第17話 竜眼族ユウリとの懇親
霊能力者で、雨を乞う。 日照りの土地に、お恵みを。
念動力者で、
我らの願い、聞き届け。 今日もどこかで、舞い踊る。
――農民の
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
倫子は、感動していた。生きていて良かったと思える瞬間など、滅多にあるものではない。だが、今は、その
悠を失った時の凄まじい衝撃。悲しい、苦しいなどという
死んでしまいたい、と切に思った。ところが、自殺する気力すらない――あれは、まさしく地獄だった。癌の末期の苦痛とは別種の地獄。もっとも、その地獄は、『あの世』で待ち受けるものではなく、倫子の中で生まれた。そして、ブラックホールのように、意思も感情も中へ中へと吸い込まれていき、落ち込みから抜け出すことができなくなった。
もしかしたら、あれは、単にお腹を痛めて産んだ子を失った母の悲哀だけではなかったのかもしれない。倫子は生まれる前から悠を愛していた。そして、まだ性別ももわからないうちから、
魂には名前があるのだろうか。
前世の記憶がなくとも、それを覚えているものなのだろうか。
確かめるすべはないが、倫子が悠との間に強烈な絆を感じていたのは、紛れもない事実だ。その結びつきが突然断ち切られた後、倫子は寝ても覚めても悠を取り戻したいと願うようになった。そう、死に
その願いが、今、こうして叶えられた。思いもかけない形ではあったけれど。悠の方も、倫子に対して、
倫子は、貰った飴玉を舐めながら、不思議な成り行きを
悠は、ユウリとでも、ユウちゃんとでも呼んでいいと言っていた。それでは、倫子は何と呼んでもらおうか。この国では、『子』の付く名前は、固定型の女性だけの特権のようだから、倫子と名乗るわけにはいかない。タムシラキの人物像は、ある程度わかってきたけれど、倫子とは完全なる別人。この身体の中には心も魂も残っているようには感じられない。知識だけは置いていってくれたため、使い心地はいいものの、タムシラキと名乗るには
丁度、そこまで考えが及んだ時、悠が戻ってきた。コーヒーの香りを前触れとして。
「お待ちどうさま」
息せき切っているので、どこまで行ってきたのだろうと思った。それから、ここは霊廟で、誰も住んでいないのだと思い出した。厨房などないのかもしれない。そう言えば、井戸やトイレはどうなのか。幸い、獬豸は小用の回数が極端に少ない。日に二回で事足りる。冬場など一時間おきにトイレ探しをしていた倫子にとって、有難い変化の一つだった。しかし、飲み水は倫子より大量に必要とする。飲み溜めはきくが、水が切れると命にかかわるのだ。どこへ行こうと、獬豸にとっては、水の確保が最優先課題となる。
「お帰り。ここには厨房があるの?」
悠は別のワゴンを押していた。乗せて来た物を机の上に並べ始める。見慣れない果物を数種類のせた大皿。取り皿に小刀。コーヒーのポットと、背の高い水差し。大中小の陶磁器のカップ。ここの取っ手は、両手鍋のように、左右水平についている。そして、パウンドケーキか蒸しパンのようなお菓子。
「二階下にね。湧き水が取れるのが、そこだから。あとで案内するわ」
「え……これ、全部持って、階段を上がったの?」
「いいえ。昇降台って知ってる?」
エレベーターがあるとは驚きだ。電気はないはずなのに。病室にあったのも、前近代的なランプだけ。この部屋にも電化製品の類はない。タムシラキの知識からしても、技術レベルは江戸時代あたりかと思っていた。
「あぁ。でも、動力は何を使ってるのかな」
「どうりょく?」
「えっと、台を持ち上げる力のこと」
「滑車を使っているはずだけど、よくわからないわ。ごめんなさい。勉強不足で……」
悠が消え入りそうな声で、
「いや、こちらこそ、ごめん。くだらないこと聞いてしまって。大人だって、専門外のことは知らないものなのに。それより、これは随分甘酸っぱい匂いがするね。今まで見たこともないけど、何ていう果物?」
慌てて話題を転換しながらも、今、悠は何歳なのだろうと考える。第一印象では、アンヤンと同じ位かと思ったが、その後の行動や話ぶりからすると、もっと年上の気がしてくる。中学生くらいだろうか。だとしても、まだ子供だ。保護者が必要な。両親はいるのか。いや、虹霓教徒の場合、子供は、生母とその血族で育てるものだから、父親はいないことが多い。
