第19話 竜殺しなる魔木、匂いの検証。


 平均寿命は、種族によって違う。

 最も短い猩々族は、およそ二十歳。

 長命な竜眼族は、神通力の強さによって、百歳から四百歳以上まで幅がある。

 竜眼族の血をひく混血も、個体差が大きく、外見から寿命を推し測るしかない。

 この推定寿命という指標は、便宜的な目安に過ぎないが、雇用上は有用である。


 推定寿命 十分の一  幼少期・・・保護者が必要。働かせてはならない。

 推定寿命 八分の一  小児期・・・職業訓練を受けさせる程度はよい。

 推定寿命 六分の一  思春期・・・しっかり監督すれば、働かせてもよい。

 推定寿命 五分の一  青春期・・・ある程度の実務を任せられる見習い。

 推定寿命 四分の一  成人期・・・独立して仕事をこなせる一人前。

 推定寿命 三分の一  壮年期・・・気力、体力ともに充実した働き盛り。

 推定寿命 二分の一  中年期・・・責任ある立場についた熟練者。


                         ――雇用主心得より――



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 倫子は、あまりのショックで動けなかった。ジャレンリーのぞっとさせられる指摘に、金縛かなしばり状態になってしまった。

 悠が誘拐され、高額取引商品となって、奴隷状態に置かれる?

 そんな事は許さない。徹頭徹尾、断固として許せない。だが、倫子に誘拐犯を阻止できるのか。悠を守ってあげられるものだろうか。いや、可能か否か、悠長に計算している場合ではない。悠を守るために、何ができるのかを考えなくては。まずは、そう、友子様の件を解決するのが最優先。聖女狩りの犯人を捕まえて、厳罰に処すことだ。

(死刑賛成! 抑止効果になるなら、オゾオゾの斎裁だって上等ってもんよ)

 ようやくプラス思考に頭が働きだして、思い出したのが渡し舟の事故のことだった。

「友子様は、無事に保護できましたか」

「いや。だが、その話は後だ。これ以上、皆様をお待たせできん。さぁ、行くぞ」

 ジャレンリーは、倫子を促すと、先に立って早足で歩き始めた。倫子は、階段の途中でやっと追いつき、再度質問を試みた。

「誘拐か事故かは、判明したのですか」

「それは、これから、お前が聞かせてくれる話の内容如何いかんによる。期待してるからな」

 会食室は長い廊下の突き当りにあった。目的地の外まで来ると、ジャレンリーは立ち止まって息を整えた。それから、倫子に左手で先に入れと指し示した。気は進まないものの、倫子は木製のドアをノックした。返事がないので、恐る恐るドアを押して開けてみる。と、その隙間から弾ける勢いで、質問が飛んできた。

「今のは、何だ?」

 言わずと知れた、セイギの冷たい声である。

「今の、とは、何でしょう」

「妙なリズムで、扉を叩くことだ」

 ノックのことだと気がついたが、言葉にならなかった。タムシラキのもつ語彙ごいの中には、ノックを意味する単語がないからだ。今更ながらに、日本語を喋っているわけではないのだと認識する。自動的に翻訳されているだけなのだと。概念がなければ、単語も存在しないということだろう。仕方なく、倫子は意訳に努めた。

「入室することを中の方にお伝えする礼儀作法のつもりでした。こちらのしきたりは知らないもので。もし、お気にさわりましたら、お詫び申し上げます」

「それは、獬豸の礼儀作法なのか」

「いいえ。そうではないと思います」

「思います? 記憶は戻ったのではなかったのかね」

「まだ、断片的なのです。渡し舟に乗った所からは、鮮明に思い出せるのですが」

「そのお話は、食事の後に伺うことにしたはずでしょう。セイギ」

 パレヴァが取りなすように口を挟んだ。セイギも渋々頷いたが、この状況ではどんな料理をきょうされても、喉を通らないと思った倫子は、拝まんばかりに頼み込んだ。

「できましたら、先に審問を受けさせていただけませんか。延期して下さった御配慮には感謝しておりますが、一刻も早く、真相を究明するべき状況ではないでしょうか。友子様の命を救えるかどうかの瀬戸際かも知れませんし……」

