反雨派

「……うっ」


 私は思わず呻いてしまった。

 その展開だけは避けて通りたかった。それはいざ言葉にされるとかなりきついし、解決も一筋縄ではいかなくなる。

 精神がじわじわと痛みはじめ、頬に冷汗が流れた。


「一体、誰が……」


 そう小さく呟くだけで精一杯だった。しかし、梶原さんはそんな私を見ても顔色を変えずに淡々と話した。


「今のところは何とも言えない。ただ、色々な工場で混入されているのなら、複数の人間による犯行か、あるいは色々な工場に行き来できる人間の仕業かもしれない」


 複数の人間による犯行。私はまずその可能性について頭を巡らせてみた。

 たしかに、グループでなら実行は可能である。メンバーが私のように一つの工場にしか行けない立場の人間でも、それぞれが別の工場に所属していればいいのだ。


 そして、もう一つの「色々な工場に行き来できる人間」による犯行という説。これについては、私はあまり考えたくなかった。なぜなら、私の浅い知識と交友関係ではこれに該当する人は一人しかいない。

 まさか、そんなはずはない……。


「ところで、疑問があるんだが」


 私の気持ちとは裏腹に、梶原さんの口ぶりはひょうひょうとしたものだ。


「なんですか?」

「どうして雨の街の異物混入のことを、俺たち工場の者は知らされていないんだ? 雨の街から風の色にクレームは入れているんだろう?」

「雨の街の町長さんが何らかの形で伝えているはずです。ただ貿易の立場上、強くは言えないという話でしたけど」


 小森さんも腑に落ちないという顔をした。


「報道もされてないってことは、他の工場でも異物の話は持ち上がってないんだよな? 梶原は他の工場で異物の話を聞いたことがあるか?」

「いや、聞いたことないな。きっと何か理由があって、オフレコにされているんだ。貿易庁の管轄か……」

「相手が国じゃあ、どうしようもないな。やっぱり犯人を見つけて異物を入れるのをやめさせるしかないだろ」

「そうは言っても、手掛かりが全然ありません……」


 私たちは腕を組んで俯いてしまった。今の状態で犯人を見つけるのは不可能に等しい。

 だけど、ひとしきり悩んだあとで私は別の切り口を思い付いた。


「仮に誰かが異物を入れたとして、なぜその人はそんなことをしたのでしょう?」

「異物を入れる理由か……」


 梶原さんが唸った。


「シンプルに考えてみたんだが」


 私の様子を見て、梶原さんがどこか言い辛そうに話し始めた。


「こんなこと言うのも悪い気がするんだけどな」


 嫌な感じがした。心臓が脈を打つ速さが少し上がったような気がした。


「犯人は、んじゃないのか?」

「……えっ!?」


 私は言葉を失った。

 誰かが異物を混入させているということだけでもその悪意に胸が痛むのに、雨の街を攻撃しているなんて。


「もちろん、なんで攻撃しようとしているのかは分からない。だが、雨の街に恨みを持つ人間が犯人という線はあるかもしれない」


 なんなんだ、それは。なんで私たちが恨みを買わなくちゃいけないんだ。雨の街が一体何をしたと言うんだ。


 困惑する私をよそに梶原さんは更に続ける。


「これは政治的な話なんだがな。大昔、もともと風の色の一部だった雨の街が独立するとき、領土問題でいざこざがあったんだ。表向きは解決したことになっているが、今でも雨の街のことを良く思っていない人間というのはいる」

「そんな! それで雨の街に嫌がらせしてるっていうんですか!? そんなの、今の時代の人たちにやったって何の意味もないじゃないですか!」

「政治的な思想の持ち主がやったかどうかは知らん。ただ、反雨派はんあめはといって、風の色にはそういう連中もいるという話だ」


 言われてみれば、町長さんもそんなことを言っていた気がする。風の色には、雨の街のことを良く思っていない人がいると。反雨派なんて名前が付いていたのか。


 しかも、おじさんが金属片を見つけたというスパゲッティがもし私たちの工場で作られたものだとしたら、反雨派があの工場にもいるということになるかもしれない。小森さんや梶原さんだって容疑者に……。


