第11話 転生していた息子との邂逅
何れの縁も、別れは魂に痛みをもたらす。
だが、嘆くなかれ。また、出会いは
――理教 経典より――
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倫子は、『
第五の才とやらがあると言うことは、説得できる可能性が高いぞ、いう励ましなのだろう。尋問される当の本人から励まされるというのも、妙な話ではあるが、おかげで気分が少し楽になった。『あの世』に来てから、一週間しかたっていないのに、心が和む出会いに恵まれて、何だか救われる気がする。
それにしても、長時間
倫子は、試しに木製の扉をそっと押してみた。結構頑丈な造りで厚みが五センチ位あるが、鍵はかかっておらず軽く開いた。おっかなびっくり首だけ外に突き出して覗いてみる。そこは廊下で、正面に格子付の高窓がずらっと並んでいた。その窓から、煙が吹き込んでくるのだが、その臭いたるや凄まじい。停電で冷蔵庫の中身が全部腐って三日目の夏、とでもいうべき地獄級の悪臭なのだ。よっぽど自室に戻って立て
やっとのことで、突き当たりまで辿り着いたと思いきや、なんともはや、そこが悪臭の発生源であった。多分、薬草から薬を作っているのだろう。何かを
倫子が戸口に手をつき身を折り曲げて咳込んでいると、どこからともなく、アンヤンが飛んできた。
「兄ちゃん、こんなとこで、何してんだよ!」
返事ができる状態ではなかったので、倫子は空っぽの水差しを振って見せた。
「あ、そっか、水か。井戸は、外に出たとこにあるけど、歩けんの? おいら、兄ちゃんを
そう言いながらも、アンヤンは、水差しを取り上げ、手をつないで誘導してくれた。おかげで、壁ぞいによろめき、何かに
「ほら、水だよ。飲める?」
アンヤンが
「ありがとう、アンヤン。助かったよ」
「あそこの臭いは、ちょいキツイもんな」
「ちょいじゃないだろう。あれは、すげーキツイだ。君はよくあんな所にいられるな」
「仕事だもん。慣れるしかないじゃん」
アンヤンは淡々と答えながら、今度はハンカチ代りのぼろ布を差し出した。
「落ちつくまで、ここにいれば? 部屋に帰るときは、こっちの水路ぞいに行くといいよ。あそこに見える洗い場の先に、共同便所があってさ、その前にもうひとつ出入口があるから。おいらは、煮出しにもどらなくちゃ。かきまぜ続けてないと、焦げてバイバイになっちゃうんだ。ひとりでいるの、平気だよね」
「あぁ、大丈夫だ。いろいろとありがとう。それと、本当に悪かったね。最初に会った時、
「別にいいよ。その分も、ツケの帳面につけといてやるからさ」
「うーん、それは、ちょっと恐いけど。ヤサヤサのツケは、今、どのくらいまで貯まってるのかな」
「チッチッ。小判三十枚くらい、かな」
アンヤンは、陽気に手を振りながら、駆け戻って行った。その後ろ姿を見送りながら、本当に小さいなと再認識する。実際いくつなんだろう、と。そこで、何歳であろうと、優秀な医療生なのだと思い返す。ジャレンリーに、頭の回転が速いと評されていたくらいだ。きっと、将来性豊かで前途洋々に違いない。そこで、自分の将来について考えが及び、ずぼずぼと
(
倫子は立ち上がり、遅ればせながら、
目の前の井戸は、時代劇に出てくる小さな四角いものとは違って、屋根付きの露天風呂みたいな感じで広い。全体が
(そっか。大人用と子供用――っていうより、種族別? 力持ちの獬豸なら、特大の桶で一気に汲み上げた方が効率がいいけど、アンヤンみたいに小柄だと重すぎるし、落ちた時に危険だもんね。この世界ならではの井戸か。よく出来てるわ)
(うーん、トイレかぁ。中を見てみたい気もするけど、どうしよう。人前で用を足すには、まだちょっと男としての経験値が足りないよなぁ。いや、それ以前の問題かも……)
