第5話 角を持つ現身は、誘拐犯か否か。


 大斎院の管理区内において、人命にかかわる事件、もしくは人心を揺るがす超常現象が生じ、七日以上未解決であった場合、大院長の権限にて、審問官しんもんかんを任命できるものとする。

 審問班は、所轄の院より最低一名、他二名の審問官で構成するものとする。その任命にあたっては、専門知識を有し、一件に利害関係のないことを必須条件とし、虹霓教徒、理教徒、九克教徒の三名からなることを絶対条件とする。


                     ――斎法いつきほう 第十七条――



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 甘やかな良い香りがする。ラベンダー畑で高原の爽やかな風に吹かれているかのように。

(あぁ、いい香り。そうよ。天国はこうじゃなくちゃ。これなら合格。安心して天国と認められる)

 が、ホッとしたのは、ほんの束の間にすぎなかった。身じろぎした途端とたん、良い香りは薄れ、以前の悪臭が立ち戻ってきたのだ。

「ご気分はいかがですか」

 耳元でハスキーな声に囁かれて、倫子は目を開けた。嫌々ながら現実に舞い戻ったと言うべきか。頭を回すとすぐ傍で優しそうな小さな目が見返していた。頭から厚手のショールのような布を巻きつけ、鼻と口は完全に隠されている。おかげで表情はわからないが、わずかに見える前髪が白く全体的にふっくらした体つきをしている。年配の女性かな、という印象だった。

「まだ、かなり悪そうですね」

 倫子が答えないのに相手はひと合点がてんをすると、何やらびんを取り出してふたを開けた。そこから天国仕様の甘い香りが立ち昇る。

「お気に召しましたか。夕泉香ゆうせんこうというのですよ。薬効はほとんどありませんが、臭い消しには最適なのです。さぁ、どうぞ」

 香水の類なのだろう。それを数滴細長い布に垂らすと、倫子の鼻を覆うようにかけてくれた。ラベンダー畑が再出現する。どうやら、寝返りをうって落とすまで、この布をかけて悪臭を遮断してくれていたらしい。

 自然と倫子は深呼吸をしていた。癒し系の香りがパアッーと鼻腔に充満される。その心地良さときたら、真夏のお風呂上りに生ビールをググッと飲んた時に匹敵ひってきする。

 あぁ、なんて幸せ。この一瞬があれば、明日また頑張れる、と思ったものだ。今もささくれ立った神経が安らぎ和らいでいくのを感じる。


「私は、タユカイナ郷の出身。ラカナオキ家当主の第三子で、アサヤオキと申します。こちらの新河岸、西町三丁目の美笛屋で女中奉公をしている者です」

 気分が落ちついたのを見計みはからったように、再度声がかけられた。

 長々しくも異世界風固有名詞の羅列。到底一度では覚えられそうにないが、ともかく、名乗りをあげられたということは初対面なのだろう。こういう場合、何と挨拶を返すべきなのか。『初めまして。私は斎藤倫子です』では済まされないのは間違いない。この角のある身体の持ち主には、別の名前がつけられていたはずだ。

「薬師様のお話では、頭を怪我されてかなり混乱している御様子だとか。出身地やお名前は覚えていらっしゃいますか」

 倫子は返答につまった。本名を含めて全てを打ち明けてしまおうか、とも思ったが、やはり危険の方が高すぎる気がして、躊躇ためらいが生じる。正気でないと判断されてしまうかも知れないし、逆に信じてくれても、この身体を乗っ取った悪者と見なされるかも知れない。地球上の人間同士でさえ、国によって法律や信仰、風習が違うのだ。まして、異世界の異人種が相手となれば、慎重の上にも慎重にふるまう必要があるだろう。実際、女だと言っただけで、院長はパニックを起こしていた。何気なにげない一言で怒らせてしまうことだって充分あり得る。それはできるだけ避けたい。

