第7話 虹王国の聖女は、癒し手にあらず。
――理教経典より――
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倫子はリンフジカ、略して、リンと呼ばれる身になった。
審問の結果、療養観察扱いとなったが、これは、たとえ犯罪者でも怪我人や病人は治療するべしと定められているため、回復するまで
問題なのは、倫子が話せる相手が、限られたことだ。一応、サーリャンが担当の薬師ということになっていたが、他で忙しいようで、日に一、二度しか顔を出さない。アサヤオキは、残念ながら、尋問の前に退室させられた後、全く見かけなくなった。どうやら、意識が戻った時点で、
赤毛のジャレンリーは、ちょくちょく様子を見に現れるようになったのだが、痛くもない腹を探られているようで、非常に居心地が悪い。どうせ何を聞いたところで教えてはくれまいし、下手な事を言ったらまずいと身構えるので、言葉少なに受け答えするだけで、情報源にはなりようがなかった。
唯一、気楽に話せるようになったのが、アンヤンという雑用係の子供だった。いや、子供だと思うのだが、出会ってすぐ、挨拶代わりのつもりで年を聞いたら、すごい剣幕で怒り出したので実際はわからない。日本人の感覚からすると、小学校三、四年生位だろうか。かなり知恵がついて、舌も回るようになった生意気盛り。その大人ぶりたい背伸びの仕方が、まだ可愛く見える少年だ。だが、年齢にかかわらず、やはり毛深い。顔立ちも似通っているので、サーリャンの弟かと思ったのだが、赤の他人だと言う。不幸にも、
とにかく、ゼロから学ぶしかないと、倫子はアンヤンを引き止めては質問攻めにした。初日は、
「兄ちゃん、ほんっとに、わかんないのかよ。クルクルのふりをしてるだけなんじゃないの」
「クルクル?」
「アホウのこと」
「あぁ、それなら、私は正真正銘のクルクルだよ。だから、怒らずに教えてくれないか。可哀想だと思って優しくね」
「ハン。教えたら、いくらくれんのさ」
アンヤンは母子家庭で苦労しているらしく、シビアな経済観念を持っている。倫子としては、非常に親近感を覚えるし、心付けくらいあげたいと思うが、何しろ先立つ物がない。身一つで運ばれて来たというのだから、ない袖は振れないのだ。
「うーん。出世払いはきかないかな」
「なんだよ、しゅっせばらいって」
「お金が
「チッチッ。ツケのことか。兄ちゃん、カネもってないの。ふところカラカラ?」
チッチッという舌打ちには、『しょうがねぇな』的なニュアンスがあるようだ。
「ああ。多分、財布や荷物は全部、川で流されてしまったんだろう」
「フーン。そういや、兄ちゃんを川から引きあげたやつらが言ってたっけ。血がダラダラで、服もボロボロなのに、よくも生きのびたもんだ、さすがカイチはがんじょうにできてるって」
救助にあたってくれた人と話をしたなら、もっと詳しく聞けそうだと、倫子は横たわっていた寝台から身を起こした。
「私以外にも助かった人がいたのかな」
「船頭はピンピンだよ。あとは、船頭が助けだした聖女さまがひとりだけ」
「聖女様って、石店の孫娘の? 良かった! それじゃ無事に見つかったんだな」
誘拐された女の子が返ってきたものと喜べたのは一瞬だった。能天気な倫子を憐れむような眼で見たアンヤンに、思いっきり首を振られてしまった。
「ちがうよ。いま言ったのは、うしおやの勝子さまのこと。たかみねやの友子さまのほうは、いなくなったっきり。そんでもって、いっしょに流された兄ちゃんが、うたがわれてんだろ」
渡し船に聖女が二人乗っていたと知らなかった倫子はがっくりきた。
「どうして私が疑われるのかな。そこがよくわからない。獬豸だからなのか」
