第12話 神学生タムシラキの不運
これより先、斎王領。
虹霓教樹宗の霊域なり。
命
――
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タムシラキは船着場の高札に足を止めた。不吉な内容だったが、危険は先刻承知の上。今更、来た道を戻るつもりはなかった。
「この舟は、どこに向いますか」
船頭と
「獬豸の男が、新河岸に何の用かいな」
そう言う当人は、緑がかった甲羅のような硬い肌に、毛髪が一本もない頭。
「主人の命で
「市場、ゆうても、ピンキリだっけな。本院の
船頭は、タムシラキの旅装を見て、当たりをつけたらしい。商家に仕える知人から貰い受けた古着だから、特に不自然ではないはずだ。
「門前町は典院でしたよね?」
「そうな。こん船は、川通りの渡し場にゆくがな。三丁目の端っこだけん、
「それでも結構です。乗せて下さい」
「
「入領札? 渡し賃を払うだけだと聞いていたんですが」
「渡し賃も入っとる。あの茶屋で買って来ぃな。首に
船頭の指さした茶屋には煙突があり、だんごを焼く香ばしい醤油の匂いが漂ってくる。入領札発行業務を委託されているにしては、随分庶民的な感じの掘っ立て小屋である。
「わかりました。買ってきます」
「こん次は夕刻の鐘がなったら出すっけ、暇はあるがな。ここらの水はお勧めだども、飯は食わんとやめときな。
「御忠告ありがとう」
茶屋は渡し舟の待合所も兼ねているようだった。店主が猩々系なので、小屋全体の造りが非常に小さい。長身ぞろいの獬豸は、異種族向けの低い天井に慣らされてはいるが、ここは椅子まで軽くて小さく、タムシラキの体重を支えきれそうになかった。仕方ないので、壁際に敷いてある
「いらっしゃい。獬豸の方とはお珍しい。新河岸に行くのかね」
「はい。それで、入領札をいただきたいのです。おいくらですか」
「何日泊まりの予定で? この時間からだと、日帰りはできないからね。これが料金表だよ。獬豸なら字は読めるだろう」
店主が渡してよこした料金表は、入領税、渡し賃が込で、いくつかのセット価格になっていた。飲み水代は請求されず、だんご代や弁当代は、オプション単価である。タムシラキは三日滞在のセットを選び、渡された入領帳に、出身地、名前、年齢、滞在先等の必要事項を記入した。全て嘘のでっち上げを。
「新河岸は初めてなんだね?」
「そうです」
「だったら、
「お願いします」
店主は、斎王領の規則である斎法をすらすらと暗誦してみせた。内容を理解させる気はないようで、型通りに義務を果たしているだけのようだった。
「薬種の買い付けなら、典院の
「えぇ、花の種と香木を少し」
「そりゃあ良い。獬豸の花好きは有名だからな。ところで、だんごでもどうかね」
「いい匂いがしますね。でも、何も食べない方がよさそうです。船頭さんからも、釘をさされましたし」
「あぁ、まぁ、船酔いは覚悟しておいた方がいいね。ジェイガはすっ飛ばすから、やたら揺れるしな。施亀ってのは、船頭の腕はいいけど、お客のことを考えないもんだよ。ほい、じゃ、これ、おつりね。あ、それから、川向こうに行ってからも、御札は首にかけておくんだよ」
次に目に
だが、斎王領は虹霓教の霊域。理教徒はお情けで入領を許される立場だし、新河岸にいる間は、斎法に従わなければならない。その斎法第一条が、先程聞かされたばかりの『種族、性別、信仰によって、差別してはならない』である。
「なに、
「でかい
珍しいからといって、ジロジロ見ていたのがいけなかったらしい。夜叉族の一人が両手を目の前に突き出してきて、
「いえ、失礼しました」
二対一でも喧嘩なら負けない自信はあるが、今、事を荒立てるのはまずい。タムシラキは神妙に頭を下げ、そそくさと退却した。茶屋の外へと。幸いガラの悪い夜叉の二人組も、外までは追って来なかった。それに、
「夜叉には関わらん方がいいぞ、兄さん。奴らの爪は
そう声をかけてきた男の方が、ずっと
その時、街道から地響きが伝わってきた。振り返ると、凄いスピードで馬車が二台近づいてくる。今日最後の船に乗り遅れまいとしているのか、邪魔をするものは何であれ
