第18話 心話力者セイギの推理


 竜眼族が誰しも持つ〈共感力きょうかんりょく〉とは何か?

 端的に言えば、互いの間に流れる竜気りゅうきを同調させる能力だ。

 これは、竜眼を持たない異種族が、心に抱く〈共感〉とは別物である。

 〈共感〉は、相手の立場や感情を自分の経験から類推できる認知力と言える。

 一方、〈共感力〉は、感情波かんじょうはを直接やり取りする送受信力なのだ。

   

 それでは、神通力であるところの〈心話力しんわりょく〉とは何か? 

 他人の心を簡単に読み取れる力と誤解されているが、事実は異なる。

 〈心話力〉は〈共感力〉で受信した情報を言語に変換できる知覚力に過ぎない。

 〈共感力〉を持たない異種族の思考に同調するのは、上門の〈翻訳力ほんやくりょく〉になる。

 知識と経験を積み、時間と竜気を費やして尚、翻訳できないこともある難行なんぎょうだ。

 

                   ――神通力学基礎講座 講師セイギ――


                     

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 

 セイギは、知的好奇心を刺激されていた。

 あの三毛が、あそこまで打ち解けた態度をとるとは。学院でさえ、あの子を寮生活に馴染なじませるべく、全教官が知力と竜気を総動員して、半年はかかったというのに。対人恐怖症の三毛に気脈きみゃくを伸ばすのは、野生竜を手懐てなづけるようなものだったのである。極稀ごくまれに、感情波が一致すると、出会った瞬間に互いに引かれ合うという事例はあるが、竜眼を持たぬ獬豸には、共感力すらない。それが、わずか三日で、難攻不落の心理壁を崩して、信頼関係を樹立してのけたようだ。これほど興味深い人間に会うのは、滅多にないことである。学究的にそそられる対象を得られて、実の所、興奮が禁じえない。

「あら、セイギ。珍しく楽しそうだこと」

 背後から、パレヴァが声をかけてきた。共感力というのは、不便なものである。どんなに制御しているつもりでも、感情波が強まるとれ、心情が露呈ろていされてしまう時があるのだ。

「待ち人、来たりぬ、だ」

 これ以上追求されないよう窓を指し示すと、パレヴァの関心が外に向いてくれた。弾んだ声になって、足取りも軽く、セイギの隣へ歩み寄ってくる。 

「聖リンフジカが? いらしたの?」

「あぁ、三毛が連れてきた。ジャレンリーが出迎えて、身柄を引き取るところだ」

「あら、良かった。それじゃ、厨房にお給仕の用意をお願いして来なくちゃ。いいわね。セイギ。審問は昼食会の後ということで?」

「その点は、既に了承済だと思うが」

「確認しただけよ。あなたって、白黒つけるまでは、落ち着けない性格なんだもの。食事しながらだって、尋問を始めかねないでしょ」

「私の心情をおもんばかってくれることには感謝するがな、パレヴァ。それよりも今は、客観的に判断してもらいたいところだ。現実に五件もの未解決事件を抱えている我々が、悠長に構えていられる状況だと、君は主張するつもりなのかね」

「そんなこと言ってないでしょ。だいたいね。昼食会だって、人物評価の手段じゃないの。それも、あなた自身が考えたんじゃなかったかしら。審問と後先あとさきになるだけで、時間を無駄にするわけでもないし、何が問題なのよ」

「問題は、我々が、聖女狩りの首謀者をいまだに逮捕できてないという事実そのものにある」

「それは、私たちの問題であって、聖リンフジカには、関係ないわ。あなただって、わかってるくせに。神通力で、船頭のジェイガと潮屋の勝子が、偽証していると読んだのだから」

「超常能力で得た情報だけでは、罪を宣告することはできない。裏付けとなる物理的証拠、ないしは、信頼に足る人物の証言を要する」

「だからこそ、聖リンフジカの証言を取ろうとしているんでしょ。あの方は、証人であって、もう容疑者じゃない。それを忘れないでよ」

 パレヴァは刺々しく言い放つと、足早に部屋を出て行った。

 どうして神経を逆撫さかなでし合うことになってしまうのか、いつものことながら、甚だ残念である。セイギの方は、パレヴァが嫌いな訳ではない。ただ、何かにつけ意見が対立してしまうだけなのである。


