第11話 転生していた息子との邂逅


   他生たしょうえにしで、分かちがたくなった魂もある。

   今生こんじょうの縁で、新たに結ばれる魂もある。

   何れの縁も、別れは魂に痛みをもたらす。   

   だが、嘆くなかれ。また、出会いはめぐる。


                         ――理教 経典より――


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 倫子は、『説克争せっこくそう』と呟いてみた。

 第五の才とやらがあると言うことは、説得できる可能性が高いぞ、いう励ましなのだろう。尋問される当の本人から励まされるというのも、妙な話ではあるが、おかげで気分が少し楽になった。『あの世』に来てから、一週間しかたっていないのに、心が和む出会いに恵まれて、何だか救われる気がする。

 それにしても、長時間しゃべりすぎた。リンは元々ハスキーな声なのだが、喉が渇いて余計ガラガラかすれている。水を飲みたいと思ったが、水差しは空っぽになっていた。いつもなら、アンヤンがちょくちょく顔を出すのに、暫く待ってみても一向に来てくれない。仕方ないので、倫子は、自分から探しに行ってみようと思い立った。ジャレンリーに、見聞を広げる頃合だと言われた訳だし、水を貰いに部屋を出るくらいは、許されるだろう。

 倫子は、試しに木製の扉をそっと押してみた。結構頑丈な造りで厚みが五センチ位あるが、鍵はかかっておらず軽く開いた。おっかなびっくり首だけ外に突き出して覗いてみる。そこは廊下で、正面に格子付の高窓がずらっと並んでいた。その窓から、煙が吹き込んでくるのだが、その臭いたるや凄まじい。停電で冷蔵庫の中身が全部腐って三日目の夏、とでもいうべき地獄級の悪臭なのだ。よっぽど自室に戻って立てこもろうかとも思ったが、やはり喉の渇きの方が切実だったので、意を決して部屋を出た。片手で鼻を塞ぎ、片手に水差しをもって、よろよろと、それでも、できうる限り足早に廊下を進んで行く。

 やっとのことで、突き当たりまで辿り着いたと思いきや、なんともはや、そこが悪臭の発生源であった。多分、薬草から薬を作っているのだろう。何かをいぶしたり、煮詰めたり、せんじたりと何十人もが立ち働いていた。あちこちに、干からびた物がつる下げられ、だだっ広い作業所に、濛々もうもうたる煙が充満している。目がみてかすみ、喉がいがらっぽくひりつく。

 倫子が戸口に手をつき身を折り曲げて咳込んでいると、どこからともなく、アンヤンが飛んできた。

「兄ちゃん、こんなとこで、何してんだよ!」

 返事ができる状態ではなかったので、倫子は空っぽの水差しを振って見せた。

「あ、そっか、水か。井戸は、外に出たとこにあるけど、歩けんの? おいら、兄ちゃんをかついで行ってやることなんかできないよ」

 そう言いながらも、アンヤンは、水差しを取り上げ、手をつないで誘導してくれた。おかげで、壁ぞいによろめき、何かにつまずきながらも進んでいき、ようやく新鮮な外気にありつくことができた。井戸の前までくると、倫子はその場にへたりこんで、逆流してくる胃液を押さえ込もうとした。鼻の奥まで悪臭がこびりつき、ムカムカして吐きそうだったが、吐くものも残っていないのが幸いした。

「ほら、水だよ。飲める?」

 アンヤンが柄杓ひしゃくに入れてくれた水を飲みほすと、何とか声が出るようになった。

「ありがとう、アンヤン。助かったよ」

「あそこの臭いは、ちょいキツイもんな」

じゃないだろう。あれは、キツイだ。君はよくあんな所にいられるな」

「仕事だもん。慣れるしかないじゃん」

 アンヤンは淡々と答えながら、今度はハンカチ代りのぼろ布を差し出した。

「落ちつくまで、ここにいれば? 部屋に帰るときは、こっちの水路ぞいに行くといいよ。あそこに見える洗い場の先に、共同便所があってさ、その前にもうひとつ出入口があるから。おいらは、煮出しにもどらなくちゃ。かきまぜ続けてないと、焦げてバイバイになっちゃうんだ。ひとりでいるの、平気だよね」

