第16話 追いつめられた母、勝子の罪業


高嶺たかねの花は、竜眼りゅうがん系。    夢でもめとれぬ、高貴な血。


理想の妻は、鹿蜀ろくしょく系。    料理上手で、子供好き。


乳母に雇うは、獬豸かいち系。   主人思いの、利口者。


愛人持つなら、風伯ふうはく系。   病弱だけど、器量良し。


施亀せんき猩々しょうじょう、縁あれば。   死んでも御免だ、夜叉やしゃ炎摩えんま


                          ――酒場恋唄――



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 勝子は、焦り、不安にられていた。

 今までは、とても上手く行っていたのに。全て計画通りとまでは言えなくとも。幼い聖女を四人も誘拐できたのだから、取り敢えず、当初の目的は果たせたのだとは言える。

 いや、あそこで。必要な三人を確保した時点で、止めるべきだったのかもしれない。今になって、そう思う。だけど、それまで、たいした問題が起きなかったので、あと一人くらい楽勝と、強気になってしまったのだ。

 ところが、その四人目。美笛屋の笛子で、足がつきそうになった。年より幼く、おとなしいという噂を聞いて、おあつらえ向きだと思ったのだが、獬豸の女中がお守りについていて、片時も目を放さない。そこで、仕方なく、花火見物の桟敷席さじきせきに親子三人を招待し、女中は留守番するように仕向けて罠を張ることにしたのだ。結果的に、酒に弱い父親を酔いつぶし、商談で女将の母親の気をらさせた隙に、退屈している幼子を誘い出すことができた。

 とは言え、高峰屋の名が表に出て、四寮四室の事情聴取を受ける羽目になったのは痛い。勿論、あくまで目撃者としてだったのだが、赤毛の室長は、〈聴き耳〉の才があるという切れ者で、勝子の証言に疑いを抱いた様子だった。この上、下手に探られると、いろいろとボロが出る恐れがある。いや、裏稼業までばれて、一網打尽いちもうだじんとなる危険すら出てきた。

 危機感を募らせた勝子が相談した相手は、生家の父でも、現在の夫でもなく、亡き前夫の家臣、共犯者の氷室征二郎ひむろせいじろうであった。

「高峰屋から疑いを逸らすためには、新たに別の策を講じるしかありますまい」

 動揺している勝子を尻目に、怜悧れいりな征二郎は、子憎こにくたらしいほど落ち着き払っていた。

「策と申しますと、どのような?」

「最も効果的なのは、高峰屋も被害を受けたかのように装うことでありましょうが。さて、勝子様に、〈聴き耳〉を対手たいしゅとして、あくまで嘘を突き通すお覚悟がございますかな」

 そのいかにも、人を小莫迦こばかにしたような言い草に、勝子はカチンときて、説明をよく聞きもしないうちに、『できますとも』と言い放ち、計画を進めることに同意してしまった。

 征二郎は、これまで一連の采配さいはいを振ってきた九克教徒で、策謀に関する能力は評価しているが、どうしても好きにはなれない。ただ、前夫である城主、榊辰之進さかきたつのしんが暗殺される直前、その命により、妊娠四ヶ月だった勝子を北上城から脱出させて、新河岸まで無事に送り届けてくれた忠臣ではあるので、信用はしていた。いや。信用せざるを得なかっただけかもしれないけれど。婚家こんかにも、生家せいかにも、他には頼れる者が誰一人いなかったのだから。 

 そもそも、勝子は、六人兄弟の末子だが、唯一の聖女として、生家の皮問屋、高峰屋を継ぐべく別格で育てられた嫡女ちゃくじょだった。ところが、十二歳になった時。母が急死し、そのどさくさに紛れて長姉の秀美が、実権を握った。両性体で生まれた雌狒々めひひ分際ぶんざいで。父や兄達を懐柔かいじゅうして。その次の年、秀美が、聖女の友子を産むと、名実ともに女将と認められ、勝子の居場所はなくなり、ていよく追い出される羽目になってしまったのだ。虹王領の武家などに嫁ぎたくはなかったのに。たとえ、お得意様の北上城主であろうと。四十歳過ぎの男の後添えなんて。しかも、夫には、成人したばかりの嫡男、継之進つぐのしんまでいた。

 北上城での生活は、悪夢そのものだった。慣れない武家のしきたり。商家の平民出に対する蔑み。奥向きでの陰湿ないじめ。虹霓教徒であったにもかかわらず、夫には側女が三人もいた。その中に、持参金付で放り込まれた勝子は、名ばかりの継室で。周りからは、政略結婚に使える聖女を産むことを期待されているだけ。ただの道具に過ぎなかった。