 原因の一つは、互いが有する超能力の質的な違いだろう。神通力者は、学院で理論を学び、制御力を訓練するのだが、霊能力者は、師匠について芸能を磨き、感応力を習得する。当然、物事の見方や考え方も異質なものだから、同じ物を見ているはずなのに、異なる思考回路を辿って、全く別の結論に到達することになる。世界観の違いというべきか。


 二つ目は、性差によるもの。神通力者の男性体は、艮門ごんもんの四本指以外は中性であり、中巽門ちゅうそんもんのセイギには生殖能力がない。パレヴァのように子種がないだけではなく、性欲そのものを知らないので、心身ともに安定している。一方のパレヴァは、非常に珍しい変性型単性体で、ここ数年は女性体だが、男性体の時期もある。当人は否定するだろうが、感情の起伏が極めて激しく、好き嫌いに左右されやすい。特に、変性期に入ると、理性の片鱗へんりんすらなくなるのだ。


 三つ目は、種族比の違い。双方とも混血なのだが、猩々族の特質は発現しておらず、一割未満。セイギの種族比は、竜眼・獬豸で、七対三。パレヴァは、鹿蜀・風伯が、六対四。ここまで相反する組み合わせだと異種族のようなものだ。当然、成長速度も全く違う。二人とも、〈推定寿命二分の一〉にあたり中年期に相当するので、現時点では同世代に見えるだろう。ところが、今年、セイギは五十八歳。パレヴァはまだ三十二歳。親子程に年が離れている。ちなみに、最初の出会いはパレヴァが六歳の時だが、その頃は内気で繊細な少女であり、実に可愛らしかったものであった。


 そして、最大の要因は、信仰の違いである。理教はその名の通り理を尊ぶ。力にって立つことなく、情に流されることなく。また、理教は親が子に信仰を強いることができない。子に摂理の手習いをさせることは、理教徒の親にとっては義務なのだが、入信するかどうかは、あくまで、当人が決めることと定められている。その選択をするには、少なくとも七歳になっていなければならない。更に、試験を受けて、教義の基礎を理解していることを証明しなければならない。だからこそ、理教徒は、数が少ないが敬虔な信徒が多い。生母が虹霓教徒なら、腹にいる時から虹霓教徒と見なされたり、産まれてすぐ焼印をつけてしまう九克教徒とは、根本的に生きざまが違うのだ。

 理教徒には、妥協ができない。迎合もしない。無論、実際には屈することも間々あるわけだが、仕方ないなどと正当化できない。自らが信じる道をとれなかった場合、罪の意識を抱えることになる。血族第一主義で、調和と協調を重んじる虹霓教徒には、まずもって理解し得ないであろう。そして、公平を期して言うならば、セイギの方も、虹霓教徒の心情を理解できているとは言い難い。特に、霊楽師であるパレヴァの言動は、予測がつかず、驚かされることが多いのだ。

 心話力者なら、他人の思考など簡単に読み取れるものと思われがちだが、それは過大評価である。心話が可能なのは、竜眼を有する竜眼族が相手の場合に限ったことで、思考回路が異質な異種族に同調する翻訳力は、長い経験と高い技術を要する。心を読まれる方も、秘密を暴かれるようで不快だろうが、読む方とて、心の闇を覗くのは不快なものだ。竜気もはなはだしく消耗するので、任務で必要な時以外、神通力を使ったりはしない。

 一方、任務であるが故に極限まで竜気を注ごうと、時として読み取れない場合もある。今回のように。


「私を知っているか」

 この問いは、心話力者にとっては基本中の基本。尋問を始める際の下準備のようなものである。通常は、被疑者の意識がこちらに集中するので、読み取りやすくなるのだが、リンフジカには全く同調できなかった。一般的に、獬豸は思考が聞きにくい種族ではある。とはいえ、セイギは獬豸系混血であり、同種系というのは同調しやすいもので、今まで然程さほど苦労したことはなかった。それが、どうしたことか全く歯がたたない。単語一つ掴めず、雑音が抜けていく。まるで、初等訓練生に戻ったかの如き為体ていたらく。結局、対応策が取れないまま時間切れとなってしまった。

