課長さんと小森さん

 門を通りすぎてすぐ右手に小さな小屋があった。雨の街の門番の小屋と同じようなところだ。

 そこへ行くと、やはり雨の街と同じように名前と時刻を記録する用紙を渡されたので記入した。

 そして、工場の入口への行き方を教えてもらい、その小屋をあとにした。


「あいつらは守衛よ。工場内を巡回するとき以外は、ああして一日中ぼーっとしてるの。まったく暇よね」

「私もあんな仕事するの?」

「アンタは若いんだから、もっときびきびした仕事をやるのよ」

「あっそう」


 こちらとしても、その方がありがたいのかもしれない。


 正面にあるのが工場の入口だと言われたのでそこまで歩き、ガラスで作られた扉を開けて玄関に入った。

 玄関には大きい靴箱があり、内装は白を基調として清潔な感じがする。照明は火のランプではなく、天井に白く光る細長い棒が埋めこまれていて、室内はとても明るい。

 私は今までに石造りの建物しか入ったことがなかったので、この建物の美しさに見惚れてしまった。

 

 しかし誰もいないので、早くもどうすればいいのか分からなくなった。


「内線で課長を呼ぶのよ」

「内線って?」

「あーもう、ホントに面倒臭いわね。あれよ、あれ」


 コウモリはパーカーのフードの中から飛び立ち、目の前にある台の上に降りた。

 その台には、またもや私の知らない何かが置かれていた。大きさはお弁当箱くらい。右側にはでっぱりがたくさんついていて、それぞれに数字や文字が書かれている。左側には取っ手のようなものがついており、くるくるした紐みたいなもので結ばれている。


「今から説明するから一回で覚えなさいよ」


 コウモリは私にこの道具、電話の使い方を教えてくれた。

 私は受話器を少し持ち上げ、言われた通りにボタンを押した。すると、コウモリは受話器の片側に顔を近づけ、一人で話し始めた。会話が終わると、私は受話器を置いた。


「すぐに来るって」 コウモリが言った。

「本当にこんなので離れた人と話ができるの?」

「今話してたじゃん」

「私には何も聞こえなかったけど」

「普通は受話器を耳にあてて使うのよ。アタシは耳が良いから必要ないけど」


 コウモリは耳をピクピクさせながら言った。どっちにしろ人間用に作られているんだから、耳にあてられないと思うけど。


 少し待っていると、全身真っ白な服を着た、背の高い三十代くらいの男性がやってきた。手には書類を持っている。


「ああ、どうも、コウモリさん。悪いね、忙しいのに」


 その人は満面の笑みで明るく言った。

 肌は少し茶色っぽいのに、笑顔と共に見せる歯は自身の服に負けず劣らず白く輝いている。


「課長ほどじゃないわよ」

「いやいや、僕なんてただ座ってるだけですよ。あっ、君が雨の街から来た子?」


 課長さんとやらが私の方を向いたので、私は自己紹介をした。


「僕は神崎。とりあえず部屋でちょっと話そうか」


 よく見ると、白い服の胸の部分にも「神崎」と書かれている。


「じゃあアタシは他の用事があるから、これで」

「えっ、帰っちゃうの!?」

「アタシは忙しいのよ」


 コウモリのくせに生意気な。


「またね、コウモリさん」


 私はコウモリに手を振り、課長さんは会釈をし、コウモリはどこかへ飛んでいった。



 課長さんと二人きりになり、二階にある小部屋へ案内された。

 その部屋には長い机と椅子がいくつか並べられているだけで、他には何もなかった。

 課長さんは机に書類を置いて、私と向かい合って座った。


「風の色はどうだい?」


 私が緊張しているのを察したのか、課長さんは雑談のように切り出した。


「もう、見たことのないものだらけです」

「ははっ、そうだろうね。でも、それほど気にしなくてもいい。風の色と雨の街は元々、一つの国だったんだ。ただ今は風の色の方が技術が進んでいるだけさ。すぐに慣れるよ」


 風の色と雨の街が一つの国だったというのは初めて聞いたし、学校でも教わらなかった。理由は分からないけど、情報が制限されているのだろうか。

 私が考えこんでいたので、課長さんは話を続けた。


「とりあえず、仕事は明日からでいいから、今日は街をゆっくり見て回ってきなよ。仕事に関する話はコウモリさんから聞いてるよね?」

「いえ、聞いてないです」


 私は少しムッとして答えた。


「あれ? そうか。まあこれに書いてあるから読んでよ」


 課長さんは書類の中から紙を一枚私にさしだした。

 それには勤務時間など、働くための条件が細かく書かれていた。仕事の内容は「食品製造業務全般」としか書かれていないので、よく分からない。給料は雨の街の仕事と同じくらいだけど、「社宅費用一部負担(相部屋可)」とも書かれていた。


