決意

 定刻になると町長さんが席につき、コウモリもどこからともなく飛んできてスタンドにぶら下がった。すると聴衆は静かになり、町長さんが街会議開催の挨拶を始めた。


 町長さんは婚期を逃した豚のように太っていて、ハンカチで汗を拭きながら街の近況を話しはじめた。

 彼の声を聞くと眠くなるので話の半分も頭に入らなかったが、どうやら風の色から水の値段を下げるように要求されていることは分かった。実際に交渉をしているのは町長さんではなく貿易担当の職員だろうけど、町長さんは申し訳ないと言わんばかりに語気を弱めていた。


 町長さんの話が終わると、幹部の人たちがそれぞれ今月の成果を報告した。

 おじさんの報告は今日も五秒で終わった。

 コウモリは開催のときからずっと何も喋らず、スタンドにぶらぶらとぶら下がっている。


 幹部の報告も滞りなく終わると、ついに質疑応答の時間がやってきた。

 町長さんが「何か質問やご意見などはありますか?」と言うと、文房具屋のおばさんが勢いよく手を上げた。


「町長さん、最近、風の色の食べ物に異物が入っていることがあるのをご存じ?」

「そういうこともありますけど、まああれはちょっと仕方ないと言いますか……」

「仕方ないじゃ済まないですよ。ここのところ、みんな困っているんですから。ほら見て、私なんかパンの中にこんな紙切れが入っていたのよ」


 そう言っておばさんは手に持った小さな紙切れを掲げたが、たぶん町長さんの席からは見えていないだろう。


「たしかに最近そういうのが多い気はしますけど……コウモリさん、何か聞いてる?」


 困り果てた町長さんがコウモリに助けを求めた。


「風の色の中では、そんな話聞いたことないわよ」


 コウモリはぶらぶらしながら、やっと口を開いた。


「そんなことは知らないわ。とにかく、風の色に異物を出さないように頼んでくれません?」

「そうは言っても、風の色も近頃街に対して強気だからなぁ。下手なこと言って刺激したくないですし……」


 おばさんが喋れば喋るほど、町長さんの汗の量が増えていく。

 すると、会議室のすみっこで話を聞いていた大工のおやっさんが口を挟んだ。


「んなもん、異物出したら水の値段上げるぞって、逆に脅してやればいいんだよ」


 それを聞いたコウモリがニヤッと笑った。


「なんでも今、風の色が雨の街以外から水を確保する算段を密かにととのえているっていう噂があるわよ」


 その発言に町長は青ざめ、聴衆はざわめいた。


「そんな! 街の水を買ってくれなくなったら、風の色のものも輸入できなくなるよ!」


 町長さんが頭を抱える。


「まあ、いきなり貿易停止なんて手荒なことはしないと思うけど、あんまり風の色に逆らわない方がいいんじゃない」


 コウモリが涼しい顔で言った。


「たしかに今の時代、風の色製品なしの生活なんて無理ですよ」


 食料品店のお兄さんが言った。彼の店は貿易が停止されたら大打撃を受けるだろう。


「昔みたいに、苔や川の生き物だけ食ってれば生きていけるんじゃない?」とコウモリ。

「うちの店は街産のメニューなんて出してないわよ! 街のものなんて全然美味しくないじゃない」スナックのママが吠えた。

「大昔と違って今は人口も増えましたからねぇ。やっぱり輸入に頼らざるを得ないですよぉ」苔取り屋さんがボソッと言った。


 人々が口々に不満や不安を訴え、収拾がつかなくなってきた。さっき会った女の子とお母さんは脅えた目で顔を見合わせていた。


「とにかく、異物に関しては、それとなく風の色に伝えるということで……」


 町長さんが弱々しく言った。汗の量が開催時の三倍になっていた。


「まあ、貿易のことは貿易担当がなんとかしてくれるから、なんにも心配はいらないわよ」


 コウモリがそう無責任に言い放つと、聴衆の視線が貿易担当の幹部に集まった。

 貿易担当の人は自信がなさそうに「善処します」と言った。


 一旦この問題に関しての討論は打ち切られ、その他の細々とした質疑応答が行われたあと、今日の街会議は終了した。時間はいつもの倍かかった。


 人々はぶつくさと文句を言いながら散り散りに会議場を去っていき、私もおじさんと一緒に外へ出た。


「おじさん、これからどうなっちゃうんだろうね」


 私は帰り道でおじさんに聞いてみた。


