ふたり暮らし
月曜日、一週間の始まりの日。
私は目覚まし時計のアラーム音で七時に目覚めた。もう仕事に行けないから早く起きる必要は特にないんだけど、カナデが七時に起きると聞いていたから一応それに合わせて起きた。
洗面台で顔を洗い、まだ見慣れない茶色の髪を櫛で梳かし、パジャマ姿のままリビングに行った。
カナデは既に起きていて、食パンを食べていた。焼いたり何かを塗ったりはせず、そのままだ。飲み物は牛乳。そして、テレビには朝のニュース番組が映っている。
「おはよう」
カナデがこちらを振り向いて言った。
「……おはよう」
私も食パンと牛乳を貰い、一緒に食べた。その間、特に会話らしい会話はなかった。こうしてカナデと共に朝食を食べるというのが妙にむず痒く、考えていることが上手く言葉にならない。
朝食を食べ終えると、カナデは着替えやら朝の支度を済ませ、玄関に立った。
「退屈だろうけど、ヒカリは大人しくしていてくれ。まあ、できれば掃除や洗濯なんかをしておいてもらえると助かる」
「わかった、気を付けてね」
「僕のパソコンで遊んでてもいいから」
「うん」
「それじゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」
カナデは軽く手を上げ、仕事に出かけていった。私も軽く手を振って見送った。
カナデがいなくなり一人になった私は、とりあえずTシャツとジーンズに着替えた。今着替える必要は特にないのだけれど、ずっとパジャマ姿でいると凄くダメな人間になってしまうような気がしたのだ。
着替えたあとは、言われた通りに掃除と洗濯を済ませることにした。先に洗濯機を回してから部屋を掃除し、洗濯物を乾かす。
部屋も洗濯物も二人分しかないので、一時間程度で終わってしまった。私は早くも暇になった。
時計を見てみると、時刻はまだ午前九時過ぎだ。
とりあえずソファーに座り、どうしたものかと考えてみる。
私はスマホを持っていないから、あとはテレビを見ることくらいしかやることがない。
しかし、カナデがパソコンを使っていいと言っていたことをふと思い出した。
私はパソコンには詳しくないけど、小森さんの家にもノートパソコンはあって、インターネットの見方だけは教えてもらっていた。それほど興味を惹かれなかったから、すぐにやめてしまっていたけれど。
先ほどカナデの部屋を掃除したときにちらりと見たが、小森さんが持っていたものと同じようなノートパソコンだったので、たぶん私にも使えるだろう。
よし、今日はパソコンで遊ぶぞ。
そう決めるとカナデの部屋に行き、机の上にあるノートパソコンの電源を入れた。
画面上に様々なアイコンが表示されたが、私はインターネットの使い方しか知らないので、そのアイコンをクリックした。
さて、何について調べようか。
インターネットの使い道で代表的なのは「何かを調べること」らしい。他にもゲームやSNSとかもあるけど、そういうのはやったことがない。だから、とりあえず調べものをすることにした。
まず気になったのは、やはり魔法についてだ。カナデと出会うまで、魔法というものは架空の存在だと思っていた。小森さんもそう言っていた。
だけど、それは現実に存在していた。カナデは自由自在に風を起こしていた。それどころか、私にも魔法の力が宿っていると言った。
魔法という言葉を検索し、それがどういうものなのか調べてみた。しかし、どのサイトを見てみても、魔法はやはりフィクションやオカルトの世界だけに存在するものとして記述されていた。公にはされていないということなのだろうか。
そうだとすると、カナデが胡散臭い人物に思えてくる。私は心のどこかでそれを否定したくて、しばらく調査を続けたが結果は同じだった。とりあえず魔法について考えるのは諦めることにした。
いつまでも悩んでいたって仕方がない。カナデが話してくれるのを待とう。
魔法について調べることはやめ、ニュースサイトを適当に漁ってみた。しかし、インターネットに載っているニュースもテレビで報道されているものと大差はなかった。風の色で起きていることを時には淡々と、時にはセンセーショナルに報じている。
そういえば、私とカナデの事件はどうなったんだろう。
警察の動きとか、何か続報がないか検索して探してみた。すると、事態はさらに悪化していることが分かった。
『警察への暴行少女、スパゲッティの異物混入も彼女の仕業か――』
その記事を要約すると、暴行事件を起こしたとされている私が、第四区のスパゲッティ工場で働いていたことが分かり、異物混入の犯人も私なんじゃないかという内容だった。しかし、これはまだ噂レベルで、確証はないらしい。
多少の焦りは感じたものの、最初に報道されたときよりはショックを受けなかった。異物混入させたのは事実だし、罪状が一つ増えたところで、要は捕まらなきゃいいだけの話だ。思考回路がすっかり犯罪者になってしまっているのはちょっと悲しいけれど。
それより気になったのは、私が雨の街出身だということも報道され、それに対して反雨派の人たちが怒っているらしいということだ。
異物混入させたのは悪いと思っているけど、雨の街が批判されるいわれはない。
それに、
もちろん、雨の街への食品に異物混入させたのが反雨派だとまだ決まったわけではない。でも、私はやりようのない怒りに支配され、ニュースサイトを閉じた。
