第2話 院長クレオジの祝福

  

   斎王さいおう一世、一院たてた。   霊能力者れいのうりょくしゃのいる、本院。

   斎王二世、二院をたてた。  神通力者じんつうりきしゃの住む、学院。

   斎王三世、三院たてた。   神宮じんぐう、王族来る、典院てんいん

   斎王四世、四院たてた。   病人、怪我人行く、新院しんいん。                


                       ――大斎院だいさいいん 手毬唄てまりうた――    



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――          


 クレオジ は疲れ果てていた。

 六十歳を越えた老人となっても、獬豸族かいちぞくの血を濃くひく恩恵で、体力には自信がある方だったが、精神的な疲れとなると話は別である。特に、はるばる本院まで出向いて、実りのない会議で二日も浪費させられたあげく、頭の痛い難題まで出された状況では。


「お帰りなさいませ、院長様。お呼びと伺い、四寮四室よんりょうよんしつ、捜査室長ジャレンリー、参上いたしました」

 院長室に顔を出した捜査室長はまだ若く、日頃は活気に満ちあふれているのに、クレオジ以上に消耗しきっている様子であった。

 残念ながら、今日も成果の上がらない一日だったようだ。

「さぁ、入って。そちらに掛けなさい」

 執務机の向かいに置かれた来客用の椅子を勧めると、クレオジは、とっておきの葡萄酒を取り出した。多少なりとも元気をつけなければ、捜査の進捗しんちょく状況を確認する気力もいてこない。望ましい報告を上げられないジャレンリーには、尚の事、酒の力が必要だろう。

「こちらでは何か進展はあったかね」

 二つのグラスに葡萄酒をたっぷり注ぎながら、取り敢えず、知っておかなければならないことを聞く。

「いえ。進展と呼べるようなものは全くありませんでした。今日もいくつか新しい情報はあって、適宜てきぎ調査にあたらせてはいますが、手がかりを掴めるかどうかは不明です」

 予想通りの内容に、クレオジは溜息を押し殺しながら、グラスを一つ手渡した。

「そうか。まぁ、一杯やりたまえ」

「ありがとうございます」

 ジャレンリーは御礼を言って受け取ったものの、口はつけずに頭を深く下げる。

面目次第めんぼくしだいもございません」  

「おや。どうしたね。珍しく随分ずいぶんと弱気になっているようだが。九克教徒くこくきょうとの君としては、あるまじきことではないのかな」

 意気消沈している部下にかつを入れるべく自尊心を刺激してみると、案の定、ジャレンリーは頭を傲然と上げた。

「弱気になっている訳ではありませんが、事件の解決に手間取っているのはまぎれもない事実ですから。そのせいで、院長様が、大院長様からお呼び出しを受けるような事態となったことについては、四寮四室に責任があります。捜査室長といたしましては、実に不甲斐ふがいなく、誠に申し訳ない次第で……」

 クレオジは右手を挙げて制した。それ以上、負の言霊ことだまつむがれぬように。

 自責の念も行き過ぎれば自虐じぎゃくとなり、悪霊を招きかねないのだ。

「やめなさい。謝罪する必要など全くない。現場の君達が全力を尽くしてくれていることは、私にはわかっている。その点は大院長様とてねぎらって下さったよ。皆が認めていることだ」

 当代の大院長は、苦労知らずの天然で、面倒事を周りに押し付けるきらいはあるにしろ、責任を下の者になすり付けて保身に走るような凡愚ぼんぐではない。

 今回呼びつけられたのも、大斎院の下部組織である四つの院で、情報を共有し対策を取るためで、大院長から特にお叱りを受けたわけではなかった。

 他の院長との間では、多少の嫌がらせや中傷合戦はあったものの、それは今に始まったことではなく、四寮四室の捜査官達への評価はそれなりに高い。だが、屈託くったくを抱えた捜査室長の耳には、おざなりな慰めにしか聞こえなかったようだ。

「過分な御言葉ですが、残念ながら皆とは言えませんね。被害者やその親類縁者には、絶対に認めてもらえないでしょう。で今も祈っている獬豸を筆頭として」

 と言うところで、ジャレンリーは、窓の外に暗い目を向けた。

 その視線をたどると、遠目ながら、山門前に設けられた祈り堂の拝殿に、大柄な獬豸族の女性がひざまずいているのが見える。

 獬豸族の経産婦は男性や子供と違って額に角がないので、見た目では純血種か混血か区別がつきにくい。だが、あの女性については、身元がわかっていた。その祈りの内容も、また、わかりすぎるほどにわかっている。