「さあな、とりあえず風の色のもんも食っていくしかないだろ」

「街でも豚や鶏を育ててるよ」

「でも、今は家畜の餌は風の色でしか作れないからな」

「あ、そっか」


 私は頷いた。とりあえず、風の色のものを気をつけながら食べていくしかないのだろう。


「まったく、この街はなんでこんなに不便なんだろうなぁ」


 それは、この雨のせいだ。

 生涯愛し合うことを誓った夫婦のように、雨と街は寄り添い、共に生きつづけてきた。

 人々はどんなに不幸になっても、雨を恨むことは決してない。

 雨を愛することができない私には、それが羨ましかった。



 街会議の翌日以降は平和で何もない日々が続いた。けど、異物混入の方はなくならず、町長さんがどういう対応を取っているのか分からない。


 私は今日もせっせと履歴書を書いていた。しかし、例の女の子と大雨の夜の出来事が四六時中頭にこびりついて集中できない。

 仕方がないので、集中力を高めるために、チョコレートを食べながら履歴書を書くことにした。


 チョコレートは風の色独自のお菓子で、私の大好物だ。

 どうしたらこんなに美味しい代物を作れるのか、不思議でならない。甘いから砂糖は入っていると思うんだけど。


 風の色の製品の作り方や技術は雨の街に一切教えられない。おかげで街の文明は昔から大して発展していないらしい。

 それに、この街の人々は野心とか向上心とか冒険心とか、そういうものに欠けているような気がする。

 風の色だけが次々に技術を発展させ、雨の街は窓の外に降りしきる水のようにいつまでも停滞していた。


 二枚目の履歴書を書き終えると、ふうっとため息が出た。


 こんなことをしていると、ふと街の外のどこかへ行ってみたくなる。雨の降らない自由な世界へ。

 あの夜に「異物混入事件が私の失われた記憶と関係している」と言われてから、風の色への想いは日に日に募るばかりだ。

 今までは全く気にならなかったけど、私は自分が何者なのか知りたくなっていた。


 でも、私が風の色へ行くことは不可能だ。

 雨の街の周りは霧に覆われていて、私たちは許可なく街の外へ出ることができない。


 そんなことを考えながら三枚目の履歴書を書いているとき、口の中に違和感があることに気づいた。

 とても小さなかけらのようなものがチョコレートに混ざっていたようで、私は気づいた瞬間にそれを飲みこんでしまった。


 やってしまった……!


 そういえば、あの女の子が食べていたのもチョコレートだった。私も何かに取り憑かれたりしないだろうか。


 そのことに気づくと、言葉にはできない不安が薄闇の中からゆっくりと迫ってくるような感覚に襲われた。


 本当に取り憑かれるかどうかはともかく、私には一つの確信があった。


 今、


 私たちはこれからずっと、こんな恐怖を背負いながら生活をしなければならないのか。一体どうすればいいというのだろう。


 そうだ、コウモリに頼んでみよう。風の色の関係者だから、何か策を知っているかもしれない。まだ昼間だから広場に行ってみるか。


 そう決めると、いつものように赤い傘を持って家の外へ出た。



 石畳の道を歩いていると、苔取り屋さんが街を掃除しているのが見えた。


 苔取り屋さんは、民家の外壁とか、街中の橋とか階段の柵とか、ちょっとした隙間に生えている苔を採取するのが仕事だ。傍らに置いてある布袋は、既に苔でいっぱいである。

 傘をささずに作業をするので、全身をビニール製のレインコートですっぽりと覆っている。レインコートの中はなんだか蒸し暑そう。


 自分も仕事を探している身だけど、苔取り屋さんの仕事はちょっと無理そうだ。

 しかし、決して苔取り屋さんを見下しているわけではない。これもこの街で誰かがやらねばならない仕事の一つなのだ。



 広場に着くと、いつもと同じように樹の石像の枝の部分にコウモリがぶら下がっていた。


「今日はどんなゲテモノを食べさせてくれるのかしら?」

「ごめん。食べ物は持ってきていないの」

「アンタの食べ物なんて期待してないわよ。街会議でも色々あったじゃない」


 そういえば街会議も大変だったな。


「コウモリさん、風の色にも行けるんでしょ? 食べ物のこと、なんとかしてよ」

「あんたね、動物なんかに頼ってないで自分でなんとかしなさいよ」


 私がなんとかする――?