気分を変えるために別のサイトを見ることにした。
図書館に行ったとき、小森さんがスマホで小説投稿サイトを見ていたことを思い出したので、試しに読んでみた。けど、何が面白いのか私にはイマイチよく分からなかった。
次第にパソコンへの興味もなくなり、電源を落とした。
その後はテレビを見たりカップラーメンを食べたりしながら、ゆったりとした時間を過ごした。さきほどの報道のことは一旦忘れ、心を穏やかにしようとした。
そして午後三時頃、退屈に耐えられなくなった私は買い物に出かけることにした。
そうすることにした理由の一つは、晩ご飯の食材を買って作ろうと思ったことだ。昨日はカナデが晩ご飯を作ったけど、住まわせてもらっているのだから、私のお金で食材を買って料理くらいした方がいいだろう。小森さんと生活しているうちに風の色の料理も覚えたし。
もう一つの理由は、生理用品とか、カナデには頼めないものを買わなくちゃいけないということを思い出したから。
外出するのはリスクがあるけど、そのために髪も染めたんだから行ってもいいだろう。合鍵はカナデから預かっている。
私は支度をして、玄関の外へ足を踏み出した。
二時間後、私は無事に買い物から帰還した。
人が多いショッピングモールは避け、近場にあるスーパーマーケットで必要なものを全て揃えた。工場で働いている人に出くわさないか心配だったけど、その不幸は免れることができた。茶髪のショートヘアーでマスクを付けた私にかつての面影はほぼないから、不審な目で見られることもなかった。
買った食材をキッチンに並べ、さっそく晩ご飯の準備を始めることにした。今日は店員さん以外に話し相手がいなかったから、カナデが帰ってくるのが楽しみだ。
午後六時頃にカナデが帰ってきた。私はカナデの元へ駆け寄った。
「ただいま」
「おかえりー!」
「うわっ」
「お仕事お疲れさま!」
「とりあえず、その包丁を下げてくれないかな」
「あっ」
うっかり包丁を持ったまま玄関まで来てしまった。
「ヒカリが料理を……?」
「うん」
「僕が作ろうと思ってたのに」
そう言って、買い物袋を持っている右手を上げた。
「ううん、いいの。ご飯くらい作らないと。その食材は明日使ってあげるから」
「はいはい」
私は料理の続きに取りかかり、カナデはソファーで寝転んだ。
晩ご飯が出来ると二人で食卓に着き、いただきますを言った。今日のメニューはワカサギの唐揚げとサラダとコーンポタージュだ。サラダには、カナデが買ってきたベーコンも入れた。
カナデは私の料理を美味しそうに食べてくれた。そして、取り留めのない話をした。カナデは仕事――つまり魔法の話はしなかったし、私からも訊かなかった。その代わりに、今日見たテレビの内容とかをたくさん話した。
私の事件の報道についても話したけど、大したリアクションはなかった。もしかしたら、カナデはある程度想定していたのかもしれない。
あと、ちょっとした話の流れで、カナデの本名は
まあそれはさておき、やっぱり話し相手がいるというのは素晴らしいことだとつくづく思った。
次の日もその次の日も、同じような日々が続いた。カナデの家にトースターがあることが分かり、朝食の食パンは私が焼いてあげるようになったけど、それ以外は特に何も変わらない。
カナデを送り出し、掃除洗濯をして、テレビを見て、カップラーメンを食べ、またテレビを見て、買い物に出かけ、晩ご飯を作り、カナデが帰ってきたら一緒に食べる。それの繰り返しだ。
ある日、カナデが「まるで夫婦みたいだね」と言った。
私は保護員であるおじさんの家で育てられたから、その感覚がよく分からない。でもカナデが出かけている時間は退屈で嫌だったし、カナデが帰ってくると嬉しくなった。夫婦というのは、きっとそういうものなのかもしれない。
金曜日の夜、私たちは雨の街へ行く準備をした。と言っても、基本的には日帰りで戻る予定なので大した荷物はない。非常用の食料と飲み物の他には雨避け代わりのローブや懐中電灯、ちょっとした日用品だけだ。
「とりあえず行けるところまで行くって感じだから、これくらいかな。なるべく身軽な方がいい」
カナデにそう言われ、私は荷物をまとめてリュックサックに詰め込んだ。
「実は姉さんも一度雨の街に行ったことがあるんだけど、いい加減な人でね。適当に歩いてれば着くとしか教えてくれなかったんだ、ハハハ」
「…………」
カナデの笑顔とは裏腹に、私はもの凄く不安になった。
「でも、雨の街のことは気に入ってたみたいだよ」
「そうなんだ!」
それを聞いて少し嬉しくなった。多少不便でも、自分が育った場所を良く言ってもらえるのは気分がいい。
明日は朝五時に出発することにした。なるべく人目に付かないようにするために。
私たちは早めにそれぞれの部屋でベッドに潜った。お姉さんのベッドは相変わらず木が軋むような音がした。
明日、雨の街へ帰る。
理由は分からないけど、その実感が全然湧かない。あそこで暮らしていたのはほんの数ヶ月前のことなのに、遠い昔のことのように思える。今でも異物混入は起きているのだろうか。
まあいい、明日になれば分かることだ。
私はすぐに眠りにつくことができた。
眠っている間、雨の街へ行く夢を見たような気がした。
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