美笛屋みふえやの女中か。よく続くな」

 クレオジは溜息をついた。今度は、押し殺す間もなく自然にこぼれ落ちた。

「確か、名は、アサヤオキ、でしたか。日参しているという報告は受けていましたが……理教徒りきょうとが人前で祈るとは、実に珍しいですね。そもそも、獬豸の純血種が、御霊樹参ごれいじゅまいりに来るなど、これまで聞いたこともありませんでしたし……」 

女将おかみ代参だいさんを命じられているという話だ。同族の獬豸の嘆願であれば、聖リンフジカも御加護を与えて下さるに違いないと言ったらしい」

「――いやはや、聖リンフジカに同族贔屓どうぞくびいきを期待するとは。あそこの女将は、物知らずの恐れ知らずでしたか。新参者らしい思い込みと言えばそれまでですが、同じ九克教徒としては、お恥ずかしい限りです」

 ジャレンリーは、あきれ半分苛立いらだち半分といった感じで首を振ると、グラスの酒を一気にあおった。

 

 リンフジカというのは、百年程前に実在した獬豸族の男である。

 理教徒を母に持ちながらも、幼くして斎王二世に見い出され、〈樹魂じゅこん〉と認証された稀有けうな霊能力者。

 謹厳実直にして公正無私とうたわれた堅物で、本院の改革を断行して大斎院設立に尽力した初代の大院長。

 虹霓教徒こうげいきょうと蔓延まんえんしている縁故贔屓えんこびいきことほか嫌い、自身もその生涯に渡って、獬豸族を引き立てるような真似はしなかった。側近としても、護衛としても、妻妾はおろか、下女としてすら、徹底的に傍に置かないほど清廉な人だったのである。

 その人に同族贔屓を期待するなど、確かに、物知らずとしか言いようがない。

 一方で、聖リンフジカは、新開地であった新河岸しんがしに、信仰や種族、性別を問わず棄民きみんを受け入れ、様々な嘆願を聞き届けてくれたことで知られている。

 普段は厳しくて近寄り難いが、本当に困った時には手を差し伸べてくれる能吏のうりとして、斎王家の宰相まで務めた彼が、救われた者達の尊崇そんすうを集め、新河岸全体をしてくれると見なされるようになったのは自然な成り行きだった。

 そして、その死後、聖リンフジカをまつった祈り堂には、悩み事や願い事を抱えた者達が、入れ替わり立ち代わりやってくるようになり、『苦しい時の御霊樹参り』などという風習までできてしまった。


 実際の所、御霊樹は、虹霓教の御神体ごしんたい――要は、〈樹魂〉とその守護霊を繋ぐための依り代よりしろに過ぎず、氏子うじこ以外に恩恵を施してくれるような霊験れいげんなどないのだが。

 元来、虹霓教は、守護霊の加護が母から子へと引き継がれることから、母系の血脈を重んじており、身内と目さない余所者に対しては、冷淡かつ排他的である。

 その中でも、偉大な大祖霊だいそれいたる〈樹魂〉を祀り、その子孫の親類縁者のみで氏子組織を形成する樹宗徒じゅしゅうとは、布教活動を一切しないほど閉鎖的だ。

 樹宗以外の宗派でも、霊域れいいきには虹霓教徒以外は住めないのが普通で、原則として、斎王領への異教徒の立ち入りは日帰りに限定されている。


 その唯一の例外が、新院が所轄しょかつする商業特区、新河岸だ。

 何故例外なのかと言えば、この一帯は、聖リンフジカの守護霊、〈御大おんたい〉が御霊樹にして結界を張る霊域だからである。

 ちなみに、〈御大〉と尊称されているのは、最古にして強大な七大神霊ななだいしんれい一柱ひとはしら、エレチャルティガ・ナポリィスリェ・ヴァキニーザフルである。

 一旦いったん顕現けんげんすると災害級の霊力を放つ神霊は、あまりにも危険なので、日常は霊名れいめいを呼ばない慣習に従ってのことだ。

 そう、慣習。新河岸においては。

 あるいは、常識。虹霓教徒にとっては。

 同様に、教養。支配階級に限っては。

 逆に言えば、それ以外の人間は知らないし、霊域以外では知る必要もない。

 だから、他から来た者には、暗黙の了解というものが通用しないのだ。

   

