第16話 追いつめられた母、勝子の罪業
理想の妻は、
乳母に雇うは、
愛人持つなら、
――酒場恋唄――
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勝子は、焦り、不安に
今までは、とても上手く行っていたのに。全て計画通りとまでは言えなくとも。幼い聖女を四人も誘拐できたのだから、取り敢えず、当初の目的は果たせたのだとは言える。
いや、あそこで。必要な三人を確保した時点で、止めるべきだったのかもしれない。今になって、そう思う。だけど、それまで、たいした問題が起きなかったので、あと一人くらい楽勝と、強気になってしまったのだ。
ところが、その四人目。美笛屋の笛子で、足がつきそうになった。年より幼く、おとなしいという噂を聞いて、お
とは言え、高峰屋の名が表に出て、四寮四室の事情聴取を受ける羽目になったのは痛い。勿論、あくまで目撃者としてだったのだが、赤毛の室長は、〈聴き耳〉の才があるという切れ者で、勝子の証言に疑いを抱いた様子だった。この上、下手に探られると、いろいろとボロが出る恐れがある。いや、裏稼業までばれて、
危機感を募らせた勝子が相談した相手は、生家の父でも、現在の夫でもなく、亡き前夫の家臣、共犯者の
「高峰屋から疑いを逸らすためには、新たに別の策を講じるしかありますまい」
動揺している勝子を尻目に、
「策と申しますと、どのような?」
「最も効果的なのは、高峰屋も被害を受けたかのように装うことでありましょうが。さて、勝子様に、〈聴き耳〉を
そのいかにも、人を
征二郎は、これまで一連の
そもそも、勝子は、六人兄弟の末子だが、唯一の聖女として、生家の皮問屋、高峰屋を継ぐべく別格で育てられた
北上城での生活は、悪夢そのものだった。慣れない武家のしきたり。商家の平民出に対する蔑み。奥向きでの陰湿ないじめ。虹霓教徒であったにもかかわらず、夫には側女が三人もいた。その中に、持参金付で放り込まれた勝子は、名ばかりの継室で。周りからは、政略結婚に使える聖女を産むことを期待されているだけ。ただの道具に過ぎなかった。
もし、あのまま暮していかなければならなかったとしたら、遅かれ早かれ狂ってしまったと思う。幸いにして、と言うべきか。嫁いで三ヶ月もたたないうちに、初陣に出た継之進が殺されて嫡男の座が空いた。その座を巡って、
その時、懐妊していた勝子も、当然のことながら命を狙われた。寝るのも怖く、目覚めるのも恐ろしい。出されるお膳は、全て毒に見え、箸も取れない。
征二郎は、新河岸に隠れ家を用意し、他の派閥の監視をかいくぐって身重の勝子を救い出した。そして、息子を無事出産するまでの半年、警護についてくれた。駆落ち者の夫婦を装って。実際、恋仲になってもおかしくない状況であったわけだ。もし、征二郎が、男色家でなかったならば。勿論、それ故に、夫は、元服したばかりの青年に預ける気になったのだろう。女嫌いならば、間違いが起こりようがないのだから。ともかく、二人は甘やかな関係などにはならなかった。だが、同時に、仲の悪い兄妹のように、嫌いでも憎んでも切れない強固な縁で結ばれたのだ。だからこそ、辰之進の死後もこうして手を組み、悪行と知りつつも、その共犯者となったのだと思う。
「
酷薄な笑みを浮かべて問われると、勝子には、『いいえ』としか言えなくなる。今回もそうだった。姪の友子を聖女狩りに襲われた被害者にしたてて、北上城に嫡男として引き取られた息子の許に、名を変えて連れていく計画で。ほとぼりが冷めたら、勝子も二人と一緒に暮せるようにすると言われては、尚更のこと。征二郎の企てが失敗したことなど一度もなかったし、すっかり乗り気になったのだった。ところが、予定外のことが起きて、とんでもない結果になってしまったのである。
