世界で一番自由な存在

 思わず呻いてしまった。

 ものすごく言い辛い。けど、隠しても仕方がないので正直に言うことにした。


「魂を抜いて、それをカード型にして、ベッドの底に貼り付けてある……」


 カナデは目が点になっていた。そして数秒黙ったあと、大笑いした。

 私はなんか気恥ずかしくなった。


「ちょっと、笑いすぎでしょ」

「ごめんごめん。ヒカリって、たまにすごくクレイジーなことするよね」


 この男だけには言われたくない。


 ようやく笑いやんだカナデが続けた。


「まあちょっと酷いけど、とりあえず姉さんが無事に生きていた喜びの方が大きいかな」


 あの状態を無事に生きていると言っていいものなのか、私には分からない。


「それに、ケストアークに狙われるよりはむしろ安全だったのかも」

「そんな、カナデは大丈夫なの?」


 血の気が引いた。


「ああ実はね、僕はケストアークを追放されたんだ」

「えっ!?」

「それだけ大きなミスだったからね。逮捕されたときに風の魔礫も没収されたし」

「はぁー」


 そうだったんだ。

 でも、私としてはケストアークと縁を切ってくれた方が安心できる。


「だが、これで父さんと母さんを甦らせることはできなくなった」


 カナデは自虐的に目を伏せた。


「今でもそうしたいと思っている……?」

「いや、どうだろうな。結局僕たちには過ぎた真似だったのかもしれない」

「うん、私もそう思うよ」

「ごめん……」


 私たちは黙って俯いた。

 少しの間だけ、重たい時間が流れた。


「……それなら、今仕事は何もないの?」


 私は気まずい空気を断ち切るように言葉を発した。


「それが聞いてよ。最近、君がいたスパゲッティ工場で働き始めたんだ」

「…………」


 驚きのあまり言葉を失った私に、カナデがニコッと笑いかける。


「えぇーっ!!」

「うわ、ビックリした」

「なんでなんで? どうしてそんなことになったの!?」

「実は、出所したあと神崎課長から連絡があってね。うちで働いてほしいと言われたんだ」

「課長からの依頼ってことは……」

「間違いなくケストアークからの要請だろうね。元所員の課長とまとめて管理したいんだろう」

「そんな……」

「でもケストアークに不利なことをしない限り、何もしてこないと思うよ。課長もそのへんは保証してくれた」

「よかったぁ」


 私はテーブルにへなへなと突っ伏した。


 そして、ケストアークに関して、もう一つ訊かなければならないことを思い出した。


「そういえば、最初にユカの魂をコウモリに移したあと、丘で私を目覚めさせようとしたときの話なんだけど」

「ああ、あのとき?」

「カナデはユカに魂の魔礫を渡したよね? それを投与したから、私は魂の魔法を使えるようになった」

「そうだね」

「ユカに黙って魂の魔礫を渡したのはなぜ?」

「…………僕は、いつかケストアークを出し抜いて、対抗するつもりだった。ケストアークが存在しなければ、父さんと母さんが死ぬこともなかったからね」


 こんな子供がそこまでの決意を固めていたことに、私は絶句した。


「けど、姉さんにそこまでの勇気はなかった。だから、この計画を利用して君の体に魂の魔法を隠しておこうと思っていたんだ」

「ケストアークは、それに気付いてない?」

「分からない。気付いていないふりをして、僕たちを泳がせているのかもしれない」

「そんな……」

「ケストアークは僕たちを少なからず自由にはさせていると君は思うかもしれない。でも、関係ないんだ。僕たちが何をしようが、ケストアークが本気を出せばなる。それくらい強大な力を持った組織なんだ。あとになって、そう実感した」