「瀬戸際であったら、三日も安穏あんのんと眠らせておくと思うかね。パレヴァが何と言おうと、叩き起こして絞り上げていただろう」

 苦々しげなセイギの口調に、倫子は、それこそ心臓を強く絞り上げられた感じがした。緊急性が無くなったというのであれば、考えられる理由は二つ。つい先程、ジャレンリーは友子を保護できていないと言った。とすれば、残るのは――。

「――それでは、遺体が見つかったのですか」

「三日前にな。今朝方、葬儀も終わった。それでも、先に話を済ませたいか」

 当たり前だ。食欲が失せるのを通り越して、胃がシクシク痛み出して、吐き気もする。とてもではないが、食事どころの騒ぎではない。

 蕾にも至らず命を散らした友子は、あまりにも不憫ふびんで痛ましい。幼いあの子を守ってあげられずに、大人の自分が生き残ったという罪悪感もある。でも、それ以上に、倫子としての同情が胸を締め付ける。悠を喪った時の一切合切いっさいがっさいが、一気にフラッシュバックしてきて、とても他人事とは思えないのだ。

(あの子のお母さん、今頃、どんなに辛いだろう……)

 タムシラキは悲鳴を聞いていた。脅えた幼子の魂消たまぎる声を。あの状況では、何もできる訳がなかったと知って尚、自責の念は残る。悲鳴の残響のように。 

「よろしければ、そうさせて下さい」

 倫子はセイギと視線を合わせた。強烈な眼差しが突き刺さってくるのに驚いたが、その圧力を持ちこたえるべく、全身に力を入れてる。こちらを疑って恫喝どうかつしてくる相手には、黙って立ち向かうのが基本。下手に反論してもこじらせるだけだし、早々に頭を下げれば、逆にやましいことがあるのでは、と勘繰かんぐられるからだ。

 しかし、ここは異世界。ぬくい平和国家の経験則では乗り切れない現実もある。

(何よ、これ。目力めじからが強いなんて可愛げな代物じゃないわ。視線が痛いィィ。ホントに痛いわよ! 竜眼って、なんちゃら光線でも出してるわけ?)

 内心ではおののきつつも、獬豸の頑丈な身体は微動だにしなかった。多分、表情も変わっていないと思う。角は冷や汗をかいたようにじっとりしていたけれど。

 やがて、セイギの視線が外れて、パレヴァへと向けられた。物問いたげに。

「わかりました。ともかく、お席の方へどうぞ。給仕は後にするよう伝えてきますわ」

 パレヴァが溜息をついて出て行き、セイギがさっさと左のテーブルの方へ向う。

 やっと少し余裕が出て、倫子は部屋の中を見渡した。そこは左右に縦長で、左側が会議室、右側がダイニングといったシンプルな造りである。右の大きな丸テーブルには、大小様ざまな食器が用意されていたが、まだ料理は出ていない。左の方には、細長いテーブルが二つ、離れて据えられ、その間、壁の方に向って大きな椅子が一つ置いてある。その椅子を三方から囲む形で、前側に二つ、後ろに一つ椅子があるだけ。他に家具は一切なく、他の人も誰もいなかった。どうやら、相手をするのは、審問班の三名のみのようで、倫子はホッとした。初対面のメンバーが増えると、余計な負担がかかるところだった。まぁ、セイギ一人でも十人力に手強てごわく、緊張させられるが。