 もし、あのまま暮していかなければならなかったとしたら、遅かれ早かれ狂ってしまったと思う。幸いにして、と言うべきか。嫁いで三ヶ月もたたないうちに、初陣に出た継之進が殺されて嫡男の座が空いた。その座を巡って、熾烈しれつな派閥争いが表面化し、半年後には、内乱にまで発展して、夫の辰之進も殺されたのである。

 その時、懐妊していた勝子も、当然のことながら命を狙われた。寝るのも怖く、目覚めるのも恐ろしい。出されるお膳は、全て毒に見え、箸も取れない。悪阻つわりのひどさが、追いうちをかける。どこにも逃げ場がなく、勝子は怯えきっていた。その様子を見苦しいと切り捨てたのか、多少は不憫ふびんに思ってくれたのか。夫の辰之進は、亡くなる直前、若干十八歳の氷室征二郎に、密命を下したのだ。『二つ身になるまで、勝子をどこぞにかくまっておけ』と。

 征二郎は、新河岸に隠れ家を用意し、他の派閥の監視をかいくぐって身重の勝子を救い出した。そして、息子を無事出産するまでの半年、警護についてくれた。駆落ち者の夫婦を装って。実際、恋仲になってもおかしくない状況であったわけだ。もし、征二郎が、男色家でなかったならば。勿論、それ故に、夫は、元服したばかりの青年に預ける気になったのだろう。女嫌いならば、間違いが起こりようがないのだから。ともかく、二人は甘やかな関係などにはならなかった。だが、同時に、仲の悪い兄妹のように、嫌いでも憎んでも切れない強固な縁で結ばれたのだ。だからこそ、辰之進の死後もこうして手を組み、悪行と知りつつも、その共犯者となったのだと思う。

おくされましたかな、勝子様」

 酷薄な笑みを浮かべて問われると、勝子には、『いいえ』としか言えなくなる。今回もそうだった。姪の友子を聖女狩りに襲われた被害者にしたてて、北上城に嫡男として引き取られた息子の許に、名を変えて連れていく計画で。ほとぼりが冷めたら、勝子も二人と一緒に暮せるようにすると言われては、尚更のこと。征二郎の企てが失敗したことなど一度もなかったし、すっかり乗り気になったのだった。ところが、予定外のことが起きて、とんでもない結果になってしまったのである。

 当初は、友子も今までの場合と同様、新河岸内で誘拐するつもりだった。だが、四寮四室が、聖女狩りの捜査に乗り出してきたため、危険すぎると断念した。お上品な典院の衛兵を出し抜くことはできたが、新院の捜査官は粗野でも実力派揃いであなどれないのだ。そこで、虹王領との領界である荒神川の渡し舟で、攫われた形をとることになった。問題なのは、どうやって、友子をそこまで連れ出すかということ。まずは、姉からだます必要があった。

 勝子が征二郎に聖女の情報を流して、一連の誘拐事件を起こしたことなど、家族は誰も知らない。父も姉の秀美も他の兄弟も。だが、別の悪事には、生家の全員が手を染めていた。裏家業の魔木まぼくの密売に。

 高峰屋は、動物の皮や革製品を商う問屋なので、もともと猟師や罠師と取引がある。彼らは、山で掘り出し物を見つけると、正規の商売物にひそめて持ち込んでくる。それらは、竜の骨や爪だったり魔石だったり、虹王領で見つかれば領主に召し上げられてしまう高価な品だが、商業特区の新河岸ではさばきやすいのである。だからここまでは、別段珍しい話ではない。建前としては禁じられているけれど、どこの大店でも、魚心うおごころあれば水心みずごころでやっていること。多少汚くとも、商売の延長に過ぎない。だが、魔木の密売となると、話が違う。大斎院に知られれば、極刑間違いなしの重犯罪なのだ。そんなことくらいわかりきっていたにもかかわらず、何故、御禁制の品に手を出してしまったのか。理由は簡単。姉の秀美の欲の皮がっていたせいだ。

