第22話 巻き込まれた母、お良の覚悟
虹王領にあって、斎王領にない身分、それが武家だ。
貴族は王族の傍流にあたり、豪族は貴族の傍流にあたる。
しかし、武家は豪族の傍流という位置づけではなく、あくまで臣下である。
端的に言えば、武家は、魔物狩りを専門にしていた士族の家系だ。
王族や貴族の直臣の近衛や武官は役職であって、武家にはあたらない。
武家の当主や嫡男は
武家は、虹霓教徒でも父系相続だが、当主の娘の人数で、家格が変わる。
目安としては、聖女がいれば、上級武家で、
下級武家では、
武家は、女性の比率が15%で、両性体は認めない男社会である。
生後七年たっても単性化しない子供は、商家や職人へ養子に出される。
逆に、聖女の価値は高く、
――基礎社会学・教本より――
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お良は死を覚悟した。
最初は訳がわからなくて、悪い夢をみているようだった。
囚われたのは、何かの間違いだと思いたかった。
だが、征二郎が聖女狩りの犯人だと知らされた今、希望は
だが、相手が、
「お良! やっぱり、おまえは、征二郎の隠れ家を知っていたのね。それで、私を亡き者にする計画についても、知っていたわけ?」
この薄暗く頑丈な蔵に、レンヤンを抱いたまま押し込められてすぐ、今度は、アンヤンと勝子が、入れられて来たのだが、お良がいることに気づくや否や、勝子は、まなじりを吊り上げて問いつめてきたのだった。藪から棒に責められて、呆気にとられたお良が何も言えずにいると、代わりに、アンヤンが、勝子の腕にしがみつきながら、激しく食ってかかった。
「ちがうって言ってるだろ、勝子さま! 母ちゃんは何も知らないって。おいらだって、文を届けるように言われただけだし、中を読んでなんかいない。おじ上と喧嘩したからって、おいらたちに当たらないでくれよ!」
「お放しっ!」
逆上した勝子が、力まかせに振りほどき、アンヤンは、近くにあった樽にぶつかって倒れた。ゴンと鈍い音がして、動かなくなる。
「アンヤン!」
お良は、下の息子を抱いたまま、上の息子の傍まで
大丈夫。息はある。だが、頭を打ったのか、意識がない。動かさない方が良いのだろうが、少しでも楽な体勢にさせようとしていると、勝子が狼狽しきった声で弁解した。
「さ、触るから、い、いけないのよ……」
確かに、男性や両性が、許しもなく、女性に触れるなど無礼千万の所業だ。女性が訴えれば、未成年であろうと、非常時であろうと、罰を受けるというのが常識なのである。ましてや、勝子は、格式の高い城主の正室だったこともある気位の高い聖女だ。
「申し訳ございません、勝子さま。私の
お良も、下級とはいえ武家で養育された身である。両性体として生まれた者は、身を
「い、いいわよ。今回は大目にみるわ」
勝子は、勝気で我儘なところはあるにせよ、日頃ここまで尊大な態度をとる女性ではない。征二郎に引き合わせられた頃は、出産直前で心細かったせいもあるだろうが、お良を頼りにしてくれたし、まだ幼いアンヤンを可愛がってくれたものだ。その後も、機会あるごとに、お菓子や古本のお土産をくれたので、アンヤンも
「勝子さま。征二郎どのが、聖女狩りの犯人だというのは、
お良が問うと、勝子はこちらをじっと見つめてから、苦しそうに顔を
「おまえは、知らなかったの……?」
「征二郎どのが、私などを信用してお話しされるはずがありません。もともと主人亡き後、氷室家から逃げ出した
「借家名義を? 変だと思わなかったの?」
「
話を丸呑みにしたわけではなかった。計算高く非情な征二郎のことだから、何をしでかすかわからない不安はあった。だが、居所を突き止められた以上、その交換条件を受けいるしかなかったのだ。そこには、これで縁が完全に切れるなら、氷室家から解放されるならという安堵があった。それが、まさか、ここまで