「それでは、二回目の審問を始めます」

 しばらくして、正面右手に座ったパレヴァが、表情を引き締め、開廷を宣言した。

「新院四寮、準備が整いました」

 背後からジャレンリーの声。紙をガサガサさせる音も。今回、彼は書記役のようである。

「どうぞ、セイギ」

 そして、尋問役はセイギに変わっていた。

「最初は、まず、君の話を一通り聞こう。質問はその後にする。記憶が鮮明だという渡し舟に乗るところから、始めたまえ」

 正面左手のセイギの命令で、倫子は目撃談を開始した。船頭に横になれと指示されたことから、船がひっくり返って、川に投げ出されるまでの一部始終を。なるべく詳しく説明しようとしたのだが、気分の悪さだけが克明で、見聞きしたことは無きに等しい。セイギに『それだけか』と馬鹿にされるかと思いきや、尋問中は感情的な言動を一切取らなかった。流石さすが、プロフェッショナル。

「記憶は、どこまでさかのぼることができる?」

 一回目を話し終えた所で、質問されたのは、それだけであった。

「船頭さんと最初に話した時までです」

「では、今度は、そこから話したまえ」

 二回目は、倍くらいの時間がかかった。

「新河岸に来たのは、これが初めてか」

「そうです。それは間違いありません」

「今の話に出てきた人間全てと初対面だったわけだな」

「はい、そうです。特に、夜叉族は見るのも始めてでした」

「だとすると、普段と違うことがあっても気づくまい。だが、何か妙に感じたこと、不審に思ったことはないか。余所者としての見方でよい。些細なことでもかまわない。それに、獬豸は臭覚が鋭いはずだな。怪しげな臭いがしたとかいうようなことはないか」

「そう言えば、馬車の側を通った時、刺激臭が鼻をつきました。怪しげと言う程ではないのですが、初めて嗅ぐ臭いでした」

「どんな臭いだ?」

「甘酸っぱくて、クラっとくる臭いです。最初は煙草かとも思ったのですが、嗜好品の香りにしては、刺激が強すぎる感じでした」

「ふむ。もう一度嗅げば、それとわかると思うか。これだけ時間が経っていても」

「はい。あの特殊な臭いは、忘れようがありません。何年経とうと、区別はつくと思います」

「よし。ここで一旦、休憩に入ろう。パレヴァ、彼に水でも飲ませてやるといい。ジャレンリー、一緒に来てくれ」

 セイギがジャレンリーを引き連れて、勇んで出て行くのを、倫子は呆気に取られて見ていた。あれだけ冷静沈着な人が、どう見ても興奮しているようだ。

「あの臭いに、何か心当たりでもおありなのでしょうか」

「恐らく。それより、長くお話しされて、喉が渇きましたでしょう。お茶でもいかが?」

 パレヴァに愛想良く聞かれ、山盛り砂糖入れの紅茶を想像してしまい、倫子はたじろいだ。選択の余地があるなら、お茶より、コーヒーの方が好きだが、そんな我儘が言える訳もなく、次善じぜんの選択をする。

「できれば、お水の方が有難いのですが」

 水なら無難ぶなんだろうと思って頼んだのだが、パレヴァはがっかりした様子であった。

「新河岸のお水は、美味しくないのですよ。水道は便利ですけれど、どうしても味が落ちますので。それでも、よろしいかしら」

「はい。味には、あまりこだりませんので」

「そうそう、獬豸は香りに拘るそうですわね。でも、ここの水は、臭いの方もどうかしら……」

 気が進まない感じながらも、パレヴァは、ダイニングのテーブルに置いてあった水差しから、カップに水を注いでくれた。その臭いを意識的に嗅いだせいで、ふと思い出したのだろう。渡し舟に乗る前に、茶屋で、頼みもしないのに、出された飲み水のことを。

