反撃開始
歓迎会の次の日、私はいつものように工場のラインで仕事をしていた。スパゲッティの検品の係で、考えごとをするにはピッタリの作業だ。
午前の休憩時間に梶原さんがふらりとやって来て、昨日の話に出てきた監視カメラについて教えてくれた。
今まで意識していなかったが、天井の片隅に小さな箱のようなものが設置されていた。その箱の一面が「監視の目」の役割を果たしているらしい。
まあ、私がそれを知ったところで作業に影響するわけでもないので、休憩が終わったあともいつも通りにスパゲッティを見つめ続けた。考えごとをしながら。
昨日の話し合いでは、雨の街での異物混入に対する有効な対策を立てることができなかった。
とりあえず分かったのは、誰かが故意に異物を混入させたということだ。とても恐ろしいことなのだけれども。
他のことは全て推測の域を出ない。
犯人は複数であるかもしれないこと、風の色が国家ぐるみで異物混入を隠蔽しているのかもしれないこと。
予想できたことはこれくらいか。手口や動機などは一切不明。
こんな理不尽な状況を何とかしなきゃいけないことに、私は目の前が真っ暗になる。
もう真っ当なやり方じゃどうにもならないような気がしてきた。全てをひっくり返すくらいのアイディアが欲しい。
そんなことをとりとめもなく考えながら黙々と作業をこなす。時折、曲がったスパゲッティを指で摘み出す。そして、監視カメラがそんな様子を撮影している。
スパゲッティを見つめる私を監視カメラが見つめる……。
別に私だけを撮っているわけではないのに、監視カメラの存在を知ってしまうと妙に気になる。すぐに慣れてしまうものなのかな。
監視カメラ――。
梶原さんは「防犯装置があることを周知させて、犯罪を起こさせないようにする」と言っていた。きっと、犯罪を見つけることだけが目的ではなくて、ただそこに存在するだけで抑止力となるのかもしれない。
そのことを思い出した時、私は気付いた。
そうだ、私の目的は犯人を見つけることじゃなくて、異物混入をなくすことだ。あの女の子も「異物混入事件を解決して」という言い方をしていた。別に犯人が分からなくても、梶原さんの言う通り、
だけど、どうすれば異物混入が起こらなくなるのだろう。監視を強化すればいいということ……?
監視の目……異物混入できない状況……。
……あっ!
私は
だが、それは諸刃の剣でもあった。暗闇を照らすだけでなく、炎となりあたりを焼き払うような力も秘めている。大勢の人に多大な影響を与えてしまうだろう。
どうしようか……。
私は迷った。
いずれにせよ、風の色に来てからまだ一週間ほどしか経っていない。すぐにそれを実行するのは危ないと思う。歯がゆいけど、最低一ヶ月は時間を空けたい。まずは一ヶ月待ちながら、本当に実行するかどうかを考えるのがいいような気がする。その間に、雨の街で重大な異物混入事故が起こらなければいいんだけど……。
そこまで考えたところで、昼休みの時間になった。
おばさんたちと一緒に食堂へ向かい、異物混入のことを考えるのは一旦やめることにした。
それから一ヶ月の間、私は風の色で普通に働きながら時を過ごした。初任給も貰い、この街の文化や物の名前も概ね覚えることができた。
街を歩いているときにコウモリがふらりと飛んで来ることが何度かあったけど、やはり雨の街での異物混入事故は続いていると言われた。コウモリには、今のところ有効な解決策は見つかっていないと伝えた。
小森さんと梶原さんは心配そうにしてくれていたけど、状況は何も変わらなかった。
私が考えた対抗策は誰にも伝えていない。これは誰かに話してしまうと実行できなくなってしまうことだから。
そして、私が風の色に来てから一ヶ月が過ぎた頃、遂にその時が訪れた。
その日は休日だったけど、私と小森さんは特に何もすることがなく、家でのんびりとくつろいでいた。私はソファーに座りながらテレビを見ていて、小森さんはスマホをいじっていた。
特に興味があったわけではないが、何となく料理番組を見ていると、小森さんがいきなり声を上げた。
「おい、何だこれ!」
「え? あぁ。さすがに、うな重に生クリームかけるのはありえないですよねー」
「そっちじゃない! ……え? 生クリーム? いや、そんなことよりこれを見てみろ!」
小森さんはそう言って私にスマホの画面を突きつけた。
そこにはSNSと呼ばれるサイトが映っていて、とある文章と写真が掲載されていた。
『スパゲッティの中に紙が入ってる!』
その書き込みと共に載せられている写真には、私たちの工場で作っているスパゲッティがパッケージされた状態で映っている。麺の間に大きい紙が挟まっていて、パッケージは未開封のように見える。
ここから状況を覆せるかもしれない。
「私たちの工場の商品じゃないですか!」
「あぁ、こんなの前代未聞だよ。明日はきっと大騒ぎになるぞ。たぶん、課長や上の連中は今頃工場に集まってるんだろうな」
「こんな紙が入るなんてありえます?」
「いや、普通はありえないだろうな」
「それって、もしかして……」
「あぁ、雨の街への商品に異物入れてるのと同じ犯人かもしれない」
「でも、なんで風の色へ出荷される商品にも混入させたのでしょうか?」
「分からない。でもこれで色々と前提が変わってくるな」
そう……これで全てが変わってくる。
「もしかしたら、ここから何か手掛かりが得られるかもしれませんね。なにせ、私たちの工場なんだし」
「あぁ……。まあでも、明日はそれどころじゃないだろうけどな」
小森さんは嫌そうな顔をして、ため息を吐いた。
小森さんの言う通り、翌日はそれどころじゃなかった。
まず、朝礼で課長が開口一番に紙の混入事件の状況を説明した。課長はいつもよりやつれているように見えた。やはり昨日も出勤して、事故について調べていたのかもしれない。
「既に報道されている通り、当工場の商品に紙片が混入するという事故が発生し……」
課長はその紙片をみんなに見せた。昨日すぐに購入者から回収したようだ。
そして、この商品を生産した日付と生産ライン名を告げた。こういう情報はパッケージに印字されていて、あとからでも分かるようになっている。
「当日、そのラインを担当していた方々にはこれから現場で状況を聞かせて頂き、その他の方々は生産済の商品の検品作業を……」
課長が話し終えたところで、チームリーダーが話を引き継ぎ、今日の仕事の分担が告げられた。
私を含む六名は異物混入が起きたラインを担当していたということで、現場で課長と話をすることになり、他の従業員はいつも通りに班分けをされた。
今日検品する商品の銘柄と数量も説明され、私は愕然とした。そのラインで生産した商品を全て検品することになったからだ。既に出荷してしまった商品はもう回収の手配をしているらしい。
ある程度は予想していたけど、対応がここまで大事になるとは思っていなかった。小森さんが言っていた「明日はきっと大騒ぎになるぞ」という言葉の意味が今になって分かった。従業員のおばさんたちも皆うんざりしているように見えた。
事故当時、問題のラインを担当していた私と班長と他四名の従業員は課長とチームリーダーと一緒に現場に集まった。
課長が混入の原因についての仮説を説明しながら、私たちに何か思い出せることはないか訊いたけど、心当たりのある人は誰もいなかった。
私たちは十五分程度で解放され、検品作業の方に合流した。
課長も、私たちから手掛かりを得られるとは思ってなかったのかもしれない。なにしろ、大きい紙片がスパゲッティに混入することなど、普通はありえないことなのだ。
だけど、それは実際に起きている。
なぜか?
私にはもうその答えが分かっていた。
なぜなら、あの紙片は私が混入させたものだから。
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