 前回は、パレヴァに尋問を早く切り上げられたせいもある。相手が怪我人だから手心を加えたのか、リンフジカだから潔白だと信じたのか。何れにせよ、今日は、ゆっくり時間をかけて攻略するつもりでいた。難題に挑戦する機会でもあるし、自らが立てた仮説も検証できる。無論、聖女狩りに関する情報を得るのが、最優先課題であり、リンフジカが無罪か否かを判断するのが、審問の目的ではあるのだが、興味深いことに変わりはない。


「あなたは、ジャレンリーを気に入っているんでしょ。彼って、信頼できる人なの?」

 息せき切って戻ってきたパレヴァが、唐突に切り出した。眉間に皺をよせ、不信感もあらわに。出て行った時とは明らかに違う様子のため、何かあったと察したセイギは、即答を避け慎重に聞き返した。

「能力的にか。それとも、人間性がか」

「口が軽いのではないかってこと」

「機密保持に関しては、全く問題がないはずだが。何か気になる点でもあったかね」

「彼、階下で、ユウリは慈雨の内子なんだって、聖リンフジカに話していたのよ。他の奴には口外するなって、釘はさしていたけど。あんなに大きな声なんですもの、誰かに聞かれていたかもしれないわ。そもそもよ、今、そんなこと、聖リンフジカに話す必要があって?」

 パレヴァの声には不快感が滲み出ていた。三毛の身を心配しているせいもあろうが、ジャレンリーに対する嫉妬もあるようだ。最初から、パレヴァはリンフジカを自分たち樹宗徒の神聖な〈樹魂〉として敬っており、ジャレンリーが、『リン』と呼んで、親しげな態度で接しているのが許せないらしい。異教徒の分際で、馴れ馴れしくするなと言いたいところなのだろう。

「あぁ。それは、私が依頼しておいたのだ」

「あなたが? ユウリの出自しゅつじを話せって?」

「正確には、話してみて、リンフジカの反応を〈聴き耳〉で確かめておくように言ったのだ。彼が、宰慈雨の娘と知って三毛に近づいたのではないという確証を得るためにな」

「呆れた。あの方が、ユウリを誘拐するために新河岸に来たとでもいうわけ? それで、権現山まで登って行って、番蜂にも刺されず、のんびりユウリを待ち伏せしていたって。学院からいつ来るかもわからないのに。そんな馬鹿げたこと、あるはずないじゃない」

「たとえ可能性が低かろうと、考え得る事案は、全て調査検証の対象とすべきだ。例外を設けるのは、私の主義に反するものでね」

 パレヴァは大げさな溜息をつくと、セイギに背を向けた。呆れ果てて顔も見たくないという意思表示なのかもしれないが、同時に、リンフジカを出迎えるために、精神状態の切り替えを図ろうとしているらしい。確かに、審問官同士が意見の相違で衝突している姿を被疑者にさらすなど、許されることではない。賢明な判断であろう。セイギとしても、審問前に、情報を整理しておきたいところだ。


 この十日で、およその状況は把握できた。聖女狩りの首謀者は、北上城に仕える武家の男と思われるが、まだ身元はわかっていない。新河岸で聖女を物色するにあたって、内部情報を提供したのは、潮屋の勝子に違いない。今の所、この男と接触するのを待って、泳がせているところだ。動機は、軍資金集めと見ている。生家の高峰屋が、北上城と密接な取引関係にある上、勝子の息子を領主の嫡男とするために、相当の金子を使った節もある。