 にもかくにも、今置かれている状況を把握するのが先決問題。こちらから質問して情報を集めなければ。

 倫子は、もう一度深く息を吸い込んでから口を開いた。

「何も覚えていないのです」

 まるっきりの嘘ではない。この世界に関する知識は、ゼロなのだから。だが、隠しごとがあることは見破られてしまったのだろう。何しろ返答するまで時間がかかり過ぎている。相手は黙ってしまった。非常に疑わしげに。

 の悪さをごまかすには、話しかけ続けて気をらさせるしかない。

「えっと、アサナオキ……さん、でしたっけ? ここは、何処ですか」

 更には、『私は誰ですか』と聞きたい所だ。あまりにも陳腐だが、切実に知りたい情報トップ3に入るのだから仕方ない。残りの一つは迷うところだけれど、やっぱり、『ここの悪臭、どうにかなりませんか』が有力候補となるだろう。

「アサヤオキ、です。敬称は不要ですよ。私は商家に奉公している経産婦ですから」

 きっぱりとした口調で訂正が入った。敬称は不要と言うわりに、教壇に立つ先生の『よく憶えておきなさい。ここはテストに出ますよ』的な態度である。倫子としては受験生のように、ただひたすら拝聴するしかない。

 アサヤオキは背後を伺うようにちょっと振り返り、それから倫子の耳元に口を寄せて囁いた。

「あまり時間がないようなので、手短に御説明しておきます。ここは、斎王領の救護室です。より正確なところを申し上げるならば、新河岸の大通り、東町二丁目の新院二寮附属の施療所の中におります。あなた様は、荒神川の上流で乗っていた渡し舟が転覆して溺れ、この近くの岸辺に流されてきたと考えられています。あちこち怪我をされて、恐らく頭も打っているので、記憶が混乱しているのだろう、しばらく安静にして様子を見ようというのが、薬師様のおたてでした。でも、四寮四室の捜査官は――これは、町方のお役人様のことですが、意識が戻り次第、お取調べを始めるとおっしゃっていました。もし、身元を保証して下さる方がいるのでしたら、すぐにも連絡を取るべきです。下手に嘘をついたり、誰かをかばいだてしたりすれば、かえって事態の悪化を招くものと御理解下さい。よろしいですか。あなた様は七歳の聖女様を誘拐した罪に問われようとしているのですよ」

 誘拐? ぎょっとして倫子は叫びそうになったが、それを見越みこしていたように、アサヤオキは素早く制して早口に続けた。

「最初は船同士の衝突事故かと思われていたのですが、渡し舟の方が襲撃されたという証言があったそうなのです。濃い霧も出ていたそうですし、確かなことはまだわかりませんけれど。ただ、行方不明の方が何名もおられますし、その中のお一人が石店いしだな御嫡孫ごちゃくそんの聖女様で、連れ去られた可能性もあるということで、お取調べは審問班が担当されることになりました。同乗者として、あなた様も厳しい御下問ごかもんを受けるはずです。くれぐれも言動にはお気をつけ下さいませ。ここが斎王領であり樹宗の霊域であることを、どうかお忘れなく。新河岸では異教徒も受け入れているとはいえ、斎法いつきほうに従わなければ罰せられることになりますので。特に今はお役人様方がみな殺気だっておられて、虹王領から来た方は、微罪でも捕われているのです。いかに危険なお立場か、おわかりいただけましたか」

 真剣かつ親身にアドバイスしてくれている、という感じがした。誘拐事件に巻き込まれて重要参考人ともくされているらしい、ということもわかった。

 だからと言って、何をどう注意をすればいいのかが、まるでわからない。お忘れなく、と釘をさされた所で、元から知らないことばかり。聖女というのは、どこぞの聖職者なんだろうと思うが、その他は想像もつかない。なになに領だの、なんじゃら宗だの、なんたら法だのと言われても、鳩が豆鉄砲を食らったようなもの。

 どうやら、アサヤオキは倫子が記憶喪失を装って、身元を隠そうとしていると思い込んでいるみたいだが、実際に、倫子はこの身体の元の所有者が犯人なのかどうかすら、全く覚えていないときてる。 