当初は、友子も今までの場合と同様、新河岸内で誘拐するつもりだった。だが、四寮四室が、聖女狩りの捜査に乗り出してきたため、危険すぎると断念した。お上品な典院の衛兵を出し抜くことはできたが、新院の捜査官は粗野でも実力派揃いで
勝子が征二郎に聖女の情報を流して、一連の誘拐事件を起こしたことなど、家族は誰も知らない。父も姉の秀美も他の兄弟も。だが、別の悪事には、生家の全員が手を染めていた。裏家業の
高峰屋は、動物の皮や革製品を商う問屋なので、もともと猟師や罠師と取引がある。彼らは、山で掘り出し物を見つけると、正規の商売物に
勝子が榊辰之進に嫁がされた頃、虹王領では玉座を巡る権力闘争が起きていた。貴族がそれぞれ配下の豪族を動かして勢力範囲を広げようと画策し、その手足として動く武家は派閥に分かれて
高峰屋は、大量に買い込んだ皮の売り先を失って、多額の借金を背負う羽目になった。追いつめられた姉は、たまたま入手した〈竜殺し〉という魔木が、大金を生むことを知るや、密売を始めたそうである。父や兄も、強くは反対できなかったらしい。一家心中の瀬戸際に立たされていては。
だが、それを知った時、勝子は怒り狂った。自分が
「それは、この際、利用すべき好材料と申せます。高峰屋に圧力をかけて、勝子様が実権を
そう、確かに、勝子にとって、数々の苦しみの上に授かった息子の高之進は、何ものにも代え難い宝となっていた。征二郎の
その矢先、息子の高之進が、敵方の刺客に襲われたのだ。幸い、その場は、征二郎が防いでくれたけれど。夫を暗殺した一派にとって、辰之進の直系男子である高之進は、邪魔な存在なのだと思い知らされた。生かしておいては危険すぎるわけで、抹殺するまで諦めないだろう。そして、商家の用心棒ごときでは、武家の襲撃をかわし続けることなどできはしない。遅かれ早かれ殺されてしまう。
そこで、勝子は、息子を連れて、潮屋の嫁となったのだ。取り敢えず、生家を離れ、身を隠すために。夫のエダンガは、施亀族の幼馴染だった。今は男性体だが、自分も出産経験があるため、息子の命が狙われていると話すと、とても同情的で。勝子と高之進を匿うために、できる限りの手を打ってくれた。だが、それも、時間稼ぎにしかならないことはわかっていた。
それまでの勝子だったら、ただ怯え身を
覚悟は決めたものの、具体的にどうすればいいのか、明確な考えがあったわけでない。この時もまた、征二郎に相談したのである。
「策がないこともございませんが、それには多額の軍資金が
征二郎の策とは、北上城の新城主、榊菊之助に直接取引を持ちかけることであった。菊之助は、篤之進の甥にあたり、まだ息子に恵まれていない。榊本家と養子縁組して、高之進を嫡男として認めさせれば、身辺警護もしやすくなるし、辰之進を暗殺した一派を潰してみせるというのだ。但し、それには、莫大な金がかかる。榊本家に、高峰屋には、手を組むだけの利用価値があると納得させなければならない。来たるべき戦に然るべき貢献できると証明しなければ。その上、菊之助が榊本家から伴ってきた側近――北上城の新たな重臣三名に、根回しの賄賂をばらまく必要もあった。
結論から言うと、交渉は成功した。いろいろ
これで、一安心だと思った矢先。菊之助に縁談が持ち上がったのだ。勿論、政略結婚だが、相手の聖女は、豪族の御血筋で。もし、そちらに、男獅子が誕生すれば、高之進は間違いなく廃嫡となる。下手をすれば、また命を狙われかねない。その縁談を潰すのが急務となり、征二郎が、重臣連中を
こうして、勝子は征二郎と結託して、新河岸で聖女狩りを始めることになった。そして、今はそれを終わらせる
だが、高峰屋の中で発生した問題は、とうてい収まりがつきそうになかった。友子の遺体があがり、当然のことながら、姉が狂ったように逆上しているのだ。