 勝子が榊辰之進に嫁がされた頃、虹王領では玉座を巡る権力闘争が起きていた。貴族がそれぞれ配下の豪族を動かして勢力範囲を広げようと画策し、その手足として動く武家は派閥に分かれてしのぎを削りあっていた。北上城は、直接攻撃を受けていたわけではなかったが、榊本家から補給部隊を任された辰之進は、戦支度いくさじたくの真っ最中だった。そして、武具や馬具を揃えるには、皮は必需品であり、大量かつ安価に調達しなければならない。そのための手っ取り早い方法として、年頃の聖女がいる高峰屋に縁談を持ちかけてきたのである。秀美の方は、勝子を厄介払やっかいばらいすると同時に、商売を広げる好機とみなしたわけだ。だが、その喜びは束の間に過ぎなかった。一年もたたないうちに、辰之進は殺され、榊本家から、新しい城主が任じられて、北上城との取引は、白紙に戻ってしまったのだから。

 高峰屋は、大量に買い込んだ皮の売り先を失って、多額の借金を背負う羽目になった。追いつめられた姉は、たまたま入手した〈竜殺し〉という魔木が、大金を生むことを知るや、密売を始めたそうである。父や兄も、強くは反対できなかったらしい。一家心中の瀬戸際に立たされていては。

 だが、それを知った時、勝子は怒り狂った。自分が人身御供ひとみごくうにされ、辛酸しんさんを舐めさせられた結果が、この有様ありさまなのか、と。勝子が継ぐはずだった家督かとくを奪っておいて、高峰屋をつぶしかけている姉を殺してやりたいとすら思った。そこを、征二郎にさとされたのだ。

「それは、この際、利用すべき好材料と申せます。高峰屋に圧力をかけて、勝子様が実権を掌握しょうあくすることでございますな。さすれば、高之進様をお守りしやすくなりましょう」

 そう、確かに、勝子にとって、数々の苦しみの上に授かった息子の高之進は、何ものにも代え難い宝となっていた。征二郎の献策けんさくに従って、勝子は生家における発言権を取り戻した。無能な姉を責めたてながら脅迫し、父や兄達の後ろめたさに訴え味方につけて。

 その矢先、息子の高之進が、敵方の刺客に襲われたのだ。幸い、その場は、征二郎が防いでくれたけれど。夫を暗殺した一派にとって、辰之進の直系男子である高之進は、邪魔な存在なのだと思い知らされた。生かしておいては危険すぎるわけで、抹殺するまで諦めないだろう。そして、商家の用心棒ごときでは、武家の襲撃をかわし続けることなどできはしない。遅かれ早かれ殺されてしまう。

 そこで、勝子は、息子を連れて、潮屋の嫁となったのだ。取り敢えず、生家を離れ、身を隠すために。夫のエダンガは、施亀族の幼馴染だった。今は男性体だが、自分も出産経験があるため、息子の命が狙われていると話すと、とても同情的で。勝子と高之進を匿うために、できる限りの手を打ってくれた。だが、それも、時間稼ぎにしかならないことはわかっていた。

 それまでの勝子だったら、ただ怯え身をすくませていただろうが、もう違う。そんな弱腰ではこの子を守れない。この子は私にしか守れない。何が何でも息子は守る。絶対に守ってみせる。勝子はそう誓ったのだ。手段は選ばない。敵が襲ってくるなら、立ち向かうまでだ、と。

 覚悟は決めたものの、具体的にどうすればいいのか、明確な考えがあったわけでない。この時もまた、征二郎に相談したのである。

「策がないこともございませんが、それには多額の軍資金が入用いりようとなります。はたして、高峰屋に捻出ねんしゅつさせることができますかな」

 征二郎の策とは、北上城の新城主、榊菊之助に直接取引を持ちかけることであった。菊之助は、篤之進の甥にあたり、まだ息子に恵まれていない。榊本家と養子縁組して、高之進を嫡男として認めさせれば、身辺警護もしやすくなるし、辰之進を暗殺した一派を潰してみせるというのだ。但し、それには、莫大な金がかかる。榊本家に、高峰屋には、手を組むだけの利用価値があると納得させなければならない。来たるべき戦に然るべき貢献できると証明しなければ。その上、菊之助が榊本家から伴ってきた側近――北上城の新たな重臣三名に、根回しの賄賂をばらまく必要もあった。

 結論から言うと、交渉は成功した。いろいろ紆余曲折うよきょくせつはあったものの。高之進は、榊菊之助の嫡男となり、北上城に引き取られた。征二郎がそのお守役もりやくにつき、敵方の一派を根こそぎ出兵させることによって、城内の勢力図を塗り替えた。お蔭で、勝子も身を隠す必要がなくなり、生家にも自由に出入りすることができるようになった。あとは、高峰屋から定期的に軍資金を送り続ければいい。