一台目の馬車が、ゆっくりと減速しながらタムシラキの脇を通過し、船着場の手前で
「技あり! お見事!」
背後で、先程の赤毛が陽気に大声を張り上げた。
『
二台目の馬車が、かなり間をおいて続いてきた。が、こちらは、手綱さばきが上手いとは言いかねる。あわや一台目に突っ込むか、という所で急停車したので、馬は
「ド素人の、ウドの大木め!」
赤毛は忌々しそうに吐き捨てると、馬車に向って駆け出していく。御者の雇い主か、馬車の管理人か、とにかく関係者だったようだ。タムシラキが、ゆっくり歩を進める間にも、二台目の横扉に張りつき、大仰に同情を表し、謝罪の台詞を並べたてている。立石に水で
と、その
「ねぇ、あれ、だれ? 角があるわ!」
幼い子の叫び声がして、タムシラキは我に返った。驚いたようにこちらを指差しているが、タムシラキの方がもっと驚かされた。喪服姿のその子供は、明らかに女の子だった。それも多分、七歳以下。混血の準単性体の場合、両性体で生まれ、単性化するのが早くて四歳といわれているが、その後、二、三年は、外見上性別が見分けにくい。この幼さで、はっきり女性とわかるということは、間違いなく、生涯固定型・女性体。
「失礼ですよ、友子様。斎法第一条をお忘れですか。指差しなどしてはいけません」
乳母(もしくは、女中)が、
「でも、どうして、角があるの? それに、あんなにおっきい」
「獬豸族だからですよ。さぁ、参りましょう。そろそろ、お船がでる時間です」
「おそってこない? お話にでてくる、まものみたいに」
友子様が興奮して、乳母には手がつけられなくなったようで、護衛役(用心棒?)の男が、出番とばかりに助太刀を始めた。
「ご安心下さい。この私がお側にお付きしている限り、獬豸だろうと、魔物だろうと、友子様には指一本触れさせませんから」
「ほんと? でも、ガナンバより、ずっとずっと大きいのよ。ぜったいに、大丈夫?」
一台目の友子様御一行が、獬豸を倒すことが可能かという議論に突入し始めた頃、二台目から降りた中年女性(大店の女将?)が、友子様を落ち着かせるべく参加してきた。
「心配しなくても大丈夫よ、友子。獬豸は力が強いけど、理教徒だから真面目で、悪いことなんてしないの。お話の中の魔物とは違ってね。むしろ、用心棒向きなんですって。主人思いで絶対に裏切らないから」
言葉とは裏腹に、女将はタムシラキを値踏みするような、きつく油断ならない目つきで見ていた。そして、こちらの身元を探る意図が見え見えの社交辞令で、話しかけてきた。
「あなた、新河岸に仕事を探しに行くの? だったら、うちで雇ってもいいわよ。保証人は必要だけど。用心棒は多いほど安心だわ」
タムシラキは素早く考えをめぐらせて、何とか
「大変有難いお申し出ではありますが、私には、既に仕える主人がおります。それに、ただの手代にすぎません。これまで護衛の訓練を受けたことなどございませんので」
「そう。残念ね」
「誠に申し訳ございません。どうかお気を悪くなさらないで頂きたのですが……」
「わかったわ。もう結構よ」
女性がそっけなく手を振って交渉を打ち切ったので、タムシラキはホッとした。
「勝子、行こう。もうすぐ舟が出る」
女性の身内と思われる男性が促す先を見ると、乗客が乗り込み始めていた。おかげで、勝子様もそちらに意識を転じてくれた。
「あら、大変。荷物をみんな積みこんだか、確認してくれたの、兄さん」
「大丈夫だ。支払いも済ませた」
兄妹が足早に歩く後ろから、追い越さないよう間をおいて、タムシラキもついて行った。友子様は先に舟に乗って大はしゃぎだ。
「おばちゃま、早く、早く! お舟がでちゃうわよ!」
「危ないわ、友子。お舟で飛び
どうやら二人の聖女は、母娘ではなく、叔母―姪の間柄らしい。それでも血縁には間違いなさそうで、とても親し気である。
「リエナ、友子を屋根の下に連れて行って、手すりに摑まらせて
乳母らしきリエナが、慌てて指示に従おうとしたが、友子様は逆に船べりから乗り出して、
