第6話 霊楽師パレヴァの確信


   悲しいときには、泣くより笑え。

   苦しい時には、愚痴ぐちらず歌え。

   腹立つときには、怒らず踊れ。

   嘘や盗みで、精霊逃げる。

   ねたみやいさかい、悪霊招く。

   殺人、裏切り、神霊降る。

   守護霊、頼るか、祖霊に祈れ。


                 ――虹霓教 唱歌――



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 パレヴァは、高揚した気分で病室を出た。

 今の自分に満ちてくる福を呼ぶ霊気なら、〈御大〉だって招請しょうせいできるかもしれない。けれど、その久々に明るい気分が続いたのは、むね違いの控え室に案内されるまでだった。審問官三人だけになると、早速、セイギが皮肉まじりに追求し始めたもので、現実に引き戻されたのだ。やっとのことでともした灯りが、風で吹き消されるように。

「つかぬことを聞くがね、パレヴァ。たとえ正式なものでなくとも、虹霓教徒は、あだやおろそかに名を決めるものではなかろう。特に、霊能力者が命名する際には、必ず重要な意味があり、なにがしかの責任をも課せられるものではなかったかな。確か、仮の名をつける場合には、仮親かりおやとかいう立場になると思ったが」

 セイギは理教徒だが、学院で混血学の研究をしているので、虹霓教の教義やしきたりにも精通している。忌々いまいましくなるくらいに。

「とりあえず、保護者を務めるというだけよ」

 パレヴァがそっけなく言うと、例によって例の如く、セイギは怖気おぞけを震いたくなるほどの嫌味をれ流し始める。

「ほう。つまり、君は、あの容疑者を保護する立場に回ったというわけなのか。それは、明らかに、斎法十七条の規定に反しているのではないかね。公正中立をむねとする審問官として、あるまじき行為と言わざるを得まい」

「本当にそう思うなら、あなたこそ、どうして断固反対しなかったのよ、セイギ。『お任せする』なんて、ない御言葉で、私に一任してくれるなんて変じゃないの」

 パレヴァの反撃に、珍しくも躊躇ためらうように、セイギが押し黙った。

 その隙を見逃さず、ジャレンリーが、滑らかに割って入ってくる。

「失礼ですが、〈翻訳力ほんやくりょく〉によって、何か摑めたのでしょうか、セイギ様」

 この答えは自分も知りたかったので、パレヴァは口を挟まなかった。

 神通力で思考を読み取る〈心話力〉や異種族の言語をも解読する〈翻訳力〉は、霊能力による直観的な霊感とは、理解の仕方が本質的に異なる。おかげで、セイギとは意見が合わないことが多い。 

「いや、残念ながら、全く同調できなかった。獬豸と炎摩えんまの思考は読み取れないことが多いものだが、とりわけ異質で興味深い披験体ひけんたいだ。あれを攻略するのは、相当時間がかかるだろう。そういう君の〈みみ〉の感触の方は、どうだったんだね、ジャレンリー」

 披験体だの攻略だのと言葉は硬いが、要は、お手上げだということだろう。普段ならば、いい気味だと思うところだけど、審問中は困る。ただでさえ、議論好きなセイギと渡り合って、意見をすり合わせるのは難行苦行だというのに。いつもよりも楽し気で、とことん追求してやるぞという意気込みに満ちあふれているなんて。

(試練を賜物だとうそぶく九克教徒でもあるまいし、勘弁してよ)

 パレヴァが内心辟易へきえきしている間にも、本物の九克教徒ジャレンリーと理教徒セイギの問答は、一対一で続いていく。

「何か隠しているのは確かですが、それが、聖女狩りに関わることなのか否かは、今の所、判断がつきません。具合が非常に悪いのは間違いないようですし、もう少し回復するのを待つしかないでしょう。そこで、一点お伺いしておきたいことがあるのですが……」

「何だね?」

「このような場合、再度、尋問するのに、八日後まで待たなくてはならないのでしょうか。それとも、状況をみて可能とあれば、自分一人で、試みても許されるものでしょうか」

「事情を聴取する分には何の問題もない。むしろ、所轄の院の審問官として、効率良く情報を得るために、君は率先して動く立場にあるのだと認識したまえ。無論、拷問や脅迫は許されないが、良識の範囲内で策を講じるのは当然のことで、腕の見せ所といえる。が、今回は、特に注意すべき問題がある。それが何か推測できるかね」