 これで、一安心だと思った矢先。菊之助に縁談が持ち上がったのだ。勿論、政略結婚だが、相手の聖女は、豪族の御血筋で。もし、そちらに、男獅子が誕生すれば、高之進は間違いなく廃嫡となる。下手をすれば、また命を狙われかねない。その縁談を潰すのが急務となり、征二郎が、重臣連中を懐柔かいじゅうする策として出したのが、幼い聖女を献上することだった。武家といえど、固定型の女性は、そうそう生まれない。聖女の娘がいるというだけで、家格が上がる位に希少らしい。つまり、金品を贈るより、賄賂としての価値が高いわけだ。

 こうして、勝子は征二郎と結託して、新河岸で聖女狩りを始めることになった。そして、今はそれを終わらせる潮時しおどきがきている。なのに計画は破綻はじょうしてしまった。いや、あながち失敗とは言いきれないかもしれないが。高峰屋が被害を受けたという形はとれたのだし、これで、四寮四室の矛先ほこさきが他に向いてくれさえすれば、問題が一つ解決する。

 だが、高峰屋の中で発生した問題は、とうてい収まりがつきそうになかった。友子の遺体があがり、当然のことながら、姉が狂ったように逆上しているのだ。

「どうして、船頭は、友子を助けてくれなかったわけ? 幼い子を放って、あんたの方を助けるなんて、ありえないでしょうが。あんたもあんたよ、勝子! 自分で友子を勝手に連れ出したんじゃないの。ちゃんと守るって言ったくせに。それなのに! 友子を見殺しにしておいて、よくも、一人でのめのめ帰って来られたもんだわね!」

 姉に罵られ責められるのは、最初からわかりきっていたし、甘んじて受ける覚悟はしていた。だが、それは単に、友子が死んだと思わせる計画の一部だった。姉の嘆きが本物なら、〈聴き耳〉の捜査官の疑いも晴らせると踏んだからである。それが、本当に死んでしまうとは。友子だけでなく、まさか次兄まで。おかげで、生き残った勝子に、家族の非難が集中してしまった。さすがに生家には居辛いづらくて、勝子は、ここ、潮屋の別宅で、重症を装いせっていた。葬儀にも、参列せずに。

 何の因果いんがか、友子を引っ張り出すための方便に使ったのも、葬儀だった。虹王領の武家では、弔問に訪れる聖女が少ないと、遺族の面目が立たないというのは、紛れもない事実なので。征二郎の伯父の葬儀に、花を添える意味で、幼い友子も連れて行くと説明したのだが、姉は大反対した。北上城までの道中が危険過ぎる。いくら世話になっている征二郎に義理を果たすためとはいえ、勝子一人が行けば、十分だろうと。そこをかなり強引に説得したのである。最終的には、友子本人が、生まれて初めての遠出に大喜びして行きたいと言い張ったので、連れ出すことができたのだった。

 だが、上手く行ったのは、そこまでで。征二郎の伯父が亡くなってから、葬儀まで三日しかなく、いつものように、綿密な打ち合わせをする余裕もなかったし、実行犯の選定も征二郎任せで、勝子は指示通りに動くしかなかったのだ。未然に知らされていたのは、帰路の渡し舟で、襲撃されることだけ。往路で決行しないのは、監視体制が強化されている新河岸側の船着場では、妨げになりそうな相客がいても、未然に排除しにくいから。実際、新河岸から出る渡し舟では、捜査官の臨検を受けた。喪服を着た高峰屋の一行が止め立てされることはなかったが、襲撃者が乗り合わせるのは、不可能だったろう。

 ところがだ。結局、帰路にも、襲撃者らしき姿はなかったのである。唯一あやだったのは、獬豸の大男だったが、話してみた所、どうも無関係の通りすがりのようで。決行は中止になったのかと思いかけた。おまけに何故か、霧までたちこめてきて、不安と緊張でおかしくなりそうだった。

 と、その時。大きな猪牙舟ちょきぶねとすれ違いざまに衝突した。凄まじい衝撃で、渡し舟がひっくり返りそうなほど大揺れした。体勢を崩したところを誰かに付き飛ばされ、勝子は川に落ちた。叩きつけられるように。痛みと苦しさにもがきながら、友子の悲鳴を聞いた気がする。だが、溺れかけていた勝子には、何がどうなったのか、まるでわからなかった。これが、襲撃なのか、ただの事故なのかすら。

