変わる街、変わらないもの

 雨の降りつづける街を弱々しく歩く。

 頭の中には、さきほど会ったおじさんと町長さんの表情が強くこびりついている。

 私は確信していた。あの顔は、あの目は、絶対に私のことを覚えていない。いや、それならまだマシなのかもしれない。もしかしたら、可能性すらある。


 どういうことなんだろう。もう分からない、分かんないよ――


 呆然としていた私は、ひとまずカナデとの待ち合わせ場所に来た。

 約束の時間にはまだ早いけど、誰でもいいから私を知っている人に会いたかった。私を知っている誰かと話をしないと、気が狂いそうだ。

 レストランの前の邪魔にならないところに立ち、カナデを待つことにした。



 ところが、約束していた午後三時を過ぎてもカナデは現れなかった。

 状況が状況だけに、とてつもなく不安になった。大丈夫、慣れない街でちょっと道を間違えているだけだ。そう自分に言い聞かせる。しかし、その考えとは裏腹に手が震えはじめた。



 午後四時になってもカナデは来なかった。

 何かトラブルがあったに違いない。そう認めざるを得なくなった。


 どうしたらいいんだろう。闇雲に探しても見つけられる気がしないし、下手に動いたら、遅れてくるカナデと入れ違いになる可能性だってある。


 そう考えると、その場から動くことができなかった。私はカナデを待ち続けた。



 午後七時になったところで、ついにお店の人に声を掛けられた。無理もない、見知らぬ女が四時間以上も店の前で突っ立っていたのだから。


 私はようやくカナデを探し始めることにした。しかし、手掛かりは何もないも同然だ。知っていることといえば、カナデが魔法針を使って雨の魔礫を探していることだけだ。もちろん、雨の魔礫がどこにあるかなんて見当もつかない。


 仕方がないので、当てもないまま街の中を歩き回った。商店街に住宅街、学校や役所、川辺の周りも調べた。

 しかし、雨の街の街灯は電気ではなく火のランプなので、懐中電灯があっても視界が悪く、捜索は難航した。カナデもローブを着ているせいで外見的特徴がほとんどなく、聞き込みもできない。だんだん人の姿も少なくなり、街中に独り取り残されたような気分になる。


 二時間探してもカナデは見つからなかった。

 再び商店街に戻ってきたところで、今日カナデを見つけるのは諦めることにした。一日歩きっぱなしだったせいで、もう足の感覚がなくなりそうだ。

 カナデのことはとても心配だけど、今は無事を祈ることしかできない。


 となると、次の問題は今晩どこに泊まるかということになる。日帰りを想定した荷物しか持ってきていないし、そうでなくとも、こんな雨が降りつづける場所で野宿するなんて無理だ。


 この街にも宿はある。けど、所持金が限られている以上、宿泊費は大きな痛手となる。できることなら利用したくない。


 野宿が無理で宿もダメとなると、選択肢は一つしかない。泊めてもらえるかどうか分からないけど、頼んでみる価値はあると思う。精神的はとてもきついのだけれど。

 少し迷ったが覚悟を決め、その場所へ向かって歩き出した。



 広場を抜け、石畳の坂道をしばらく歩いたところに目的の家はあった。この街では一般的な石造りの二階建てである。


「ただいま……」


 私は誰に言うともなくそう呟いた。

 そこにあったのは私が育った家だ。つまり、私を拾ってくれたおじさんの家。


 昼間に会ったおじさんの表情から察するに、おじさんは私のことを覚えていないだろう。理屈は全く分からないけど。

 だけど、一度諦めてしまえば不思議と恐くなくなった。私とおじさんは知り合いじゃないのかもしれない。今はとりあえず、そう割り切るしかない。


 私は玄関の扉を三回ノックした。するとすぐに扉が開き、隙間からおじさんが顔を出した。


「誰だ?」


 おじさんは私の顔を見てからそう言った。

 やっぱり私のことは覚えていないようだ。もしかしたらと淡い希望も抱いてはいたけど、それが完全に打ち砕かれた。予想していたこととはいえ、私は少なからず悲しみを覚えた。