「同族贔屓云々うんぬんはともかく、虹霓教に帰依きえもせず、ただ闇雲やみくもにお参りしたところで気休めにしかならないのだがな。霊界においては種族や性別などの実体は意味をなさない、という基本概念すら理解していない者では、聖リンフジカの御加護が賜れるよしもないだろうに」

 クレオジが首を振りながら苦言をこぼすと、ジャレンリーが深く頷く。我が意を得たりと言わんばかりに、三回も。

 。三を聖数とする九克教徒らしい強調の仕方だ。 

まことに仰る通りです。手前勝手に教義の解釈をして、お門違かどちがいの恩寵おんちょうを期待する風潮には、歯噛はがみしたくなります。最近は、守護聖人リンフジカとその守護霊である〈御大〉を混同している新参者も多く見受けられまして。中には、霊界に去られて久しい聖リンフジカよりも、今現在、御霊樹に御座おわす神霊に、直接祈りを捧げた方が御利益ごりやくがあるのではないか――などという暴言を吐く半可通はんかつうすらいる始末です」

 まだ若いジャレンリーは義憤にかられているが、その手の解釈をする者は、常に一定数いる。霊能力を持たず、理詰りづめで考えがちな者がおちいりやすい危険思想だ。

「まさに、物知らずの恐れ知らず、だな。しかし、何故そこまで齟齬そごが生じてしまったのだろう。入領にゅうりょうする際には、必ず禁止事項を教え、警告する決まりになっているはずだが……。よもや、指示が徹底されていないなどということはあるまいな?」

 クレオジの問いに、ジャレンリーは苦渋に満ちた表情で目を伏せた。 

「いいえ、入領規則の説明は、各部署に徹底して行わせています。それでも、覚える気のない者に教え込むことまではできません。新河岸で生まれた者は皆、教育が行き届いているおかげで、〈御大〉に畏怖いふの念を抱いて育ちます。が、外から来る者達は、さわらぬ神にたたりなしという真理を体得しておりません。恐らく、想像もつかないというか、実感ができないのでしょう。どんなに口をっぱくして注意をしたところで、馬耳東風――危機感がはなはだしく欠けているのです。しかし、斎法いつきほうで、信仰の自由を保障している以上、四寮としては厳しい手を打つ訳にも参りません。勿論、実害が出れば、話は別ですが……」


 一般に、霊域では、天候の激変や不測の事態が生じやすい。そこで結界を張っている精霊の格や属性によって、現れ方や規模は様々だが、新河岸では濃霧や水難が多発する。〈御大〉は、邪気が溜ると霊力で無造作に散らすので、罪のない者でも浄化に巻き込まれて死傷する可能性があるのだ。

 故に、虹王領から新河岸に入ろうとする移住者や商人に対しては、斎王領の法を犯した時の罰則ともに、命を失う危険について警告することになっている。 

 その警告を無視した当の本人が自滅しようと、それは自己責任だ。しかし、その周囲にまで被害が及ぶとなれば、勝手にしろと突き放してすむ問題ではない。


 ジャレンリーはグラスを机に置くと、姿勢を正してクレオジを見つめた。 

「院長様。正直な所、自分も樹宗の教義に精通しているとは申せません。勉強不足とのお叱りを受ける覚悟の上で、お尋ね致します。樹宗徒でもない者が〈御大〉の霊名を唱えたら、一体どうなるのでしょう。もし、お目覚めになった場合には、何が起きると想定されるのですか。万が一にも、お怒りを買うような状況におちいった時に、取れる対応策がありますか。四寮四室として、何を準備しておき、どう動けばお役にたてるのかを御教示いただきたいのです。できましたら、具体的に」

 ジャレンリーは、かなり強い不安――いや、焦燥を感じているようだ。

 最悪の場合だと、新河岸は消えるだろう。住民もろともに。神霊がお怒りで猛威を振るえば、卑小な人間になすすべなどないのだ。

 それがわかっていても尚、いや、わかっているからこそ、一人でも多くの者を逃がす算段を立てなければならないのが、治安を預かる四寮の責務である。ジャレンリーが追い詰められた気分になるのもわからなくはない。