何しろ、我が懐かしき故国であったら、保健所が乗り出してくるレベルの悪臭が漂ってくる。煙がない分、先程の薬草所よりマシではあるが、これ以上、近づきたいとは思えない。一歩たりとも。
海外に出てみないと、日本の
倫子が現実逃避気味に、除菌効果のあるマスクを使い捨てしていた
「でっけーだなぁ」
ぎょっとして振り返ってみたが誰もいない。顎が首につくほど下を向いたところでやっと、七人の小人と
「さすが獬豸の純血種だなやぁ」
「ほんに。獬豸系のサザキも背が高いと思ってたども、こりゃ、全然かなわんのぉ」
「やっぱ、指が五本しかないがやぁ。短かすぎて、いかい不便じゃろうになぁ」
「見てみぃや。こん腕のぶっといこと」
「足もじゃ。けんど、毛がずいぶん細いのぉ。ポヤポヤしとるわい」
口々に勝手なことを
逃げ出す機会を
「今の音は?」
びくっとして倫子は音の方を振り返ったのだが、小人たちは慣れてる様子で平然としていた。
「なんじゃい、知らんのかね。ありゃ、昼の鐘の音だわねぇ」
「権現山の御堂で鳴らしとるんよぉ」
「おう、飯じゃ、飯じゃ」
「早う戻らんと、食いっぱぐれるぞぉ」
皆、入院患者らしい。が、どこが悪いのか疑問なほど、元気一杯に昼食めざして行く。
「獬豸の兄ちゃんも、行かんかねぇ」
御親切にもお誘いまで受けたが、倫子は慌てて辞退し、逆方向に歩き出した。
「いや、私は、まだ食べられないので……」
実際、これまで昼食を出されたことはなかった。朝晩一回ずつ、アンヤンがスープか重湯のような物を持ってきてくれるが、それもあまり喉を通らない。吐き気は収まったものの、今も食欲があるとは言えなかった。
「食べ物よりも、おいしい空気が欲しい!」
祈るような気持ちで独り言を呟いた時、ふいに一陣の風が吹きつけてきた。心地よい花の香りを運んで。まるで、優しく誘うように。爽やかで、
倫子が風上の方を見やると、丁度そこはT字路になっていて、裏山へ続く階段の上がり口となっていた。多分、山から吹き降ろす風の通り道なのだろう。
倫子は、
頂上に着くと、いきなり視界が開けた。それまで樹木や雑草が無秩序に
「あの時の、クリスマスツリー……?」
そう、『この世』を去る瀬戸際だったあの時、暗闇に見えた唯一の光。鮮やかなクリスマスツリーを目指して、倫子は飛んだのだった。そして、辿り着いたのが、この国――天国ではなき虹王国、悪臭に満ち満ちた『あの世』である。が、今この頂上でば、望んでやまなかった新鮮な空気に、うっとりする香りが漂う。まさに本物の天国だった。以前、アサヤオキが香水を嗅がせてくれたが、それを遥かに上回るハイクオリティである。トイレの芳香剤と生花の薔薇の香りを比較するようなもので、決定的に素材が違っている。身を震わせる感動も桁違いだ。
倫子はクリスマスツリーの根元に倒れこむと、大の字になった。目を閉じ、鼻から息を吸い込み、天国の香りを
どの位そうしていたのだろう。夢見心地で至福の時を過ごしている耳元に、おずおずとした可愛いらしい声がかけられた。
「あのう……、大丈夫……?」
倫子はハッとして目を開けた。寝返りをうって、身体を半ば起こしかけた状態で、間近から覗きこんでいた相手と視線が合い、そのまま凍りつく。全身が総毛立って、あらゆる神経が麻痺したようだった。
赤みがかった黒い虹彩は縦長の楕円形で、瞳孔が白く発光している。厚ぼったい
白い餅肌に体毛は全くなく、少しぷくっとふくらんだ頬が、ちょんちょんと
顔立ちは少しパレヴァに似ていて、お人形さんのように可愛い。
年恰好はアンヤンと同じ位だが、おかっぱ頭で、女の子らしく可愛い。
その髪は、金・銀・黒の三色と毛色が変わっており、三毛の子猫のようにふわふわして、撫でまわしたい柔らかさで可愛い。
でも、たとえ猩々系のチンクシャ顔だったとしても、無条件に可愛いと感じたのではないかと思う。
(悠ちゃん……!)