「カイチっていうよか、よそ者だからじゃん。兄ちゃんは、なまえも住んでるとこも、ぜんぜんお調べがついてないしさ。船頭と勝子さまも、兄ちゃんのことをあやしいって言ってるらしいよ」
どこで聞きかじってくるのか、アンヤンはかなりの情報通である。
「だけど、私だって、死にかけたところを助け出された訳だろう。どう考えたって、その友子様を誘拐することなんか、できたはずがないじゃないか」
「そりゃ、一人ならね。けど、聖女がりのなかまかもしれないじゃん。ただの手下だと、口ふうじにバイバイさせられることもあるっていうし。兄ちゃん、腕っぷしは強そうだけど、ホケホケしてるから、エサにさしだされちゃったんじゃないの」
アンヤンは倫子をこき下ろしつつ腕組みした。棒のような細い腕では、まるで迫力がないが、説教されている感じはする。
「エサとは酷いな。ところで、その……聖女狩り、とかいうのは、何なんだ?」
「聖女さまばかりねらう悪いやつらのことだよ。しんがしには、商人とか平民にも聖女さまがけっこういるじゃん。お武家とちがってさらいやすいんで、川むこうから来てるんだろうって。もう
つまり、この地には誘拐団が
だが、誘拐対象になる聖女とは、一体何を意味するのか。肝心なところが抜けているもので、自分の立場が今ひとつ理解できない。
「心配してくれて嬉しいよ。しかし、なぁ、アンヤン。そもそも、その聖女様というのは、どんな女性のことを意味してるんだ?」
アンヤンは一瞬ポカンとし、それから、赤らんだ顔を更に赤くして怒り出した。
「コケにするのもいいかげんにしろよ、兄ちゃん。いくらなんだって、聖女さまを知らないわけないだろ!」
「ほら、また怒る。私はクルクルなんだぞ。もっと、こう……ヤサヤサしてくれないと……」
何とか
「なんだよ、そのヤサヤサってのは!」
「優しくしてくれって頼んでいるんだよ」
「そんな言いかた、あるもんかい。猩々系だと思ってバカにすんなって!」
「バカになんかしてない。そうだ、これを君と私の秘密の合言葉にしようじゃないか」
「――ひみつの?」
子供は秘密と聞くと興奮して喜ぶ。少なくとも、『この世』ではそうだった。どうやら、『あの世』でも適用されるようで、アンヤンは怒りの
「そうだ。私がヤサヤサって言ったら、本当に何も知らないんだ、ってことを思い出して、優しくしてくれよ。な?」
「チッチッ。そいじゃ、兄ちゃんも、ヤサヤサって言ったら、おいらにツケがあるんだ、ってことを思い出してくれよ。な?」
かくして取引が成立し、アンヤンから基礎的な知識を仕入れることができた。彼が知る範囲の
ともあれ、それを整理してみるとこうなる。
第一に、国の名前は、
統治者は、虹王家当主という決まりなのだが、先代の虹王三世が
但し、斎王の本領は、海をへだてた宝島にあって、新河岸は、虹王領の狭間にいくつか点在する支領の一つに過ぎず、斎王自身がこちらに来ることは滅多にないらしい。そんな状態で、抑止力がいつまで働いているかは不明であるとのこと。
第二に、ここでは、男女の構成比が一対一ではない。
更に、
単性体のうち、女性は男性よりも更に少ないため希少価値があり、聖女というのは、何のことはない、竜眼族以外の女性に対する尊称なのだった。回復魔法を使えるわけでも、瘴気を浄化できるわけでもない。
(それなら、私だって聖女様じゃないのよ。いや、それは、前の身体かぁ)
ホモサピエンスならば、人口の約半分――砂粒のようにありふれた存在なのに、虹王国では真珠の如く見なされているというのだから、あまりのカルチャーショックに、その日は、文字通り熱が上がってしまった。
まぁ、だからこそ、その宝石を奪い取って売りさばき、金を得ようとする誘拐事件も起きようというもの。新河岸は、斎王三世が混血の庶子ために
第三に、虹王国の支配種族は、竜眼族である。人口比からすると最も
