第4話 理教徒アサヤオキの祈り
理教徒にとって、主人とは、虹霓教徒にとっての子供の
弱ければ、あくまで
強くても、
馬鹿な主人ほど可愛いが、有能なら、勿論、誇らしい。
――信仰と文化より――
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アサヤオキは祈り堂を出ると、
(これは正当な祈りといえるのかしら……?)
通常、理教徒が祈るときには、寝室などの人目につかない場所で、一人きりになり
一方、虹霓教徒の祈りは、挨拶をする程度の気安さで、自分勝手な願い事をするものであるらしいが、理教徒であるアサヤオキが、樹宗の御神体である御霊樹に祈りを捧げたところで、この願いが
だが、たとえ、それでも。無駄だと思ってはいても毎日足を運んでくるのは、それを女将の明美に命じられたからだ。これまでは、明美自身も聖リンフジキを信仰していたわけではなかったのだが、本当に困った時には、神でも守護聖人でも、
「聖リンフジカは獬豸族だったのでしょう? おまえの祈りなら通じるかもしれない。いえ、きっと通じるわ。同族の絆があるのだもの。だから、私の代わりに御霊樹参りに行ってきてよ、アサ。私たちに笛子を返して下さいって、よくよくお願いしてきて」
美笛屋の一人娘、笛子が行方不明になって、今日で十三日がたつ。
最初のうちは迷子になったのだとばかり思っていた。お祭りの夜、女将夫婦と花火を見ていて、ちょっと目を放した隙に
翌朝、新院一寮に捜索願を出しに行って、他にも行方不明の聖女が三人もいると知らされるまでは。
竜眼を持たない〈生涯固定型・女性体〉を下々では、聖女と呼ぶ。
単性体で生まれる純血種は、支配階級の
そして、誘拐された幼い聖女としては、四人目だというのである。
それを聞かされた時、アサヤオキは絶望した。
(おしまいだ。笛子様には二度と会えない)
身代金目的であれば、助け出す可能性はあるだろう。恨みや争いが原因であれば、犯人を探し出すこともできるだろう。だが、聖女だからこそ狙われたのだとすれば、最初から人身売買が目的だということを意味する。恐らく買い手は既に決まっていて、周到な計画の下、川向こうに連れ去られてしまったに違いない。そして、一旦、虹王領に消えたら最後、もう探しようはないのだ。
だが、女将の明美は違った。
「それで、笛子を助け出すために、こちらでは、どのようなことをしていただけますの、院長様。美笛屋は、どのような協力でもいたします。私どもの命でも、身代全てでも差し上げます。何でもですわ。囮に使われようと、盾にされようと、構いません。さぁ、何をすれば良いか、おっしゃって下さいまし!」
新院で対応に出てきてくれた高名なクレオジ院長に、
明美は、虹王領の武家出身の九克教徒である。
理不尽な目に
だが、九克教徒にとっては違う。試練は越えるべき賜物に過ぎない。特に明美は子供の頃から勝気で、自ら選んだ道を突き進んできた人であった。問題を一つずつ解決していけば、目的に達することができるのだという信念をもっている。
アサヤオキは明美を誇らしいと思った。鼻の奥から喉に熱いものが伝わり落ちるのを感じて、獬豸の情熱ともいえるそれをぐっと飲みこむ。そして、深く息を吸い込み、気を取り直した。
主人が戦うと決めた以上、それをあくまで支え、何としても助けなければならない。自らが持てる全てを絞り尽くしてでも。
あの日から、明美は店を閉め教室を休み、生徒やお得意先の家を回って、情報を集めるための協力を取りつけた。自らあちこちの辻に立って、自作の曲を吹き鳴らし、笛子の似顔絵を見せては、『どなたか、この子を見かけませんでしたか』と尋ね回っている毎日だ。その必死な姿に、見知らぬ通行人や虹王領からきた商人達も足を止め、同情を寄せてくれているようだった。今の所、これはという目撃情報は得られてないが、明美はへこたれていない。
笛子は笛の名手である両親の血をひいて、喋るよりも先に笛を吹くようになった、音楽なしには夜も日も明けぬ子である。寂しかったり家に帰りたいと思ったときには、必ず吹くに違いない。たとえ笛を取り上げられても歌うことはできる。殺されていない限りは。そして、どこに閉じ込められていたとしても音は外に漏れる。その可能性に賭けて、アサヤオキも別の一手を打つことにした。
虹王国全土に広がる獬豸族の連絡網に回状を流してもらうよう依頼したのだ。『主人の子が誘拐されました。笛や歌の上手な幼い聖女様がいるという噂があったら教えて下さい』と。
獬豸の多くは各地に点在する
ただし、斎王領は虹霓教の霊域で、異教徒の聖職者は入領できない。実際の所は、さほど厳しく管理されてはおらず、橋を渡るにしても、渡し船を使うにしても、自己申告して入領札を買うだけですむ。それでも、公式には禁止されているため、聖職者が新河岸に入る際は、身元を隠し名前を偽る必要はあった。
今回、神学生は商人に変装して向かったという知らせが届いて、アサヤオキは、ほっとしていた。
アサヤオキが最後に笛子を見たのは、美笛屋の店の前だった。
普段はどこへ行くにもお供をしていたのに、あの夜はお得意様の御招待で、身分の低い女中が付き添うことができなかったのである。虹王領の性差別の凄まじさに比べれば、混血を優遇している新河岸は、獬豸族に対しても寛容だが、格式の高い集まりの場合、自ずと節度を求められる時もあるのだった。
「アサはいかないの?」
「はい。今日はお留守番をしております」
「ふうん。なら、おみやげもってくるね」
「まあ、ありがとうございます。笛子様。迷子になられないよう、どうぞお気をつけて。
「うん。じゃ、いってきます」
「行ってらっしゃいまし」
そういうやりとりの末、手を振り見送った時の笛子のあどけない愛らしさが、
今、どこで何をしているのだろう。誰に何をされているのだろう。痛がったり寒がったりはしていないかもしれない。だが、怖い思いをしているのは間違いない。
「おまえの祈りなら、きっと通じるわ」
勝美の言う通りだ。そう信じよう。できることは全てやっている。それでも、できることには限りがある。私たちはあまりにも非力だ。あとは祈ることくらいしか残っていない。異教徒でも獬豸は獬豸。同族の苦境を見過ごしにはされないだろう。何より、聖リンフジカは新河岸に住む者を守護するとされている聖人なのだ。
アサヤオキは胸の中で何百回目かの祈りの言葉を呟いた。あと何千回でも繰り返そう。笛子が無事に戻ってくるその日まで。
「笛子様に御加護を賜りますように、聖リンフジカ。どうぞお願いでございます。聖女狩りの犯人より、笛子様をお救い下さいませ」
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【 解説/理教の基礎知識 】
理教は、
理教徒の子供は手習いで教義を学び、入信するか否かは、教義を理解できるとされる7歳を過ぎてから、自らの意思で決めるよう定められている。
強制されることがないため、虹霓教徒(50%)、九克教徒(30%)よりも少ない(20%)が、
1. 魂はたゆまず
2. 罪は償うまで決して消滅しない。
3. 自殺は許されぬ
4. 力に頼らず、情に流れず、知を重んじて、理を尽くさなければならない。自らの罪の重さに
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