「結界って、どこにあるの?」
「目には見えないものよ。でも、新河岸と虹王領の領境はこの
「はーい」
いつまで言いつけを守っていられるやら。一応、手すりには摑まったものの、友子様は、好奇心旺盛で元気があり余っている感じだ。おとなしくしていられるタイプではないだろう。何れにせよ、勝子様&友子様御一行総勢六名が、舟の中央部に陣取り、ささやかな屋根の下を独占した。先に座っていた人達は、用心棒の無言の圧力を受けて、船べりに追いやられた。その数、五人。茶屋で見かけた風伯系の両性以外は、身なりや髪型から
「獬豸の兄さん、悪いども、そこさ横になってくれな」
船頭が、長い
「横になる……?」
「兄さんはでかくて重いわな。座っとられると、揺れるし速度が出んのよ。第一、獬豸は舟に弱かろ。舟底に横たわっておった方が、酔いは軽うすむ。異教徒でも頭を低くしとけば
船頭命令では聞かざるを得ない。虹霓教徒の中でも、海宗徒の施亀族は特に迷信家が多いと聞く。タムシラキは、仕方なく、荷袋をお腹に抱きかかえる形で身体を曲げて横たわった。更に、頭から問答無用で、湿っぽい筵までかけられてしまい、鼻が曲がりそうな
「水しぶきよけだわな」
船頭は一言つけ加えた後、ピーッと長く笛を鳴らした。どうやらこれが出航の合図のようだ。同時に、遠くから、ドーン、ゴーン、バーンと、時報の鐘の音も響き始める。それからグイと大きく舟が
そして、その後、タムシラキが感じたのは、吐き気だけ。ひたすら、吐き気のみであった。目を閉じ、鼻をふさいで、必死で胃のムカムカを無視しようとする。この吐き気に耐えるのも修行のうちだ、と自らを
突然、耳をつんざくような子供の悲鳴があがった。たとえ、吐き気に悶え苦しんでいようと、警告音に反応する本能は健全であった。タムシラキは筵を
もう駄目か、と観念した。
と、その時。
「行かないで、ママ」
何処かで、子供が訴える声がした。タムシラキは周りを見回した。すると、真っ暗な中、クリスマスツリーが輝いている。
「行かないで、ママ」
明るい樹の根元に、息子が
「行かないで、ママ」
息子が涙目でこちらを向いた。そして、その忘れもしない姿から、するりと可愛らしい少女に変身する。少女を慰めようと、倫子はその
「悠ちゃん、ママが、今、行くわ!」
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【 解説 / 獬豸族の基礎知識 】
1.
純血種は、銀髪、銀目。白い餅肌。五本指に関節は一つ。
臭覚に優れている。下戸で、肉類は消化できず、主食は芋類。
2. 出産固定型・・両性体で生まれ、七歳前後で、男か女へ単性化する。
第一子を妊娠すると、角が抜け落ち、二度と変性しない。
3. 変性体・・・・
男性体の場合、一度、両性体に戻ってから、女性体になる。
4. 理教徒・・・・獬豸の子供は、7歳で入信する慣習になっている。
理教徒は子供に教義を手習いさせる義務がある。
5. 社会規範・・・家父長制で、長男相続制。男性には女子供を守る義務がある。
結婚した男性が女性化するのは、責任放棄だと非難される。
男性として通す覚悟がなければ、早い者がちに子供を産む。
双方が未婚で相思相愛の場合、身分の低い方が女性化する。
6. 恋愛事情・・・成人は14歳だが、早い女性は、12歳で第一子を出産する。
第二子以降は、異種族の子供も産めるが、初恋は同族限定。
男性は受身で、女性の方からアプローチするのが基本。
求愛を受けた男は、原則として受け入れなければならない。
7. 結婚生活・・・一夫多妻制で、妻妾同居。親世帯とは別居が基本。
長男の正妻は親が決めるが、妾は押しかけ女房ばかりである。
当主の正妻が家計を管理し、妾の子も分け隔てなく養育する。
妾は労働力だが、子を残していけば、他の者と結婚ができる。
8. 成人性別比・・・女性85% 男性15%
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