 いやいや。


 私はとりあえず心を静めようとした。今そんなこと考えたって何も解決はしない。ふうっと長い息を吐き出してみる。


 梶原さんは私が落ち着いたのを見て、再び口を開いた。


「まあ、動機はどうあれだ。もし内部の人間がわざと異物を混入させた場合、推理小説とは違って犯人を特定するのはほぼ不可能に近い。犯人がよっぽどのヘマをしない限りな」

「でも工場のラインというのは、異物が入ったものが出荷されないように設計されているんじゃないんですか? ほら、金属検査機ではじいたり」

「どんなに異物を除去する装置をラインに組み込んだところで、夜間、従業員が倉庫に入れば商品にいたずらし放題だ」


 梶原さんは、何かに縋るような私の言葉を一蹴した。


「これは極端な例えだが、針で商品の袋に小さな穴を開けて、そこから注射器で毒を入れることだって不可能じゃない」


 毒。……毒だって? 毒も入れられる可能性があるの?


 ふと、大雨の夜に会った女の子のことを思い出した。やっぱり、あの子も何か異常なものを飲み込んだのではないだろうか。


 梶原さんのとんでもない発言に私の心は狼狽する。

 そんな私をよそに、彼は「さすがに毒はないか」と軽く笑った。


 私にはとてもじゃないけどそれを笑うことができず、あの女の子の話と図書館で調べものをしたことを梶原さんにも話した。


「すまんが、現状では手掛かりが少なすぎて何とも言えないな」

「そうですよね……」


 小森さんが神妙な顔つきで口を開いた。


「……結局、アタシたちにはどうしようもないのか?」

「そうだな。会社側ができることと言えば、事件を起こさせない環境を作ることだけなんじゃないのか。職場の不満をなくすのと、監視カメラみたいな防犯装置があること周知させて、犯罪を起こさせないようにするんだ」

「監視カメラ……ですか?」


 私はきょとんとした。聞いたことのないものだ。


「工場内に、映像を撮る装置がいくつか設置されているんだ。一度撮った映像はいつでも何度でも見ることができる。まあ、アタシらのような従業員は大体知ってるけどな」

「はぁー、そんなものまであるんですね」


 梶原さんがニヤリと笑う。


「さすがに毎日工場で働いてれば気付くか。ま、とりあえず今までの話をまとめるとだな」


 苔チップスを一枚かじって続ける。


「正直、どんな手口であれ今は有効な対処方法がない。そして、公表されていない以上、告発しても認められない可能性が高い。じっくり注意深く混入の痕跡を探るか、犯人がボロを出すのを待つことしかできないと思う」

「そうか……」


 小森さんがため息を吐く。だが、それとは対照的に私は焦り始めていた。


 犯人がボロを出すのを待つだって? そんなことをしていたって、いつまでも解決しない。私と小森さんはスパゲッティ工場にしか行けないんだ。そんな受動的なやり方じゃダメだ。もっと根本的に解決する方法を考えなきゃ。今この瞬間にも、異物入り食品が雨の街へ運ばれているかもしれないんだから。


 しかし、焦ったところで都合良く妙案が浮かんでくるわけでもない。私は一旦心を落ち着け、これ以上議論するのはやめることにした。


「……仕方がないですね。今日はもうお開きにしましょう」


 私がそう言うと、梶原さんはなぜか意外そうな顔をしたが、結局何も言わなかった。

 料理も一通り食べ終わっていたので、私たちは店を出ることにした。一応私の歓迎会ということになっていたので、お勘定は小森さんと梶原さんが支払ってくれた。


 お店の前で梶原さんと別れ、私と小森さんは駐車場まで歩いた。駐車場へ向かう間、私は黙って今日の話し合いについて考えていた。


 異物混入の問題については、梶原さんと小森さんに相談してもダメだった。彼らには何の非もないのだけれど、彼らにはとても感謝しているのだけれど、やっぱり一従業員にどうこうできる問題ではないのだ。だからもう……これは私自身が解決するしかない。雨の街の問題は、雨の街の人間でどうにかするしかないんだ。


 夜になると、風の色の街並みは煌びやかな照明で溢れる。雨の街とは大違いだ。

 街はこんなに光輝いているのに、隣には小森さんが並んで歩いているのに、私はなぜかどうしようもない孤独感に苛まれた。

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