第2章

正義と悪

 紙片の混入が起きた当日、私はそのラインの検品を担当していた。検品者は二名で、ベルトコンベヤー上を流れる麺の層をひたすら見続ける作業だ。


 二人で検品をするので、一人がベルトコンベヤーの上流側、もう一人が下流側で作業することになる。

 私はそれとなく下流側を選んだ。上流側で混入させても、下流側の人に見つかってしまうからだ。


 私は左腕の長袖の中に予め白い紙片を隠しておいた。そして、作業中に右手でそれを取り出し、流れる麺の層の中に素早く混入させた。


 なぜそんなことをしたのか。

 もちろん、購入者に紙片を食べさせることが目的ではない。私の目的は最初から、雨の街に送られる食品への異物混入をなくすことだ。


 一ヶ月前に小森さんと梶原さんに相談し、どうやら犯人を見つけ出すのは難しいということが分かった。しかし、私はその後、犯人が分からなくても異物混入をできなくさせればいいということに気が付いた。


 そもそも犯人はなぜ異物混入を起こし続けることができるのか。

 その理由の一つは、雨の街で異物混入が見つかっていることがなぜか風の色では知られていないからだ。揉み消されているのでは、と梶原さんは言っていた。だから警戒心が弱く、異物を入れようと思えばいつでも入れることができてしまう。


 もちろん、雨の街でのことを課長とかに話せばいいだけなのかもしれない。だけど、それじゃあインパクトが弱い。風の色全体には伝わらないかもしれない。異物混入は色々な食品の工場で起きているのだ。


 要するに私は、この大事故を起こしたというわけだ。


 SNSで拡散してくれたのは上手くいきすぎたと思ったけど、そのおかげでテレビでも報道された。きっと他の食品工場でも異物混入への対策が取られ、私が探している犯人も簡単に混入させることができなくなるはずだ。それが私の狙い。


 当然私の入れた異物を誰かが食べてしまうということはあってはならないから、パッケージからスパゲッティを出したらすぐに分かるように、大きい紙片を入れた。

 麺の中に混入させたあと、誰にも気付かれないまま上手くパッケージされるかどうかは賭けだったけど、途中で気付かれたって、私が入れたということまでは絶対に分からない。監視カメラにだってそこまでは映せないはずだ。だから、そうなったらまた次の作戦を考えればいいだけだ。


 そう、これは仕方のないことなんだ。雨の街での異物をなくすために……。


 既に包装されてしまった商品の検品作業をしながら、そう自分に言い聞かせた。しかし、早くも罪の意識に押し潰されそうになっている。


 異物が食べられることはなかったとはいえ、やっぱり私はとんでもないことをしてしまったのではないのだろうか。まさか、このラインで作った商品を全て開封して検品するとは思わなかった。異物対策が講じられるだけだと思っていたのに、ここまで大事になるなんて、食品工場を甘く見ていた。みんなにすごく迷惑をかけてしまった。


 金属製の机の上で商品を開封して異物がないかチェックし、麺の長さと同じ幅の段ボール箱に麺を詰める。私たちは必死にその作業を繰り返した。


 あぁ、これで私も「犯人」になってしまったんだな……。


 そんな暗い気持ちを抱えながら、手だけを動かし続けた。

 紙片が混入した原因を知っているのに、これ以上は何も出ないって分かっているのに検品し続けるのは苦痛だった。自分で蒔いた種だとしても。


 麺を段ボール箱に入れ、次のパッケージを開ける。銀色に光る机の上に麺を広げる。どうせ何も出やしないのに。


 丸一日作業した結果、このラインで生産した商品を全て検品することができた。みんな一時間ほどの残業となった。

 後日、自主回収した商品も検品しなきゃいけないけど、それはまあ大した量じゃない。


 だけど、きっとこれで膠着状態が打破される。

 今までは全く勝ち目のない戦いのように思えたけど、少しだけ追い風が吹いてきている。

 そう信じていないと、自分の行ったことの重大さに耐えることができなかった。



 帰りはいつものように小森さんの車に乗せてもらった。

 一時間残業したから、空も一時間分暗くなっていた。車のライトがいつもより綺麗に前方車両を照らしている。


「異物混入したとき、お前の班がラインを担当してたんだな」


 小森さんが運転しながら呟く。


「えぇ。私もビックリしましたけど」

「何か分かったの?」

「いえ、何も。こう言っちゃ悪いですけど、折角のチャンスだと思ったんですが」

「ふーん。そっか……」


 自分の白々しさに嫌気がさす。

 当然、私の犯した罪を小森さんに話すことはできない。これからは小森さんに話せないことが少しずつ増えていくのだろうか。

 急に自分が独りぼっちになってしまったような気分になった。



 次の日から、工場は通常通りの操業を再開した。当然、紙片が混入した原因は判明していない。私たちは今までと変わらぬ日々を過ごした。


 異物混入対策の話が持ち上がっているかどうかは、末端の私たちまでにはまだ知らされていない。

 課長に直接訊くという手もあるけれど、もし私が疑われたりしたら困るから訊かないことにした。


 異物混入事故が発覚してから、梶原さんとは会っていない。

 メカチームは他の工場でも仕事をしていると言っていたから、別の食品工場で何かしているのかもしれない。それが異物混入対策に関係していることだと良いんだけど。


 コウモリにも、ここ二週間くらいの間は会っていない。

 雨の街でまだ異物混入が発生しているかどうかは、コウモリに訊かないと分からない。次に会ったときには、定期的に連絡する約束を取り付けなければならないだろう。



 風の色での異物混入事故が発覚してから一週間後、私と小森さんは先週と同じように家でゆったりとした休日を過ごしていた。

 相変わらず私はテレビで料理番組を眺め、小森さんはスマホをいじっていた。


「なあ、ちょっといいか?」

「え? あぁ。すごいですよね、この番組。今度はワインに納豆入れるなんて」

「あぁ、それじゃなくて……え、納豆? いや、そんなことよりちょっと買い物行って来てくれるか? アタシは掃除してるからさ」

「いいですよ。何買って来ます?」


 小森さんは必要なものをメモに書いて渡してくれた。

 ここから歩いて行けるところにリサイクルショップがあって、そこで全て揃うらしい。


「分かりましたー」


 ボーダーのTシャツにデニムのハーフパンツという服装だったから、自室から白いパーカーを持ってきて羽織った。


「じゃあ、ちょっくら行って来ますね」

「車に気を付けろよ」

「もう、小さい子じゃないんだから大丈夫ですよ」


 そう言って微笑み、家を出た。


 小森さんに言われたリサイクルショップは、建物が入り組んだ路地裏にあるらしい。

 今まで買い物は概ねショッピングモールで済ませていたから、こういう人通りが少ないところを歩くのは初めてだった。ちょっとした冒険気分でわくわくする。雨の街を出たときの感覚に近い。


 これからどうなるんだろう。まあ、私の犯行がバレなかったのは良かったけど……。


 ふと、そんなことを考えた。

 一人になるとなんとなく寂しくなってしまう。


 目的地まではあとちょっとだ。歩くペースを少し速めることにしよう。


 その時だった。

 背後に人の気配を感じた。


 振り返ると、そこには二人の警察がいた。


 瞬時に危うい空気を感じ取り、私の心臓が飛び跳ねた。

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