 だが、クレオジは、そこまで悲観的になる段階ではないと思っている。

「ふむ。君が最も危惧きぐしているのは、浅慮せんりょな者の祈りが、〈御大〉を暴走させてしまう恐れがある――ということかな」

「仰る通りです」

「その危険ならば、ほとんどないと言ってよい。弱い守護霊は、霊名にも敏感に反応するが、神霊級となると、霊能力者が全身全霊を尽くして招請しょうせいしようとしたところで、顕現けんげんされるものではないのだよ。呼びかけられても歯牙しがにもかけぬ――その点では、我々虹霓教徒だろうと、君達異教徒だろうと扱いに変わりはない。逆接的な話だが、取るに足らないと〈御大〉に認識されているからこそ、新河岸では異教徒の在住を許可できているのだ」


 守護霊には、かくというものがある。

 格は、霊力の強さ濃さ広がりで測られる。 

 そして、『』を永く保てば保つほど、格は高くなっていく。


 世界に発現して間もない小霊しょうれい級は、弱くはかない分、臆病で敏感だ。

 『我』が消えないよう、『』の通う生物を見つけ共生しようとする。 

 だから、絆を結べば、たいした力はないものの、確実に守護してくれる。


 数世代に渡り子々孫々を守護している精霊せいれい級は、かなり気まぐれになる。

 『意』の通いやすい生物を好み、信心深い者を依怙贔屓えこひいきする傾向が強いのだ。

 守ってもらえる者と放置される者――同じ血脈の中でも扱いに差が出る。


 更に数百年ほど経た中霊ちゅうれい級が、最も活動的で攻撃的である。

 『我』が育ち切って、維持できる結界も広くなるため、異物を感知しやすい。

 『意』をはじく生物は排除するので、異教徒の身が危険なのはこのクラスだ。 


 その上の数千年単位で定着した大霊だいれい級となると、鷹揚おうよう鈍重どんじゅう

 守護する範囲は、国や列島規模となり、個々の生物には基本的に無関心だ。

 結界は薄く広く伸び、霊力は強くとも拡散されて、霊域とも呼べない。

 

 では、数万年の永きに渡って、霊界より照臨しょうりんされている神霊級は?

 陰と陽、水や木、火に土に金――七大神霊が守護しているのは世界そのものだ。

 魔界との裂け目をふせぐ結界を張り、魔族の侵入を阻止しているのだと言う。


 だが、そんな神霊と言えど、遥か大昔には、小霊だった時代がある。その当時に結ばれた絆は特別で、生まれ変わっても断ち切られることがない。何度霊界へ逝こうと、この世界へ再来さいらいしてくるたびに、守護されるのが〈樹魂〉のあかしだ。

 そして、〈御大〉が恩寵を与える唯一無二の〈樹魂〉が、聖リンフジカである。聖リンフジカの祈りが〈御大〉を動かし、奇跡を起こしたのは歴史的事実。だから、我々は、されるたるリンフジカに御加護を願う。

 俗な言い方をするならば、〈御大〉への口利きを頼むようなもの。あるいは、恩寵のおこぼれにあずろうとするようなもの。〈樹魂〉以外に神霊と『意』をかよわせる者などいないが故の迂回路うかいろなわけだ。


 「つまり、有象無象うぞうむぞうがみだりに〈御大〉の霊名を唱えたところで、何も起きないということでしょうか」

 クレオジの説明でも不安が消えない様子のジャレンリーは念を押してきた。

 単に納得できないのではなく、何か警戒するだけの根拠があるのかも知れない。

「そうだ。無論むろん、祈りとは全く関係なくお目覚めになる場合もあるわけだが……。もしや、君には心当たりでもあるのかね。何か、兆候ちょうこうらしきことがあったとか……?」

 ジャレンリーは口髭をこすってから、躊躇ためらいがちに口を開いた。

「兆候と申し上げられるかどうかについては、院長さまの御判断を仰ぎたいと思いますが、番蜂ばんばちの目撃情報が増加しているのです。急激かつ広範囲に。これまで年に数件だったのが、三日前から日に数件になり、今日は一気に二十三件の報告が上がって来ています」