(でも、母親はいるはずよね。一体どこで何をしてるわけ? 私だったら、見ず知らずの若い男と、悠を二人っきりにしたりしないわ。まして、こんな
「どうしたの?」
悠が果物をむく手をとめて、呆気に取られた様子で見ていた。倫子は、怒りにまかせて水をがぶ飲みし、蒸しパンを噛み砕いていたところだった。
まずい。品の悪さに
「大丈夫?」
「うん、ごめん。品が悪くて」
新しく入れてもらったコーヒーを啜りながら、倫子は頭の切り替えを図ろうとした。これは、片想いをしている相手の恋人に嫉妬するよりも虚しい。馬鹿馬鹿しさも極まる。産みの親の立場に、取って変われるわけがないのだ。少なくとも、今の世界では。倫子にできるのは、悠との新しい関係をより強固にすべく、努力することだけ。
それにつけても、この複雑怪奇な状況に慣れるのには、かなり時間がかかりそうだ。異種族で異性の身体に馴染むことよりも、悠の親権を主張できない立場を受け入れる方が、難しいかもしれない。
「何か、気に入らなかった……?」
悠が不安そうに、机に並べたものを見回している。不味いものでもあって、不機嫌になったと解釈してしまったようだ。
「違うよ。これは、どれも美味しい。ただ、ちょっと、思い出してしまってね」
苦しまぎれに倫子は話題を転じた。
「その、渡し船の事故のことを……」
悠が納得したように頷く。素直な良い子だ。人の言う事をそのまま受け入れ、疑おうともしない。このままでは、人から騙されたり、裏切られたりしそうで、非常に心配である。
「十人も亡くなったんですってね」
「十人?」
改めて倫子は数えてみた。船で見回した時の人の顔を思い出しながら。
友子が行方不明。船頭と勝子(叔母)が助かったという。他には、馬車に乗っていた四人、プラス、茶屋にいた別の五人。計九人だ。やはり、計算が合わない。他に誰かいただろうか。
「友子様は見つかったのかな?」
悠がハッと手で口を覆った。しまった、という様子で。口止めされていたのかも知れない。
「いけない。事故のことは、何も話さないように言われてたのに。審問班が最初に聞き取りをしたいからって。怒られてしまうわ」
「パレヴァ様に?」
「いいえ、セイギ先生の方よ」
「先生って、君の?」
「そう、学院の担当教官なの。理教徒だから理に外れたことをとても嫌うのよね。とにかく不正には厳しくって」
「わかる気がするよ。私もセイギ様は苦手だな。すごく緊張してしまって。それにしても、君は顔が広いんだね。もしかして、ジャレンリー様とも、知り合いなのかな」
「知ってるのは名前と顔くらい。あとは評判ね。頭も切れるし、腕も立つって。新河岸の九克教徒の中では、出世頭らしいわ」
「なるほど、そんな感じだな」
審問班の話題になって、嫌でも審問を意識せざるを得なくなる。
それに、友子はどうなったのか。当初は、誘拐事件と聞いても、他人事に過ぎなかったが、記憶が戻ってみると、可哀想で胸が痛む。どこかの見知らぬ聖女ではなく、あの子が行方不明なのだ。元気にはしゃいでいた、あの幼い女の子が。
「そろそろ、食事の支度ができた頃だと思うわ。歩けそうなら、一緒に来て。無理だったら、パレヴァに断ってくるけど」
倫子の暗い気分を察したようで、悠が気を引き立てるように、明るく促してきた。
「大丈夫、歩けるよ。さっき言ってた湧き水の取れる場所も見ておきたいな」
「それじゃ、行きましょう」
悠に案内されてもらった洞窟の奥は、結構広くて、通路が曲がりくねっており、あちこちにぽっかりあいた空間がある。その一つで、螺旋状の階段が下へと続いていた。リンフジカの部屋のある最上階が、七階で一番広く、下に行くほど狭くなり、一階は、昇降台と階段への出入り口しかないそうだ。その昇降台は、小さな荷物専用のリフトで人は乗れないため、狭い階段を延々と降りていくことになった。多分、十分は優にかかっただろう。やっとのことで一階まで降り、小さな出入り口を抜け出す。そこから長い坂を下った先に、がっしりした横長の建物が立っていた。石造りの二階建てで、いかにも役所っぽい。
「あれが新院一寮よ。パレヴァには、会食室へお通しするように言われたの。だから、食事をしながら、お話を伺うのだと思うわ」
「パレヴァ様だけ?」
「いいえ、セイギ先生も来てるわ。ほら、あそこ。二階の端の窓を見て」