 ただ、力強い腕で水面に引っ張りあげられて、ジェイカに囁かれたのは覚えている。

「そう暴れんと力を抜いてくれんかな、勝子様。いくらお足をもらっても、わしゃ、あんたさんと心中は御免ごめんだけんな」

 そうか。この船頭は、征二郎の指示で助けてくれるのだ。これで計画通りなんだと思った途端、ホッとして、勝子は気絶した。

 そして、次に意識を取り戻したのは、川辺に引き上げられた後で。大量の水を吐き出し、息も絶え絶えの勝子は、完全な被害者に見えただろう。真実怯えて混乱していたのだから。演技をする必要も、ほとんどなかった。いや、一つだけ、嘘をつくことになったけれど。あの獬豸の大男は、襲撃者の一味に違いない、と。それは、ジェイガが、襲撃された際、乗客の一人が、勝子も捕まえようとしたのを庇って、み合いになり、二人して川に落ちたと証言したからだ。本来、危急時に船頭が先に逃げ出すなど許されないから、もっともらしい作り話をしたわけで。勝子としても、ジェイガが疑われないように、その裏付けをしなければならなかったのだ。

 そして、今、そのたった一つの嘘が、命取りになりそうなのである。よりにもよって、例の獬豸が、生き残ってしまったために。幸いにして、記憶を失っているようで、今の所、偽証したことがばれてはいないものの、いつ何時、疑いを持たれ、取調べを受ける羽目になるかわからない。不安に追い討ちをかけるように、友子の遺体が上がり、勝子は、慄然りつぜんとした。次兄や他の者はともかく、友子だけは、無事に連れ去られたと思っていたのに。計画通りに進んでいたのではなかったなんて。

 勝子は、征二郎に連絡を取ろうとした。しかし、いつも使いにくる耕介が、持ってきた返事は、暫く待てという指示だけだった。確かに、今は、征二郎が顔を出せる状況ではない。たとえ商人に変装して来ようと、危険すぎるだろう。高峰屋には、捜査官だけでなく、審問官まで出入りをして、調査中なのだから。この潮屋の別邸とて、誰かに見張られている可能性があるのだ。仕方なく、この三日というもの、勝子は、ジリジリしながら、待っていた。いつ、征二郎が来てもいいように、女中も極力遠ざけ、離れに一人きりで。

 これから、どうしたらいいだろう。全てが発覚する前に、新河岸を離れるべきだとは思う。一方、逃げれば、罪を認めたようなもので、追われることになる。北上城の息子の許に辿りつけたとしても、安全とは言えない。大斎院には、霊能力者だの神通力者だのと超能力の使い手が大勢いるのだ。恐らく、虹王領だろうと、捕まえに来るに違いない。そうしたら、息子の身は、どうなるか。

 虹霓教では、生母の功罪は、子孫に継がれていくことになっている。勿論、勝子が死刑になったとしても、まだ二歳の高之進が同罪とされることはない。とはいえ、後ろ指をさされながら育つことになるだろうし、成人すれば、生母の犯した罪を克明に説明されるはずだ。それだけは、絶対に嫌だった。あの子に、幼い聖女を何人も売り飛ばした極悪非道な生母だったと思われるなんて。到底耐えられそうにない。それくらいなら……。

「死んでしまいたいわ」

 勝子が一人言を呟いた時、天井裏から、わらいを含んだ声が返ってきて、ぎょっとした。

「何なら手伝ってやってもいいぜ」

 くだけた話し方からして、征二郎や武家の男ではない。つまり、勝子の仲間ではない。だが、どこかで聞いたことのある声だった。

「誰なの!」

「騒ぎなさんなよ。オレらは、あんたにとっちゃ、命の恩人なんだぜ」

 部屋の隅に、黒装束の人影が、ひらりと舞い降りてきた。小柄だが、敏捷びんしょうな身のこなしで。そして、少し耳をすませてから、ヒューイと口笛を吹いた。一瞬後、庭先から、同じくヒューイと口笛が返ってきた。外に、見張り役がいるということだ。そのいかにも玄人然くろうとぜんとした動きに、悲鳴を上げたら殺されると悟った勝子は、座ったまま動かずにいた。震えがひどくて、どうせ逃げることも、懐剣を抜くこともできなかっただろうけど。