「あぁ、大丈夫だ。いろいろとありがとう。それと、本当に悪かったね。最初に会った時、不躾ぶしつけに年なんか聞いてしまって」

「別にいいよ。その分も、ツケの帳面につけといてやるからさ」

「うーん、それは、ちょっと恐いけど。のツケは、今、どのくらいまで貯まってるのかな」

「チッチッ。小判三十枚くらい、かな」

 アンヤンは、陽気に手を振りながら、駆け戻って行った。その後ろ姿を見送りながら、本当に小さいなと再認識する。実際いくつなんだろう、と。そこで、何歳であろうと、優秀な医療生なのだと思い返す。ジャレンリーに、頭の回転が速いと評されていたくらいだ。きっと、将来性豊かで前途洋々に違いない。そこで、自分の将来について考えが及び、ずぼずぼと土壺ドツボ気分におちいりそうになった。

駄目駄目ダメダメ、そっちは底なし沼でしょうが。いざ、方向転換! 『明るく、挫けず、逞しく!』。そうよ、せっかく外に出たのよ。ついでに少し散策でもして、『あの世』に関する見聞を広げようじゃないの)

 倫子は立ち上がり、遅ればせながら、あたりをを見回した。

 目の前の井戸は、時代劇に出てくる小さな四角いものとは違って、屋根付きの露天風呂みたいな感じで広い。全体が御影石みかげいしに似た艶やかな石造りで、直径3メートル位の円形だ。一段高い中央部分が噴水になっていて、釜型の縁から六方向へと水が流れ落ちている。そこをぐるりと取り囲んでいる水溜め場プールは、6Pチーズ型。縁石で色分けがしてあるので、よくよく見れば、深さが6カ所とも違っていた。その近くに置いてある桶の大きさも、柄杓の取っ手の太さも異なる。

(そっか。大人用と子供用――っていうより、種族別? 力持ちの獬豸なら、特大の桶で一気に汲み上げた方が効率がいいけど、アンヤンみたいに小柄だと重すぎるし、落ちた時に危険だもんね。この世界ならではの井戸か。よく出来てるわ)

 水溜め場プールから低い滝のように落ちた水は、2か所ずつ合流した後、3方向へ傾斜しながら川のように流れていく。アンヤンが指さしていた水路沿いに歩いてみると、また別口の水溜め場プールがあった。今度のは小さく屋根もない。生活用水として洗濯とか手洗いに使う洗い場らしく、近くには、成程、共同便所らしきものもある。

(うーん、トイレかぁ。中を見てみたい気もするけど、どうしよう。人前で用を足すには、まだちょっと男としての経験値が足りないよなぁ。いや、それ以前の問題かも……)

 何しろ、我が懐かしき故国であったら、保健所が乗り出してくるレベルの悪臭が漂ってくる。煙がない分、先程の薬草所よりマシではあるが、これ以上、近づきたいとは思えない。一歩たりとも。

 海外に出てみないと、日本の有難ありがたみがわからないものだとは聞いていたが、一生の間、海外旅行と無縁だった希少種の倫子は、死んだ今になって、その真理を体得たいとくした。確かに、日本は感動的なまでに清潔で、脱臭剤も芳香剤も見取みどりという恵まれた国だった。何よりマスクが素晴らしい。物づくり大国、日本のマスクは実に偉大である。

 倫子が現実逃避気味に、除菌効果のあるマスクを使い捨てしていた栄耀栄華えいようえいがに想いをせていると、背後から、驚き呆れたような声がした。

 「でっけーだなぁ」

 ぎょっとして振り返ってみたが誰もいない。顎が首につくほど下を向いたところでやっと、七人の小人とおぼしき連中が視界に入った。全員が灰色の簡素なチュニックを着ている。今では親しみさえ感じるチンクシャ顔ばかりで、アンヤンよりは二回り位は大きいが、それでもリンの半分の身長しかない。確かに、相手から見れば、この身体は巨人に映るだろう。怖くないよ的なアピールで、倫子が営業スマイルを見せると、人懐ひとなつっこい様子でわらわらと寄ってきた。