「どうして、船頭は、友子を助けてくれなかったわけ? 幼い子を放って、あんたの方を助けるなんて、ありえないでしょうが。あんたもあんたよ、勝子! 自分で友子を勝手に連れ出したんじゃないの。ちゃんと守るって言ったくせに。それなのに! 友子を見殺しにしておいて、よくも、一人でのめのめ帰って来られたもんだわね!」
姉に罵られ責められるのは、最初からわかりきっていたし、甘んじて受ける覚悟はしていた。だが、それは単に、友子が死んだと思わせる計画の一部だった。姉の嘆きが本物なら、〈聴き耳〉の捜査官の疑いも晴らせると踏んだからである。それが、本当に死んでしまうとは。友子だけでなく、まさか次兄まで。おかげで、生き残った勝子に、家族の非難が集中してしまった。さすがに生家には
何の
だが、上手く行ったのは、そこまでで。征二郎の伯父が亡くなってから、葬儀まで三日しかなく、いつものように、綿密な打ち合わせをする余裕もなかったし、実行犯の選定も征二郎任せで、勝子は指示通りに動くしかなかったのだ。未然に知らされていたのは、帰路の渡し舟で、襲撃されることだけ。往路で決行しないのは、監視体制が強化されている新河岸側の船着場では、妨げになりそうな相客がいても、未然に排除しにくいから。実際、新河岸から出る渡し舟では、捜査官の臨検を受けた。喪服を着た高峰屋の一行が止め立てされることはなかったが、襲撃者が乗り合わせるのは、不可能だったろう。
ところがだ。結局、帰路にも、襲撃者らしき姿はなかったのである。唯一
と、その時。大きな
ただ、力強い腕で水面に引っ張りあげられて、ジェイカに囁かれたのは覚えている。
「そう暴れんと力を抜いてくれんかな、勝子様。いくらお足をもらっても、わしゃ、あんたさんと心中は
そうか。この船頭は、征二郎の指示で助けてくれるのだ。これで計画通りなんだと思った途端、ホッとして、勝子は気絶した。
そして、次に意識を取り戻したのは、川辺に引き上げられた後で。大量の水を吐き出し、息も絶え絶えの勝子は、完全な被害者に見えただろう。真実怯えて混乱していたのだから。演技をする必要も、ほとんどなかった。いや、一つだけ、嘘をつくことになったけれど。あの獬豸の大男は、襲撃者の一味に違いない、と。それは、ジェイガが、襲撃された際、乗客の一人が、勝子も捕まえようとしたのを庇って、
そして、今、そのたった一つの嘘が、命取りになりそうなのである。よりにもよって、例の獬豸が、生き残ってしまったために。幸いにして、記憶を失っているようで、今の所、偽証したことがばれてはいないものの、いつ何時、疑いを持たれ、取調べを受ける羽目になるかわからない。不安に追い討ちをかけるように、友子の遺体が上がり、勝子は、
勝子は、征二郎に連絡を取ろうとした。しかし、いつも使いにくる耕介が、持ってきた返事は、暫く待てという指示だけだった。確かに、今は、征二郎が顔を出せる状況ではない。たとえ商人に変装して来ようと、危険すぎるだろう。高峰屋には、捜査官だけでなく、審問官まで出入りをして、調査中なのだから。この潮屋の別邸とて、誰かに見張られている可能性があるのだ。仕方なく、この三日というもの、勝子は、ジリジリしながら、待っていた。いつ、征二郎が来てもいいように、女中も極力遠ざけ、離れに一人きりで。
これから、どうしたらいいだろう。全てが発覚する前に、新河岸を離れるべきだとは思う。一方、逃げれば、罪を認めたようなもので、追われることになる。北上城の息子の許に辿りつけたとしても、安全とは言えない。大斎院には、霊能力者だの神通力者だのと超能力の使い手が大勢いるのだ。恐らく、虹王領だろうと、捕まえに来るに違いない。そうしたら、息子の身は、どうなるか。
虹霓教では、生母の功罪は、子孫に継がれていくことになっている。勿論、勝子が死刑になったとしても、まだ二歳の高之進が同罪とされることはない。とはいえ、後ろ指をさされながら育つことになるだろうし、成人すれば、生母の犯した罪を克明に説明されるはずだ。それだけは、絶対に嫌だった。あの子に、幼い聖女を何人も売り飛ばした極悪非道な生母だったと思われるなんて。到底耐えられそうにない。それくらいなら……。