「本当に、愚かでございました」
「――私ほどじゃないわ」
勝子は
だが、それよりも何よりも、まずは、攫われた幼い聖女たちの
「お連れになられた聖女さまは、たしか、
「勿論。傷一つつけたりしていないわ。あちらに着いた後のことは、聞いてないけど。当然、宝物のように扱われているでしょうよ」
『あちら』。『宝物』。それで、お良にはおよその想像がついた。征二郎は、親元から攫った四人を北上領へ
「御養女をお望みになられたのは、東様、松代様、大木様の御家でございますか」
勝子は、ぎょっとして全身を強張らせた。根が正直なので、肯定はしないけれど、否定もできないでいる。つまり正解なのだ。
「高之進さまをお護りするためでございましょう。そういたしますと、あとのお
「氷室家よ。四人目は、征二郎に渡したの。実際に連れていったのは、耕介の方だけど」
四人目。美笛屋の笛子だ。
口がほぐれてきた勝子から、更に聞き出そうとした時、外から怒号が湧き上がった。女二人で耳をそばだてると、かすかに鐘の音がしてきた。頑丈な塗り壁で、小さな高窓が一つあるだけの蔵だが、あの警告音は聞き間違えようがない。
「やだ、
「火事でございますか。一体どちらが……」
最後まで言い終えないうちに、扉がバタンとあいて、闇組の夜叉のうち一人が、手下を引き連れ入ってきた。ただでさえ恐ろしい形相が、今や殺気だって、
「これも、あんたらの
天井が落ちてきそうな怒鳴り声だった。声も上げられないほど怯えきったレンヤンは、お良にしがみつき、気を失っていたアンヤンが、呻きながら身じろぎした。二人の子供を庇うには、自分が楯になり、怒りの矛を受けるしかない。お良は、レンヤンをアンヤンの脇に降ろして、怒り狂う相手に
「私どもは何も存じません。半鐘の音は聞こえましたが。この火事も、征二郎どのの仕業とお疑いなのでしたら、どうぞ、征二郎どの御本人にお聞き下さいませ。私どもには、お答えすることができないのでございます」
夜叉族は、その爪で敵の目をえぐり出すことができるという。お良は、飛びかかられるのを覚悟して身構えたが、意外にも、相手は逆に一歩下がった。そして、背後の手下に合図する。と、三人がかりで、血まみれで丸裸の征二郎が、蔵の中に投げ込まれた。だが、その容赦のない手荒な扱いに、何の声も動きもない。ヒッと声を上げたのは、勝子だった。
「
鋭い。それとも、同類には理解しやすいのか。婚家が暗殺者の家系だとお良が気づいたのは、
お良は、敢えて、肯定も否定もせず、相手の目を見返した。正解であると認めたのだ。
「フン。
夜叉は、鼻を鳴らした後、声を張り上げた。
「よし、いいぞ。出て来い、ゾナー」
ぎょっとしたことに、隅にあった
「どうだった? 耳をかっぽじって聞いてたんだろうな?」
「そっちの子連れの方は、ほんとに何も知らねぇらしいっす。けど、勝子さまからは、聞けることが他にいろいろあるみたいっすね」
「やっぱり、そうか。あんたには、まだ隠していることがあるんじゃねぇかと踏んでたんだ、勝子さまよ。それじゃ、頭の所へ行って、せいぜい
手下に顎をしゃくって、勝子の腕が両側から捕まれたとき、夜叉の片割れが現れた。
「おい、ヴァン。早いとこ引き上げよう。火元は高峰屋だとよ。この辺も、そろそろやばいぜ」
「何ですって!」
勝子は甲高く叫ぶと、手下の腕を振りほどきそうな剣幕で、自ら外に出て行った。
「こっちの姐さんは、どうすんだ」
「何も知らねぇようだし、ふたつもコブつきじゃ、あとが面倒だ。ここに閉じ込めて行くさ」
「閉じ込めるって、
「妬くな、ジャギ。それじゃ、姐さん。恨むんなら、征二郎を恨んでくれ――っと、あんたは理教徒か。だったら、これは、前世で犯した罪に対する罰と思うんだな。あばよ」
母子で焼け死ねということか。厚い扉が閉められる。その後、重そうな
「――母ちゃん……?」
アンヤンのか細い呼びかけに、お良は気を引き締め直した。子供たちの側に