「そう言えば、あの水は、どことなく薬臭かったかな」

「え? どの水ですか?」

 倫子が説明すると、パレヴァの鹿のような丸い双眸が、更に大きく見開かれた。

「注文していないのに、飲み水が出されたと……。虹王領では、それが普通なのですか」

 日本では普通であった。通常、注文を聞くのとおひやはセットである。今ではセルフサービスの所も多いが、少なくとも無料で飲み放題と決まっている。だが、ここの慣習は違っているようだ。朧気おぼろげながら、水を運ぶのに苦労した幼少の記憶があるし、今まで泊まった旅籠はたごや立ち寄った飯屋でも、飲み水は有料だった。

「いえ、どこでも水は貴重ですから、普通ではありません。自宅でお客様をもてなす場合は別ですが、茶屋あたりの小店で、いきなり水を出すことはしないと思います。少なくとも、私には初めての経験でした」

「それでしたら、おかしいとは思いませんでしたの。しかも、無料でなんて」

「斎王領では、何かと慣習が違うと聞いておりましたし、こういうものなのかと。特に疑問は持ちませんでした」

「荒神川の向こうは、あくまで虹王領です」

 換言かんげんすれば、あの茶屋は、虹王領の法の下、他の店同様の慣習で運営されていなければおかしいことになる。

「ジャレンリー、あなたは、早瀬の船着場に何度か行っているでしょう。入領札を扱っているというお店について、調べましたか」

 パレヴァが声を張り上げて、丁度部屋に入ってきたジャレンリーに尋ねる。その前の会話を聞いていなかったジャレンリーは、一瞬、何のことだという顔をしたが、すぐに目つきが鋭くなった。

「あの茶屋ですか。一通りの聞き込みはして参りましたが、目撃情報は、ほとんど得られませんでした。何か不審な点でも?」

 パレヴァが説明を始めた時、セイギも戻って来て、イラついたように遮った。

「待て、パレヴァ。君の話では又聞きになる。当人から正確なところを聞いた方がいい」

 かくして、三回目の話を始めることになった。今度は、渡し舟に乗る前のことに重点をおいて。事細かくチェックが入る。

「喧嘩腰の夜叉か。その二人組についても、改めて調べた方が良さそうだぞ、ジャレンリー。渡し舟に乗らなかったとすると、その茶屋で何をしていたのか、非常に興味深い。あの周辺は人家が少なかったはずだろう」

「ほとんどありませんね。それに、土地の人間が、わざわざ弁当を買いに行くような店でもありません。入領者相手の専売店ですから。それにしても、無料で飲み水を出しているなんてことには、全く気づきませんでした」

