第8話 医療生アンヤンの迷い
1.上からやれ、と言われたことをやれ。
2.下にはやれない、と考えることをやれ。
3.人がやりたくない、と思うことをやれ。
4.自らがやるべき、と信ずることをやれ。
――新院二寮
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アンヤンは、迷っていた。
迷うなどということは、生まれて初めての経験だったので、自分自身に戸惑いながら、尚も迷い続けていた。何をか。どこまで報告するかをである。
「来たのか、アンヤン。随分遅かったな。今日は院長様が、君の話を直接お聞きになるそうだから、口のきき方には気をつけるんだぞ。礼儀正しく、ちゃんと御挨拶をして」
サーリャン薬師に会うや否や、開口一番に言われて、アンヤンはドキッとした。
「えっ……てことは、おいら、一寮の院長室まで行かなくちゃならないんですか」
「いや、院長様は、もうじきこちらに来られる予定だ。君は、面談室で待ってなさい」
毎回、獬豸の兄ちゃんの病室から出ると、アンヤンはサーリャン薬師の所へ直行してきた。どんな様子か、何を話したか、
担当薬師に、患者が訴えることを伝えたり、容態が変わったら知らせたりするのは、見習いの仕事ではあるのだが、通常とは明らかに目的が違っていた。今回の場合、治療するのは二の次なのである。聖女狩りの一味でないかと疑われているせいで、兄ちゃんが怪しい振る舞いをしたり、変なことを言ったり聞いたりしないかに関心があるのだ。
とはいえ、クレオジ院長その人が、二寮におでましになるのは、滅多にないことである。ましてや、わざわざアンヤンのような
だとすれば、アンヤンの迷いも、
ちなみに、初日の報告は、何の迷いも計算もなく本音をぶちまけたものだった。
「あいつってば、ヘラヘラ、おいらの年を聞いてきたんですよ!。『偉いねぇ。年はいくつ?』だなんて。ブルブル、ムカムカ、馬鹿にして! おまけに、『こんな小さいのに、お仕事してるんだ?』とかマジガキ扱いで、おいらの頭をグリグリしやがったんです。ちっくしょう! ボカボカ、バキバキ、冗談じゃねぇや!」
アンヤンが怒り心頭でわめき散らしたというのに、普段よりガキっぽい言動だったのがウケたらしく、まわりは同情するどころか、面白がって散々からかわれるはめになった。
「まぁさぁ、獬豸からすりゃ、チビガリは、えらく小さく見えるだろうよなぁ。もしかして、赤ん坊と勘違いしたんじゃねぇのぉ」
一番マシな慰めが、この
今にして思えば、あの時、アンヤンがあれほど怒りまくれたのは、兄ちゃんが恐くなかったからだ。サーリャン薬師がひねりつぶされかけたほどの怪力だと聞いていたので、正直言うと、最初はドキドキもんで、ビクビク近づいたのだが、ぜんぜん凶暴そうには見えなかったし、ほんとは偉そうな態度でもなかった。なんか途方にくれた迷子みたいで、ちらっと、可哀想かも、と思ったくらいだ。
ところが、アンヤンを目にとめたとたん、その頼りなさがに消えた。一瞬驚いたように、小さな目を見開いたあと、タレ目になってやさしく微笑んだのだ。ヌクヌク、ホカホカ、あったかく。
問題はだ。その後の台詞がひどすぎた。
「水を持ってきてくれたの? ありがとう。偉いねぇ。年はいくつ?」
いきなり、『年はいくつ?』ときたもんだ。これ以上の侮辱はないだろう。緊張がとけかけ、ほんわりしたところを、グサリと刺されたようなものである。あまりのショックに、アンヤンは、文字通り息がつまってしまった。次の瞬間には、フツフツ、ブクブクと怒りがわきだしてきた。それでも、もし、危険な相手だと感じたら、ガマンをしたはずだ。そう、ガマンするのは慣れているし、ガマンすべきときは、ちゃんとわかる。アンヤンは、まだガキかもしれないが、クルクルではないのだから。ただ、兄ちゃんには、最初から怒っても大丈夫だと安心できるもの――本音を吐き出しても許されると感じる何か、があったのだと思う。
「どうしたね、アンヤン。難しい顔をして」
聞き慣れたしわがれ声がして、アンヤンはハッと我にかえった。そして、クレオジ院長が見下ろしているのに気づいて、のけぞってしまった。院長さまが目の前に来るまでわからなかったなんて、大ドジもいいとこである。
慌てて立ち上がり正式礼をしようとしたアンヤンに院長さまは手を振った。そのまま気さくな感じで真向いに座りながら、心配そうに尋ねてくる。
「何かあったのかね。リンフジカの病室に、かなり長いこと入っていたと聞いたのだが」
アンヤンはごくりと唾を飲み込んだ。
「今日はいろいろ聞かれたもんで、説明するのにすごく時間がかかってしまったんです」
「ほう、どんなことを聞かれたんだね」
アンヤンは覚悟をきめて話しはじめた。薬草にこそ詳しいものの、専門バカのボンボン、サーリャン薬師ならウソやごまかしもきく。だけど、院長さまには通用しないだろう。なにしろ、この人は下町の孤児上がりで、コネもカネもないのに、院長にまではい上がった苦労人なのである。ただ頭がいいというのではなく、