何となれば、今、目の前に現れたのは、倫子の息子、悠だったのだ。
勿論、悠は亡くなった。倫子より九年も前に。ここにいるのは、三歳の息子ではなく、もっと年上の少女だ。それも異人種の。だが、悠なのだ。倫子にはわかる。何故だかわからないが、とにかくわかったのだ。まるで、魂には名札がついていて、身体という
「ごめんね」
ずっと伝えたかった一言が口をついて出る。だが、悠は、きょとんと聞き返してきた。
「え、何が?」
どうやら、悠には倫子がわからないようだった。かつて母親だったことがあるとは、露ほども気づいてない。感動の御対面は完全な一方通行だと気づき、倫子はなんとか取りつくろうとした。
「いや、つまり、驚かせてしまって悪かったね、ってこと。人が倒れて動かないのを見たら、病人か怪我人だとびっくりしただろう」
悠は
「えぇ。ここに上がって来ると、具合の悪くなる人が多いから。特に異教徒だとね。あなたは理教徒じゃないの? だって、獬豸なんでしょう」
さてはて困った。またしてもだ。ここでは、無神論者でいることは許されないのか。冷戦時代の某国ように、無神論者=敵性思想と解釈されたりして……。
倫子はしどろもどろになりながら説明を試みた。
「獬豸なんだけど……。えっと、正直言って、信仰については、良くわからないというか、その……まだ決めかねていて」
「まだ? 虹霓教徒でも、九克教徒でもないってこと? それじゃ、何歳になっても、成人式を挙げてもらえないんじゃないの」
悠は倫子の全身を眺めて、年齢を推し測ろうとしている様子だったが、直接聞いてくるような無作法な真似はしなかった。
「そうなのか。私は事故に遭って頭を打ったらしくて、自分の名前も思い出せないんだよ。下の施療所でお世話になっているんだけど、この花の香りに誘われて、頂上で登ってきたんだ。とても素晴らしい所だね。君はこの辺に住んでいるのかな」
「いいえ、今日は御奉仕に来ただけ」
思い出したように、悠は背中に背負っていた籠を下ろして地面に置いた。
「御奉仕って、何をするの?」
「落ち葉拾い。もしあれば、花びらもね」
「それくらいなら私にもできるな。手伝うよ」
倫子は立ち上がりながら申し出た。
(悠ちゃんのためなら、ママは何でもやるわよ。まぁ、現実には、できないこともあるだろうけど。落ち葉拾いくらいなら、お安い御用よ。お任せあれ!)
倫子は籠を取り上げると、取り敢えず、その辺に散らばってる落ち葉をすくって入れ始めたのだが、悠はぽかんと口を開けていた。その表情が、これまた可愛い。
「葉っぱに触っても、何ともないの?」
「え、別に。どうにかなるものなのかな」
「痛くなったり、痺れたり、いろいろだけど。咳き込んで息ができなくなった人もいたし、目が痒くて腫れ上がった人もいたわ」
どうやらアレルギー反応らしい。花粉症か、漆かぶれのようなものだろう。
「ここなら、私は、平気だな。下で薬草の作業所を通ったときは咳き込んだし、吐き気までひどくなって、死にそうだったけど」
「手を見せて」
真剣に言われて、倫子は右手を水平に突き出して見せた。悠がその手を可愛い両手でつかみ、
「――ほんと、なんともないのね」
「君だって大丈夫なんだろう」
「そう。だから、権現山の担当になったの。親族中でも、ここだけは苦手って人が多くて。手伝ってもらえるなんて、はじめてよ」
悠がちらりと微笑んだ。そのはにかんだ様子が、かつての息子とそっくりで、思わず抱きしめたくなってしまう。だが、初対面の異性という立場上、いかにもそれは不味いので、理性をフル動員して我慢した。駄目だ。今はまだ。
「あ、待って。花びらは、別にするの」
倫子が大雑把にかき集めた葉っぱの中に、小さな花びらが混じっていたらしい。それを目ざとく見つけた悠は、そっと摘まみ上げた。
「うわぁ、珍しい。まっ白い花だわ」
悠が感嘆するので、改めて樹を見上げると、そこには、赤、黄、緑、青、紫と、色とりどりの花が咲き誇っていた。一本の木に複数の色の花がつく事実の方が、白い花などよりよっぽど珍しいと思うが、ここでは常識が違うのだろう。それにしても、桜の花見時を
