最後のピース

 目が覚めてまず視界に入ったのは、カナデの家の白い天井ではなく木材の天井だった。窓の外では、雨音が壊れたラジオのように鳴りつづけている。


 そうだ、私は雨の街にいるんだった。


 昨日とは違う天井を眺めながら考えてみる。


 この奇妙な感覚を何回体験したっけ。小森さんの家で目覚め、カナデの家で目覚め、そしてまた自分の部屋で目覚める。一周して元に戻ってきたような気分だ。大きな円状の道を歩いて、また同じ場所に来てしまったのだ。


 私はむくりと身体を起こし、パジャマを着替えて、一階へ下りた。


「よう、もう行くのか?」


 おじさんは先に起きていた。時計の針は既に八時を指している。随分とゆっくり寝てしまっていたみたいだ。


「はい、もう出ようと思います」

「朝飯くらい食っていったらどうだ」

「いえ、食べるものは持っているので大丈夫です。それに、急がないといけないし」

「そうか、じゃあな」


 別れの挨拶はそれだけかい、相変わらずだなぁ。


 そう思ったけど、以前にも同じようなことを感じた覚えがある。


 そうだ。私が風の色へ行くときにも、こんな風にぶっきらぼうに見送られたんだった。


 なんだかおかしくて、でも嬉しくて、吹き出しそうになる。


「それだけですか?」

「あ? 他になんかあるのか?」

「いえ、別に」


 私は悪戯っぽく微笑む。


「ま、お前が何者か知らんけどな」


 おじさんは無精髭を撫でながら言った。


「辛いことがあったら、またいつでも来い」


 その言葉を聞いてハッとした。おじさんは、私が風の色へ行くときも同じことを言ってくれたから。

 

 やっぱり、おじさんはおじさんなんだ……。


 心の中がシチューみたいに温かくなるのを感じた。


「……うん!」


 ローブのフードを被り、玄関扉のドアノブを掴む。


「おじさん、またね!」


 満面の笑みでそう言ってやった。


「あぁ、またな」


 おじさんはビックリしたみたいだけど、少しだけ口元が緩んでいた。



 おじさんの家を出たあと、私はとりあえず商店街の入口にある広場を目指して歩き出した。


 私を取り巻く物事が一周している。

 おじさんに見送られて家を出たとき、改めてそう感じた。数ヶ月前に風の色へ行ったときと同じような気分だからだ。状況はあの時とは結構違うけど、私は雨の街へ戻ってきて、こうして再びおじさんに送り出されている。