 一応、この状況を解決に導く方法はあるにはある。それは誰でも思いつくことだけど、私を含む街の人々はその手段を持たないし、仮に強行するにしても相応の勇気と大義名分が必要になる。私はそのどちらも持ち合わせていない。


 ふと、広場の隅の方で苔取り屋さんが石畳の隙間の苔を取っているのが視界に入る。

 それと同時に私はあることを閃いた。思考を覆う雨雲の隙間から光が射しこみ、心の中で「これだ!」と声をあげた。


 とりあえず大義名分は思いついた。あとは勇気だ。こんなバカなことはやめた方がいいんじゃないかとも思う。

 しかし、今となっては勇気とは別のものが私を突き動かそうとしている。私にはそれが何なのか少しずつ分かりかけてきた。


 もしかしたら、さっき飲み込んだ異物が何らかの作用をもたらしているのかもしれない。


 けど――。


 私はやっぱり風の色に行きたい。

 この事件を解決して、失われた記憶を取り戻したい。

 六年前この街に捨てられたとき、私に何があったのか知りたい。


 大雨の夜、あの女の子に会ったことは夢なんかじゃない!


「コウモリさん、一緒に町長さんのところへ行こう!」


 枝にぶら下がりながら、事の成り行きをただ見ているだけだったコウモリは意表を突かれたようだ。


「へ? 町長のところへ行ってどうすんの?」

「食べ物のこと、私がなんとかするから」

「……面白そうじゃん」


 コウモリはそう言って口角をニッと上げる。意外と可愛らしいと思ってしまった。

 私は役所の方角へ駆けだし、コウモリは雨に濡れながら翼をはためかせた。



 役所に着くと、私はコウモリの体をハンカチで拭いてあげた。

 役所の中にはぶら下がるところがないので、コウモリは私の頭の上にのっかって寝そべった。妙に生温かくて気持ち悪かったけど、私はそのまま役所の受付に行った。


 コウモリが、町長に用がある旨を受付のお姉さんに伝えると、そのまま町長室の前まで案内してもらえた。コウモリは街の監視役として、役所でも幅を利かせているようだ。


 町長室の前に来ると先にお姉さんが入り、十秒ほど経ったあと、お姉さんが出てきて室内へ入るように促した。町長室の扉は木製のなかなか立派な両開き扉だ。


 私が緊張した面持ちで町長室へ入ると、正面の机で町長さんが何かの書類を眺めていた。

 机の上もやはり書類が山積みで、壁側にある木製の書棚には難しそうな本がぎっしり詰まっている。


「相変わらず暇そうね」


 コウモリが開口一番に嫌味を言った。


「や、やあ。コウモリさんと、君は保護対象の子だね」


 不吉な予感でもしたのか、町長さんは早くも汗をかきはじめている。


「いきなり押しかけてごめんなさい。今日は町長さんにお話があって来ました」

「な、なんだい?」

「風の色の食べ物のことなんですけど」


 町長さんは、またその話かというふうにうんざりとした表情を見せた。


「だから、その話は今度、風の色にかけあってみるって」


 ということは、まだ話をしていなかったのか。

 やっぱり簡単にクレームを入れられない関係性らしい。


 コウモリは相変わらず私の頭の上で寝そべったままだ。


「いえ、一つお願いがあるんです」


 ここからが問題だ。町長さんも身構えた。


「私を風の色へ行かせてくれませんか?」

「風の色に?」


 町長さんはハンカチで汗をぬぐった。


「はい。私が食品を作っているところで働いて、異物が入る原因を調べてくるんです!」

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