 ジャレンリーは、不本意そうに首を振ると、倫子に向き直って、直接質問を始めた。

「その水は、どんな容器に入れられていた? それが全員に配られていたのか?」

 何とか思い出そうと、倫子は目をつぶって店の中の場面を再現してみた。奥のカウンター。安っぽいテーブルと椅子の配置。それぞれの客が座っていた場所と手元にあった物。

「竹筒みたいでした。この位の太さで、取っ手のついていない木製のコップです」

 両手の指を曲げ合わせで、コップの大きさを示して見せると、ジャレンリーは、眉をよせて考え込んだ。

「結構大きいな。それに、木製だと? 俺が行った時には、そんな物は見あたらなかった。並べてあったのは、陶磁とうじ湯呑ゆのみだけだ」

「確かに、湯呑も見ました。えーと、そう、夜叉の二人の席だったと思います。あそこは、普通の湯呑が置いてあった気がします」

「他の席はどうだった? 渡し舟の乗客には、皆、竹筒のコップが渡されていたのか」

「ええっと、五人はそうです。ただ、馬車で到着した方達は、店には寄っていません。そんな時間はありませんでしたから」

「ということは、その夜叉の二人組と早瀬の茶店の主人がグルなんだな。十中八九、船頭もだ」

「つまり、あの水には、毒か何かが入れられていたということですか。でも、船頭と勝子様以外は、全員亡くなられた訳でしょう。水を飲まされた人達だけではなくて」

 倫子の疑問に答えたのはセイギだった。

「無論、衝突事故は、襲撃者側にとっても、不測の事態だったはずだ。それとの因果関係は、未だ不明だが、乗客を無力化する準備がされていたのは間違いない。水に吐剤とざいか痺れ薬を入れて飲ませたと考えれば、その後の成り行きにも説明がつく。たとえ、船酔いする性質だとしても、舟に乗ってすぐ吐き気が始まるなど、いくら何でも早すぎると思わないか。しかも、船底に横たわれと言われ、御丁寧に視界まで塞がれたとあっては、君を特に警戒していたものと推測できる。獬豸の怪力は周知の事実だ。理教徒の中でも、特に堅物揃いだということもな。何かを企てている連中にとって、どう動くかわからない獬豸の存在は、不安要因となる。だからこそ、早々に戦力をそぐための手段を講じたのだろう」

 意外にも、セイギは睨みつけてこなかった。講義口調で、淡々と見解を述べただけである。御説御尤おせつごもっとも。倫子も頷くしかなかった。

 タムシラキは泳ぎが苦手だったらしい。だが、全くの金槌かなづちではなかった。それが、川に落ちた後、手足が痺れて動かず、水面に一度も浮かぶことすらできなかった。これは、どう考えてもおかしい。気の毒に。若い身空で、何のとがもなく、殺されてしまったわけだ。

「セイギ。クレオジ院長がお見えですよ」

 パレヴァの声に、セイギが立ち上がって、登場した老人を出迎える。院長と聞いて、倫子はハッとした。それは、初日に意識が戻った時、サーリャンと一緒にいて、鏡を貸してくれた人だった。挨拶をするべく、慌てて立ち上がろうとしたのだが、後ろから、ジャレンリーに肩を摑まれ囁かれた。

「おまえは座っていろ。目を閉じたままでな。今から、ちょっとした検証を行う」

 言われるまま、目を閉じて待つこと数分。緊張して耳をそばだてていると、五、六人の足音に混じって、カチャカチャと何かをセッティングする音がする。暫くしてから、セイギのバリトンが聞こえた。

「これから、七種類の臭いを嗅いでもらう。まず、通しで、一番から七番まで。二回目は、番号は言わず、順番を変える。その間、目は閉じたままで、口もきかないように。わかったかね?」

 臭覚の精度を確認する検証のようだ。証言の信憑性を証明する狙いもあるのだろう。

 倫子が黙って頷くと、実験が開始された。

「一番」

 これは、知ってる。刻み煙草の臭い。

「二番」

 次は、お香。麝香じゃこうを含んでいるようだ。

「三番」

 今度は、一転して海産物。塩辛い磯の香りがする。わかめのような海藻か。

「四番」

 甘栗を焼いた香ばしい臭い。

「五番」

 アルコール。やけに甘いから、果実酒だろう。

「六番」

 これはお菓子。ハッカの香りが混じってる。

「七番」

 これだ! 倫子は叫びそうになり、慌てて口を閉じた。あの忘れもしない刺激臭。馬車の横を通り過ぎる時に鼻をついた、甘酸っぱい臭いだった。しかし、正体はわからない。

「二回目に入る。今度は番号なしでいく」

 さくさく終わると、簡単なテストをされた。

「二回目に嗅いだ臭いは、一回目の番号で言うと、どういう順番だった?」 

「三番、七番、四番、一番、五番、二番、六番の順でした」

「その中で、先程話していた刺激臭と同じものはあったか」

「はい。七番です」

「何の臭いか、わかるか」

「いいえ、わかりません」

「質問は以上だ。目を開けてよろしい」

 目を開けると、臨席している人たちが、一様に険しい顔をしている。普段は優しげなパレヴァまで、憤慨した面持ちだ。一体、これは何事なのだろう。聞くのが恐ろしい気もするが、やはり聞かずにはいられない。