「すると、彼は、聖女様の意味すら知らなかったというのか。それでは、聖女狩りについても?」
院長さまは顎髭をしごきながら考え深そうに呟く。アンヤンは大きく頷いて、兄ちゃんが、じんちくむがいだってことをわかってもらおうとした。
「そうなんです。自分でも、自分のこと、クルクルだって。頭のケガだと、名前も年も何もかも忘れてしまうことがある、って聞きましたけど、これって、それなんですか」
「ふむ。それも可能性の一つではある。が、さて、どうだろうな。君自身はどう思う? たとえば、リンフジカが、忘れたふり――嘘をついている可能性もあるのではないかね」
「えっ! あの兄ちゃんが、忘れたふり?」
ありえないことを言われて、仰天したアンヤンは思わず叫んでしまった。
「おや。君は、リンフジカのことを『兄ちゃん』と呼んでいるのか。ずいぶん気安い感じだが。初日に、大喧嘩をしていたわりには、意外と仲良くなれたということなのかな」
からかわれたのが恥ずかしくて、アンヤンは真っ赤になって弁解した。
「さいしょは、おいらをバカにしてるのかと思ったから……。けど、悪気はなくって、ただ、なんにもわかってないだけみたいなんです。だって、しんがしのことだけじゃなく、わかっててあたりまえのことまで聞くんですよ。ここは何て国なのかとか、種族はいくつあるのかとか。カイチのくせに、理教の摂理もぜんぜん知らないし。どんな嘘つきだって、じさいがたいざいだってことを忘れたふりなんかしないでしょ? そんなこと、ガキだって知ってるのに」
「――成程、それでは、頭の怪我で、記憶喪失になったのは間違いないのかもしれないな。しかし、それでも、事故の前には、どんな人物だったかを知ることは大切だ。誰の下で仕事をしていたのかとか、何故、新河岸にきたのかとか、どんなことが得意だとか。そういった打ち明け話を何か聞いていないのかね」
「ないです。兄ち……リンフジカは、ベソべソ泣いてる迷子と同じで、何聞いても、自分のことはわからないらしいから。けど……」
「けど、何だね?」
アンヤンは、なんとか弁護してあげようと、つかえつかえながら言葉を選んで言った。
「えっと、悪いことができる人じゃないと思います。それにしちゃ、あんまりにも、のんびりボケっとしてるんで……。その、あそこまでヌケてたら、人さらいなんかできそうもないし、ほんと、物ごいするのもムリっていうか……」
「それは、気が優しいという意味かな。それとも、育ちが良さそうだと言いたいのかね」
「どっちも、です。人がいい……っていうより、人が良すぎて、悪いやつにだまされそうだな、って感じだし、腹すかして泣いたこともなさそうだし。でも、お武家づとめじゃないですね。えばったとこ、ぜんぜんないから」
「ふむ、君は、実に観察力があるね。大変結構だ。それは、医療生に必要な資質だよ。真面目に精進すれば、きっと立派な医師になれるだろう。これからも、頑張りなさい」
「あ、ありがとうございます。院長さま」
褒められてウキウキしながらも、アンヤンは礼儀正しく頭を下げた。
「当初、私は、リンフジカの担当補佐に、入寮初年生の見習いをつけるのはどうかと危ぶんだのだが、他には志願者がいなかったものでね。何しろ、サーリャンが骨を折られかけた訳だし、敬遠されても当然だとは思うが。君は、どうして志願したのかな、アンヤン。恐くはなかったのかね」
「えっと、恐いとは思いましたけど……」
「けど、何だね?」
「心得四則にありますよね。『人のやりたくないと思うことをやれ』って。だからです」
聞かれると思って用意しておいた答えに、院長さまは苦笑まじりに納得した。この心得は、表むきの建前で、ほんとの本音は、『出世したければ、やる気を示せ』ということなのだ。アンヤンの希望を院長さまは、ちゃんと
「よろしい。近いうちに、君が薬草所の研修に上がれるように指示しておこう。さてと、他にも何か、報告しておくことがあるかね」
兄ちゃんの担当から外されてしまったら、たぶん、もうおしゃべりをすることもなくなる。何かあっても、教えてあげられることができないだろう。だったら今さら、兄ちゃんの不利になりそうなことを口にする気にはなれない。
もしも、兄ちゃんが逃げる気になったとしたら、その時は、本物の聖リンフジカに祈ってあげよう。『兄ちゃんがちゃんと逃げ切れますように』と。正直なところを言えば、アンヤンは兄ちゃんが結構好きになってしまった。だから、死んでほしくなんかないのだ。
うん、絶対に。
アンヤンがためらいを感じたのは一瞬で、はっきり首をふった。同時に、迷いも一緒にふり切った。
そして、院長さまの目を見返して答えた。
「いいえ。特にはありません」
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【 解説/竜眼族の王族三家 】
1.
2.
※王城に隣接して後宮があり、祭祀を司る。
3.
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