 講義口調の質問に、まだ若いジャレンリーは学生のように考え込んだ。

「――彼を逃がすな、ということですか」

「いや、逃がすのを恐れるな、ということだ。よいか、彼は獬豸の純血種なのだ。そして、獬豸というのは、押しなべて一見おとなしく害がないように見えるが、決してあなどってはならない種族だと心しておきたまえ。もし追いつめ過ぎて、彼が逃げ出すと決めたが最後、行く手をはばもうとする者達は、凄まじい怪力で瞬時に打ち倒され、死傷者の山と化すだろう。武官を動員すれば、最終的に殺すことはできるにしろ、殺すと脅したところで、獬豸に口を割らせることなどできない。だとすれば、そのような愚策を強行する意味が、一体どこにあるのだね。望ましい結果が得られない以上、部下を失わずにすむ分、最初から手を出さない方がまだしもだ」

 淡々と話すセイギは外瞼そとまぶたを完全に閉じていたが、抑えきれない感情が漏れ出ている。これは、ただの恐怖ではない。湧き上がる憎悪や嫌悪でもない。むしろ、敬意か畏怖に近い気がする。いずれにせよ、聞きかじったうわつらの知識ではないだろう。間違いなく、セイギ自身の体験談だ。

 ジャレンリーは気圧けおされたようで、自信のなさそうな声になっていた。

「では、ただ見張っているだけにしろということでしょうか」

ではない。罠を張り巡らせた上で、見張る方が得策だということだ。間諜かんちょうをこの周辺一帯に可能な限りまぎれ込ませて、彼の言動を観察させ、逐一ちくいち記録したまえ。自由に歩き回らせ、どこに行こうとするか。誰と接触しようとするか。他の者とどのような話をするか。何に興味を示すか。そうすれば、少なくとも、彼の人となりが明らかになる。性格、気性、聖女狩りに加担する人間かどうかの判断材料が得られる。また、もし、彼に近づこうとする者が現れたら、突破口が掴めるかもしれない。聖女狩りの仲間であれば、彼を逃がそうとするか、口封じのため殺そうとするか。その者を捕らえ身元をつきとめれば、犯罪組織と繋がりも見えてくるだろう」

 ここで、パレヴァは口をはさむことにした。このままセイギに主導権をとられて捜査方針が決まれば、時間と労力の無駄になってしまう。

「随分と大事おおごとにするのね。私は、無駄だと思うけど。あの方、聖女狩りの一味なんかではないもの」

「断言か、パレヴァ。その自信の根拠は何だね」

 半眼になったセイギの問いに、パレヴァはフンと鼻を鳴らしてやった。

「霊能力よ。盲人に色の説明はできないわ。だけどね、白は黒でなく、ちゃんと白に見えてるの」

「それは、つまり、聖女狩りの犯人が霊能力で見分けられるということなのでしょうか」

 ジャレンリーの期待がこもった眼差しを受けて、パレヴァは逡巡しゅんじゅんした。元々、言葉で説明するのは苦手な上に、聖職者として、明かすべきでない秘儀にかかわることでもある。まして、異教徒相手では。だが同時に、事件の捜査にあたっては、審問官同士で互いに情報を秘匿ひとっくしてはならないとも定められている。

 仕方なく、パレヴァはジャレンリーに正面から向き合うことにした。

「そうではなくて。どの程度の悪事を働いている人なのかはわかる、ということなの」

「程度と申しますと、盗みと殺しの違いのようなものですか」

「えぇ。『妬みや諍い、悪霊招く』という、あの歌は伊達だてではないのよ。誘拐などの大悪に手を染めていたら、その人の周囲の気は、ひどく濁って、邪霊が湧いてくるものなの。それこそ、蝿が食べ物に集(たか)るようにね。あの方の霊気は、全くの逆。とても澄んでいて綺麗だわ」 