「それで、その女の子は、まだ見つかっていないのですか」

 倫子が尋ねると、アサヤオキはぎょっとしたように目をみはり息をんだ。

 聞きたい事は色々あれど、取り敢えず一番気になっていることが口をついて出たのだが、またしても相手を驚かせてしまったようだ。

の聖女様だと申し上げましたでしょう。女の子などと気安げにおっしゃられては、あまりにも無作法です。お言葉遣いには気をつけていただかなければ。ここに住まう獬豸全体に対する信用に関わって参ります」

「すみません。でも、何とお呼びすれば良いのか、本当にわからないのです。そもそも、そのイシダナとは、何なのですか」

 責められて逆ギレした訳ではないが、いつまでもかしこまって聞き役に徹していては、必要な知識は得られそうもない。解析不能なデータが意味なく山積みにされていくだけだ。

「元々は、放水路沿いに立ち並ぶ石造りの建物のことだ。そこに店を構えているのは、羽振はぶりの良い虹霓教徒の大商人だけ。つまり、には、新河岸の富裕階層という意味合いがある。同族の忠告をしっかり聞いておく方が身のためだぞ。虹王領からきた余所者には馴染みにくい慣習が多い土地柄だからな」

 説明してくれたのはアサヤオキではなかった。新たな声の主は明らかに男性だ。テノール歌手のように腹の底から朗々と響いてくる美声の持ち主である。

 無理して首を傾けると、視界に男の姿が入ってきた。院長やサーリャンとは違って、バスケット選手タイプのバネのききそうな長身。軍服のようなパリッとしたちで、きびきびした物腰。日本刀よりかなり短めの剣をき、黒く光る三叉さんさの金属棒を手にしている。今にも『御用だ』と叫びながら、お上の御威光を振りかざしてきそうな迫力だ。多分、これがここの捜査官なのだろう。褐色の肌で、口髭しかなく、髪も短い。但し、その髪はオレンジに近い鮮やかな赤で非常に目立つ。額を見たが角はないので獬豸族ではなさそうだ。

「おまえは奉仕にきてくれた獬豸だな。御苦労。呼ぶまで下がっていてくれ」

 赤毛氏はアサヤオキにそっけなく命じると、一歩脇に寄って後ろの人物を通した。

 次に現れたのも別の人種で、この世にはありえない双眸そうぼうをしていた。蜥蜴とかげのような出目に、厚ぼったいまぶた眉毛まゆげ睫毛まつげも一本もない。赤みがかった黒い虹彩こうさいは縦長の楕円形で、瞳孔どうこうが白く発光しているのが不気味だ。キメの細かい青白い肌をしていて、髭も体毛もない。赤毛氏とは、服装も全く違う。こちらは高級シルクのような光沢のある、ゆったりしたドレスのようなものを着ている。タートルネックで、指先まで隠れる程の袖がつき、くるぶしまで流れるように長い銀の衣。頭に金属製の細い輪をはめて、特大の宝石がついた指輪をしているが、どう見ても女性ではないし、捜査官らしくもない。何だかロボットのように無機質な感じがする。多分、中年男性だとは思うが、それにしては声が高めだった。

「私を知っているか」

 意外な最初の質問に、倫子は声の主をまじまじと見つめた。切れ長の目が瞬きもせず見返してくる。知り合いだったにしろ、倫子の記憶には全く残っていない。

「いえ、すみません。何も覚えてなくて。お会いしたことがあるのですか」

「余計な事は言わないように。わからなければ、わからないと答えるだけで結構」

 突き放すような冷たい口調に、氷水を浴びせられたような気がして、倫子は思わず身をすくめた。四十年以上生きてきたが、ここまで尊大で高圧的な態度をとられたことは一度もない。これは尋問なのだ、と気を引き締めたところに、鈴を転がすような甘い声が加わった。

「どうぞお手柔てやわらかに、セイギ。相手は、霊界との境まで行って、奇跡的に戻ってきたばかりの怪我人なのですから」

 脇からなだめるように取りなしてくれた三人目の人物も、捜査官には見えなかった。目はパッチリ大きく、鼻筋が通っていて、いわゆるアイドル顔。虹色の派手な衣装を幾重にもヒラヒラと身にまとい、この場に相応ふさわしからぬ竪琴のような楽器を持っている。もう若いとは言えないが、年をとっても華やかさを失わない芸能人なみに派手だ。その上、一種独特の謎めいた雰囲気があって、色っぽいわりに性別不詳。ニューハーフか宝塚のような印象を受ける。

