第13話 記憶賦活は御霊樹の霊験なり。

 

 斎王は、虹王国の聖職者としては最高位であり、宝島と国内に点在する虹霓教の霊域二百三十五ヶ所を直轄領としている。

 その斎王領には治外法権があり、最も広い天水半島付け根の南に、三院が建てられた時、半島先端にある一院と天狗山脈の二院も、大斎院として統合された。

 その初代大院長に任じられたのが、聖リンフジカだ。彼は、斎王三世から『つかさ』の姓をたまわり、七代目の斎王家宰相さいしょうを務めた獬豸族である。

 彼は生涯を男性体で通したため、嫡流ちゃくりゅうたる内子ないしはいなかったが、傍流ぼうりゅうの霊能力者が宰家を継いだ。その家憲かけんは、権現山の御霊樹の祭祀さいし主宰しゅさいするとともに、新河岸の安寧あんねいを守ることである。


                      ――聖リンフジカ伝より抜粋――



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「――泣かないで、悠ちゃん」

 倫子は、心配そうに見下ろしている悠を安心させるべく、微笑んでみせた。実際は泣いているわけではなかったが、ひどく動揺していて、不安で一杯なのは感じ取れた。

「き、気がついたの……?」

 少女の顔の背景に、虹色の花々が咲いているのが見えて、『あの世』――虹霓樹の咲く山の上に戻ったのだと気がついた。但し、単に戻ったわけではなかった。倫子の中に、身体の所有者であるタムシラキの記憶が流れ込み、彼の持っていた知識も賦活ふかつされたようだ。

「あぁ。私は気絶していたのかな」

「息が止まっていた、みたい」

 目の前で、いきなり人が倒れて息が止まったら、誰でも驚くだろう。ましてや、子供では。たとえ、相手が見知らぬ人間でも。

「もう大丈夫。戻れたよ」

 そう、タムシラキと一緒に沈んで行きそうだったところを、引き上げてもらえた。悠の声とクリスマスツリー、もとい、御霊樹の光で。

「――ごめんなさい」

「え、君が何を謝るの?」

「本当は、慣れない人に手伝ってもらったりしちゃいけなかったの。絶対に。聖リンフジカは、霊力が強すぎるらしいから……」

「リンフジカだって?」

 ぎょっとして起き上がったが、悠は倫子の仮の名前を言い当てたわけではなかった。御霊樹を見上げながら、申し訳なさそうに説明してくれる。

「この御霊樹の呼び名よ。守護聖人の名前がつけられてるの。それも、本来は獬豸名なわけだけど」

「そうか。パレヴァ様は、私に、この樹の名前をつけてくださったのか」

 獬豸名だからか――と納得しかけた台詞を悠は聞きとがめた。

「なんですって? 今、パレヴァって言った?」

「あぁ。君の知り合いなのかな」

「遠縁だけど……。まさか、あなた、パレヴァに名付け親になってもらったってこと?」            

 虹霓教徒にとって、名付け親というのは、重要な意味をもっている。タムシラキの知識はその程度しかなく、悠が何をそんなに驚いているのか、まるで見当がつかない。

「そうなのかな……? 仮の名前って話だったけど……」

 確か、命名式をおこなう訳ではないとか、言っていた気がする。思い起こせば、あの時、セイギも驚き呆れていたようだった。正気かと言わんばかりに、パレヴァと議論した上に、倫子のことを珍獣であるかのようにジロジロ観察していた。

「それで、『リンフジカ』と名付けられたのね」

「そう。だけど、それが、何か……? 問題でも、あるのかな」

 悠はすぐには答えず、まじまじとこちらをみていたが、ややあって、残念そうに首を振った。

「やっぱり、わたしにはわからないわ。パレヴァの力を信じないわけじゃないけど……」

「力? わからないって、何が……?」

「あなたが、守護聖人リンフジカの再来者――生まれ変わりなのかどうかってことが。もし、本当だったら、わたしにとっても、御縁が深い御先祖様ってことになるのだけど」

 守護聖人が何だか知らないが、御縁が深いのは間違いない。

(そうよ、悠ちゃん。わたしはママなのよ。他の誰より悠ちゃんを愛して、他の何を捨ててもいいくらい悠ちゃん一人が大事なの。そりゃあ、御縁は深いわ。伝説の赤い糸なんてじゃない結ばれ方よ。チタン合金よりも頑丈なんだから!)