「さすが獬豸の純血種だなやぁ」

「ほんに。獬豸系のサザキも背が高いと思ってたども、こりゃ、全然かなわんのぉ」

「やっぱ、指が五本しかないがやぁ。短かすぎて、いかい不便じゃろうになぁ」

「見てみぃや。こん腕のぶっといこと」

「足もじゃ。けんど、毛がずいぶん細いのぉ。ポヤポヤしとるわい」

 口々に勝手なことをまくし立てながら、ペタペタと触ってくる。悪気はなさそうだが、物見高くて、お喋りが三度の飯より好きなグループのようだった。やれ、誰それは腕にデキモノがある。やれ、誰それの爪が剥がれた。やれ、どこそこの何屋の何がうまい。やれ、どうたらこうたらが、どうしたこうした――自分達の病状から、家族自慢、果ては、知りもしない人の噂話まで、ワイワイぺらぺらとかしましいことこの上ない。情報を仕入れるには格好の状況ではあったのだが、如何いかんせん冗長じょうちょう過ぎてキリがない。聖徳太子にあらざる倫子には、豊聡耳とよとみみの才能はなく、言葉の洪水にただただ圧倒されるばかりである。

 逃げ出す機会をうかがいながらも全く口をさしはさめず、倫子が営業職としての自信を失いかけた時、突然、ドーン、ゴーン、バーン、と大きな音が鳴り響いた。

「今の音は?」

 びくっとして倫子は音の方を振り返ったのだが、小人たちは慣れてる様子で平然としていた。

「なんじゃい、知らんのかね。ありゃ、昼の鐘の音だわねぇ」

「権現山の御堂で鳴らしとるんよぉ」

「おう、飯じゃ、飯じゃ」

「早う戻らんと、食いっぱぐれるぞぉ」

 皆、入院患者らしい。が、どこが悪いのか疑問なほど、元気一杯に昼食めざして行く。

「獬豸の兄ちゃんも、行かんかねぇ」

 御親切にもお誘いまで受けたが、倫子は慌てて辞退し、逆方向に歩き出した。

「いや、私は、まだ食べられないので……」

 実際、これまで昼食を出されたことはなかった。朝晩一回ずつ、アンヤンがスープか重湯のような物を持ってきてくれるが、それもあまり喉を通らない。吐き気は収まったものの、今も食欲があるとは言えなかった。

「食べ物よりも、おいしい空気が欲しい!」

 祈るような気持ちで独り言を呟いた時、ふいに一陣の風が吹きつけてきた。心地よい花の香りを運んで。まるで、優しく誘うように。爽やかで、こうばしく、そして、何故か懐かしい。

 倫子が風上の方を見やると、丁度そこはT字路になっていて、裏山へ続く階段の上がり口となっていた。多分、山から吹き降ろす風の通り道なのだろう。

 倫子は、躊躇ためらわずに、石の階段を登りだした。人が二人やっとすれ違える位しか幅がないが、奥行きは結構広くて、手すりがなくとも歩きやすい。その一段ごとに、それぞれ違う家紋のようなものが中央に彫ってある。どんな意味があるのだろう。これがこの国の文字なのだろうか。倫子はそれらを眺めながら、つ、踏まないよう気をつけながら、ゆっくりと上がって行った。

 頂上に着くと、いきなり視界が開けた。それまで樹木や雑草が無秩序にい茂って森のようだったのに、そこには広い芝生が敷きつめられている。但し、緑ではなく、一面が薄水色だった。そして、その真ん中に、一本だけポツンと巨木が聳(そび)えたっているのだ。太陽の光をあびて、燦然さんぜんと輝くクリスマスツリーが。

「あの時の、クリスマスツリー……?」

 そう、『この世』を去る瀬戸際だったあの時、暗闇に見えた唯一の光。鮮やかなクリスマスツリーを目指して、倫子は飛んだのだった。そして、辿り着いたのが、この国――天国ではなき虹王国、悪臭に満ち満ちた『あの世』である。が、今この頂上でば、望んでやまなかった新鮮な空気に、うっとりする香りが漂う。まさに本物の天国だった。以前、アサヤオキが香水を嗅がせてくれたが、それを遥かに上回るハイクオリティである。トイレの芳香剤と生花の薔薇の香りを比較するようなもので、決定的に素材が違っている。身を震わせる感動も桁違いだ。