 あるいはそうかもしれない。

 でも、ケストアークの問題はこれでお互いに手を引くことになり、一応は決着がついたと思う。


 私がユカに体を返せば、今度はユカが魂の魔法の使い手になる。何かあっても自分たちの身を守るくらいのことはできるはずだ。


 それよりも、私にはまだ心配なことがあった。


「カナデは、異物混入で逮捕されたことになってるユカの弟でしょ? 変な目で見られない?」


 私は上目遣いで心配そうに訊いた。


「いや、僕はこう見えてもおばちゃんたちに結構モテるんだぜ。おばちゃんを制する者が工場を制するからね。心配無用だよ」

「あっそ」


 心配して損した。こう見えてもというより、むしろおばさんたちに可愛がられそうな顔をしているけれど。


 佐藤さんがカナデをちやほやしている様子を思い浮かべると、無性に腹が立って思わず拳を握りしめてしまう。


「ヒカリ、もしかして妬いてる?」

「妬いてない!」

「やれやれ。ところで、そろそろ部屋から姉さんを持ってきてくれないかな」

「…………」


 この男、今自分の姉の魂を、押入れに仕舞った冬物のコートみたいに言いよったぞ。


「ちょっと待ってて」


 私はそう言ってユカの部屋まで行った。

 この部屋に入るのも半年ぶりだけど、カナデが掃除をしたらしく、室内は綺麗なままだった。

 ベッドの下に潜り込んで底の部分を見てみると、あの日と同じようにユカの魂が貼り付けられていた。


「久しぶり。待たせてごめんね」


 物言わぬカード型の魂ではあるが、一応謝っておいた。

 そして、ガムテープを剥がし、ユカの魂をベッドの下から救出した。


 タンスに入っているジーンズのポケットからコウモリの鞄も回収し、リビングへ戻った。


よ。あと、これも」

「ありがとう」


 ユカの魂とコウモリの鞄をカナデに手渡した。


 そろそろ大事な話をしなくてはいけない。

 私は椅子に座って姿勢を正した。


「カナデ、聞いてほしいことがあるの」

「……なんだい?」


 カナデはユカの魂をまじまじと見つめている。


「私、この体をユカに返そうと思う」

「返すって、どうやって?」

「そのユカの魂を体に取り込むだけだよ」


 カナデが手に持っている魂のカードを指差すと、彼は目線を上げて私の目を見た。


「いいのか? そんなことしたら、魂が一つに戻って君の意識は消滅してしまうぞ」

「いいの。元々そうだったんだし、それがあるべき本来の形なんだよ」

「覚悟の上ということか……」


 カナデは魂のカードをじっと見つめ、何かを迷っているように見えた。けど、承諾してくれるはず。カナデとしても、実の姉には元の姿に戻ってほしいはずだ。


 考えがまとまったのか、再び口を開いた。


「分かった。それがヒカリの望みなら、僕が止めることはできない……。でも、今からやるのか?」


 やっぱりね……。


「うん。時間が経つと、消える勇気がなくなっちゃうかもしれないから」

「そうか……。そしたら、この魂を君がイメージしやすい形で体に取り込んでくれ」


 カナデは魂のカードを私に返した。


「私がイメージしやすい形……」

「そう、姉さんの魂が君の体を巡り、君の魂と溶け合うようなイメージ」


 私の体を巡り、私の魂と溶け合う――。


「そうだ!」


 私は立ち上がり、食器棚の前に行った。


「たしか、このへんに……あった」


 マグカップを取り出してテーブルに置き、椅子に座って心を落ち着けた。


 そして、魂のカードを液体に変化させ、そのマグカップに注いだ。マグカップの中は半透明なピンク色の液体で満たされた。


「なるほど……ジュースか。いや、スープかな?」

「これは、だよ」

「ピンク色のコーンポタージュなんて初めて見たな」


 たしかに。しかも、見るからに不味そうだ。


「あとはこれを飲むだけだね」

「うん……」

「じゃあね、カナデ。今までありがとう!」

「…………」


 私はマグカップを見つめた。


