ケストアーク
さっそく揺さぶりをかけた。魔法を使用するというのはもちろんただのハッタリだ。けど、その言葉を口にした瞬間に課長の表情がほんの僅かに歪んだのを私は見逃さなかった。
「あぁ、わかったよ……」
普通の人なら魔法と言われても信じないだろうけど、課長にはそういう様子が見受けられない。やはり、彼は魔法の存在を知っているのだろうか。
課長は私の正面の席に座った。
「小森から相談を受けたとき、君に関する話だろうと思ったよ。君は彼女のルームメイトだったからね。けど、まさか本人が来ているなんてね」
「騙してしまい、すみませんでした」
「いや、いいんだ。それにしても……」
課長は私の髪を見た。
「オシャレな髪だ」
あなたの肌も同じ色でしょうが、と私は心の中で突っ込んだ。
「せっかくなので、何かお酒でも飲みますか?」
「いや、遠慮しとくよ。恐ろしくてそんなことできないな」
どういう意味なのか分からないけど、課長はそう言って微笑んだ。
課長はジンジャーエール、私はオレンジジュースを選び、他には適当に摘める軽食だけ注文した。
「行方不明になってたけど、今までどこに行っていたんだい?」
さっそく課長が切り出した。怒ったり恐がったりしているわけでもなく、一緒に仕事をしていたときと変わらない話し方だ。
「わけあって、ある人の家に泊めてもらっていました」
「そう……」
課長は何かを慎重に推し量るかのように、間を置いた。
「うちの工場で異物を混入させたのが君だという噂があるけど、それは本当?」
やっぱりそうくるよね……。
私の心臓が鈍く鳴った。だけど、これに関しては正直に打ち明けると決めていた。私の予想では、この人はそう簡単に通報なんかできないはずだ。
「はい、その通りです。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
私は頭を下げた。課長がどんな顔をしているのかは分からない。
「……なぜ、そんなことを?」
頭を上げると、課長はやはりいつも通りの課長だった。それが逆に薄気味悪い。
「…………」
私は両手を組んで考えた。ここからが本番だ。どういう風に話すか、どこまで話すか。
「私の住んでいた雨の街では、風の色から輸入した食品に異物が混入しているという事故が相次いでいました」
私は、異物混入をなくすために風の色に来たこと、コウモリに導かれてスパゲッティ工場を訪れたこと、膠着状態を打破するために自ら異物事故を起こしたことを話した。その間に注文していた料理と飲み物が運ばれてきた。
「なるほどねぇ……」
課長は私の言葉を一字一句聞き漏らさないように耳を傾けていた。
「課長や工場の人たちには本当に申し訳ないと思っています。でも、今日こうしてお話に来たのは、異物混入とは別のことが訊きたかったからなんです」
「……なんだい?」
「コウモリのことです。あのコウモリは、雨の街では普通に人の言葉を話し、こっちに来てからも課長と話をしていました。だから、それが普通のことだと思っていたんです。でも小森さんは、コウモリが喋るわけないと言っていました」
私はオレンジジュースを一口飲んだ。
「あのコウモリは何者なんですか? なぜあなたはコウモリと知り合いなんですか?」
「ふむ……」
課長もジンジャーエールを口にした。
「それを話す前に、もう一つ明らかにしなければならないことがある」
「なんです?」
「魔法だよ。さっき君も言ってた」
やっぱり魔法が絡んでくるのか、と私は思わず身構えた。
「君はどうして魔法の存在を知っているんだ?」
「……私が街で警察から逃げてしまったとき、椎月カナデという人に助けてもらいました」
「カナデだって!?」
今まで冷静だった課長が驚きの表情を見せた。
「カナデを知っているんですか?」
「ああ。それじゃあ、コウモリじゃなくてカナデから魔法の話を聞いたんだね?」
「ええ。彼は魔法の研究所で働いていると言っていました」