「綺麗だな。これは何という木?」
「知らなかったの? これが虹霓樹よ」
「え、それって、虹霓教の……?」
「そう、御神体の御霊樹。新河岸は〈御大〉の霊域で、この権現山では、樹宗の守護聖人を祀っているの」
そう言えば、アサヤオキから聞いた覚えがある。新河岸は樹宗の霊域だとか何だとか。
「それじゃ、君は樹宗の虹霓教徒なんだ」
「もちろん。多分、あなたもね」
「え、私も?」
「樹宗徒でなければ、御霊樹には近づけないの。あるいは、〈樹魂〉の〈再来者〉でない限りはね。少なくとも、そう言われているわ」
さいらいしゃ――再び来る者?――それは〈転生者〉とは違うのだろうか。本当に、ここの宗教はややこしくて、面倒臭くなってきた。悠が樹宗徒だというなら、同じ信仰を選ぶに
「つまり、私は、この御霊樹に受け入れてもらえたってことなのかな」
倫子は冗談まじりで言ったのだが、悠は真剣な面持ちで聞き返してきた。
「もしかしたら、逆に
確かに呼ばれた気がする。今日もだが、一週間前にも。あの断末魔の苦しみに苛まされていた時、灯台のように光輝いて、『ここだよ』と導いてくれたのだと思う。それに、さっき遠目で見た時も、もっと明るく光っていた気がする。ただ、今、こうして傍から見上げていると、イルミネーションを消している昼間のクリスマスツリーと同じ。カラフルだけど普通の植物に見える。
「虹霓樹は光ることもある?」
「えっ! あなたには、光って見えるの?」
「いや、今じゃなくて、前に暗闇の中で。気のせいだったのかもしれないけど」
「霊界から見ると、輝いているんですって。
倫子は現実主義者で、今まで超常現象など信じたことはない。UFOや幽霊と同様に。だが、自分で実際に見たもの、経験したことは否定できない。あの暗闇が霊界で、この虹霓樹が目印になっていたのは、紛れもない現実なのだ。あまりにも幻想的で美しく、夢をみているようだが、ここに、かく存在する。
倫子は虹霓樹の幹に手を伸ばした。目の前の現実を触って確かめるために。
だが、その指先が幹に届く前に、上から
悠の悲鳴が聞こえた、気がした。助けなければと焦るものの、身体が動かない。
(悠ちゃん! 悠ちゃんは、無事なの……?)
そう思った次の瞬間、倫子の意識は暗闇に沈んでいた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【 解説/
1. 竜眼族・・・・竜眼を有する人族の総称。神通力が強い者ほど地位が高い。
純血種は、黒髪、
病気にかかりにくいが、触覚に優れ、皮膚はデリケート。
長命で成長速度が遅い。強い
四本指(
基礎代謝が極めて高く、食事の摂取量も多いが全く太らない。
2. 生涯固定型・・ホモサピエンスと同様、一生、女性体か男性体で通す。
但し、五本指の男性体には、生殖能力がなく、中性となる。
斎王の血筋には、変性型単性体が生まれるが、あくまで例外。
3. 配偶竜・・・・
虹王国には、小型の下等竜しかいないため、
4. 虹霓教徒・・・
虹王一世が虹霓教・樹宗に改宗して、国名も虹王国に変わった。
5. 社会規範・・・竜神教が掲げる〈
女性の誕生自体が少ない種族のため、身分的には完全女性上位。
相続は〈
娘は母親の家で、息子も四歳からは父親の家で育てられる。
6. 恋愛事情・・・成人は20歳だが、16歳を過ぎれば、恋愛が解禁される。
女性は、自由な十代のうちに初恋相手の子供を産むのが理想。
男性は、意中の女性にひたすら恋文や贈り物を届けて求愛する。
7. 結婚生活・・・虹王の王妃は、王城に迎え入れるが、貴族は通い婚が基本。
嫡子を得るための契約結婚の伝統があり、結婚と出産は義務。
女性の浮気は厳禁だが、妊娠していない時の離婚は認められる。
8. 性別比・・・女性20% 中性10% 男性70% (変性型0.1%以下)
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