変身
「えっ……」
画面に映し出されている映像に私は驚愕した。心臓が鈍い音を立てて脈打つ。
そこには私の顔写真が映っていた。写真の中の私は、無表情で正面を真っ直ぐに見ている。
風の色に来てから写真というものを初めて知ったけど、私自身がこんな写真を撮った覚えは全くない。
アナウンサーは、この写真の人物がスパゲッティ工場で働く十五歳の少女であり、警察が行方を追っているということだけを告げた。
雨の街から来たことは言及されていない。そのことは知られていないのか、それともあえて公表しなかったのか。
当然、私の失くした記憶の手掛かりになりそうな情報もなかった。
言葉を失った私は横目でちらりとカナデを見た。カナデは澄ました表情で私を見返した。
「……どうする? これで君は完全にお尋ね者になってしまったわけだが」
これほどの事態にまで発展しているのに、カナデは相変わらず冷静だ。その泰然自若っぷりに不気味さすら覚えた。
「私は……」
どうもこうもなかった。
こんな状況になっても、私は小森さんの家に帰るとでも言うのだろうか。彼女なら私のことを理解してくれて、助けてくれるとでも言うのだろうか。
少しの間考えてみたけれど、それは無理だ。
私はまたクッションを抱きしめてうずくまった。
ごめんなさい、小森さん。私はあなたのことを信じることができません。
そう心の中で呟くと、なんだか泣きたくなってきた。わけの分からないことが次々に起きて、押し潰されそうな気分だ。
どうしてこんなことになっているのだろう。
全ては私が異物を混入させてから起きているような気がする。抗えば抗うほど、見えない謎の力が働いて私の目的を阻止しているのかもしれない。私があんなことをしたからカナデが現れて、警察だの魔法だの色々な問題が持ち上がっているのかもしれない。
とはいえ、カナデのことを責める気にはなれなかった。カナデは実際私のことを助けてくれたし、全ては私に対する罰のようにも思えた。
「私を……」
顔を上げてカナデの方を見た。涙はなんとか堪えた。
「私をしばらく匿ってくれませんか?」
今の私ではこう言うよりほかはなかった。物事を上手く考えることができなかった。
「そうするといいよ」
カナデは二つ返事で了承してくれた。
私たちは晩ご飯を食べながら、これからのことについて話し合った。
「部屋は姉さんが使ってた部屋があるから、そこを使っていいよ」
カナデはそう言ってカレーライスを口に運んだ。今日の晩ご飯はカナデが作ってくれたものだ。
「お姉さんいるんだ」
「まあね」
「今はどうしているの?」
「魔法の研究絡みでね、一年くらいは戻ってこないんじゃないかな」
「ふうん」
「服とかも自由に着ていい。背格好はヒカリと同じくらいだから、たぶん大丈夫でしょ」
軽々しく言ってくれる。これだから男の人は……。
だけど、着の身着のままで来てしまったから、当然着替えなどは持っていない。お財布はあるけどお金は初任給の分しかないので、新しい服に使うわけにもいかない。申し訳ないけど、あとでお姉さんとやらの服をチェックさせてもらうしかなさそうだ。
カナデは私の沈黙を肯定と捉え、話を続けた。
「何か足りないものがあれば、自分で買いに行ってもいいけど、なにせ君はお尋ね者だ。そのまま出ていくのもリスキーだろう」
「それはそうだけど」
「とりあえず少しでも髪を切って、マスクは付けた方がいいな」
「いやいや、髪を切るのも外に出なきゃダメでしょ」
「あぁ。そんなの僕が切ってあげるよ」
「えっ」
本気で言っているのか、この人は。
「お金がないときは僕が姉さんの髪を切ったりしてたんだ。プロ級とはいかないけど、ヘンテコな髪にはならないから大丈夫だよ」
ものすごく不安だ。雨の街にだって床屋くらいはあるのに。
お姉さん、あなたのおかげで私は成すがままにされようとしています……。
「ついでに色も金髪にしようか? ははっ」
「お願いだから金はやめて」
金髪にすることは断固拒否した。だけど、茶髪にするということでしぶしぶ手を打った。よくよく考えたら、風の色に来てから一度も髪を切っていなかったから少し伸びていたし。
それから私たちは少しの間カレーライスを食べることに集中し、食べ終えてしまうと今度は私から話を切り出した。
「さっき、雨の街へ行くって言ってたことだけど」
「ああ、それね」
「いつ行くの?」
「まず、君の目的を優先して考えると、風の色での異物混入事件……つまり君が起こした方だけど、それが発覚したのが今からちょうど一週間前だ」
「うん……」
「それよりあとにも、異物混入が続いているかどうかが知りたい。商品を生産してから出荷するまでの期間は長くてどのくらい?」
「……一週間」
出荷関係は私の仕事じゃないから小耳に挟んだくらいだけど、たしかそう教わったと思う。
「じゃあ、一週間後の土曜日に行こう。それなら事件発覚の二週間後だ。その時になっても雨の街で異物混入が続いているなら、それは風の色での事件後に混入されたものである可能性が高い」
「まあ……そういうことになるね」
「もちろん、そのとき異物混入が起きていなくても、ほとぼりが冷める頃にまたやられる可能性だってある。けど、まずは現状把握の第一弾として行く価値はあると思うよ。それに……」
「それに?」
「君は……ヒカリは、もう風の色に戻らずに、そのまま雨の街で暮らした方がいいのかもしれない」
「えっ……」
その選択肢については考えていなかったが、言われてみればその通りかもしれないと思った。もう風の色では働けないし、いつまでもこの家に置いてもらうわけにもいかない。
でも――。
