなく伝わるようにすればいいでしょう」

 セシムの助言にも、まだ懐疑的な様子である。

「どうやって?」

「三毛様もリンフジカを正式に認証されるとか。そうすれば、二人目の上級位認証となり、セイギ様にも、三毛様がパレヴァ様と同意見だということがわかります」

 具体案を提示したことで、やっと前向きに考え始めたようだったが、しばらく迷った挙句あげく、情けなそうに目を伏せた。

「……でも、私には、あの方が本当に聖リンフジカなのか、判断できなかったの。霊感が全然働かないのに認証したら、偽証になってしまうでしょ」

「聖リンフジカの伝記は、よくお読みになっていたじゃありませんか。聖リンフジカらしさ、というか……、聖リンフジカがやりそうなことをした、とか、何かそういう際立きわだった特徴に、気づかれませんでしたかな」

「特徴……?」

 三毛様は少し考え込んだあと、躊躇ためらいがちに口を開いた。

「聖リンフジカらしいと言うようなことではないけど、あの方、最初に私を見た時、とても驚いて、それから懐かしそうな顔をしたの」

 三毛様は、不思議そうな、それでいて、どことなく嬉しそうな表情を浮かべた。

「ふむふむ。これまでお会いしたことがないのは、絶対に確かなんでしょうな?」

「もちろん。獬豸に会うのなんて生まれて初めてだもの。学院にだって、獬豸の純血種はいないわ。初級の教養学で習っただけよ。そりゃ、私やセイギ先生は獬豸系の混血だから、同種系どうしゅけいということにはなるけど……」

「でも、あちらは、三毛様を知っている様子だった、と。なるほど。わしの受けた感じも、同じでしたな。最初は目が見えなかったわけですが、てっきり三毛様のお知り合いだと思いました。声音に、三毛様をお守りしようという気遣いが感じられましたし、お身内みたいに親しげな話し方でしたからな」

「身内にだって、私を『ユウちゃん』なんて親しげに呼ぶ人はいないわ。パレヴァとか、何人かには、ユウリと呼ばれてるけど」

「三毛様の霊名を御存知だったってことですか。それじゃ、間違いない。本物だ」

「ううん。霊名を知っていたとは思えない。私に似ている誰かと間違えたみたいだったの。それでもね。私、その時、前にもそう呼ばれたことがあるような気がした。なんだか、懐かしいっていうか、安心できる感じがして。それに、あの方の手には、触れられたし」

「何ですと? 三毛様の手を握ったっていうんですか。よりにもよって獬豸の男が!」

 セシムは、思わず知らずわめいてしまった。これは、怒り驚くなと言う方が無理である。獬豸というのは、同族以外には性的魅力を感じないというのが、一般常識なのだ。それ故に、虹王領の武家では、獬豸の男を奥向きで雇っていることが多い。中性と同じで、妻や娘の護衛として安全安心だからだ。その獬豸が、こんな年端もいかない少女に手を出そうとしたというのか。たとえ、聖リンフジカその人だろうと許せん、とりきむセシムを見て、三毛様が慌てたように否定した。

「違うわ。そうじゃないの。先に私が手を見せてって言って、出された手を思わず掴んじゃっただけよ。だって、いきなり御霊樹の葉を素手で集め始めたんだもの。霊障れいしょうが出てないか確かめなきゃって、慌ててしまったのね。ほんと、自分で自分にびっくりしたけど」

 必死でかばう様子もさることながら、この椿事ちんじに、セシムは輪をかけて仰天させられた。

 三毛様は極端に人見知りが激しい少女なのである。いや、人見知りと形容するのはごまかしに過ぎない。実の所は、気質の問題というより、はるかに深刻な人間不信なのだ。共感力者に時折発症する神経症のせいで、信頼する者以外、自分に近づけることができない。親族でさえ、せいぜいの所、手を伸ばして届くくらいの距離までが限度なのだ。当然のことながら、直接肌に触れるなどということは、論外である。物心つく前から守役についているセシムでさえ、非常時以外は触らないようにしている。ましてや、自分から掴むなど、いまかついことだ。奇跡といってもいい。 

「こりゃ魂消たまげた。そいつは、もう絶対に御先祖様の世代で、既に御縁が結ばれていた証といえるでしょうな。とにかく、三毛様、それこそ立派な霊感ですよ」

「――そう、なのかしら……?」

「はい。霊感というのは、頭で考えるものではないし、好き嫌いのように感じる間もない。いきなり突き動かされるものなんです。何故こんなことをしたんだろうって、後になって悩むこともあるが、理由なんてわからないことの方が多い。でも、一つだけ確かなことがあります。その衝動が不幸をもたらすことはないんですよ。だから、守護霊のお導きとして、有難くお受けしておくことですな」

「そう。何となくわかってきた気がするわ」

「とにかく、まぁ、三毛様が急いで結論を出す必要はありません。時間をかけて、あの方の言動に注意してみることですよ。遅かれ早かれ、これこそ聖リンフジカ、と思いあたるような何かが必ずや起きるでしょう」