 そこで疑惑が生じる。いくら石店とはいえ、たかが一商家が、無尽蔵むじんぞうに利益を生み出せるわけがない。高峰屋は、何か裏の商売に手を染めて、大金を捻出ねんしゅつしているのではないか。ちまたでは、そういう噂が流れていたそうだ。また、高峰屋には、以前から、闇組の幹部が出入りしているという目撃情報もあった。それはつまり、犯罪組織に加わっているか、強請ゆすられているかのどちらかを示唆しさしている。何れにせよ、重犯罪に関与しているのは間違いない。一方、この1、2年、新河岸に、魔木の〈竜殺し〉が出回っているという問題がある。これが、高峰屋の金回りが良くなった時期と一致しており、密売元の候補として、四寮四室が内偵を進めていたらしい。しかし、これまでの所、確証は掴めていないというのだ。

 にもかくにも、審問班の任務は、誘拐された幼女たちを救出することであるので、魔木の密売が、聖女狩りとは関連していないとわかれば、調査対象からは外れる。逆に、高峰屋の仕業と立件できれば、関係者全員を一気に逮捕して、効率的に尋問する手立てが得られる。セイギの神通力にしろ、ジャレンリーの〈聴き耳〉にしろ、実際に少女たちを連れ去った首謀者と話をしない限り、有用な情報を掴むことはできない。いては、四人の行方を追っていく方策が見出せないのだ。五人目の友子については、そもそも別枠である上、もう探し出す必要がなくなったとはいえ。

 渡し舟の襲撃については、生存者が少なくて、不明な点が多すぎる。首謀者が同じ男だと仮定すれば、仲間の勝子が被害者に回った理由は二つしかない。口封じの対象になったか、もしくは、高峰屋から疑いをそらすための芝居だったか。船頭のジェイガは、どんな依頼でも、金額が折り合えば請け負うという悪評の高い男であり、襲撃を未然に知らされていて、勝子を助ける役回りだったようだ。だが、誰からの依頼だったのかは、本人も知らない。敢えて知ろうとしないのが、小悪党連中の不文律なのだから、吐かせようもない。

 今日までに上がった遺体は、全部で十七体。身元の確認ができた被害者が十名だから、残りの七名は、襲撃者ということになる。もし太刀傷を受けた乗客がいたことに気づかなければ、単なる衝突事故と見なしていたかもしれない。それ位、双方の船とも惨憺さんたんたる破損状態だった。念のため、荒神川両岸で、三日に渡り大々的な捜索活動をして、襲撃側も全滅したものと結論づけたのだが、その中に首謀者らしき若い男は含まれていなかった。

 パレヴァは、結界周辺で誘拐を企てるなど、そもそも愚の骨頂というもので、その直前に発生した濃霧や海の如く荒れ狂った川波は〈御大〉による神罰だと断言した。とすれば、死にかけたリンフジカも、神罰の対象になったということになり、〈御大〉は〈樹魂〉を結界内に呼び戻すものという、再来者説と整合性が保たれない。理屈が通らないとセイギは思う。だが、霊能力者に論理を求めたところで無駄である。ただでさえ危うい協調関係が、更に悪化するのを避けるため、反論するのは控えておいたのだが、セイギ自身は、もっと合理的な解釈があるはずだと信じ、一つの仮説を立てている。溺死した獬豸の魂は、あの世へ旅立った後で、息を吹き返した時には、別の魂が宿ったのではないだろうかと。

 つまり、リンフジカは、虹霓教樹宗の〈再来者〉ではなくて、理教でいうところの〈転生者〉なのではないかということだ。

 そう考えるに至った最大の理由は、ジャレンリーの報告にあった。四日前の打ち合わせの後、パレヴァが退席してから、ジャレンリーはセイギに頼みがあると言い出したのだ。

「リンは、理教の教えにかなり興味を抱いておりました。特に、転生について知りたいようです。審問の後、彼が望むようでしたら、説明してさしあげて下さいませんか」

 審問で無罪が確定しなければリンフジカの身柄は、即刻、典院の牢に送られる。当然のことながら、審問官に質問ができる状況にはならない。つまり、ジャレンリーは、彼が無罪になると言ったも同然なのであった。