「ま、楽にしてくれや。今日のとこは、あんたに話があって来ただけだからよ」

 そう言って、こちらを向いた相手と視線があった瞬間、勝子には、誰だかわかった。いや、名前や住まいまでは知らない。だが、高峰屋に出入りしている夜叉族の片割れだ。この二人組は、新河岸最大の犯罪組織、闇組やみぐみの幹部と言われており、一年ほど前に麻薬の密売を嗅ぎつけて以来、毎月みかじめ料を取りたてに来ている。〈龍殺し〉の方は、今でも、女将である姉の担当なので、勝子は直接交渉したことはないが、容赦なくて怖ろしい連中だということは聞いていた。

「今月のお支払いのことでしょうか。御存知の通り、高峰屋は、今、取り込んでおりますので、少々お待ちいただくわけには……」

「そっちの話じゃねぇよ。あんたが、仕切ってる方の大仕事についてさ。ったく、そのすましたツラで、よくも、うちの縄張りをこれだけひっかき回してくれたもんだぜ。四寮四室が動き出すは、審問班が出張ってくるはで、ここんとこずっと商売上がったりなんだぞ。この落とし前、どうつけてくれんだよ、えぇ?」

 聖女狩りに関わっていることが、闇組にばれたと、勝子は青ざめた。落とし前として、一体いくら払わされるのだろう。それとも、見せしめに殺されるのだろうか。その考えを読んだように、相手は鼻を鳴らした。

「ここで、あんたを始末するつもりなら、わざわざジェイガに助け出させたりはしてねぇよ。ま、命のおだいは、後でいただくとしてだ。今、オレらが知りてぇのは、あんたが組んでた若侍の情報さ。これだけコケにされた後なんだ、話す気にもなるだろ。まずは、根城ねじろからだな。奴はどこに潜んでやがるんだ?」

 あの船頭は、闇組の指令で、勝子を助けたというのだろうか。だから、命の恩人なんだ、と。では、征二郎は……。

「っとに、おめでたい女だな。まだ、わかってなかったのかよ。あんたは、消されるとこだったんだ。渡し舟に乗る予定だった連中をオレらがふん捕まえてなかったら。ま、奴らも、捨石にされる抜け作ぞろいだったがな。とにかく、洗いざらい吐いてはくれたぜ」

 愕然として何も言えない勝子に止めを刺すように、容赦ない言葉が突きつけられた。

「必要なのは、聖女ガキ一人。他は皆殺しにしろ――それが、若侍の指示だったってよ」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 


   【 解説 / 猩々族しょうじょうぞくの基礎知識 】



1. 猩々族・・・・尾骨に尻尾を持って生まれた人族の総称。小柄で六本指。

       九民族の下、数百の部族に分かれ、髪や体毛や目の色も多種多様。

       繁殖力が強くて、総人口の半分を占めるが、平均寿命20歳と短命。

       成長速度が速く、5、6歳で思春期を迎え、7歳で成人する。

       視覚に優れ、面食い。共通語がつたない部族もいるが、手先は器用。 


2. 成長選択型・・利き腕を左右どちらかに決めることで、生殖機能が分化する型。

       右手を使っていれば、母親に、左手を使っていれば、父親になる。


3 三教習合さんきょうしゅうごう・・・時の権力者におもねり信仰を変え、教義を都合よく解釈する。

       一般に、虹霓教徒は狡猾、理教徒は勤勉、九克教徒は粗暴。


       ① 虹霓教徒 農民の60%。商人や芸人が多い。


       ② 理教徒  農民の30%。手習師匠、代書屋、筆師など。

              

       ③ 九克教徒 農民の10%。職人、狩人、絵師、など。

              

4. 社会規範・・・『らば大樹たいじゅかげ』が共通認識であり、付和雷同ふわらいどうする。

       子沢山の大家族なので、弱滅強食じゃくめつきょうしょくと言える奪い合いが日常。

       要領の良い者、頭が働く者、力の強い者だけが生き延びられる。

       家長の条件は、最も稼ぎが良くて、家計を支えられることである。


5. 恋愛事情・・・猩々族は、好色で打算的なので、金持ちがハーレムを作る。

       可愛い子は、玉の輿を目指して、右手を利き腕にしようとする。

       扶養家族でいる間は恋愛ができず、一生結婚しない者も多い。



6. 猩々系混血・・異種交配いしゅこうはいの要であるが、猩々族の特徴がない混血もいる。

       準単性体の選択型と固定型は区別がつかないので、呼び方は共通。

        ① 雌狒々めひひ 成長固定型(選択型)・準女性体。

        ② 雄狒々おひひ 成長固定型(選択型)・準男性体。




  

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