 心の中で絶叫してみても、声にはならなかった。今度は、話そうとしても話せない。何らかの力が働いて封じられているかのように。

 倫子は麻痺した舌をなんとか動かし、口に出せる言葉を捜した。

「――どうして、獬豸の名前が、御霊樹につけられることになったのかな」 

「聖リンフジカは、獬豸だけど虹霓教徒だったのよ。斎王家の宰相として、この新河岸をおこした方でね。建物や水路を作っただけじゃなくて、斎法の制定に寄与きよしたと言われてる。異教徒や異種族が一緒に暮らしていけるように、しっかりとした仕組みを考え出したんですって。三院も創設されて、大斎院の初代大院長も務められたし。そういう偉大な功績をあげた人は、死後、その名前が御霊樹に刻まれ祀られるものなの。子孫だけでなく、みんなが慕ってお参りする大祖霊となるのよ」

 誰にも、身内贔屓みうちびいきの傾向はあるものだから、話半分に割り引いて聞くとしても、立派な御先祖様だったようだ。歴史に残る業績をあげた行政官というところか。

 しかし、タムシラキには記憶の欠片もない。同じ種族のことならば、獬豸の伝承にも残っていそうなものなのに。地方限定の有名人というやつかも知れない。

 だとしても、そんな偉人の生まれ変わりともくされるのは、非常にこそばゆいことだった。倫子は平々凡々な人間に過ぎない。高卒の元事務員で、専業主婦を経て、保険外交員。たいして取り得がない女で、比較するだけでも烏滸おこがまし過ぎる。

「残念ながら、私はそんな偉大な人物じゃないな。パレヴァ様は、ただ、獬豸の名前というので付けて下さっただけだろう」

「そんなはずないわ。あの人が、適当に名前をつけるなんて、絶対ありえない」

「どうして?」

「だって、霊能力者だもの」

「霊能力者?」

 そう言われて、真っ先に思い浮かんだのは、日本でテレビに出ていた占星術師。それを打ち消すように、タムシラキの知識が浮かび上がる。

 霊能力者とは、虹霓教徒の超常力者のこと。霊楽師れいがくし霊舞師れいまいしなど、霊力を使いこなせる聖職者をさす。非常に稀な特殊能力なので、一般人がお目にかかれるのは、祭祀の時くらいのもの。まして、異教徒など一生縁がないといっていい。

 悠もその点を疑問に思ったようだ。

「何処で、パレヴァに会ったの? あの人は、新河岸には滅多に来ないのだけど」

 何と答えよう。誘拐事件の容疑者として、取調べを受けました――とは言いにくい。悠に犯罪者だと勘違いされたくないし、何から話したらいいのかも迷うところだ。

 そこで、今更ながらに気がついた。タムシラキは、誘拐とは無関係だったことに。記憶が戻った今なら、ジャレンリーに情報提供もできるだろう。ただ、惜しむらくは、有益な目撃情報の持ち合わせがあるとは言い難いことだ。

「実は、私は事故にあってね。渡し舟が転覆したんだけど、その時に……」

 倫子が四苦八苦しくはっくしながら説明を始めた時、山の下の方から、かすかに、だが、切迫した叫び声がした。

三毛みけ様!」

 悠が素早く声に反応して、身体を半回転させた。体操選手なみの柔らかい身のこなしで。

「そこにおられますか、三毛様。どうかお手をお貸し下さい」

 更に声がかかると、臨戦態勢といった全身の緊張がいくらかけた。倫子をチラリと振り返った顔は、強張こわばったままだったが。

「セシムの声だわ。何かあったみたい。わたし、行かなくちゃ」

 言うや否や、悠は走り出した。今度は、短距離走者なみの脚力を披露して。慌てて、倫子も後を追ったが、到底追いつけない。この速さからして、鹿蜀族の血が濃いのだろう。獬豸は持久力こそあるものの鈍足なのだ。

 悠が向ったのは、倫子が登って来たのとは逆の方角で、頂上の端まで辿り着くと、階段ではなく獣道になっていた。あちこちに岩が突き出し、曲がりくねっていて、危険そうな急坂だ。そこを悠は軽々と走り降りていく。そんな芸当まではできないにしろ、タムシラキのバランス感覚も相当なもので、倫子だったら身がすくんだであろう山道を下っていくことができた。急カーブを抜けたところが多少の平地になっており、立派な鐘つき堂があった。その背景に町並みが広がり、更に向こうには海が見える。悠は鐘つき堂の近くに座り込んでいる人の前に膝をついていた。

「どうしたの、セシム?」

「目をやられてしまいましたよ。さっき、またしても御霊樹から凄まじい霊力が放たれたでしょう。三毛様は、何ともありませんでしたかな」

「わたしは平気。それで、目はどんな感じ? 痛いの? 痒いの?」

「それが、やたらとみて、目を開けておられんのです。最初は、かすむ程度で、そのままおさまるかと思ったんですがね」

「誰か呼んでくるわ」

「いや、わしでさえ、この有様ありさまなんですから、下はもっとひどい騒ぎになっとるでしょう。それより、御堂に上がれるようお助け下さい。すぐにも時報を打たんとならんのです。もう時間がない。きざはしさえ登れたら、あとは手探りでも、何とかやれると思いますんで」