「でも、もし、そうなったら……。あの方が、本当に聖リンフジカの〈再来者〉だとしたら、一体どうなるの、セシム。新河岸に何が起きるのかしら。私たちの力で住民を守りきれると思う?」

 新河岸の住民を守る――それが、宰家の家訓であり、宰一族に共通している強迫観念のような行動規範である。統治者の視点に立って不安を感じているとは、三毛様もやはり宰家の嫡孫なのだなと、セシムは感じ入った。

「予知されているのは、聖リンフジカが新河岸の危難を救うということです。無論、宰家や大斎院の力を結集して、補佐することにはなるでしょうが、今から、三毛様が悩まれてもどうにもなりません。それより、当面考えるべきなのは、あの方をここに引き止める方法ですよ。何とか説得できるといいのですが」

「えっ! それって、つまり、新河岸に留まってくれるとは限らないってことなの?」

 三毛様が愕然がくぜんとした様子で呟く。

「当然でしょう。あの方は、虹王領からいらしたんです。当然、帰っていくべき家がおありでしょうし、お待ちになっている家族もいらっしゃるはず。我々にとっては、かけがえのない大祖霊だといっても、あの方にとっては、全く意味のないことかもしれない」

「意味がないですって? でも、だって……。ねぇ、セシム。そもそも、〈樹魂〉が御霊樹の結界外で再来するなんてことがあるの? 私……、聖リンフジカは新河岸にお誕生なさるものだとばっかり思っていたんだけど」

「虚空の霊界で見えるのは、御霊樹の光だけだそうです。結界の内外の区別なんぞつかないでしょう。それに、魂の受け皿となれる子孫が誕生するのが、新河岸に限られるわけでもない。あまり例は聞かないですが、聖リンフジカをともかくこの世界にき戻そうと、〈御大〉が力技ちからわざを使ったのかもしれませんな」

「そういえば、あの方、御霊樹が光って見えた気がするって言ってらしたわ」

「今日ですか? 昼日中に?」

「いいえ。前に暗闇の中で、って。やっぱり、本物の聖リンフジカだと思う?」

「はい。三毛様は信じられませんかな」

「だって、予想していた感じと全然違うから。リンフジカ大院長は、謹厳実直、公正無私な孤高の人と言われていたでしょ。それなのに、あの方はとても温和で気さくなんだもの。〈再来者〉って、性格が変わるのかしら」

「生まれでも、育ちでも、人は変わります。その上、年を取るにつれても変わっていく。まだお若いあの方と、晩年の初代大院長とを比べるのは、ちと無理な話ではありませんかな」

「そうね。それに、あなただけでなく、あのパレヴァが認証したんだもの。きっと、霊能力者には、はっきり見えるのでしょうね」

「霊能力者でなくとも、見える証があるじゃありませんか。ほら、そこに。はっきりと」

 セシムは御霊樹を指し示した。そこには、無数の蕾が膨らみ、七色の花が咲き誇っている。わずか三日の間に早くも五分咲きだ。

 三毛様が仰ぎ見た時、眼前へ狙いすましたように、一輪の花が降り落ちてきた。その花びらを両の掌で受け止めた三毛様は、厳粛な面持ちで、樹宗経典じゅしゅうきょうてんの一節を暗唱した。

「『落葉。しかして、開花。虹霓樹のかくあかしをもって、樹魂の再来を寿ことほぐべし』」



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   【 解説 / 鹿蜀族ろくしょくぞくの基礎知識 】



1. 鹿蜀族・・・・八重歯のような味歯みしを持って生まれた人族の総称。 

        純血種は、金髪、焦げ茶色の目の両性体で、中肉中背。

        大きな瞳で、可愛らしい顔立ち。美声ぞろいで、楽器も得意。

        味覚に優れていて、腕の良い料理人は鹿蜀系と言われている。


2. 反響変性型・・つがいになる相手と対になるよう生殖機能を変化させる型。

        第一子を産むと、その父親以外の子供は産めなくなる。

     

3. 虹霓教徒・・・母権制で、入り婿型の一夫一婦制だが、結婚しない種族もある。

        鹿蜀族は、厳格な単婚制で、浮気をしない限り、離婚もしない。


4. 社会規範・・・鹿蜀族同士の夫婦は、交互に子供を出産するのが普通である。

        家名と財産は母系で継承するので、家長の内子ないしが相続する。  

      

5. 交差こうさ姉妹・・・同じ両親を持つが、父母が逆転していて、別の家名を持つ姉妹。       

        同母であれば、異父姉妹は嫡流ちゃくりゅうとなるが、交差姉妹は傍流ぼうりゅう


6. 恋愛事情・・・料理が上手くて、好みの味付けをする相手に恋をする。

        求愛する際は、包丁を贈り、受諾する際は、手料理を渡す。


7. 結婚生活・・・家業を継ぐ嫡子は、婿を取り、内子が産まれなければ別れる。

        嫡子以外の結婚は自由だが、同じ職種の中から相手を探す。


8. 鹿蜀系混血・・変性はするが、子種を持たず、受胎能力のみ有する者が多い。

         ① 鹿獅子ろくじし 反響変性型・単性体。

         ② 鹿狒々ろくひひ 反響変性型・準単性体。

      

 



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