「ふっ。そうか、そういうことか」
課長は乾いた笑みを浮かべた。
「課長?」
「ああ、悪い。実はね、僕は六年前までその研究所で働いていたんだよ」
「……っ」
課長は魔法研究所の所員だった。魔法と何かしら関係していると感付いてはいたけど、その事実は私の心に重くのしかかった。
それに六年前といえば、記憶を失った私が雨の街で拾われたときじゃないか。
真実に一歩近づく音が聞こえた気がした。
「正式名称は株式会社ケストアークという」
「ケストアーク……」
たしか、カナデもその名前を口にしていた。株式会社とは言っていなかったけど。
「表向きは薬品の棚卸業ということになっているが、実際には魔法の研究と実験しか行っていない。人数は十人程度。今は設立してから十年くらいかな。ビルの一角にオフィスがあり、創設者を中心に魔法の研究と実験は全てそこで行われている」
私は目が点になった。
とても現実の話とは思えない。あんな凄い力の研究が、そんなこじんまりとした場所で行われているのか。
「カナデの両親がそこで亡くなったことは知っているかい?」
「えっ、そうなんですか!?」
「ああ。魂を扱う魔法の実験で亡くなったんだ」
「そんな……」
そんなことになっていたなんて。
私はカナデからちゃんと話を聞いておかなかったことを後悔した。
「彼らは魂を移し替える実験を自ら実行しようとした。お互いの魂を入れ替えようとしたんだ。しかし、実験は失敗して二人とも意識を失ってしまった。彼らは死亡したとされ、遺体はケストアークの冷凍庫に保管されている」
「なっ……」
冷や汗が頬を垂れた。
あまりにも常軌を逸している。私はそんな危ないことに首を突っ込んでいたのか。
「彼らから、子供たちの話をよく聞かされていたんだ。まあ直接会ったことはないんだけどね」
「…………」
「ともあれ、僕はその事件がきっかけでケストアークを抜けたんだ。もちろん、口外したら命はないと散々脅しつけられたよ」
「その約束はずっと守っている?」
「ああ。あの創設者は、命を奪うくらいのことは平気でやるからね。あの人はそういう人だ」
たった今、私に口外してしまったわけだが、大丈夫なのだろうか。
「ケストアークを辞めたあとは公務員になって、今の工場に配属された。そして、去年めでたく課長になれたというわけだ」
風の色では国が食品工場を運営している、そんな話を前にも聞いたっけ。
「そこでさっきの質問に戻ることになる。『コウモリは何者か?』と『なぜ僕とコウモリは知り合いなのか?』という質問。まずコウモリは何者かということだけど、これについては僕もほとんど何も知らないんだ」
「と言いますと?」
「あのコウモリは数ヶ月前、僕が街中を一人で歩いているときに現れ、君を工場で働かせることを要求したんだ。ケストアークの使いとして」
私があそこで働くことになったのはケストアークの要求。
ついに私と魔法研究所が確かな線で繋がってしまった。
「僕はそのとき初めてコウモリに会ったんだ。たぶん、あのコウモリは僕が辞めたあとにケストアークで造られた生物なんじゃないかな」
「…………」
なぜだろう、課長の話に違和感を覚える。
「ともあれ、僕はコウモリの要求に従うしかなかった。刃向えば殺されるかもしれないからね。既に全ての段取りは整えられていて、当日無事に君を迎え入れることができたわけだ」
「はぁ」
「ちなみに、君が雨の街での異物を調べるために来たということは知らされてなかった。というより、今さっき初めて知った」
そう、これもおかしい。
「これが、君が風の色に来るまでに起こった出来事だよ」
「……もう一つ訊いてもいいですか?」
「うん?」
「私、六年前に記憶を失くして雨の街で拾われた子供なんです。何か思い当たることはありませんか?」
課長は口に手を当て、少しの間黙った。
「いや、特に心当たりはないかな……。子供が実験に使われたということもないしな」
