スマホと黒魔術
私たちはショッピングモールと呼ばれる巨大な建物へ行き、服や日用品、今日の晩ご飯の食材などを買い揃えた。
ショッピングモールを出てからまた車を走らせていると、高いビルが建ち並ぶ画一的な景色が見えてきた。ビルの合間を縫うようにして駐車場も点在している。
そのうちの一つに駐車し、私たちは車を降りた。
小森さんは買い物袋を手に持って近くのビルへ向かい、私もその後についていった。ここが今日から住み始める場所だと思うと、夢と希望で心がはち切れそうになる。
ビルの玄関口には綺麗なガラス製の扉が設置されていて、その横の壁には沢山の郵便受けがくっついていた。
近づくと扉が自動的に開いた。が、私はもうその程度のことでは驚かなくなっていた。ふふん。
エレベーターで十階に上がると、通路から風の色の街並みを眺めることができた。
道路の上を車や人がちょこまかと動いている。等間隔に並ぶビルは、ケーキに立てられたロウソクのよう。
「早く行くぞ」
小森さんに促され、我に返った。
自宅のドアの前に着き、小森さんはポケットから取り出した鍵を鍵穴に挿す。鍵を開ける音が、私の人生が切り替わる音に聞こえた。
自分の新しい家の扉が開く瞬間に、胸が高鳴る。私はずっとこの時を心待ちにしていたような気がした。なにせ、おじさんに引き取られたときからずっと彼の家で暮らしてきたのだ。永遠に雨が降りつづけるあの街で。
「わあ、素敵な家ですね!」
小森さんの家は、工場の玄関や小部屋と同じように白い壁紙の落ち着いた内装だった。玄関の先にリビングとキッチンが一つになった部屋があり、他には個室が二部屋とトイレ、お風呂、洗面所がある。個室は一つが小森さんの部屋で、もう一つの使われていない部屋を私が使わせてもらうことになった。おじさんの家ほどではないが、二人で住むには充分な大きさの家だ。
小森さんはなぜ二人分の家に一人で住んでいたのかと言うと、親元を離れて家を探すときに、運悪く職場の近くに一人用の部屋が空いていなかったのだそうだ。
それなら部屋が空くまで待っていればよかったのではないかと思ったが、色々と事情がありそうなので深く追究するのはやめておいた。
家の中を案内してもらったあと、、私はさっそく自分の部屋で荷物や買い物袋を整理した。とは言っても、私の部屋にはまだベッドとクローゼットしかないので、服以外の物は適当に分類して部屋のすみっこに置いておくことしかできなかった。
小森さんは今日買った食材を整理していた。
この家には冷蔵庫という魔法のような装置があった。風の色ではどの家にもこの冷蔵庫が最低一台はあるという。なんて贅沢な国なんだ。
日が沈みかける時間になり、私たちは一緒に夕食を作ることにした。
今日はショッピングモールでカレーライスとサラダの材料を買っていた。カレーは雨の街にも輸出されている人気メニューだから、おじさんが作るのを手伝ったことがある。お米は飯盒で炊いていたから、炊飯器の使い方は分からなかったけれど。
出来上がったカレーライスを食べながら、私は今日一日不思議に思っていたことを訊いてみることにした。それは、なぜ風の色はこんなにも便利な道具や設備であふれているのか、ということだ。
その疑問を小森さんにぶつけてみると、雨の街とは決定的に違う点が一つあることが分かった。
それは「電気」という目に見えないエネルギーの存在だ。
あの冷蔵庫は電気の力で動いているらしい。それに冷蔵庫だけでなく、部屋の明るい照明や動く階段、自動で開く扉にエレベーター、電話もテレビも炊飯器も全部電気の力で動いているのだ。
風の色はある意味、電気に支配されていると言ってもいい。
その電気は風車というもので生み出しているらしい。
風の色の都市部から少し離れたところに、常に強い風が吹き続けている平原があり、そこにあるたくさんの風車が電気を作って都市部に送っているのだと小森さんは言った。
私は平原に立ち並ぶ風車に想いを馳せた。
いつかその場所に行って、風車を見てみたい。たくさんの羽根が回る光景に圧倒されたい。平原を駆ける力強い風にその身を委ねたい。そんな風に思った。
夕食が済むと、お次はコーヒーを淹れてゆっくりと飲んだ。今度は私が身の上話や雨の街の生活について聞かせてあげた。
「話には聞いていたが、やっぱり不便なんだな」
「そうでしょう?」
私は困ったような笑みを浮かべた。
「でも、お前にとってはそれが当たり前の生活だったんだろ? なのに、街を出る前からそれを窮屈に感じていたんだな」
小森さんの言う通りだった。雨の街での生活は私にとって当たり前のようであり、当たり前ではなかった。むしろ風の色での生活の方が、ごくごく自然で普通なことのように思える。風の色で様々なものを見ていくうちに、そういう気持ちが強くなっていった。
やっぱり、私は記憶を失くす前、風の色にいたんだと思う。でも、何と言えばいいのか分からず、上手く返事ができなかった。
雨の街に輸出された食品に異物が入っていて、その原因を調べるために来たことも小森さんに話した。
課長さんの前では言わなかったが、小森さんとは今日一日一緒にいて、話しても大丈夫だと思ったのだ。
「ふーん、商品に異物が入ったなんて話は聞いたことがないな」
小森さんはコウモリと同じことを言った。
「そういう情報って、私たちには伝わってこないんですかね?」
「いや、もしそんなことがあれば大騒ぎさ。少なくとも私が入社してからは一度もないんじゃないかな」
釈然としない。小森さんの話が本当なら、異物混入が起きていることが隠蔽されていることになる。そんな状況で、本当に原因を突き止めることができるのだろうか。
私は急に不安になった。
おじさんが買ったスパゲッティにも異物が入っていた。そして、今日連れていかれたのもスパゲッティ工場だ。なんでだろう、何か嫌な予感がする。
私はスパゲッティに異物が入っていたことに関しては小森さんに言うことができなかった。
その代わり、大雨の夜に女の子に言われたことについて話した。私の失われた記憶に関係しているから異物混入事件を解決してほしい、ということを。
「なんだそりゃ、私にはちょっとよく分からないな」
「ですよねー」
自分でもこの話の信憑性に自信がなくなってきた。仮に夢じゃなかったとしても、女の子の言っていたことが真実とは限らない。
「でもまあ、何か分かったら教えるから、頑張れよ」
「……はい!」
小森さん、初めは気怠そうだったけど、話してみると良い人だな。
不安だった気持ちが少し勇気づけられた。
コーヒーを飲んでおしゃべりした後は、火ではなくガスで焚いたお風呂に入って、洗面所で歯を磨き、明日に備えて早めに眠ることにした。
風の色で初めて過ごす夜だったけど、ベッドに入るとすぐに睡魔がやってきた。
翌日、私は小森さんと一緒に車で出勤した。
工場に着き、女子更衣室で白い作業着に着替えたあと、休憩室で朝礼に参加した。私はスパゲッティをパッケージする包装部門で働くらしい。
工場の作業場の風景は、私の理解を遥かに超えたものだった。
部屋の面積は広く、天井の高さも二階分はある。床は明るい緑色で、表面がツルツルだ。
そして何より目に付くのは、部屋を埋めつくしているごちゃごちゃとした機械たち。床上に並んでいる機械もあれば、四角型の筒が直立して天井に刺さっているようなものもあり、何がどうなっているのか訳が分からない。
初日の仕事は商品を検品する作業であった。ベルトコンベヤーという機械に流れる乾麺の中から、汚れた麺や曲がった麺を機械的かつ無慈悲に摘み出す。ただそれだけ。
二日目以降も、しばらくは同じような作業をする日々が続いた。
雨の街の人にとっては未知のものだらけのはずだけど、私は自分でも驚くほど簡単に、あるいはありのままに工場の知識を吸収することができた。
異物に関しては、人の目による検品と金属検査機という機械で全て除去できるらしい。なぜ雨の街であれほど異物が見つかっているのかはやはり謎だ。
それに、今はスパゲッティ工場で働いているけど、異物混入は色々な食品で起きている。そこにはきっと何か裏がある。私はその正体を捕まえなければならない。
ある日、私と小森さんは仕事が終わったあとに図書館へ寄った。異物混入に関して調べたいことがあったからだ。
大雨の夜にあの女の子と会ったとき、私の失われた記憶が異物混入事件に関係していると言われた。その出来事を軸に手掛かりを探そうと思ったのだ。
私は六年前、記憶を失くした状態のまま雨の街で拾われた。だから、まずは六年前に何かなかったか、当時の新聞記事にざっと目を通してみた。
が、これは不発に終わった。六年前に「記憶喪失」や「雨の街」といったワードに関係していそうな事件はなかった。
次に、あの女の子の様子について考えてみた。
あのときは目が虚ろで「異物混入事件」というあの子が知りえないような言葉を発していた。まるで催眠状態か夢遊病にでもなったかのように。
何らかの異物を飲み込んだせいで、あの状態になったと仮定してみる。何を飲み込めば、あんなことが起こるのか。
パッと思い浮かんだのは薬物の類だ。だけど、普通に考えて違法な薬物が食品工場で混入するわけがない。
他にそういう状況を起こせるものがないか調べてみたけど、黒魔術だの降霊術だの魂の憑依だの、胡散臭い書物しかなかった。
「おーい、何か分かったか? そろそろ帰るぞー」
本棚の前で黒魔術の本を見ていると、小森さんが背後から声を掛けてきた。
「なんだ? お前オカルト本なんか見ているのか?」
「あのー、こういうのって実在するんですかね?」
「はぁ? あるわけないだろ」
「ですよねー」
私は微妙な笑みを浮かべた。
「小森さんは何を見ていたんですか?」
「スマホで小説読んでた」
そう言って、手のひらくらいの大きさの四角い板のようなものを見せてくれた。そういえば、風の色の人々はこの板を至るところで見ているような気がする。
「これがスマホ、ですか?」
板の表面をよく見てみると、小説の文章が綺麗に映っていた。
「すごい、本じゃないのに本になってる!」
「誰でも自由に小説を書いたり載せたりすることができるんだ」
「へ、へぇー」
私は驚きながら、手に持っていた本を本棚に戻した。
結局、何の成果もないまま私たちは図書館をあとにした。
去り際に、私はさっきまでいた本棚の方をもう一度見た。
「まさかね……」
誰にも聞こえないように、そう呟いていた。
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