「これは何なのですか」

 目の前のテーブルの上に置かれているのは、何やら乾燥した木片に見えた。食べ物ではなさそうだが、別に危険物には思えない。

呪煙魔木じゅえんまぼくだ。俗に、〈竜殺し〉と呼ばれている」

 重々しく言われたが、倫子は反応に困った。記憶のページの片隅にも載っていないのだ。ここは、驚くか怒るかすべき場面のようだが。

「――それは、毒物か何かですか」

「毒物、つ、何か、だな。配合によっては、鎮痛剤や麻酔薬にもなる。投与する患者の種族比によって、効能も副作用も変わるので、処方が大変難しいが、霊薬師には使用が認められてもいる。但し、常習すると依存症となるので危険だ。更に、この生木なまきを《いぶ》燻して発生させた煙を大量に吸い込むと、竜眼をやられて全身が麻痺すると言われている。元々これは、炎摩族が竜眼族を倒すために編み出した魔木であり、当然のことながら、一般には、御禁制の品だ」

 麻薬だ。阿片の類かもしれない。そんな劇薬の臭いが、あの馬車から漂っていたということは、女将の一行が密輸をしていたということだろうか。それとも、誰かが常習者で喫煙していただけ……?

「その〈竜殺し〉と、今回の事故には、どんなつながりがあるのでしょうか」

「それは、今後の調査で明らかにすべき点だ。何れにせよ、本日の審問とは別件となる」

 セイギが、軽くパンと手を叩いて、おもむろに立ち上がる。パレヴァとジャレンリーも、左右から歩みよって、その両脇に立った。

「当班は、証言内容を受理した。学院二寮は、三度目の審問は必要ないものと判断する。パレヴァ?」

「本院二寮、同意します」

「ジャレンリー?」

「新院四寮、お引き渡しいたします」

「結構。さてとリンフジカ。これで、君の誘拐未遂容疑は、一応晴れたということになる。だが、事件そのものが未解決であることをかんがみて、君の身柄は、当面、パレヴァに預けるものとする。要するに、まだ新河岸を離れるな、という意味だ。異存はあるかね」

「ありません」

「よろしい。今後、更なる協力を依頼する場合もあるだろう。その節はよろしく頼む」


  

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



   【 解説/竜眼りゅうがん竜気りゅうきの基礎知識 】



1. 竜眼・・・・白光色の瞳孔どうこうに、玄色げんしょくの楕円形の虹彩こうさい外瞼そとまぶたは厚く睫毛まつげがない。

       上下に開閉する乳白色の薄い内瞼うちまぶたが二枚あって、落涙はしない。


2. 竜気・・・・竜神の統べる竜界に満ちている、神通力の素をなすエネルギー。

       竜気は竜眼を持つ竜や人の間を循環して、個体内では力場を作る。

       竜眼は、竜気を取り込み、神通力へと変換するための入出力門。


3. 神通力・・・竜眼を持つ竜と人だけが使える、竜ずる

       横八門よこはちもん縦四門たてよんもん性四型せいよんがたなどの区分がある。


4. 横八門・・・神通力の属性。各門によって、使える竜気りゅうきの種類が異なる。

       ごんしんせんこんけんかんの八門に分かれる。


5. 縦四門・・・神通力の強弱を表し、神門じんもん大門だいもん中門ちゅうもん小門しょうもんに分かれる。

       小門は神通力者とは呼べない水準で、ほとんどは訓練前の子供。


6. 性四型 ・・・ ① 女性型  妊娠した時だけ神通力が使えなくなる。

        ② 中性型  生殖能力がない。99%が男性体。

        ③ 男性型  艮門ごんもんに属し、生殖能力を有する男性体。

        ④ 両性型  男女双方の生殖能力を有する変性型単性体。


7. 艮門ごんもん・・・・北東の第一門。竜眼そのものを意味することもある。

       竜眼族の根幹をなす竜気の入力門で、他の七門しちもんと区別される。


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