「成程……。でも、それは、彼の無実を裏付ける証拠となりるのですか」

「私にはわかっている。他の霊能力者を連れてくれば、同じことを言うでしょう。でも、無実だと証明することはできない。信じるかどうかはあなた方次第よ。おまかせするわ」

 ジャレンリーが当惑した様子でセイギを見ると、セイギは面白そうに唇の端を曲げた。

「どうやら、君はこれまで霊能力者と仕事をしたことがなかったようだな」

「はい。ご紹介いただいたのは、パレヴァ様が初めてです。勿論、お話しするのも」

「気の毒に。初体験の相手がパレヴァでは、かなり荷が重かろうな。それでは、異教徒同士の立場として、私から一つ助言をしておこう。霊能力者というのは、確かに、普通の者には見えぬ霊気の流れを見るかもしれない。だが、それを言うなら、獬豸は他の種族にはわからない匂いを嗅ぎ取るし、炎摩は微妙な音の変化を聴き取る。それぞれに、感応する主器官が違うというだけのことで、超常能力も、その一種に過ぎないのだ。神通力者より更に希少な上に、聖職でもある霊能力者は、神秘的に思われているふしがあるがね。何事にも一長一短があり、絶対に正しいということはない。だからこそ、斎法第十七条の下に、我々三人がここにいる。互いの能力を補完するべく指名されたわけだ」

「自分を卑下ひげするなという御助言ですか」

「ほう。自己主張の激しい九克教徒に卑下などという概念があるとは初耳だね。単に私は、パレヴァの意見も情報の一つと位置づけ、あらゆる可能性を否定すべきではない、と言いたいだけだが」

 珍しい。セイギにしては助言の大盤振おおばんぶいだと、パレヴァは驚いた。どうやらジャレンリーのことは気に入っているらしい。

「霊気と言えば、パレヴァ様に、もう一点教えていただきたいことがあるのですが」

「あら、何かしら」

「昨日の会議で、権現山の御霊樹が輝き出し、新河岸の霊力が高まっていると御指摘いただいたそうですが、これは、どういう意味があるのでしょうか。いや、むしろ、どういう危険があるのか、とお尋ねすべきなのかもしれません。何れにせよ、住民の安全を確保するために、当院として取るべき対応策について、是非ぜひとも御助言を賜りたいのです」

 上手い聞き方だとパレヴァは感心した。

 ジャレンリーは、〈聴き耳〉といって、喋り方や間の取り方で嘘を聴き分ける才があるらしいが、答を引き出す話術にも長けている。さすがに、実力主義者ぞろいの新院で、治安を預かる四寮四室の捜査室長に、若くして登りつめただけのことはある。この人選なら、今回の審問班は、まともに機能するだろう。以前、典院が指名した役たたずな連中は、縄張り意識と功名心ばかりが強かったので、セイギの逆鱗げきりんにふれて精神的に叩きのめされ、事件の犯人よりも酷いお仕置しおきを受ける羽目になったものだけど。

「対応策ねぇ。差し迫った問題は、興奮している番蜂くらいだけど、多分、山は越えたわ。数日たてば落ち着いてくるでしょう」

 さりげなく質問をかわしてみようとしたが、案の定、ジャレンリーは引き下がらなかった。礼儀は守りながらも、必要な情報を得るまで、〈聴き耳〉を立てて譲りそうもない。

「それは朗報といえます。しかし、そもそも番蜂は何故、興奮し始めたのですか。新河岸では、現在さまざまな噂がたっております。流言りゅうげんを止めるためにも、自分としては何が真実なのかを把握しておく必要があるのです」

 責任感が強くて、状況判断も正しい。この分なら、樹宗徒にとっての真実を話しても、異教徒にありがちな拒絶反応を起さないかもしれない。

 パレヴァは説明してみることにした。

「いいわ。簡単に言うと、〈再来者〉が現れたのよ。大祖霊の〈樹魂〉が、この新河岸の結界内にね。神霊が御霊樹に降られ、御導きの光を放たれたので、あたり一帯にとても強い霊力がたちこめ、番蜂が活性化して動き回っているだけなの。だから、特に対応策は必要ないわ」