「あの、私、今日からどこに住めばいいんですか?」

「あー、それはね」


 課長さんがそう言いかけたところで、誰かが部屋のドアをノックする音が聞こえた。


「おっ、ちょうどいいタイミングで来た。入っていいよー」


 白い扉が開き、派手な風貌の女性が入ってきた。

 レンガのように赤茶色い髪の毛は長く、波打つようにうねうねとしている。課長さんと同じ服を着ているが、真っ白で清潔な服は彼女の華やかな髪とは不釣り合いに思える。

 彼女は部屋に入ってくるなり、私を一瞥して言った。


「課長、この子?」

「ああ、自己紹介してくれよ」


 彼女は私のことをじっと見た。


「ルームメイトになる小森翔子です。よろしく」


 彼女の着ている服にも、課長さんと同じように「小森」と書かれている。

 私も簡単に自己紹介をした。


「今日からは小森とルームシェアでもいいかな? 一人がよかったら一人部屋にもできるけど、給料から引かれる家賃は倍になる」

「いえ、相部屋で大丈夫です」

「そうするといいよ、君は風の色のことをよく知らないんだから。今日は小森の案内で色々見ておいで」


 課長さんは小森さんの方を見て笑った。


「アタシ、今日まだ一時間しか働いてないんですけど」


 小森さんは気だるそうに言った。


「一日分のシフトでつけておくから、十六時半までは彼女をどっか連れてってあげてよ」

「そうっすか」


 小森さんはしぶしぶ了承した。私はなんだか申し訳なくなった。


 それから、課長さんは採用や仕事のことについて色々と説明してくれた。


「とまあ、ここでの仕事についてはざっくりこんな感じだけど、何か分からないことはあるかな?」


 あるかな、と言われても正直分からないことだらけだ。

 仕事はまあやりながら覚えていくとして、私が一番解せないのは食べ物に異物が混入していたという話が全く出てこないことだった。てっきりその件も含めて話が通っているのかと思っていたけど、町長さんがちゃんと伝えていないのだろうか。それとも、この課長さんは異物が混ざっていたと知った上でしらばっくれているのだろうか。どちらなのか、私には読めなかった。


 私はこの場でそれについて追及するべきか迷った。が、ひとまずやめておいた。直感だけど、今はそれを言うべきではないと思った。


「いえ、とりあえず大丈夫です」


 私がそう言うと、課長さんは何かを考えるように一瞬黙ったあと、おなじみの笑顔で頷いた。


「オーケー。明日は朝から小森と一緒に来てくれ」

「わかりました」


 それで話は一通り終わり、この場はお開きとなった。


 課長さんは自分の仕事に戻り、小森さんは更衣室へ着替えに行った。

 小森さんがまた小部屋に戻ってくると、私たちは一緒に玄関を出た。


「さて、案内するって言っても、どうしたもんかな。とりあえず、生活に必要なもんでも買いに行くか。お金は持ってんの?」

「大丈夫です。よろしくお願いします」

「そんじゃ、駐車場あっちだから、ついて来て」


 そう言って小森さんはカツカツと歩き出した。歩幅が広いから、急いでないのに歩くスピードが速く見える。私は早歩きでついていった。



 駐車場とやらに到着し、私は真紅に煌めくその雄姿を見て、目を輝かせた。


「これは小森さんのタクシーですか?」

「は? これはただの車だよ」

「私が来るときに乗ったのは、タクシーだって聞きました」

「客を乗せるやつをタクシーって言うんだよ。これは車」


 小森さんの車はタクシーと違い、胴体に丸みがあるデザインで、かっこいいのに可愛らしい。深みのある赤色も彼女にとても似合っている。


「ほら、早く乗って」


 タクシーは勝手に扉が開いたけど、この車は自分で扉を開けなきゃいけないようだ。

 私は後ろ側の扉についている取っ手らしきものを引っ張ろうとしたが、小森さんが「前の席でいいよ」と言うので、前側の扉を開け席に座った。


「シートベルト締めて」


 小森さんが私の左肩の上から帯のようなものを引っ張り出し、私の体は固定された。そして、周りにある鍵やら取っ手やらをガチャガチャと操作すると、車が唸り音を上げた。


「ここまでどうやって来たんだ?」

「コウモリさんに連れてきてもらいました。まあ、風の色に着いてからはタクシーに乗ったんですけど」

「コウモリさん? ふーん」


 小森さんはさほど興味なさそうに相槌を打った。


「さて、とりあえず必要なものは、服にタオルに歯ブラシ、その他諸々の日用品か? 枕とか布団は備え付けのがあるし、シャンプーとかはアタシの使ってもいいし」

「たぶん、それくらいで大丈夫だと思います」

「了解」


 小森さんは車を動かし、出発した。


 次はどんなところに行けるんだろう。

 心を躍らせる私を乗せて、車は風の色の街中を縫いながら走っていった。

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