「気分はどうなの、アンヤン」
「ちょっと、フラフラする、かな」
「そう。頭を打ったみたいだから、動かない方がいいわ。もう少し横になっていなさい」
「頭……あぁ、そっか。勝子さまに、突き飛ばされたんだっけ。あれ、勝子さまは……?」
「出て行かれたわ。ここにいるのは、もう私たちだけ。だから、気を楽にして大丈夫よ」
「――うん。母ちゃん、ごめん。おいら、こんなことになるなんて、思わなかったんだよ。ただ、おじ上に手伝ってくれって言われてさ。父上のかたきを取ることになるんだからって」
アンヤンは実の父親を知らない。幸いにして。もし、産まれた時、まだ父親が生きていたら、両性体のアンヤンは、御家の恥として、その場で絞め殺されていただろう。最初の子と同じように。だから、夫が戦死したのを機に、お良は新河岸に逃げてきた。仇が憎いどころか、むしろ有難いと思って。だが、アンヤンに真実は話せなかった。どうしても。そのせいで、父親を理想化して、叔父である征二郎にその面影を求めたのかもしれない。
「お手伝いさせられたのは、どんなこと?」
「えっと、勝子さまに、お文を届けたのが、三回かな。あとは、寮のうわさ話をしたくらい」
「噂話って、たとえば?」
「ジャレンリーさまは、〈聴き耳〉の捜査官なんだとか。セイギ様さまは心話力者で、パレヴァさまは霊能力者だとか。みんなすごい有名な審問官ばかりだから、聖女狩りの犯人なんて、すぐ捕まえられるよ、とか」
アンヤンは、自分の言ったことを
「そういや、聖女狩りのことばかりだったかも」
「叔父さまが犯人だって、知っていた?」
「知らないよ! 知ってたら、手伝ったりしてない。ホントだ。信じてよ、母ちゃん!」
「えぇ、信じるわ、アンヤン。でも、あなたは手伝ってしまった。その事実は消えないのよ。悪いことだとは知らなくても、あなたがしたことによって、叔父さまが悪いことをしたのだったら、それは、やっぱり悪いことでしょ」
「――うん。おじ上は、おいらをだましたんだね。聖女さまをさらったからって、父上のかたきを討てるわけないもん。ウソだったんだ」
怒りが湧いてきて、じっとしていられなくなったらしく、アンヤンは、がばっと身を起こした。そして、征二郎の姿が目に入ってしまったのだろう。息を呑んで凍りついた。その視界を遮るように、お良はアンヤンを抱きしめた。ガタガタ震えて、慰めと支えが欲しいのは、自分の方かも知れなかったけれど。
「叔父さまを許してさし上げなさい。あの方は、もう、今生での報いを受けられたのだから。それに、来世でも、相応の罰を課せられることになるの。自裁という罪も含めてね」
「じ、じさい? せっぷくしたの?」
「いいえ、毒を飲んだそうよ」
そう言った時、半鐘の音が
「母ちゃん、あの鐘、あれって……」
「そう、半鐘よ」
「たいへんだ! 逃げなくっちゃ!」
アンヤンは、お良を振りほどくようにして立ち上がり、背丈よりはるかに高い窓を見上げた。そこには、頑丈な格子がはまっていて、レンヤンどころか、猫の子でも通れそうにない。そう見てとると、今度は扉の方へ飛んでいき、助けてと叫びながら、力まかせに叩き始めた。
「もうおよしなさい、アンヤン」
疲れきった頃を見はからって、お良は息子の傷だらけになった手を掴んだ。
「だって、何とかしなくっちゃ!」
「えぇ、そうね。祈りましょう」
「祈る……?」
アンヤンは、母親の正気を疑うように、見上げてきた。
この子は理教徒にはならないかもしれない。摂理の教室に行かなくなった時、お良は、そう感じたものだった。自分で信仰は選ぶものだ。仕方がないと。
でも、今はもう時間がない。差し迫る死を受容できる
「摂理の神でなくてもいいのよ。あなたが信じられるものに祈ればいいの。九克教の試練の神とか。それとも、闘魂の神は、どう?」
「それじゃ、リンフジカ」