「審問の、かね」

 『後』を強調して問い返すと、ジャレンリーは、言外の意味を完全に理解したまなざしでセイギを見つめてから、重々しく頭を下げた。

「はい。自分からも、お願いいたします」

 その時点では、リンフジカの誘拐未遂容疑が晴れてはいなかった。セイギが船頭のジェイガを尋問して、彼は被害者だったと確認できたのは、一昨日の話なのである。それでも、ジャレンリーは、自分は無罪に一票を投じると伝えてよこしたわけである。目下のぶんわきまえ、間接的表現で。

 正直言って、驚きが禁じ得なかった。パレヴァは、当初から盲目的にリンフジカの無罪を信じ、声高に主張をしているが、ジャレンリーは、〈聴き耳〉の感触を過信して、安易に結論を下すような男ではない。裏付けとなる客観的な証拠が得られるまでは、自分の判断すら疑う程、職業意識に徹した捜査官である。通常ならば、公平性に信がおける男なのだ。それなのに、今回は、被疑者を落とすのではなく、落とされてしまったかに見えた。

 学院では、これを『られた』と形容する。本来の専門用語では、相手の感情波に同調させられ、思考能力が麻痺することだが、一般的には、恋愛感情にかられて、のぼせ上った『恋は盲目』状態を意味する。

 危ないと感じたセイギは、単刀直入に尋ねてみた。

「君は、彼に惹かれているという自覚があるかね」

「正直な所、あります。人間的に、ですが」

「性的魅力は感じないと?」

「自分は男色家ではありません」

「だが、彼は獬豸だ。女性体にもなり得る」

「セイギ様。赤毛といっても、獬豸とみれば、襲いかかる男ばかりというわけではないのです。それだけは、どうか信じて下さい」

 セイギは、それ以上、追求するのをやめた。ジャレンリーは、上手く言い逃れたが、彼に好意を抱いていることは認めた。自覚しているのであれば、まだしも良い。恐らく制御もできるだろう。感情にしろ衝動にしろ、後は当人が処理するしかない個人的な問題である。

 だが、その会話の際に、ある記憶が浮上してきたのだ。セイギの個人的な問題として。

 幼い頃に、封印された記憶。今となっては、知る者もほとんどいない過去。


「御縁あって、今生でも、お会いできました。来世でも、必ず再会できるでしょう。この先、何が起ころうと、私がそう信じていたと――それだけは、どうか信じて下さいませ、若様」

 最後にこう言って、御家騒動の最中さなか、命を狙われていたセイギを逃がしてくれたのは、乳母であった。彼女の本名も、声も、顔すら思い出せないが。当時五歳だったセイギには、告げられた内容も理解ができなかった。自らを囮にして亡くなったことも、後になって知った。ただ、この別れの言葉だけは、克明に覚えている。その真摯しんしな想いとともに。

 もう一つ確かなのは、乳母は獬豸の女だったということである。そして、セイギの身を託され、数ヶ月の間、匿い守ってくれた、乳母の弟、エムも理教徒の獬豸だった。その彼も、結局は追手に殺された。セイギの目の前で。血まみれになりながらも、死力を尽くして、敵の暗殺集団と刺し違えてくれたが故に、セイギは生き残れた。しかばねの山の中、たった一人。


 あの壮絶な最期の姿は、決して忘れられない。

 何十年、何百年経とうとも、忘れようがない。

 たとえ死んだとしても、忘れるべきではない。


 あの日、セイギは、魂に刻み込まれる傷もあるのだと、身をもって知った。神経が焼け切れかける緊張に晒され、頭の中をねりつぶされそうな恐怖の中で。胸の奥をひね千切ちぎられるような痛みと共に。

 同時に、獬豸に対する畏敬の念が、心にり込まれた。だからこそ、迷うことなく、理教徒になる道を選び、学院に籍をおいてからも、教義をむさぼるように学んだ。そうして、乳母の言わんとしていたことが、ようやく理解できたのである。

 一つの人生を終えて、次なる命として誕生する際、原則として、記憶は消去される。ところが、強烈な感情が長く続いた場合――それが、愛情であれ、苦悩であれ――その想いは、心から魂へと浸透して行く。それを〈刻印こくいん〉といい、縁を形成する素となるのだ。そして、〈刻印〉された魂が転生した場合、縁の結ばれた魂と再会すれば、前世の記憶が蘇ることもある。特に、感情的な負債を抱えた相手は、直感的にわかるものらしい。いつ、どこで、何があったのかまでは覚えていなくても、借りがあることだけは、確信ができるのだと。