悠の視線を辿ると、遠目ながら、セイギの無表情な顔が見下ろしているのがわかった。今や遅しと待ち構えている、といった様子に、食欲が一気に失せるのを感じた。幸いにして、悠から果物やケーキを補給してもらったから、暫くはもちそうだ。それに、尋問室へ通されるよりは、はるかにマシな扱いではある。食事と一緒に、蠟や鞭が出てきて拷問を受けるとは思えない。
それでも、倫子は深呼吸して気を引き締めた。
『俺を殺す気か! だいたい、おいしいことばかり並べ立てやがって、肝心の時に役にたたないものを売りつける気だろうが!』
かつての顧客の中で、ランクAの難物が吐いた台詞が蘇る。あの御主人に信用してもらうのは、並大抵のことではなかったが、難易度はセイギも同じような予感がする。しかも、今回はノルマを果たせるかどうかではない。人が大勢亡くなり、事故か他殺か、行方不明か誘拐か、という大問題に直面しているのだ。
「お出迎えはジャレンリーよ」
悠の囁きに視線を転じると、いつの間にか開いた一階の戸口に、ジャレンリーが寄りかかっていた。その姿をみた瞬間、ふっと心強さが戻った。無表情なのはセイギと同じにもかかわらず。
『おまえには、第五の才がある』
励ましの言葉が、気力を充電してくれる。そう、あの時だって、最終的には契約まで漕ぎ着けることができた。そうとも。
二人で三メートルくらいまで近づくと、ジャレンリーは左手を上に上げて、深くお辞儀をした。明らかに、悠一人に対して。
「お役目、ご苦労さま」
悠が
「この度の御奉仕、新院を代表して、
子供相手に恐ろしくへりくだってはいるものの、悠に対する退去命令であった。悠は心配そうにちらりと倫子を見上げた。内心に反して、倫子は、にっこり笑みを浮かべてみせた。確かに、事故の詳細は陰惨な報告となる。悠に聞かせるべきではないだろう。
「ありがとう、悠ちゃん、また今度」
ちょっと躊躇ってから、悠は頷いた。
「それでは、あなたにお預けします、ジャレンリー。よろしくお願いしますね」
「承りました。三毛様」
三毛がくるりと身を翻して、洞穴の入口の方へ走っていく。その後ろ姿を追っていると、半ば呆れ半ば感嘆した声がかけられた。
「ユウちゃん、だと? やたら気安いが、おまえ、あの方がどなたか知っているのか」
「いえ、ただ、そう呼んで良いと言われたもので……。御身分の高い方なんですか」
「
タムシラキも評判は耳にしていた。宰慈雨と言えば、当代随一と誉れの高い美形の霊舞師だ。各地を巡礼しながら、文字通り空中で踊る、〈
「お噂は伺っておりますが……」
「その慈雨様が、三毛様の御生母だ」
ゴーン! ドーン! バーン!
頭蓋骨の中で、力まかせに時報を連打されたような激震に見舞われる。
反射的に『勝てない』と思った。ややあって、『勝ち負けの問題じゃないよ』と、理性が諭す。『最初から、産みの親とは勝負にならないんだし』。
それでも、ショックから立ち直れずに、倫子が絶句しているところに、容赦なく追いうちがかけられた。
「他の奴には絶対に口外するなよ。宰家は、慈雨様に、内子がいることを公表していない。三毛様の存在が領外に知られてみろ。絶対に誘拐を試みる連中が出てくるだろうよ。それも、一組や二組じゃすまない。ひっきりなしにだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【 解説 /
1. 夜叉族・・・・三本指に鷹のような爪を持って生まれた人族の総称。
純血種は、紫の髪に赤紫のつり目。痛覚がなく寿命は40年ほど。
毛髪に感覚神経があり、最大の弱点のため、頭巾で隠している。
小柄でも筋肉質。跳躍力に優れ、暗器を使いこなす忍者タイプ。
夜目が利き、戦闘力も高いため、用心棒や御庭番が多い。
2. 周期変性型・・①
②
③
3. 虹霓教徒・・・月夜叉には
霊能力者が、個人的な守護霊と絆を持つ場合もある。
4. 社会規範・・・夜叉族は単婚制で、カップルは公私を共にするのが望ましい。
母系血族とは結婚できないが、
5. 恋愛事情・・・性周期が合致する同族相手でないと子供はできない。
異種族からは敬遠されているため、結婚することは
風伯系とは比較的相性が良いが、長続きはしない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます