共犯
私はどうするべきか迷った。
逃げた理由を説明するということは、私が異物を混入させたと告白するということだ。
「いや、急に声を掛けられたからビックリして……」
とりあえず、ごまかしてみることにする。
「何かやましいことでも?」
「ないないっ」
「ふーん」
カナデは疑いの眼で私を見た。
「もしそうなら、逃げたのは悪手だったね。そろそろニュースにもなってるんじゃないかな」
カナデはポケットからスマホを取り出し、何かを調べ始めた。
「あったあった」
そう言ってスマホの画面を私に見せた。
『少女他一名が警察官に暴行を加え逃走』
本日午後三時頃、第四区の街中で職務質問をしようとしていた警察官二名に対して、少女他一名が暴行を加え、逃走するという事件が発生した。少女と共にいた人物は茶色のローブと白い仮面を身に着けており年齢性別が分からず――。
「ちょっとぉ!」
ニュースサイトをそこまで読んだところで私は叫んだ。
「暴行を加えたのはカナデでしょ!」
立ち上がり、カナデに向かって指差す。
「え、だってしょうがないじゃん。ピンチだったんだし」
「なんで私まで乱暴者になってるのぉ」
私はへなへなとへたりこんだ。
「でも、この文面を見る限りでは、警察は本当に職務質問しようとしていただけみたいだね」
「これからどうすればいいの……」
机に突っ伏し、ため息と共に声を漏らす。
すっかり忘れていたけど、小森さんに頼まれた買い物の途中だった。小森さんが心配しているかもしれない。
それにしても、まだ事件から一時間も経っていないのに、もうニュースになっているなんて……。
「とりあえず、ヒカリはしばらく出歩かない方がいいんじゃないかな。僕はともかく、君は警察に顔を見られているわけだし」
「そんな。いつまでもここにいるわけにはいかないよ」
「家族に連絡する?」
「…………」
そうだ。カナデは、私が雨の街から来たということをまだ知らないんだ。私が異物を混入させた件は伏せて、それ以外のことは全部話しておいた方がいいかもしれない。
「実は……」
私は自分が風の色に来た経緯を話した。
雨の街で異物混入事件が発生していること。それを解決することが、私の失くした記憶と関係していると言われたこと。今はスパゲッティ工場で働いていること。風の色での異物混入騒動のあとは何も起こらず、途方にくれていたこと。
「なるほどね」
自分では結構壮大なエピソードだと思っていたけど、カナデは特に驚いたそぶりも見せず、静かに話を聞いていた。
「まず、女の子が大雨の夜に現れたことは、魔法とは関係ないと思うな。魔法って言っても、何でもできるわけじゃないんだ。僕の知る限り、人を操ったり催眠状態に陥れる魔法は存在しない」
「そうなんだ」
せっかく有力な手掛かりだと思っていたのに、あっさり否定されてしまった。
「ところで、今はその小森さんっていう人が家族の代わりなの?」
「やっぱり小森さんに連絡した方がいいのかな……」
「もし君が捕まりたくないのなら」
カナデはそう言って一呼吸置いた。目付きが少し鋭くなったような気がした。
「その小森さんには連絡しない方がいいと思う」
「……どういうこと?」
私はおそるおそる問いかける。
「さっき僕は、警察が本当に職務質問しようとしていただけみたいだと言ったけど、撤回するよ」
「どうして?」
「小森さんが通報した可能性がある」
「……え?」
頭の中が真っ白になった。そのあとに続く言葉が出てこない。
この人は一体何を言っているの?
「もちろん可能性は低いと思う。でも、小森さんが君を買い物に行かせたタイミングで、警察が君に声を掛けたのが何か引っ掛かるんだ」
「そんな……小森さんはそんな人じゃない……」
もしそれが本当なら、小森さんは私が異物を混入させたことを知っていることになる。それはありえないはずだ。
「小森さんが警察にどういう伝え方をしたのかは知らない。けど、君があのリサイクルショップに現れることと、その大体の時間が分かるんだからどうとでもなるはずだ」
「それなら、別にわざわざそんな回りくどいことしなくても、警察に家まで来てもらえばいいだけでしょ?」
私はムキになって言い返した。すると、カナデは黙り込んでしまった。
「……どうしたの?」
「なあ、それが君の反論なのか? 疑問点はそこなのか?」
「え?」
私にはカナデの言いたいことが見えなかった。
「さっきから君のリアクションを聞いてて思ったんだけどさ。普通は『なぜ小森さんが君のことを警察に通報したのか』ということを真っ先に疑問に思わないか? 僕が暴力沙汰を起こす前の話なんだから」
「あっ……」
そうだった。私が異物を混入させたことをカナデには話していない。その話がなければ、私が通報されること自体がそもそもおかしいのだ。異物を混入させたことが自分の中で当たり前の事実として定着しているから、うっかりしていた。
どうしよう。
私は上手い言い訳が思い付かず、絶句してしまう。
「悪いけど、鎌をかけさせてもらったよ。やっぱり君は何かしたんじゃないのか?
「う……」
もうダメだ。ごまかしきれない。
私は全てを打ち明けそうになった。
これ以上自分の罪を独りで抱えていくことに耐えられなくなっていたし、疲れてもいた。
「大丈夫、何も心配しなくていい。悪いようにはしないし、できるだけヒカリの力になりたい。だから正直に僕に話してほしい」
さきほどまでのカナデの鋭い目は、相手の心までも包み込んでしまうような優しい瞳へと変化していた。
それを見た私は、喉元まで出かかっていた罪の話を無意識の内に吐き出した。
全てを話し終えた私は椅子に座ったままうなだれていた。
正直に打ち明けてすっきりしたという気持ちはなかった。これで良かったのだろうかと考えてもみたが、結局私にはどうすることもできなかったのだと思う。
カナデの方はというと、やっぱり驚いた表情は見せていなかったけど、口元に手をあて深く考え込んでいる様子だった。
しばらく経つと考えがまとまったのか、再び口を開いた。
「まずは、正直に話してくれてありがとう」
「うん……」
「君のやったことに対して、僕はとやかく言うつもりはないよ」
「うん」
「ちょっとぶっ飛んでるけど、犯人への働きかけとしては悪くなかったのかもしれない」
「…………」
「それで、今後のことなんだけど」
「……はい」
自分の罪を知られているせいか、私はすっかり委縮してしまっていた。
「やはり君はしばらくここに身を潜めていた方がいいと思う」
「ここであなたと暮らすということ?」
「ああ」
「しばらくってどれくらい?」
「どうだろう、少なくとも僕の暴行事件のほとぼりが冷めるまでは。それに、君に手伝ってほしいことがあるんだ」
「何?」
「僕を雨の街へ連れて行ってほしい」
「……え」
どうしてここで雨の街が出てくるんだろう。
「さっき、僕は魔法の研究をしていると言っただろう?」
「うん」
「雨の街に雨が降り続けているのは、間違いなく魔法の力によるものだ」
「そうなの!?」
「ああ、一つの場所だけに雨がずっと降り続けるなんて本来はありえないことなんだ。科学的に考えればね」
科学。
その言葉の意味は分かるが、科学と魔法の相関性が私には見えてこない。
「でも私、行き方なんて分からないし」
雨の街と風の色の間には、濃密な白い霧が広がっている。
私はそこを通り抜ける間、ずっと気を失っていたんだ。コウモリに運ばれながら。
「例の霧は僕が風の魔法で吹き飛ばす。まっさらにするのは無理だけどね。霧をどかしながら君と歩けば、もしかしたら見つけられるかもしれないだろ?」
そんなことが可能なのだろうか?
あの時、私はどのくらいの時間、コウモリに運ばれていたんだろう。たしかあの日は朝五時前に家を出て、九時頃に工場に到着した。そこから徒歩の時間を引くと、気絶していたのは二時間くらいだろうか。
コウモリの飛ぶスピードで二時間だとしたら、かなりの距離がありそうな気がする。でも、二時間ずっと飛んでいたとは限らない。実際に飛んでいたのは数分で、それ以外はコウモリも休んでいた可能性だってある。
「行けるかどうかは何とも言えない」
私は正直に言った。
「もちろん、無理して探すつもりはないんだ。基本的には日帰りで戻ってくる。それに、雨の街に行くことは君にとっても有益だと思うよ」
「どういうこと?」
「だって、君が起こした異物混入事件のあと、雨の街への商品に異物混入が続いているか確かめるべきだろう? つまり、あの騒動が抑止力として働いているかどうかということだけど」
たしかにそうかもしれない。もしこのままコウモリに会えないなら、自分で雨の街に行ってどうなったか訊くしかない。
「どうしよう……」
「まあ、今すぐ答えを出さなくてもいいよ。今日は大変だったろうから、少しここでゆっくりしていくといい。帰ろうと思えば、いつでも帰れるんだから」
「うん……そうさせてもらう」
結局この見知らぬ男性に対する警戒を緩めてしまったけど、仕方がない。ここに来てから色々な話が持ち上がり、頭がパンクしそうになっている。
魔法の存在、カナデと私の暴行事件のニュース、ここに隠れて暮らすこと、雨の街への帰郷――
それらのことは一旦忘れたい。ちょっとでいいからぼーっとして、頭と心を休ませたい。
「ソファーに座ってていいよ」
カナデはそう言ってリビングにある黒い革製のソファーを指さした。
「ありがとう」
私は柔らかいソファーに身を沈めた。そして、そこにあったクッションを無意識の内に抱きしめていた。人の家の物なのに。
そのまま目を閉じて、何も喋らずに過ごした。
このマンションの一室で、静かな時間が流れていくのを感じた。
それからは、二人でずっとテレビを見ていた。しかし、その映像も音声も私の頭の中には入ってこない。何の面白みもない番組だけど、この部屋の沈黙を埋めてくれればそれで良かった。
「小森さんのことだけど」
私と同じように黙ってテレビを見ていたカナデが突然口を開いた。
「うん?」
「さっきは鎌をかけたって言ったけど、彼女が通報した可能性がゼロじゃないのは本当だ。ヒカリの異物混入は本当に彼女に悟られなかったのかい?」
「そんなの分かんないよ……」
抱きしめていたクッションに頭を埋める。
小森さんは今頃どうしているのだろうか。
「そろそろ考えはまとまった?」
窓の外に目をやると、無機質な街並みが暖かい夕暮れの光に染まっていた。
こんなに時間が経ったのに、私はほとんど何も考えていなかった。
「うん……」
弱々しく声を漏らす。そんな私を見てカナデはフッと微笑んだ。
そこでテレビ番組が夕方のニュースへと切り替わった。そして、そのトップニュースに私は息を呑んだ。
「本日午後三時頃発生した警察官への暴行事件の続報です。二人組の犯人のうち、一人の少女の身元が判明しました――」
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