 だが、意外にも尋問の口火を切ったのは、一番優しげなこの人だった。

「これから、いくつか質問しますが、そのまま横になっていてかまいません。目を閉じて考えに集中すること。できるだけ思い出そうと努めるように。よろしいですね」

 倫子は頷いて指示通り目を閉じた。

「始めて下さい、ジャレンリー」

 テノールで質問が開始された。赤毛氏はジャレンリーという名前らしい。

「名前は?」

「出身は?」

「理教徒か?」

「住まいは何処だ?」

「どんな仕事をしている?」

「主人は誰だ?」

「結婚はしてるのか?」

「親か兄弟はいるのか?」

「所持金はいくら持ってた?」

「入寮札はどこで買った?」

「渡し舟には何人乗っていた?」

「船頭とは、どんな話をした?」

「新河岸に知り合いはいるのか?」

「どこへ向うつもりだった?」

「泊まる当てはあったのか」

「こちらで売るものを何か持っていたか?」

「歳はいくつだ?」

 質問は矢継早やつぎばやに延々と続いたが、その全てにわかりませんと答えるしかなかった。次第に額の痛みがぶり返してしてきて、これ以上は耐えられそうにないと思った時、鈴の声が終了を宣言して一先ひとまず救われた。

「本日はここまで。本院二寮は、七日間の療養観察期間を認めます。セイギ?」

「学院二寮、同意する」

「ジャレンリー?」

「新院四寮、お引き受けいたします」

「それでは、八日後に、二回目の審問を行います」

 パレヴァが宣言すると、ジャレンリーが軽く咳払いをした。

「失礼ですが、パレヴァ様、仮の名前をつけてやる必要があるかと思いますが」

「確かに呼び名がないと不便でしょうね。そう……、リンフジカ、ではいかが?」「何だと? 本気か、パレヴァ」

 パレヴァの提案に、セイギが鋭く問いただした。正気かと言わんばかりに。

「元々、獬豸の名前でしょう。別に命名式を執り行うわけではありませんし。あくまで仮の呼び名ですもの。反対されますかしら」

 ムッとした様子でパレヴァが返すと、セイギは改めて倫子を見つめた。今度は珍獣を観察するかの如く、舐め尽くすような視線で。

「御異存ありますか、セイギ様」

 ジャレンリーに再度問われると、セイギは左手で両目を覆ってから掌を返して見せた。

「いや、学院うちは専門外だ。お任せする」

「そうですか。それでは、施療所の名簿には、リンフジカと記載させていただきます」

 リンフジカ――日本人の名前ではないにもかかわらず、斎藤倫子に近い語感で、しっくりくる。リンフジ。ただの偶然なのだろうか。

 パレヴァはぱらんと竪琴を鳴らすと、謡うような節回しで謎めいた挨拶をした。

「では、改めて。新河岸へようこそ、リンフジカ。それとも、お帰りなさいというべきかしら……?」



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    【 解説/大斎院の基礎知識 】

  


1. 大斎院は、斎王領の行政府であり、斎王領内の隣接する四地区にそれぞれ院がある。通称として、一院を本院、二院を学院、三院を典院、四院を新院と呼ぶ。


2. 各院の下部組織は同じ編制で、一寮は総務と財務。二寮が外務と教務。三寮は商 務と法務。四寮が軍務と警務にあたる。


3. 二寮の教務は、院ごとに専門分野が違う。本院は霊能力者の育成。学院は神通力 者の訓練。典院は文官と武官の教育。新院は薬師と医師の養成である。


4. 各寮には、数十個の室があり、室長の下には、更にいくつかの班がある。

  ※新院四寮四室(通称、捜査室)は六班に分かれ、四十二名の捜査官がいる。

  

  

   






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