 倫子がやっと二人の側まで辿りついた時、セシムが悠に向って手をさし出し、その指の爪が、鷹のように尖っているのが見えた。この鐘つき番は夜叉系の混血だ。そう気がつくと同時に、夜叉=危険という図式が脳裏を横切る。同時に、悠が手をとるのを躊躇ためらっているのを感じた倫子は、思わず二人の間に割って入った。悠をかばうためなら、夜叉族でも敵に回そう。最悪の場合には、だが。

 取り敢えずは、愛想よく申し出てみる。

「私が手をお貸ししますよ。力はある方なので。何だったら、代わりに鐘をついてもいい。やり方さえ教えていただけるならば」

 セシムは目を閉じたまま、こちらを向いて首をかしげた。

「三毛様、こちらは……?」

「大丈夫よ。パレヴァが仮親の方なの。丁度良いから、手伝って貰いましょう」

「そうですか。それは助かりますな」

 悠の保証がきいたのか、セシムはあっさり申し出を受け入れた。倫子はセシムを抱えるように七段の階を登り、一番大きな鐘の縄を取らせて、打ち方の指示を聞いた。時間がきたら、セシムが大きな鐘を鳴らす。次に、倫子が小さい方の鐘を鳴らし、最後に銅鑼どらを叩く。その間、七秒間隔とのこと。理教徒の場合は、一つしか鐘を使わず、時間によって打つ数を変える。時報一つとってみても、方式が随分違うものだ。

「おはつと、行くぞえ。これやれ!」

 セシムが、独特のイントネーションで掛け声をかけると、勢いをつけて、最初の鐘を打った。ゴーン。一、二、三……数え始める。

「つぎのと、用意せえ。それやれ!」

 待機していた倫子も、真似をして二番目の鐘を打った。ドーン。それから、急いで銅鑼の前に移動し、ばちを振り上げる。

「しまいと、用意せえ。あれやれ!」

 倫子が銅鑼を叩いた。バーン。と、その反響音が、オーン、オーン、オーンとたなびいて、空気を震わせる。うなじの毛が逆立つようなピリピリした感触。鼻までむず痒くなっくる。倫子は立て続けにクシャミをした。鼻をかむものを探したが、ここにはポケットティッシュなどあるはずもない。幸い胸元にアンヤンから借りた布が入っていたので取り出し、鼻をしばらく押さえることにした。

「こりゃ、魂消たまげた。何ともはや、獬豸ですか!」

 ややあって、セシムが仰天した声を張り上げた。何とか目が見えるようになったらしく、赤くれた目をこすりながら、倫子を見上げている。

「えぇ。リンフジカ、なんですって」

 階に腰掛けた悠が静かに言うと、セシムは息をんで固まってしまった。

「いや、それは、仮の名前で……」

 倫子は慌てて抗弁をしようとしたのだが、背後から、鈴を転がすような声が打ち消した。

「もう仮ではありませんわ」

 ぎょっとして振り返ると、そこにはパレヴァの姿があった。手にしていた竪琴を短くかき鳴らしてから、威儀を正したパレヴァが優雅に一礼する。細長い六本指を揃え、右手を上方に差し伸べながら。

卑属末流ひぞくまつりゅう巫子みことして、正式に御挨拶申し上げます。お帰りなさいませ、聖リンフジカ。皆、お戻りをお待ちしておりました。私は、パレヴナレシェルチェカの霊名を継いだ者です。どうぞ、パレヴァとお呼び下さい」



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   【 解説/施亀族の基礎知識 】



1. 施亀族せんきぞく・・・・首にえらを持って生まれた人族の総称。海沿いや川岸に住む。

        青緑の蛙のような目。無毛で甲羅のように硬い肌。水陸両生類。

        樽型胴長で短足。耳障みみざわりにきしる声。


2. 出産変性型・・両性体で生まれ、十歳頃、男か女に単性化する。

        十二、三歳になると、年に一度、発情期があってつがいを求める。

        妊娠すると髪が抜け落ち、離乳後に男性化したら変性しない。

        一生に一度しか妊娠できないので、三つ子や四つ子を産む。


3. 虹霓教徒・・・海宗徒が多いが、水を属性とする守護霊を持つ者もいる。

        泉、川、滝、湖、沼から池まで、内陸部では宗派が異なる。

 

4. 社会規範・・・禿頭とくとうは成人の証であり、毛髪があるうちは名誉職につけない。

        子供は産みの親に扶養義務があり、その血族全体で育てる。


5. 恋愛事情・・・施亀族は、ほとんどが男になるので、同族内では結婚しない。

        出産後に、異種族や混血の妻をもらうことはあるが、少数派。


6. 成人性別比・・・禿頭男性95% 未産婦5%(男性4% 女性1%以下)       


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