 倫子はクリスマスツリーの根元に倒れこむと、大の字になった。目を閉じ、鼻から息を吸い込み、天国の香りを満喫まんきつする。花の香りでここまで幸せを味わえたことなど、未だかつてなかった。もしかすると、リンは倫子よりも臭覚が鋭く、その分、悪臭に耐えられない体質なのかもしれない。何れにしても、倫子は横たわったまま動かなかった。天国から逃げ出したがる訳もなく、二度と動きたくないほどだった。

 どの位そうしていたのだろう。夢見心地で至福の時を過ごしている耳元に、おずおずとした可愛いらしい声がかけられた。

「あのう……、大丈夫……?」

 倫子はハッとして目を開けた。寝返りをうって、身体を半ば起こしかけた状態で、間近から覗きこんでいた相手と視線が合い、そのまま凍りつく。全身が総毛立って、あらゆる神経が麻痺したようだった。

 赤みがかった黒い虹彩は縦長の楕円形で、瞳孔が白く発光している。厚ぼったいまぶたに、睫毛は一本もない――セイギと同じ竜眼だ。だが、くりっとして大きいので、蜥蜴のような出目には見えず、鹿のように可愛いと感じる。

 白い餅肌に体毛は全くなく、少しぷくっとふくらんだ頬が、ちょんちょんとつついてみたいほど可愛い。

 顔立ちは少しパレヴァに似ていて、お人形さんのように可愛い。

 年恰好はアンヤンと同じ位だが、おかっぱ頭で、女の子らしく可愛い。

 その髪は、金・銀・黒の三色と毛色が変わっており、三毛の子猫のようにふわふわして、撫でまわしたい柔らかさで可愛い。

 でも、たとえ猩々系のチンクシャ顔だったとしても、無条件に可愛いと感じたのではないかと思う。

(悠ちゃん……!)

 何となれば、今、目の前に現れたのは、倫子の息子、悠だったのだ。

 勿論、悠は亡くなった。倫子より九年も前に。ここにいるのは、三歳の息子ではなく、もっと年上の少女だ。それも異人種の。だが、悠なのだ。倫子にはわかる。何故だかわからないが、とにかくわかったのだ。まるで、魂には名札がついていて、身体という外套がいとうが変わっても、その下にある名前が読めたかのように。

「ごめんね」

 ずっと伝えたかった一言が口をついて出る。だが、悠は、きょとんと聞き返してきた。

「え、何が?」

 どうやら、悠には倫子がわからないようだった。かつて母親だったことがあるとは、露ほども気づいてない。感動の御対面は完全な一方通行だと気づき、倫子はなんとか取りつくろうとした。折角せっかくこうして逢えたのに、怖がらせて逃げ出されては大変だ。

「いや、つまり、驚かせてしまって悪かったね、ってこと。人が倒れて動かないのを見たら、病人か怪我人だとびっくりしただろう」

 悠は鹿爪しかつめらしく頷いた。

「えぇ。ここに上がって来ると、具合の悪くなる人が多いから。特に異教徒だとね。あなたは理教徒じゃないの? だって、獬豸なんでしょう」

 さてはて困った。またしてもだ。ここでは、無神論者でいることは許されないのか。冷戦時代の某国ように、無神論者=敵性思想と解釈されたりして……。

 倫子はしどろもどろになりながら説明を試みた。 

「獬豸なんだけど……。えっと、正直言って、信仰については、良くわからないというか、その……まだ決めかねていて」

「まだ? 虹霓教徒でも、九克教徒でもないってこと? それじゃ、何歳になっても、成人式を挙げてもらえないんじゃないの」

 悠は倫子の全身を眺めて、年齢を推し測ろうとしている様子だったが、直接聞いてくるような無作法な真似はしなかった。

「そうなのか。私は事故に遭って頭を打ったらしくて、自分の名前も思い出せないんだよ。下の施療所でお世話になっているんだけど、この花の香りに誘われて、頂上で登ってきたんだ。とても素晴らしい所だね。君はこの辺に住んでいるのかな」

「いいえ、今日は御奉仕に来ただけ」

 思い出したように、悠は背中に背負っていた籠を下ろして地面に置いた。

「御奉仕って、何をするの?」

「落ち葉拾い。もしあれば、花びらもね」

「それくらいなら私にもできるな。手伝うよ」

 倫子は立ち上がりながら申し出た。

(悠ちゃんのためなら、ママは何でもやるわよ。まぁ、現実には、できないこともあるだろうけど。落ち葉拾いくらいなら、お安い御用よ。お任せあれ!)