 恐らく、乳母は、セイギと他生の縁があったと信じており、前世の借りを返すために、我が身を投げ打ったのだと思う。だから、負い目を感じる必要はない、これで縁が切れるわけでもないのだと伝えたかったのだろう。

 セイギ自身は、今生において、まだ、縁を感じる相手に会ったことがないが、もし、転生したエムに再会することができれば、絶対にわかると信じている。そして、この次は、エムを助ける立場になれるよう望んでもいる。 

 かくの如く、理教徒にとって、転生こそが教義の要である。生きとし生けるもの全てに共通した、ありふれた現象なわけだ。ただ、極稀ごくまれに、事故が起きる時がある。転生する際、本来、宿るべき腹の中に辿りつく前に、魂の去った身体に入り込んで、〈転生者〉となってしまうことだ。人の魂が、胎児ではなく、思考能力のある成人に移った場合は、前世の記憶が維持できる。但し、言葉にできる内容は制約されるそうで、前世の出来事などは、話せないと文献にある。つまり、自分が〈転生者〉だと主張することもできなければ、証拠を並べ立てることもできない。それでも、別人であれば、家族や親しい者には区別がつくものだ。とまれかくまれ、一旦死にかけた者が、息を吹き返すような奇跡が生じた場合、同じ魂が戻ったのか、〈転生者〉が訪れたのかを見極みきわめる精査が必要となるのである。

 ではリンフジカは、どうなのか。

 複数の証言によれば、彼は瀕死の状態で発見され、川岸に引き上げられた。息がえていたと言った者はいない。だから、それだけだったら、〈転生者〉である可能性など、取り沙汰しなかったに違いない。ところが、彼は、獬豸であるにしては社交的で、極端に異色過ぎた。言動に獬豸らしさが欠片もないといっても良い。上がってくる報告は、耳を疑うようなことばかりであった。


 混血児の機嫌をとる、獬豸の男――金輪際こんりんざい、聞いた例がない。

 愛想良く世間話に応じる、獬豸の男――全くもって、信じがたい。

 虹霓教月宗の聖職たる鐘つきをかって出る、獬豸の男――理教徒にとっては、自殺行為だ。権現山の銅鑼の音は、霊力の増幅装置で、至近距離で浴びれば無事ではすまない。


 獬豸は、極めて結束が固く、秘密主義に徹しているため、その種族的特徴は、観察し推測することしかできずにいる。ただ、喜怒哀楽を露わにすることを恥とみなす文化であり、怪力揃いでありながら、武力ではなく、談合で問題を解決する慣習であるのは間違いない。仕える主人に対しては、犬の如く従順で、決して裏切らないと定評もある。まさしく、理教徒のかがみというべき種族であろう。

 そんな彼らだが、唯一つ、鉄壁の理性が剥がれ落ちるほど凝り固まった偏見を持っている。それが、炎摩に対しての生理的な嫌悪感、延いては、赤毛の男全般に対する強烈な拒絶反応なのだ。歴史的に見れば、警戒するのも当然といえる。今でこそ、炎摩族は少数種族だが、この地を支配していた時代には、獬豸の女子供、時には、少年すら問答無用で拉致らちされ、奴隷同然の妾にされていたという。竜眼族の支配国家になってからも、赤毛による強姦事件は頻発し、その被害者の多くは、銀髪なのである。

「赤毛を見たら、声を出すな」

 幼い頃から、そう叩き込まれて、獬豸は育つらしい。炎摩は、獬豸特有のかすれた声を好み、性的に興奮する。つまり、声を聞かせなければ安全だ、という理屈である。これは虹王国に限ったことではない。世界中どの国に住む獬豸だろうと、子供達に同様の教育を授けているはずだ。そのようにして、数百という世代を重ねた伝統、種族全体につちかわれた防衛本能が、そう易々と失われるものだろうか。