「死んでしまいたいわ」
勝子が一人言を呟いた時、天井裏から、
「何なら手伝ってやってもいいぜ」
くだけた話し方からして、征二郎や武家の男ではない。つまり、勝子の仲間ではない。だが、どこかで聞いたことのある声だった。
「誰なの!」
「騒ぎなさんなよ。オレらは、あんたにとっちゃ、命の恩人なんだぜ」
部屋の隅に、黒装束の人影が、ひらりと舞い降りてきた。小柄だが、
「ま、楽にしてくれや。今日のとこは、あんたに話があって来ただけだからよ」
そう言って、こちらを向いた相手と視線があった瞬間、勝子には、誰だかわかった。いや、名前や住まいまでは知らない。だが、高峰屋に出入りしている夜叉族の片割れだ。この二人組は、新河岸最大の犯罪組織、
「今月のお支払いのことでしょうか。御存知の通り、高峰屋は、今、取り込んでおりますので、少々お待ちいただくわけには……」
「そっちの話じゃねぇよ。あんたが、仕切ってる方の大仕事についてさ。ったく、そのすましたツラで、よくも、うちの縄張りをこれだけひっかき回してくれたもんだぜ。四寮四室が動き出すは、審問班が出張ってくるはで、ここんとこずっと商売上がったりなんだぞ。この落とし前、どうつけてくれんだよ、えぇ?」
聖女狩りに関わっていることが、闇組にばれたと、勝子は青ざめた。落とし前として、一体いくら払わされるのだろう。それとも、見せしめに殺されるのだろうか。その考えを読んだように、相手は鼻を鳴らした。
「ここで、あんたを始末するつもりなら、わざわざジェイガに助け出させたりはしてねぇよ。ま、命のお
あの船頭は、闇組の指令で、勝子を助けたというのだろうか。だから、命の恩人なんだ、と。では、征二郎は……。
「っとに、おめでたい女だな。まだ、わかってなかったのかよ。あんたは、消されるとこだったんだ。渡し舟に乗る予定だった連中をオレらがふん捕まえてなかったら。ま、奴らも、捨石にされる抜け作ぞろいだったがな。とにかく、洗いざらい吐いてはくれたぜ」
愕然として何も言えない勝子に止めを刺すように、容赦ない言葉が突きつけられた。
「必要なのは、
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【 解説 /
1. 猩々族・・・・尾骨に尻尾を持って生まれた人族の総称。小柄で六本指。
九民族の下、数百の部族に分かれ、髪や体毛や目の色も多種多様。
繁殖力が強くて、総人口の半分を占めるが、平均寿命20歳と短命。
成長速度が速く、5、6歳で思春期を迎え、7歳で成人する。
視覚に優れ、面食い。共通語が
2. 成長選択型・・利き腕を左右どちらかに決めることで、生殖機能が分化する型。
右手を使っていれば、母親に、左手を使っていれば、父親になる。
3
一般に、虹霓教徒は狡猾、理教徒は勤勉、九克教徒は粗暴。
① 虹霓教徒 農民の60%。商人や芸人が多い。
② 理教徒 農民の30%。手習師匠、代書屋、筆師など。
③ 九克教徒 農民の10%。職人、狩人、絵師、など。
4. 社会規範・・・『
子沢山の大家族なので、
要領の良い者、頭が働く者、力の強い者だけが生き延びられる。
家長の条件は、最も稼ぎが良くて、家計を支えられることである。
5. 恋愛事情・・・猩々族は、好色で打算的なので、金持ちがハーレムを作る。
可愛い子は、玉の輿を目指して、右手を利き腕にしようとする。
扶養家族でいる間は恋愛ができず、一生結婚しない者も多い。
6. 猩々系混血・・
準単性体の選択型と固定型は区別がつかないので、呼び方は共通。
①
②
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