 倫子は籠を取り上げると、取り敢えず、その辺に散らばってる落ち葉をすくって入れ始めたのだが、悠はぽかんと口を開けていた。その表情が、これまた可愛い。

「葉っぱに触っても、何ともないの?」

「え、別に。どうにかなるものなのかな」

「痛くなったり、痺れたり、いろいろだけど。咳き込んで息ができなくなった人もいたし、目が痒くて腫れ上がった人もいたわ」

 どうやらアレルギー反応らしい。花粉症か、漆かぶれのようなものだろう。

「ここなら、私は、平気だな。下で薬草の作業所を通ったときは咳き込んだし、吐き気までひどくなって、死にそうだったけど」

「手を見せて」 

 真剣に言われて、倫子は右手を水平に突き出して見せた。悠がその手を可愛い両手でつかみ、めつすがめつ検分した。悠も五本指だが、親指があって、関節も二つある。だが、爪は第一関節全体を覆う長さだ。アンヤンに説明してもらった覚えはないが、これも竜眼族の特徴だろうか。

「――ほんと、なんともないのね」

「君だって大丈夫なんだろう」

「そう。だから、権現山の担当になったの。親族中でも、ここだけは苦手って人が多くて。手伝ってもらえるなんて、はじめてよ」

 悠がちらりと微笑んだ。そのはにかんだ様子が、かつての息子とそっくりで、思わず抱きしめたくなってしまう。だが、初対面の異性という立場上、いかにもそれは不味いので、理性をフル動員して我慢した。駄目だ。今はまだ。

「あ、待って。花びらは、別にするの」

 倫子が大雑把にかき集めた葉っぱの中に、小さな花びらが混じっていたらしい。それを目ざとく見つけた悠は、そっと摘まみ上げた。

「うわぁ、珍しい。まっ白い花だわ」

 悠が感嘆するので、改めて樹を見上げると、そこには、赤、黄、緑、青、紫と、色とりどりの花が咲き誇っていた。一本の木に複数の色の花がつく事実の方が、白い花などよりよっぽど珍しいと思うが、ここでは常識が違うのだろう。それにしても、桜の花見時を彷彿ほうふつとさせる壮麗な美しさだった。落葉した後に花が咲いている所は、進行が逆であったが。

「綺麗だな。これは何という木?」

「知らなかったの? これが虹霓樹よ」

「え、それって、虹霓教の……?」

「そう、御神体の御霊樹。新河岸は〈御大〉の霊域で、この権現山では、樹宗の守護聖人を祀っているの」

 そう言えば、アサヤオキから聞いた覚えがある。新河岸は樹宗の霊域だとか何だとか。

「それじゃ、君は樹宗の虹霓教徒なんだ」

「もちろん。多分、あなたもね」

「え、私も?」

「樹宗徒でなければ、御霊樹には近づけないの。あるいは、〈樹魂〉の〈再来者〉でない限りはね。少なくとも、そう言われているわ」

 さいらいしゃ――再び来る者?――それは〈転生者〉とは違うのだろうか。本当に、ここの宗教はややこしくて、面倒臭くなってきた。悠が樹宗徒だというなら、同じ信仰を選ぶにやぶさかではないし、この際もう虹霓教に決めてしまおうか……。