 半年前、自首する前日にこの部屋でコーンポタージュを飲んだことを思い出す。

 あのときは、マグカップの底に溶け残りがあった。

 けど、今回は何も残らない。ユカと私の魂は完璧に溶け合って、一つに戻る。そして、私自身も消え、マグカップの中は空になる――。


 私はマグカップの取っ手を持ってはいるが、なかなか口に運ぶことができずにいた。カナデはそんな私をじっと見つめている。


 私ったら、どうしちゃったんだろう。

 早く飲まないと、どんどん迷ってしまうだけなのに。

 覚悟なら、半年前からできていたはずなのに。


 取っ手を持つ手が微かに震える。


 飲まなきゃダメなんだ。

 そうしないと、ユカが元に戻れないんだ。

 私がいないのが普通なんだ。

 私がいないのが正しいことなんだ。

 私は消えなくちゃいけないんだ。

 飲めよ、早く飲めよ!

 早く消えろよ!

 私は異物なんだから!


 私は震える手でなんとかマグカップを持ち上げ、口元に近づける。


 もう少し、もう少しだ。


 でも――。


 消えたくないなー、

 なんて、

 思ったりして。


「ちょっと待って!」


 そう言われて、我に返った。カナデが私の手を掴んでいた。


「え……?」

「やっぱり、こんなのおかしいよ。君の自我が消えることが君の望みなのか?」


 そんなことは、わざわざ聞かれなくても分かってる。


「消えたく、ないよ……?」

「じゃあ、こんなことしなくていい」

「ダメだよ。私とユカは元々一つの魂だったんだよ? それに、ユカをこのままにしておくわけにもいかないし」

「姉さんのことはひとまず考えなくていい。重要なのは君だ。君だって一つの心だ、もっと自由であるべきなんだ!」

「自由って言われても、もうどうしたらいいのか分かんないよ!」

「難しく考えなくていい。何かないのか? 見たいものとか、行きたい場所とか、食べたいものとか。それを一つずつやってけばいいだけなんだ」


 見たいもの? 行きたい場所? そんなこと急に言われても、すぐには出てこない。

 私はマグカップをテーブルに置き、何かないか考えてみた。


「うーん」

「何か一つくらいあるだろう?」

「風車……」

「え?」

「風の色のどこかに、風車がたくさん立ち並ぶ平原があって、そこで電気を作っているって聞いたことがあるの。それはちょっと見てみたいかな」

「じゃあ、それを見にいけばいい。まあ、一般人は入れない場所なんだけどね」

「やっぱりダメかぁ……」

「待って、僕は一般の『人』は入れないと言ったんだ」

「じゃあ、誰なら入れるの?」

「鳥とか」

「……はい?」

「鳥じゃないと行けない場所へ行きたいなら、鳥になればいい。車よりも速く走りたいなら、チーターになればいい。誰かに花の蜜を届けたいなら、ミツバチになればいい。実は、君って今世界で一番自由な存在なんだぜ」


 それって、まさか……。


「ひょっとして、今私の体に宿っている魂の魔法で、私自身の魂を移しちゃうってこと?」

「ああ。そのあとで、僕が姉さんの魂を口から飲み込ませればいい」

「私に、鳥になれって言いたいの?」

「そうだよ」

「本気で言ってる?」

「マジだよ」

「……私、消えないでいいの?」

「いいと思うよ」

「…………」


 私はゆっくりとテーブルに突っ伏した。


「そっかぁ」


 自分が動物として生きていくなんて、本当に可能なのかどうかはやってみないと分からない。

 けど――。


「消えないでいいんだ……」


 それを頭で理解すると、喜びが心の奥底から滲んでくる。

 カナデは黙ったまま、優しい瞳で私を見ている。


「えへへっ」


 さっきまであんなに思い詰めていたことも忘れ、つい笑顔がこぼれてきてしまった。


「カナデ」

「なんだい?」

「ちょっと一緒に外へ行かない?」

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