守護聖人リンフジカ再来記

彼方廻

第1章  転生か再来か、それは問題ではない。

第1話 この世から、あの世へ。

 

 数多あまたある作品群から、拙作をお目に留めて下さいまして有難うございます。


 第二話より、この前書きには、虹王国の歌や本の抜粋など、後書きでは、用語の意味や解説を記載していく予定です。   

 細かい説明に関心がない方は、お好みのままスキップ&スルーでお願いします。

 マニアックな作者の自己完結的な資料集ですので、裏設定が気になる方のみ御覧いただければと思います。


 それでは、彼方の異世界へ、どうぞお進み下さいませ。



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 倫子りんこは死にかけていた。

 脳のしわまで痛い。まぶたの汗すら重い。

 サウナに閉じ込められたような暑さと、雪道を素足で歩いているような冷たさが、優劣を競いながら体内を占領している。

 あまりにも苦しく、果てしなく辛い。

 こんな救いのない痛みに、いつまで耐えなければならないのか。あと、どのくらい続くのだろう……。


「会わせたい方が、いらっしゃいましたら、今のうちに、お呼びして下さい」

 朦朧もうろうとした意識の彼方で、遠くから響いてくる音がふと意味を形づくった時、倫子は来るべきときが来たのだと悟った。

(別れたボケナスだけは、絶対呼ばないでよ!)

 この最後の望みを伝えたかったが、もはや声など出ない。喉は発声器官ではなく、たんの巣窟とでもいうべき状態になりさがり、まともに息を吸うことすら、覚束おぼつかない有様だった。

 もっとも、姉には以前から、もしもの場合に、くれぐれも頼みたいことのリストを渡して、しつこいほど念押ししてきたから大丈夫だろう。

 何しろ、最初に乳ガンと告知されてから、七年。について、考える時間はあった。いや、ありすぎた。手術、抗癌剤治療、転移と、家族と相続についての話をする機会も増えた。こちらも、否応いやおうなしにという感じだが。

 では、覚悟も決められたか、と自問すれば、まだ駄目だと言わざるを得ない。我ながら情けないが。それでも、やっぱり、怖いのだ。


 倫子は無神論者だ。実家は仏教寺院の檀家だが、浄土も地獄も信じていない。

 ただし、天国はあるはずだと思っていた。幼い頃、母からり込まれた漠然としたイメージに過ぎないけれど。

「お父さんは、お空の上の天国から、いつもあなた達のことを見守っているのよ」

 ほんとに陳腐な子供だましな台詞。けれど、嘘もつき通せば真実になると言う。

 叱責とともに、激励のために、あるいは、涙ながらに繰り返されたそれが、嵐の時に逃げ込める心の避難所という位置づけになったのは間違いない。

 だからこそ、最愛の一人息子をわずか三歳で失った時、倫子が必死で祈った相手は、神でも仏でもなく、天国の父だった。


「お父さん、悠ちゃんをお願い」

 父なら孫息子を天国に連れて行って面倒をみてくれる、と信じられた。その時は、理屈抜きで。倫子は息子を守りきれなかったけれど、自分が逝くまで二人で一緒に待っていてくれるだろう、とも。

 ところがだ。自分自身が癌にむしばまれて、死がより身近に迫ってくるにつれ、天国が逆にどんどん遠ざかっていく感じがしてきたのだ。

 倫子は自分が天国へ召される自信がない。あるいは、善良で無垢むくな息子のもとに行ける気がしない、と言うべきか。


 息子は自宅マンションのベランダから転落して亡くなった。倫子が仕事に出ていた間に。息子を見ているはずだった夫が、昼間から酔っ払い寝入っていたせいで。

 失業中の夫なんかに任せて、出勤などしなければ良かった。

 保育園を探し出してから、仕事に復帰するべきだった。

 せめて、あの日、休んで側にいたら、あんな事故など起きなかったのに……。


「ママ、行かないで」

 普段は男の子とは思えないほど、おとなしく聞き分けの良い子だった。

 それなのに。何故かあの朝だけは、むずがって取りすがってきた。不安そうな涙目で、抱きしめてと。


「ママ、行かないで」

 その小さな手を倫子は振りほどいてしまったのだ。

 疲れて寝過ねすごし遅刻しかけていた焦りのまま置き去りにした。

 それが息子との最後の別れになるとも知らずに。


「ママ、行かないで」

 念仏のように、『ごめんね』と繰り返し続けた日々。

 優しい息子は許してくれるかも知れないが、自分が自分を決して許せはしない。

 悔やんで、悔やみきれなくて、更に悔やみ続けるばかり。


「悠ちゃん、ごめんね」

 もう一度やり直せたら。この腕に息子を抱きしめることができたら。

 今度こそ絶対に放しはしない。何があろうと誰からだろうと守ってみせる。

 命を売って、魂をしちに入れてでも。だから、お願い……。 

「お父さん、私も迎えに来て」


 死――それ自体に対する恐怖は、痛みが凄まじく増してくるにつれて薄れていった。この激痛がなくなるのであれば、無であろうと歓迎したくもなる。

 それでも、二度と息子に逢えないことだけは、まだ受け入れらない。

 倫子が生きている限りは、息子も存在し続けている。薄れることなく鮮やかに。

 倫子が死ねば、息子が生きた軌跡きせきが消え失せる。思い出も。この想いさえ。

 その瞬間、二人の間にあった絆も、永遠に失われてしまう気がする。それが自分自身を失うことよりも恐ろしい。だから、未練がましく覚悟を決められないのだ。


 胸が痛い。心臓が苦しい。

 心と魂が引き裂かれ、ぼろぼろがれ落ちていくようだ。


「誰か、助けて!」

 救いを求めて絶叫した時、遠くにかすかな光がした。

 それが、急速に明るく浮かび上がる。虹色のクリスマスツリーのように。

 暗闇に唯一の目印。あれが父のお迎えか。


「悠ちゃん、今、ママが行くわ」

 倫子は最期の力を振り絞った。

 重い身体をひねって抜け出し、光をつかもうと飛び上がる。

 虚空こくうの中を、天国めざして。



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 できましたら、コメントで感想や疑問をお寄せ下さいませ。

 今後のストーリーの参考にさせていただきたいと思っています。

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