「つまり、私は、この御霊樹に受け入れてもらえたってことなのかな」

 倫子は冗談まじりで言ったのだが、悠は真剣な面持ちで聞き返してきた。

「もしかしたら、逆にかれたのかも。香りに誘われたって言ったでしょ。呼ばれた気がしなかった?」

 確かに呼ばれた気がする。今日もだが、一週間前にも。あの断末魔の苦しみに苛まされていた時、灯台のように光輝いて、『ここだよ』と導いてくれたのだと思う。それに、さっき遠目で見た時も、もっと明るく光っていた気がする。ただ、今、こうして傍から見上げていると、イルミネーションを消している昼間のクリスマスツリーと同じ。カラフルだけど普通の植物に見える。

「虹霓樹は光ることもある?」

「えっ! あなたには、光って見えるの?」

「いや、今じゃなくて、前に暗闇の中で。気のせいだったのかもしれないけど」

「霊界から見ると、輝いているんですって。御霊降みたまおろしの時には、霊能力者にも、その光が見えるらしいわ。この世界にいても」

 倫子は現実主義者で、今まで超常現象など信じたことはない。UFOや幽霊と同様に。だが、自分で実際に見たもの、経験したことは否定できない。あの暗闇が霊界で、この虹霓樹が目印になっていたのは、紛れもない現実なのだ。あまりにも幻想的で美しく、夢をみているようだが、ここに、かく存在する。

 倫子は虹霓樹の幹に手を伸ばした。目の前の現実を触って確かめるために。

 だが、その指先が幹に届く前に、上からつるがくるりと落ちてきて、倫子の腕を叩いた。パシッと静電気がおきる。いや、雷に打たれたといった方が近かった。その激しい衝撃で、倫子の身体は弓なりにり返る。

 悠の悲鳴が聞こえた、気がした。助けなければと焦るものの、身体が動かない。

(悠ちゃん! 悠ちゃんは、無事なの……?)

 そう思った次の瞬間、倫子の意識は暗闇に沈んでいた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



   【 解説/竜眼族りゅうがんぞくの基礎知識 】



1. 竜眼族・・・・竜眼を有する人族の総称。神通力が強い者ほど地位が高い。

        純血種は、黒髪、肌理きめの細かい絹肌きぬはだで、痩せ型中背。

        病気にかかりにくいが、触覚に優れ、皮膚はデリケート。

        長命で成長速度が遅い。強い配偶竜はいぐうりゅうを持てば更に寿命が延びる。        

        四本指(艮門系ごんもんけい)と五本指(七門系しちもんけい)の異なる遺伝形質がある。       

        基礎代謝が極めて高く、食事の摂取量も多いが全く太らない。


2. 生涯固定型・・ホモサピエンスと同様、一生、女性体か男性体で通す。

        但し、五本指の男性体には、生殖能力がなく、中性となる。

        斎王の血筋には、変性型単性体が生まれるが、あくまで例外。


3. 配偶竜・・・・艮門ごんもん交感力者こうかんりょくしゃ竜気りゅうき気綱きづなを結んだ大型の高等竜の俗称。

        虹王国には、小型の下等竜しかいないため、愛玩竜あいがんりゅうの扱い。


4. 虹霓教徒・・・星之宮国ほしのみやこくの時代は、竜神教が国教だったが、現在は禁教。          

        虹王一世が虹霓教・樹宗に改宗して、国名も虹王国に変わった。


5. 社会規範・・・竜神教が掲げる〈女中男両制じょちゅうだんりょうせい〉という性差別が未だに根強い。

        女性の誕生自体が少ない種族のため、身分的には完全女性上位。

        相続は〈男女独立嫡流制だんじょどくりつちゃくりゅうせい〉で、男系と女系の家に分かれる。

        娘は母親の家で、息子も四歳からは父親の家で育てられる。


6. 恋愛事情・・・成人は20歳だが、16歳を過ぎれば、恋愛が解禁される。

        女性は、自由な十代のうちに初恋相手の子供を産むのが理想。

        男性は、意中の女性にひたすら恋文や贈り物を届けて求愛する。

               

7. 結婚生活・・・虹王の王妃は、王城に迎え入れるが、貴族は通い婚が基本。

        嫡子を得るための契約結婚の伝統があり、結婚と出産は義務。

        女性の浮気は厳禁だが、妊娠していない時の離婚は認められる。

     

8. 性別比・・・女性20% 中性10% 男性70% (変性型0.1%以下)







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