 返す言葉が見つからないのか、絶句して固まってしまったジャレンリーの代わりに、セイギが口を開いた。ここぞとばかりに。

「つまり、我々が先程さきほど尋問してきた、あの獬豸こそが、聖リンフジカの〈再来者〉だと?」

「えぇ、〈御大〉が呼応している以上、間違えようもないわ。それに、落葉が始まっているし……。あ、いけない! 注意しなければならないことが一つあったわ、ジャレンリー。御霊樹の葉が、風に流されて町中にも落ちていくかもしれないけど、絶対に触るなとおれを出してちょうだい。子供たちが間違っても拾わないように、十分気をつけさせて。今は神霊の霊力を強く含んでいるから、番蜂に刺されるのと同じくらい危険よ。かぶれるくらいではすまないと思うわ。虹霓教徒でも近づかないようにしてね。樹宗徒以外は」

「承知いたしました。ですが、御霊樹の葉というのは、一見して区別できるのですか」

「えぇ、落葉してもしばらくの間は半透明だから。逆にそれが、色づいて不透明になれば、もう触っても大丈夫。でも、見つけたら、護樹会ごじゅかいの会員に知らせて、すぐに片付けてもらった方が安全でしょうね」

 護樹会というのは、新河岸で御霊樹の管理を担う樹宗徒の氏子組織のことだ。そこの幹部は、聖リンフジカの血脈で、神霊の霊力にも馴染んでいるはず。

「大変興味深い情報だが、パレヴァ、私の記憶違いでなければ、御霊樹の落葉というのは、確か、凶事きょうじ前触まえぶれではなかったかね」

 セイギがずばりと核心をついてきた。ジャレンリーの全身にさっと緊張が走るのを見て、パレヴァは内心溜め息を漏らした。

「それは、落葉だけで終わってしまう場合。そのあと開花に続けば、逆に慶事けいじの証になるわ」

「開花? 御霊樹にも花が咲くのですか」

「えぇ、その御霊樹の名づけ元となった〈樹魂〉が再来すればね。権現山の聖リンフジカは、植樹以来まだ一輪として咲いたことがなかったわけだけれど」

換言かんげんすれば、花が咲けば、あの獬豸がリンフジカの〈再来者〉である証となるわけだ」

「そういうこと」

「どのくらいで判明するものなのかね」

 懐疑的なセイギと警戒しているジャレンリーの顔を見回して、パレヴァはがっかりした。やはり、異教徒に話しても、無駄だったようだ。

 まぁ、今にわかる。信じようと信じまいと、認めざると得なくなる。紛れもない、この真実を。

 パレヴァは溜息を押し殺し、逆に、にっこりと笑ってみせた。

「七日以内よ。次回の審問までには、はっきりすることでしょう」


 

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   【 解説/霊能力の基礎知識 】



1.  霊力れいりょくは、守護霊によって分け与えられるバリアのようなもので、母親が虹霓教徒であれば、生まれながらにして持っている。とはいえ、小霊、精霊級の守護霊の霊力は弱いため、身体が成長するに従って薄くなっていき、七歳過ぎると、ほとんどの者は霊感が働かなくなる。


2. 霊能力れいのうりょくは、霊界から流れて来る霊力を使って、世界の事象に干渉できる現世利益げんぜりやく的な能力である。守護霊の霊力が大きいほど、守護霊との絆が太いほど、また、自身が修養に励むほどに、霊能力は増し強くなっていく。但し、どのような形で使えるかは、守護霊の属性によって決まるため、自分では選べない。


3. 霊能力者は、伴性遺伝で母から子へ、守護霊と共に継承されていく。かつては、伝統芸能と同様の家元制度があり、霊楽師れいがくし霊舞師れいまいし霊薬師れいやくし霊媒師れいばいしなど、百数十種に及ぶ御霊師みたましがいた。しかし、今日では、家元が絶えた家系も多く、斎王家が保護に乗り出してからは、本院二寮に霊能力者を集め、一元的に育成している。


4. 霊楽師は、守護霊に音楽を奉納することで、霊力を集め操る技にけた歌手や奏者の総称である。祝祭や結婚式に呼ばれることが多いため、霊能力者の中では、最もポピュラーで人気も高い。霊能力が高く、楽師としての腕も良い者は、自分の守護霊以外にも働きかけて、様々な賜物を得ることができる。



    




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