 番蜂は、御霊樹に寄生している霊的生物だ。

 外敵とみなせば蜂のように刺すのだが、一旦刺されたら助かる者はほとんどいない。例外は霊能力者や樹宗徒くらいのものだ。そのため、御霊樹のある権現山は、一般人立入禁止区域に指定されている。お参りするにしても、番蜂に遭遇する危険が高すぎるため、山頂には到底近づけない。だからこそ、祈り堂は権現山の上ではなく、山門前に建てられたのだ。

 番蜂の大量発生。確かに、それは由々ゆゆしき事態だ。ジャレンリーが苦慮しているのも当然と言える。

 しかし、クレオジは冷静な態度を保ち、いて穏やかにたずねた。

「それは多いな。刺された者はいるのかね」

「いえ、幸いなことに死者は出ていません。ですが、刺されなくても、目撃者やその近くにいた者達が、痛みやかゆみ、しびれなどを訴えて、二寮の施療所に続々と駆け込んで来ています。サーリャン筆頭薬師にお話しを伺った所、霊障れいしょうらしいとの所見でした。これほど番蜂が活性化して数も増加した例は聞いたことがありませんし、下町まで霊力が広がっていると推測される以上、明らかに何かが起きているはずです。何か、尋常じんじょうならざることが。恐らく、権現山で」

 話しているうちに確信を持ったのか、最後の語調は強く鋭くなっている。聞いていたクレオジも寒気を覚えて、無意識に首筋をさすっていた。 

 たいていの霊障は、悪霊や怨霊に取りつかれた個人に生じる。番蜂の霊力程度で、それほど大勢に被害が出ることはないはずだ。

 そう、霊力の供給元である御霊樹に異変がない限りは。

  

「――成程なるほど。パレヴァ様が言われた通りか」

 クレオジの独り言に近い呟きを拾って、ジャレンリーが問い返す。 

「パレヴァ様と申されますと? まさか、パレヴァ様ですか」

「そう、本院の霊楽師れいがくし筆頭のパレヴァ様だよ。久方ぶりに虹王領から戻られていて、今日の会議にも出席されたのだが、その際、新河岸を覆う霊力が高まっていると御指摘を受けた。それが今回の誘拐事件と関係しているのかどうかはわからないが、調査してみる必要があるだろうと言われてね。新院うちとしても裏付けをとるつもりでいたのだが、手間てまはぶけた。二寮あたりにまで影響が出ているのであれば間違いないだろう。すまないが、今の報告の詳細を書面にまとめて、今晩中に提出して欲しい」

「かしこまりました」

 指示を受けたジャレンリーは、一礼するや否や椅子から立ち上がった。

 まだ肝心な話をしていないのに、相変わらずせっかちなことだと、クレオジに笑みが浮かぶ。やる気に満ち満ちた熱血漢の部下は、頼もしくも微笑ほほえましい。 

「それとな、ジャレンリー」

「はい?」

 クレオジは机の抽斗ひきだしを開けて、中から一枚の紙を取り出しながら、その内容に見合った厳粛げんしゅくな顔になって問いかける。

「君は捜査官の試験を受ける際に、セイギ様の御推薦をいただいていたな」

「はい。神通力学じんつうりきがくの教養講座を拝聴した時の担当教官でしたので」

「その御縁は貴重なものだぞ。このたび、第三十九回審問班しんもんはんが結成される運びとなり、新院の代表は君に務めて貰うことになった。これが辞令だ」

 斎王領では、大事件や超常現象などが起きた時、大斎院が三名の専門家を選出して、臨時の審問班を結成し、捜査の全権を担うことになっている。

 その斎王家勅命の審問官に任じられることは非常に名誉であるが、同時に凄まじい重圧にさらされもする。

 渡された辞令にさっと目を通したジャレンリーが、珍しく動揺をあらわにした。

「なんと。本院代表がパレヴァ様で、学院代表がセイギ様――かの御二方おふたかたと並ぶ大任を若輩者の自分にですか。いや、それ以前に、新院うちに審問官の代表枠を譲るなど、典院あちらがよく認めましたね」