「そうしたら、私が風の色まで来た意味がなくなっちゃう。私は雨の街の異物混入をなくし、記憶を取り戻すためにここまで来たんだから」
「そうか……」
カナデはふうっとひと息吐き、その透き通るような青い瞳を私に向けた。
「ヒカリ」
「……何?」
「これから先、
「……わかった」
私は静かに頷いた。
そのあと、カナデは買い物へ出かけていった。私のヘアカラーも買ってくると言っていた。変な色のやつを買ってこなければいいけど。
私は一人でお留守番をすることになった。どうやら、もう完全に信用されているようだ。
私がカナデのことを信用しているかというと、実はよく分からない。
成りゆきとはいえ、いきなり同年代の男の子と生活することになってしまったが大丈夫だろうか。夜な夜な襲われたりしないだろうか。そんな感じの人には見えないけど。
しかし、他にどうすることもできないので、とりあえずカナデのお姉さんの部屋を見させてもらった。
彼女の部屋はシンプルで飾り気がない。家具は全て木製で、必要最低限のものだけが揃えられている。
小説が好きなのだろうか、本棚に並んでいるのはほとんどが小説や、執筆のノウハウ本と思われるものだ。
タンスやクローゼットに入っている服は無難なカジュアルファッションで、カナデの言う通りサイズは私とちょうど同じくらいだ。下着まで同じサイズなのはちょっとした奇跡かもしれない。
お姉さんの部屋を見終わるとやることがなくなったので、リビングでテレビを見て過ごした。
明日からは平日なのでカナデは日中、仕事に行くらしい。
何の仕事なのか訊いたら「魔法の研究」としか答えなかった。
とりあえず「魔法の研究」と言っておけば何でも誤魔化せると思っているんじゃないだろうか、あの人は。
なぜお姉さんと暮らしていたのか、両親はどうしているのかということも気にはなったけど、込み入った事情があるのかもしれないし、今は深入りするのはやめておいた。私は居候させてもらっている身なので、うんと頷くだけにしておいた。
三十分ほど経つとカナデが帰ってきて、さっそく私の髪を切ることになった。
床に新聞紙を敷き、その上に椅子を置き、私が座る。首の周りも新聞紙でカバーして準備完了だ。
カナデは私の髪を水スプレーで濡らしてから櫛で梳かし、慣れた手付きでチョキチョキと切り始めた。初めは半信半疑だったけど、お姉さんの髪を切っていたのは本当のようだ。
そういえば、小さい頃はおじさんにこうして髪を切ってもらっていた。それを思い出すのと同時に、随分長い間おじさんのことを忘れていたことに気付かされた。
どうしてだろう、あんなに長い間一緒に暮らしていたのに。自分でも少し不可解に思えた。
二十分も経たないうちに、カナデは私の髪を切り終えた。
「なかなかいい感じになってるよ」
本当だろうか。ここには鏡がないから分からない。
「次は風呂場で髪を染めてきて。はい、これ」
そう言って、カナデは私にヘアカラーやタオルやらクリップやらクリームやらを手渡した。
「これが髪を染めるのに必要なものらしい。姉が半身不随だから代わりに買いにきたと言ったら、店員さんが涙ぐみながら教えてくれたよ」
勝手に半身不随にされたお姉さんに心の中で合掌しつつ、それらの道具を受け取った。
「あと、時間も測るらしいから僕のスマホを使って」
髪の染め方はヘアカラーの説明書に書いてあるけど、カナデが簡単に補足説明をしてくれた。それも店員が鼻水をすすりながら教えてくれたらしい。
女の私が男の子に髪の染め方を教わるのも癪だったけど、初めてやることだから仕方がない。私は黙ってその教えを聞いた。
お風呂場へ移動したあと、私はまず鏡を見て驚いた。
元々髪は短いほうだったけど、少し伸びていた毛先が整えられ、可愛らしいショートボブになっていた。特におかしいところも見当たらず、素人にしては上出来だと思う。彼は魔法の研究なんかやめて、美容師でも目指した方がいいのではないだろうか。
それはさておき、新しい髪型に満足した私は髪を染める作業を始めた。四苦八苦しながらも、説明書とカナデの教えと様々な道具を駆使し、なんとか作業を終えることができた。
髪を乾かし、改めて鏡を見てみると、そこにはブラウンのショートボブの女の子がいた。なんだか生まれ変わった気分だ。たしかに、これでマスクも付ければ外を出歩いてもまずバレないだろう。
リビングへ戻ると、ソファーに座っているカナデがこっちを見てニコッと笑った。
「上手くいったみたいだね。似合ってるよ」
「あ、ありがとう」
素直に褒められるとなんだか気恥ずかしい。
「じゃあ、あとは一週間後を待つだけかな」
「うん……」
私はお姉さんの部屋に行き、適当な時間になると眠ることにした。
初めて使うベッドで横になると、ぎしぎしと少し軋むような音が聞こえた。小森さんの家のベッドではそんなことなかったんだけど。
ふと、小森さんの家にある自室を思い出した。
よくよく考えると、私は家を出て住居を転々とし、犯罪者として追われ、今は髪の色を染めてよく知らない男の家に転がりこんでいる。そう思うと、自分が随分とふしだらな女のように見えた。
おじさん、ごめんなさい。ヒカリは悪い女になってしまいました。
届きはしないだろうけど、育ての親であるおじさんに一応謝っておいた。
他にも考えるべきことが沢山あるんだけど、今日はもう無理だった。人間というのは、疲れたときには眠らなければならない。そして、明日が来ればまた起きなければならない。
とにもかくにも、こんな風にして一週間だけの二人暮らしが始まった。
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