 だけど、ちゃんと話をしないと不審に思われるから、なんとか気を持ち直そうとした。


「私、風の色から来たんですけど、一晩ここに泊めてもらえませんか?」


 おじさんは微かに目を見開いた。


「なんで俺が泊めなきゃいけないんだ?」

「あなた、この街の保護員ですよね?」

「なんで俺が保護員だと知っている?」

「街の人にここのことを教えてもらったんです」

「……入れ」


 観念したのか、おじさんは扉を開けて私を家の中に入れてくれた。


 玄関の先には懐かしい風景が広がっていた。ランプで照らされたちょっと薄暗いダイニング。その中央には木製のテーブルと椅子がある。


「まあ、とりあえず座れや」


 私は椅子に座り、おじさんはキッチンに寄りかかる。


「一晩でいいのか?」


 前置きもなく、いきなり話が始まった。おじさんはいつもこうだった記憶がある。


「……はい」

「お前、保護員が何なのか分かってるのか?」

「身寄りのない子供の面倒を見る人ですよね?」


 私がそう言うと、おじさんは少しの間黙って何かを考えていた。


「まっ、それも悪くねえか……」


 おじさんは微かに笑みのようなものを見せた。


「お前の事情は訊かねえからよ。一晩ここに泊めてくれって頼んでくる家出娘がたまにいるんだよ」

「はぁ……そうなんですか」


 私がここに住んでいる間は、そんな子が来た覚えはない。


「寝室は二階にあるから、そこを使っていい。飯くらいは出してやるが、食うか?」

「お願いします」


 おじさんは頷いて、すぐにキッチンで支度を始めた。


 おじさんが料理を作っている間、二階にあるかつての私の部屋で待たせてもらうことにした。


 彼が私の知っているおじさんだったら、そのままダイニングにいて話したいことがいっぱいあったんだけど、私のことを覚えていないとなると何を話せばいいのか分からなかった。


 かつての私の部屋は、私がここを出たときとほとんど変わっていないように見える。机にベッドにタンスに本棚。電気がないので、テレビやエアコンはない。

 風の色から戻ってきた今となっては、よくこんな部屋でずっと暮らしてきたものだなと思う。テレビもないのに私は一体どうやって退屈を凌いでいたのだろうか。本でも読んでいたのだろうか。


 特にやることもないので、ベッドに腰掛けてぼうっと部屋を眺めた。何かが足りないような気もしたが、それが何なのかは分からない。


 そのまま三十分ほど待っていると、階下から私を呼ぶ声が聞こえた。

 ダイニングに戻ると、テーブルの上にヒトデのグラタンが一人分あった。どうやらわざわざ私の分だけ作ってくれたらしい。


「冷めないうちに食え」

「……はい」


 私は席に着き、ヒトデのグラタンをちびちびと食べ始めた。

 この料理を食べるのはとても久しぶりだ。実際には数ヶ月ぶり程度なんだけど、それでもとても久しぶりなんだ。

 おじさんの作ったグラタンはとても温かくて、少し甘くて、それがやっぱり懐かしくて、なんだか泣きたくなってくる。本当に色々なことがあったけど、またこうしておじさんの料理を食べているということが嬉しくて、切なかった。


 雨の街へ来る前にカナデが言っていた。私はまた雨の街で暮らした方がいいかもしれないと。


 確かにその通りかもしれないと思った。おじさんは私のことを忘れているけど、また一からやり直せばいい。正式に保護対象にしてもらえば、またこの家で暮らすことができる。おじさんは口が悪いけど、本当は優しい人だからきっと承諾してくれる。


 そうすることができたらどれだけ幸せだろうと思った。同時に、それはできないことなんだとちゃんと心の中では分かっていた。私は自分の目的も達成していないし、カナデのことも放っておけない。


 気が付けば、何かに急かされるようにグラタンを次々に口に運び、完食した。

 泣きたくなったけど、泣くのは最後まで我慢した。

 おじさんはそんな私を優しい目で見守ってくれた。



 晩ご飯を食べたあとは釜のお風呂に入り、すぐに眠ることにした。今日はひどく疲れたし、色々なことがありすぎた。


 朝起きて目が覚めたら全部夢でした、そんな結末だったらいいのに。私はいつも通りカナデの家で目覚めて、いつも通りカナデの朝ご飯を作る。

 でもきっとそんなことにはならないだろう。カナデはどこかに消えてしまったのだ。最後に柔らかい笑顔を私に見せて、いなくなってしまった。


 明日もカナデを探し続けるべきだろうか。明日も見つからなかったらどうする? 明日もここに泊めてもらう? 明後日も明々後日も、その先もずっとカナデを見つけられなかったら、どうしたらいい?


 実は、ここに一晩だけ泊めてもらうように頼んだのは、何か考えがあったからではない。単純に、一晩だけって言った方が泊めてもらえる可能性が高いと思ったからだ。要するに、目先のことしか考えていなかったわけだ。

 まあ、今更どうこう言っても仕方がない。明日の私がどうにかしてくれることに期待するしかない。


 そこまで考えたところで、私は雨の子守歌に優しく包み込まれた。

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