単性体の次に位置するのが、準単性体だ。生まれは両性体でも、成人するまでに男か女に単性化すれば、単性体に準ずると見なされる。もともとの準単性種族は、
ピラミッドの底辺に位置する両性体は、猩々族、
第四に、虹王国の国教は、虹霓教の樹宗である。同じ虹霓教でも、
但し、新河岸に住む者は、自らの信仰を申告しなければならず、罪を犯した場合は、
「サイサイ? それも、死刑なのか」
「うん。けど、ほかの死にかたよりエグいらしいよ。寮長さまは、悪霊をはらうためにひつようなみわざだとか言ってたけどさ。なにが起きるかはだれにもわかんないし、とにかくオゾオゾしいんだって。だから、兄ちゃん、いざとなったら、理教徒だって言いはればいいよ。カイチはたいがいそうだって言うし。毒のカップ飲みほすほうが、ぜったい楽なバイバイだと思うよ」
アンヤンの
もう少し建設的な助言が欲しいと思った倫子は、質問の切り口を変えてみた。
「君は理教徒なのか、アンヤン」
「まだだよ。母ちゃんは、理教徒だからさ。おいらも入信させたくて、教室には行かされてたけど、摂理のてならいはずっとさぼってる。だってさ、『今生におけるかんなんしんくは、前世でおかした罪にたいする罰として、すべからくたえしのび、さいごまで生きぬくべし』とか言われたって、ピンとこないしさ。なんかゾクゾクもんじゃん。おいらには、九克教のほうが合う気がしてるんだ」
理教徒というのは、随分と難し気な摂理を手習いさせられるようだ。その内容はスルーしておき、取り敢えず、九克教徒にもなれるという点に着目してみる。
「そうすると、親と違う信仰を選ぶこともできるわけか」
「親が理教徒ならね。母ちゃんがこうげい教徒だと生まれたときからのこうげい教徒で、父ちゃんが九克教徒だと生まれてすぐに焼き印を入れられちゃうこともあるから」
「焼き印って、どこに?」
「たいてい、足のうら。兄ちゃんにはないから、たぶん九克教徒じゃないね。まぁ、どこにはいるか、今のうちに選んでおいたほうがいいよ。近いうち死刑だって決まっちゃうかもしんないんだし。さもなきゃ、なんか方法を考えるとかさ」
あっという間に、話題が死刑に回帰してきてしまった。こうなったら、もうストレートに助かる方法を聞くしかないと、倫子は腹を
(こんな子供に聞くようなことじゃないよねぇ。話題が死刑なんだし今更かぁ)
情けなく思いつつも、他には頼れる相手がいないのだから仕方がない。
「参ったなぁ。本当にどうしたらいいんだか……。なぁ、アンヤン。他の人が私の立場だったら……、こういう場合って、普通どうするものだと思う?」
アンヤンは、これぞ常識といった感じで、ばっさりと言い切ってみせた。
「九克教徒だったら、見はりをまいて、とっととずらかっちまうだろうね。しんがしを出たらお役人さまだって追っていけないじゃん。川むこうはお支配がちがうから。こうげい教徒なら、ツテとカネを使って助かろうとするよ。おえらいさんのうしろだてがあれば、なんとかしてくれるかもしれないもん」
「それじゃ、理教徒だったら?」
「じさいのたいざいを犯して、来世でつぐなうことにするか、前世のつぐないとして、がしするか、どっちか選ばなくちゃなんないね」
自裁か餓死――そんな選択を迫られるのであれば、理教も御遠慮したい。
「なるほど。確かに、君には九克教の方が合いそうな気がするよ、アンヤン」
倫子が寝台にばったり倒れこみ、これ以上もう考えたくないとぐったりしているのを尻目に、アンヤンは得意気に笑った。
そして、右手でグッと
「だろ。で、兄ちゃんは、どうすんのさ?」
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【 解説/八種族の
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