 リンフジカは、ジャレンリーを質問攻めにしたようである。赤毛をものともせず、腰を据えて長々と。勿論、完全な記憶喪失なのかもしれない。あるいは、理教の聖職者という可能性もある。ジャレンリーは、そのように推測していたが。確かに、布教に携わる伝道師か、異教徒との折衝せっしょうにあたる摂理師あたりならば、赤毛相手でも、臆さず対応できるかもしれない。しかし、彼はまだ若く、それほどの修練を積んでいるとも思えないし、嫌悪感を押し隠そうとしたところで、〈聴き耳〉を誤魔化せるとは考えにくい。自尊心の高いジャレンリーが、自分の人間性を疑う者のために、口添えして頭を下げるわけもなく、そこまでの好感を抱いたのであれば、逆もまた真なりということだ。

 つまり、リンフジカの方も、ジャレンリーに好意を示したのに違いない。


 赤毛を敬遠せずに談笑できる、獬豸の男――これは、あまりにも、想像を絶している。獬豸にあらざる別人でなければ、まい。

「彼には、第五の才があります」

 まして、九克教徒に、こう言わしめるとは。獬豸としては、異例中の異例、突然変異だ。

 リンフジカ大院長は、達弁たつべんの才に恵まれていたとされるが、リンフジカが、その〈再来者〉である証左しょうさとなるものか。将又はたまた、セイギの仮説通り、〈転生者〉であるのか。

 ジャレンリーによれば、彼は理教について知りたがっていると言う。

 よかろう。問われたならば、教えてやることにしよう。理解できるまで。

 その代わり、こちらも、疑問に答えて貰うことにする。納得がいくまで。

「今日の審問は、学院が主導する番だな」

 セイギが声をかけると、パレヴァが不審そうな顔で振り返った。

「わかってるわ。どうして、念を押すのよ」

 今回ばかりは、君に邪魔して欲しくないからだ。君が正しいか、私が正しいか、確認できるように。

 だが、セイギは本心を語ることはせず、ただ皮肉っぽく笑ってみせた。

「なに、確認させてもらっただけだ」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


    

   【 解説 / 炎摩族えんまぞくの基礎知識 】



1. 炎摩族・・・・先が尖った細長い耳を持っている人族の総称。長身で筋肉質。

        子犬のような垂れ耳で生まれ、単性化した男だけ立ち耳になる。

        純血種は、鮮血色の髪、黄色の猫のような目。六本指。

        聴覚に優れている。狩猟種族で生肉を好み、極めて戦闘的。


2. 成長固定型・・両性体で生まれ、六歳前後で、男か女へ単性化する。

        力が強く優れている者だけ男になると信じられている。


3. 討伐対象・・・一旦根絶ねだやしにされたが、隔世遺伝で猩々系混血によみがえった。

        今はいくつかの隠れ里に潜み、山賊や密猟を生業なりわいとしている。


4. 九克教徒・・・・父親が認知した赤子に焼き印を押して、炎の洗礼をほどこす。

        母親が虹霓教徒で改宗させられない場合は認知しない。 


5. 社会規範・・・男尊女卑に基づいた父権制で、強者がハーレムを作る。

        弱肉強食、下克上を旨とする実力主義で、面子めんつを重んじる。

        兄弟の跡目争いを制した息子が、父親に挑戦して家長になる。

        

6. 恋愛事情・・・炎摩の女は、声が良くて強い男に群がり、歓心を買おうとする。

        一人の女を巡って男同士が争えば、ほとんどが殺し合いに至る。

        炎摩は衆道を好むため、少年を巡る男同士の闘いもある。 


7. 結婚生活・・・一夫多妻制で、妻妾別居。夫は妻妾の住まいを渡り歩く。

        正妻は優秀な息子を産んだ炎摩族の女の中から夫が決める。

        女の浮気は許されないので、発覚すれば女敵討めがたきうちにされる。

        但し、夫が怪我等で稼げなくなれば、妻妾から逆に見限られる。


8. 成人性別比・・・女性60%  男性40% 

        ※単性化した時点では、男の方が多いが、少年の死亡率が高い。


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