 古参の本院(一院)と学院(二院)は、伝統的に対立関係にある。

 その中でも、霊能力者のパレヴァと神通力者のセイギは、寄ると触ると竜虎の戦いを繰り広げると言われるほどに相性が悪い。

 一方で、典院(三院)と新院(四院)も、担当区域が重なっているため、手柄争いのいざこざが絶えず、にらみ合いののしり合いが日常茶飯事で犬猿の仲だ。 

 そして、審問班の定員は三名で、各院から出せる審問官は一名だけ。更には、公平性を保つため、虹霓教徒と理教徒と九克教徒の三名で、という条件がつく。最も歴史が浅く組織としても小さい新院が、代表枠を貰えることは滅多にない。


「それが、先に辞退してきたのだよ。まぁ、典院はこれまで失態しったい続きだからな。保安責任者が辞職したばかりで、残念ながら、条件に適うような人材がいない。今回は新進気鋭の新院そちらにお任せしようと言われてね」

「焼け焦げた焼き芋を投げつけられた挙句あげくに、召し上がれと言われたようなものですね。それも、猫なで声で、恩着おんきせがましく」

 ジャレンリーの当意即妙な皮肉に、クレオジは内心で感嘆しつつ苦笑した。

「まさしくそのような感じだったな。典院は本院と学院の人選を知った瞬間に手を引いたのだ。これまで審問官を務めた典院代表は、力量不足で自裁じさいした者まで出ているし、典院あちらとしては、これ以上あの御二方には関わりたくないというのが本音だろう。ついでに、新院うちにも同じ苦労を味あわせ、出世頭の君が失態を演じるのを、高みの見物で楽しむつもりなのかも知れないぞ」

 からかい混じりの状況説明を、頭の回転が速く自尊心も強いジャレンリーは平然と受けた。

「『試練こそ、賜物たまものなり』と申します」

 いや、九克教の金科玉条きんかぎょくじょうが口をついて出たということは、限りなく弱音に近いと言えるのかも知れないが。

「パレヴァ様とセイギ様の緩衝役かんしょうやくを果たすのは、まさしく相当のとなるだろう。それが君にとってのだと言うなら、指名した私としては非常に気が楽になる。正式な任命は、明日正午――大院長様と他の御二方が新院こちらに来られた後だ。それまでに、通常業務の引継ぎは終わらせておくように。何か、質問は?」

「ありません」

「よろしい。それでは、斎王家の名誉を損なうことなく、斎法にのっとって公正公平に審問官を務めてくれることを期待している」

つつしんで拝命いたします」

 ジャレンリーが流れるような所作で片膝をつき、作法通りに深く頭を垂れる。

 立ち上がったクレオジはその前へ歩み寄り、右の掌でその頭に触れ、左の掌は空に向け掲げるようにして祈った。霊能力のない、ただの聖職者としての祝福だが。

「聖リンフジカ、こいねがわくは、この者に御加護をさずけたまえ」


 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



    【 解説/虹霓教の用語 】



虹霓教こうげいきょう・・・虹霓樹を御神体とする霊魂れいこん崇拝。守護霊や霊力の恩恵を受ける。

    ※各地の虹霓樹の霊域ごと、祀る対象別に多数の宗派がある。


樹宗じゅしゅう・・・樹魂じゅこん祖霊それいを祀る再来さいらい信仰の宗派。新河岸は、聖リンフジキ派。

   ※虹王国こうおうこくの国教は樹宗で、神宮家じんぐうけが祭祀を司り、虹王家こうおうけが統治している。


再来さいらい・・・霊界へ逝った祖霊が子孫の身に宿り、この世界へ戻って来ること。

   ※霊能力者に認証された祖霊の生まれ変わりを〈再来者さいらいしゃ〉と言う。


虹霓樹こうげいじゅ・・・世界と霊界の境界門となる霊木れいぼく。新河岸では、御霊樹ごれいじゅと呼ぶ。

    ※守護霊の依り代よりしろでもあり、神霊しんれい樹魂じゅこんの絆を繋ぎ止め強める。


神霊しんれい・・・虹霓教の神々にあたる。太古から存在し強大な霊力を有す。

  

樹魂じゅこん・・・偉大なる功績を残した再来者の霊魂。大祖霊だいそれいとも言う。


祖霊それい・・・霊界から見守ってくれる祖父母など亡くなった尊属の霊魂。


守護聖人しゅごせいじん・・・霊力の強い守護霊の恩寵を受けた偉大な聖人のこと。

     ※霊能力が宿る聖人は、加護を与えてくれると信仰されている。

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