「そうですか……」
「大丈夫かい?」
「少し、考えさせてください」
それから私たちは何も話さずに食事を続けた。私はシーザーサラダとフライドポテトを黙々と食べた。課長は料理にはほとんど手を付けず、ジンジャーエールをちびちびと飲んでいた。
結局のところ、どういうことなんだろう。色々なことが明らかになった気もするし、何も分かっていないような気もする。私が次にこの人から聞き出すべきことはなんだ? 考えろ、考えるんだ……。
「課長」
私は食器を皿の上に置き、姿勢を正す。
「なんだい?」
「事の経緯はなんとなく分かりました。あとは魔法について詳しく教えて頂けないでしょうか?」
「あれ? 君は最初、僕に向かって魔法を使用するとか言って脅かしてなかったっけ?」
「うぐっ」
「ハハハ、なんてね。実は君の話を聞いているうちに、君が魔法を使えないだろうということは察していたよ」
そんな風に言われると、ハッタリをかましたのが恥ずかしくなってくる。
「まあ、そうですけど」
「魔法の力は魔礫によって起こるということは聞いてる?」
「それはカナデから聞きました。そもそも魔礫って、一体何なんですか?」
「魔礫について知られていることはそれほど多くない。それぞれの国が魔礫を一つずつ保有していて、その情報は国家の中枢に属する者にしか知られていない……ケストアークは例外だけど」
「国が一つずつ保有? じゃあ雨の街も?」
「ああ、雨の街はあれで一つの国だからね。雨の魔礫によって、
なんだか、どんどん話のスケールが大きくなり、頭がクラクラしてきた。
「魔礫は全て地中の奥深くから採掘されたといわれている。その歴史は千年以上も昔で、魔礫のあるところに人が住み始めたという説まである」
「……そんな凄いものを、なぜ一企業に過ぎないケストアークが研究しているのでしょうか?」
「問題はそこなんだけどね、ケストアークの創設者はどこからか自分で魔礫を見つけてしまったんだ。それも一番ヤバいやつ」
「それがまさか」
「そう、魂の魔礫だ。生命に直接干渉する力を持っている」
「そういうことですか……」
「僕が在籍していたころ、ケストアークは魂の魔礫の他に風の魔礫も保有していた。小石くらいの小さなものをいくつかね。魔礫は見た目がどれも同じで、それだけでは種類を判別できないから慎重に管理されていたよ」
カナデの持っている魔礫はそれだったのか。
「でも、風の魔礫は国が保有しているんですよね?」
「ああ。つまり、ケストアークと風の色の国家は既に協力関係にあるということだ」
「なんですか、それは……」
「僕が公務員になれたのも、それが関係しているのかもね。ハハハ」
笑いごとだろうか。相変わらず食えない人だ。
「まあ、大体のところは理解できたんですけど、まだ分からないことがあるんです」
「何?」
「どうやら私にも魔法の力が宿っているらしいんです。カナデの魔法針はいつも私のいる方向を指し示していました」
「それはありえないな。魔力は魔礫の中にしか存在しないんだ。例外となるデータは今までに一つもない」
「ですよね……」
「どこかで魔礫でも拾って食べたんじゃないの?」
課長はケラケラと笑った。
しかしそれとは裏腹に、私の背筋に何かがぞわりと這った。
魔礫を……食べた?
なぜかその言葉が引っかかった。
「冗談だってば」
「いえ、ちょっと待ってください」
私は課長の言葉を手で制した。
そして、思い出した。
「私、やっぱり魔礫食べちゃったかもしれません」
「……は?」
そう。私は雨の街に住んでいたころ、自分が見つけた異物をコレクションしていた。けど、一つだけ回収できなかったものがあった。
チョコレートに混入していた小さなかけら。あれだけは気付いたあとすぐに飲み込んでしまっていたんだ――。
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