 もちろん、一周しているというのがただの錯覚だということは分かっている。だけど、奇妙な再現性を感じずにはいられなかった。

 なので、私は広場へ向かうことにした。あの日の朝もまずそこに行ったからだ。もしかしたら、何かが起こるかもしれない。


 まだ朝なので広場にはほとんど人がいなかった。広場は円形で、その中心に樹木の形をした巨大な石像が建っている。昨日見た光景と同じだ。

 そこでふと、雨の街へ帰ってきてから苔取り屋さんを一度も見ていないことを思い出した。やっぱり私の知っている雨の街とは違うところがあるみたいだ。


 私が風の色へ旅立ったあの日、ここである人物と待ち合わせをした。いや、それは人物と呼ぶべきではないのかもしれない。

 とにかく、彼女は今日もあの日と同じ場所にいた。樹の石像の枝にぶら下がっていた。


「コウモリさん」


 私はコウモリに声をかけた。

 彼女に会うのは数週間ぶりだ。よくよく見ると不細工な顔だな、と能天気なことが頭に浮かんだ。


「アンタに会うのも久しぶりね」

「苔チップス、食べる?」

「いらないわ」

「そ」

「いらない」

「コウモリさん」


 私は少し言いよどむ。どう話をしたらいいか分からなくなっている。


「不思議なことがたくさん起こっている」

「……そうみたいね」


 私たちは沈黙した。雨の音がその隙間を埋める。


「コウモリさんはここで何を?」

「アタシはこの街の監視役よ。監視役は監視をするもの」

「それなら聞きたいんだけど」

「何?」

「私、カナデって人を探してるの。私と同じくらいの背丈の男の子で、茶色いローブを着てる」

「カナデなら、捕まったわ」

「えっ!?」


 私は息を呑んだ。


「捕まったって、どういうこと!? それに、どうしてコウモリさんはカナデのこと知ってるの?」

「あーもう、うるさいわねぇ。少し落ち着きなさいな」

「でもっ!」


 コウモリは翼をパタパタとはためかせる。

 でも、この状況で落ち着いてなんかいられない。


「いい? 一個ずつ答えるわよ。カナデは雨の魔礫のある場所に侵入し、捕まったわ」

「えっ!?」

「捕まったと言っても、何か酷いことをされているわけじゃない。この街の警察に極秘で逮捕されたのよ」

「極秘……」


 それはやはり、魔法の存在が公にされていないからだろうか。


「カナデはなぜ、危険を冒してまで雨の魔礫に近づいたの?」

「…………」


 魔法の研究とは言っていたけど、詳細な目的を私は聞かされていない。


「その質問には答えられないわ」

「答えられない?」

「そしてそれは、どうしてアタシがカナデを知っているかということにも関係している。つまり、両方答えられない」

「…………」

「ねぇ、アンタの目的は何?」

「私の目的?」


 なぜ今それを訊くのだろう。


「アンタの目的はこの街の異物混入を解決することでしょ? いつまでも油を売ってる場合じゃない」

「それはそうだけど……」

「カナデのことはアタシに任せて、アンタはアンタの目的を達成しなさい」

「……カナデを放っておくことなんてできない」

「……はぁー」


 コウモリはため息を吐いた。


「しょうがないわね。じゃあ、こうしましょう。アンタが異物混入を解決したら、アタシがカナデを助けてあげる。これでいいでしょ?」

「…………」


 さっきから違和感があった。

 どうして、コウモリはこれほどまでに異物混入の解決にこだわるのだろう? 正直、コウモリとそれほど関係のあることとは思えない。


「わかった」


 コウモリに従わないと話が進まないので、とりあえず承諾した。


「でもコウモリさん、異物混入に関してもおかしなことがあるの。昨日街の人に話を聞いたら、異物混入が始まったのはここ数日の出来事だって言ってた」

「そうみたいね」

「なぜか私のことも覚えてないみたいだし」

「でしょうね」

「どうして?」

「…………」


 コウモリはその小さな目を細めた。まるで、どこまで話すべきかと思案しているみたいに。


「その謎は、アンタが自分で解きなさい」

「コウモリさんは何か知ってるの?」

「犯人は知らない」

「犯人は知らない?」

「そう」

「それ以外のことは知っている?」

「そうかもね」

「私を試しているの?」

「…………」

「私にだって、選択肢はある」

「選択肢ですって?」

「そう。このまま何もせずに雨の街で暮らしつづけることだってできる」

「まあ、それもアンタの人生よ」

「コウモリさんはそれでいいの?」

「実を言うと」


 コウモリは語気を強めた。


「アンタは謎を解くための手掛かりをもうほとんど持っているはずなの」

「えっ」

「でも、あと一つだけピースが足りない。それも、最も重要なピースが」

「どういうこと?」

「今から風の色に戻って、最後のピースを見つけてきなさい」

「そんな、無理だよ。それが何なのかも分からないのに」

「大丈夫。。それを思い出して」

「…………」


 全てが一つに繋がっている?


「もしかして、その中心にあるのが……」

「そう、最後のピース」


 コウモリは枝から飛び立ち、私の頭の上に着地した。


「行くわよ。この街から出て、霧の荒野を抜けるの」

「……わかったよ」


 実際にはほとんど何も分かっていないんだけど、逆らったところで他に考えがあるわけではない。


「カナデのことは絶対に助けてよね!」

「はいはい」


 広場から三十分以上歩き、街の国境まで辿り着いた。そして、境界線を示すロープをくぐり、霧の荒野へ進んでいく。

 最初に風の色へ行ったときはちゃんと門から外に出たけど、今回は侵入者みたいなものなので門を通るのはやめた。


 ふと、あのとき小屋にいる門番に私の傘を預けていたことを思い出した。あの傘はまだ門番小屋にあるのだろうか。


 そういえば、門番のお爺さんが言っていた。私が帰ってくる頃には雨がやんでいるかもしれないと。

 結果としては、雨はやんでいなかった。それ以上にわけの分からない状況になっているけれど。


「飛ぶわよ」


 コウモリがその小さい足で私の腕を掴む。すると、私の体が下から押し上げられるように宙に浮かんだ。


「目を閉じていて」

「うん」


 言われた通りに目を閉じる。すると、頭の中にカナデの顔が浮かんできた。


 私はこの霧の向こうで一体何を見るのだろう。

 最後のピースとは何なのだろう。

 分からない。

 だけど、必ず異物混入を解決し、私の大切なを助けてみせる。


 私とコウモリは、もの凄い速さで霧の中に突っ込んでいった。

 だけど、今度は意識を失わなかった。

 私は心を強く持っていた。

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