アンヤンの口から、するりと出てきたのは、意外な名で、お良はびっくりした。聖リンフジカは、新河岸の守護聖人として祀られているので、異教徒も参拝することはあるが、本来は樹宗徒が信仰する〈樹魂〉とかいうものである。アンヤンは、虹霓教などに興味を示したことはなかったはずなのに、医寮生になって、周囲に感化されたのだろうか。
「リンフジカって、あの、聖リンフジカ?」
「ううん。兄ちゃんのリンフジカ。それとも、うん、かな。本物かもしれないんだから」
アンヤンは、自分が初めて担当補佐を務めた患者について、早口に話し始めた。事故を生き延びたが、記憶を失った獬豸の青年のことを。とろくって、クルクルなんだとこき下ろしながらも、話すうちに楽しげになった。恐怖を忘れて、緊張が緩んでくる。
ありがたい。望外の幸運に、お良は感謝した。早熟な上に頭が良すぎて友達もできず、ずっと孤独だったこの子をありのままに受け入れ、可愛がってくれる人と出会えたのか。
「そんで、ごれいじゅの花が初めて咲いたから、きっと本物のリンフジカだって、みんな、うわさしていたんだ。兄ちゃんは、そんな偉そうなかんじじゃないから、おいらは、ウソだろって思ってたんだけど。そんでも、もし、兄ちゃんが本物だったら、助けにきてくれるよ」
アンヤンは夢中になって言いつのった。
「ううん。本物でなくたって、助けてくれるかも。だって、スゲーでかくて力持ちだし、おいらにツケがあるんだもん。だから、母ちゃんも一緒に祈って。ほら、レンヤンも」
揺ぎない信頼だった。現実に叶うかどうかは問題ではない。死に際の想いは、魂に〈刻印〉されるのだ。恨みや憎しみでなく、好きな人を信じながら、この世を去って行く方がいい。次の世では、きっと、より良い幸せな生を賜ることができるだろう。
お良は、アンヤンと共に祈りを捧げることにした。息子の最後の願い故に。理教の神ではなく、息子が信じる生身の人に。自分自身は、全く信じてはいなかったけれど、その願いは
「どうかお助け下さい、聖リンフジカ。お願い申し上げます。私は、どうなってもかまいません。この子たちだけでも、
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【 解説/言語と名前の基礎知識 】
1. この時代の言語には、大別して4つの流れがあり、下記の通り表記している。
①
②
③ 種族語・・・獬豸語や猩々語の方言などの外来語。『カタカナ』で表記。
④ 古代語・・・絶滅した古代種が残した表音文字。『ローマ字』で表記。
2. 虹王国の共通語は、竜眼語をベースに、種族語が雑多に混入したものである。
3. 支配階級や知識層は、離門語を使えるが、平民は『かな』のみ習うのが一般的。
4. 古代語は、虹霓教、理教、九克教の古文書に残るくらいで、日常は使わない。
5. 虹王国では、身分の高い者には、本名とは別に、離門語で性別名がつけられる。
① 竜眼族・・・十六歳の誕生日に御披露目を行い、女性名か男性名がつく。
恋愛解禁という意味でつけるので、中性の性別名はない。
② 乙女・・・・女性体で生まれたら、7日以内に御披露目を行い命名する。
勝子、友子、笛子など、末尾に『子』がつくのが、乙女名。
③ 男獅子・・・男性体で生まれたら、7日以内に御披露目を行い命名する。
平民は、性別名を使わないので、命名しないこともある。
④ 雌狒々・・・女性化した時点で命名する。平民は『かな』の名前が多い。
身内以外には、お良などと、頭に『お』をつけて呼ばれる。
⑤ 雄狒々・・・武家生まれでも、平民扱いなので、性別名はつけない。
※上記の性別名は、時代劇を参考にして創作した、便宜的な表記に過ぎません。
実在の名前を差別したり、その方の尊厳を貶める意図は全くございません。
あくまでファンタジーですので、御了承いただけるようお願い申し上げます。
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