異物混入譚
「ふうん、聞かせて」
「簡単だよ。私が椎月ユカとして自首し、スパゲッティ工場で異物を混入させた罪で逮捕されればいい」
「なっ……」
「今雨の街で起きている異物混入は、雨の街出身者が風の色で異物混入を起こしたことに対する復讐によるもの。それなら、風の色で起こった異物混入事件の犯人は風の色出身者だったと判明すれば、雨の街に対する復讐は止まる」
「アンタ正気!? そんなことすれば威力業務妨害罪でブタ箱行きよ!」
「かまわないよ。私が罪を犯したのは事実だし」
「…………」
私の毅然とした態度に、ユカはひるんでいるように見えた。
しかし、この程度では諦めず、再び口を開く。
「そもそも、スパゲッティ工場で働いてたのは椎月ユカじゃなくて結原ヒカリという人間なのよ。それに、国とケストアークは繋がっているからすぐにバレるわ」
「ユカが名前を偽ってスパゲッティ工場で働いてたことにするよ。国もケストアークも魔法や実験の存在は知られたくないんだから、それで矛を収める」
「ダメ、その方法は認めないわ」
「何を焦ってるの、椎月ユカ? ひょっとして、私を適当に泳がせてから体を取り戻すつもりだった?」
「クッ……」
ユカが醜く顔を歪める。
私はそれに向かって右手をかざした。カナデが魔法で風を起こすときと同じように。
「何をする気!? アタシに何かすれば、アンタの大切なカナデを助けないわよ!」
「
「えっ!?」
ユカが目を見開いた。
「別にカナデに怒ってるわけじゃないの。そうじゃなくて、カナデだって雨の街で不法侵入の罪を犯したんでしょ? だったら、ちゃんと罪を償ってほしい」
一度は堪えた涙が、また溢れそうになる。
「カナデは私の大切な…………弟だから」
私のようなわけの分からない存在が、彼にそれ以上の感情を抱いてはいけない。
「それに、どんな理由であれ、魂を操るなんて人間にとっておこがましいと思う」
私も一緒に罪を償うから。お姉ちゃんとして……。
「だから、これで最後にするね」
あなたも、しばらくの間眠っていて。
ユカは何かを察知したのか、翼を広げて木の枝から飛び立とうとした。
しかし、もう遅かった。
私はイメージした。
コウモリであるユカの体から魂を抜き取る映像を。
私はイメージした。
魂が光の粒子となって体から溢れ出し、私の右手の中へ集まっていく映像を。
私はイメージした。
光の粒子が金の延べ棒のような形となり、右手がそれを握る感触を。
すると、想い描いた通りにユカの魂がピンク色の結晶となり、私の手中に納まった。握りしめると石のような感触と重みが実在するものとして感じられる。
やっぱり、そうだったか……。
一か八かだったけど、私の予想が的中した。
私は今、魂の魔法を使うことができたのだ。
私の体に魔力が宿っているのは、目覚めさせるために魔礫が投与されたからだろう。ケストアークが所有している魔礫は二種類。風の魔礫と魂の魔礫だ。そして、私は風の魔法をイメージしても使うことができなかったから、消去法で残るのは魂の魔礫だけだ。
たったこれだけのロジックで賭けに出ちゃったけど、上手くいったみたいだ。ユカの様子から察するに、彼女は、私に投与されたのは風の魔礫だと思っていたみたいだ。
なぜ? なんでそんな取り違いが起こったの?
私は立ち尽くしたまま少し考えてみた。
ユカの話によると、あの日彼女に魔礫を渡したのはカナデだ。そして、魔礫は見た目だけで種類を判別することは難しいらしい。
つまりだ……。おそらくカナデが魔礫の種類を間違えたか、わざと魂の魔礫を渡したことになる。
どうして? それはきっとカナデに訊かないと分からない。叶わぬ願いなのかもしれないけれど。
そこまで理解したところで、私は考えるのをやめた。
今はこれ以上のことを知ることはできないから。
ふと、周囲が微かに明るくなり始めていることに気が付いた。もう夜が明けるのだろう。
風の色の綺麗な空を見ていると、雨の街の曇った空が少し恋しくなる。
私はやっぱり雨の街が好きなんだ。
今更になって、そのことに気付かされた。
四六時中鬱陶しい雨が降っているし、食べ物はあんまり美味しくないし、風の色と比べたらとても不便な街だ。
でも、それでもやっぱり雨の街が好きなんだ。その想いは私の……ううん、椎月ユカの体にしっかり残っていた。きっと調査で訪れたときにおじさんや街の人に優しくしてもらって、雨の街のことを好きになってくれたんだ。
彼女は魔法の実験体になってしまったけど、本心では両親を甦らせることは半ば諦めていたのかもしれない。だって、両親のことより雨の街への想いの方が体に残留してしまったのだから。
小説「雨の街から」の主人公が六年前に記憶を失くして雨の街に捨てられたというのは、きっとユカが六年前に両親を失くした体験を自己投影したか、辛い記憶を消して雨の街に行きたいという願望の表れだったのだろう。
でも、だからこそ、雨の街で本当に異物混入が発生してしまったことに責任を感じ、彼女なりにどうにかしようとしていたのだろうか。あんなコウモリの体で、誰にも協力を頼めずに――。
無機質なビルの間から陽が昇りはじめ、暗い街に柔らかな光が射し込んでいく。真っ黒だった空は紺色から橙色へ、地平線に向かって鮮やかなグラデーションに染まっていく。
草木が生い茂る丘の上で、私は生まれて初めて朝陽が昇る瞬間を見ていた。それは畏れ多いほどに美しく、神聖なもののように思えた。あるいは、世界が終わる瞬間の光景にも見える。
私の推理が全部間違っていたらいいのに。
ふと、そんな馬鹿げたことを考えてみる。
今までの推理は何かの間違いで、雨の街で過ごした記憶は実際にあった出来事で、課長に話した通り私は
課長は、魔礫は世界の自壊装置だと言っていた。でも私の見解は違う。魔礫はそんな立派なものじゃない。
こんなもの、本来は存在してはいけないんだ。
私は同時に、そんな魔礫が原因で生まれてしまった自分もこの世界の異物だということに気付いた。
私だって存在してはいけない異物なんだ……。
そう思うと、無意識のうちに瞳から涙が溢れた。
私は声を漏らすわけでもなく、悲しみに顔を歪めるということもなかった。
無表情のまま、ただただ涙だけが流れつづけるのだ。
窓ガラスに垂れる雨の雫のように。
私は雨の街と風の色の狭間にある丘の上で独り立ち尽くした。
ここはあらゆる概念の境界に存在する場所なのかもしれない。
夢と現実。
人と物語。
正義と悪。
罪と罰。
朝と夜。
それらは相反するもののように思えるが、一部分では重なり合っている。
その重なり合いの中にいるのが私という存在だ。
私は狭間の存在としてこの丘に立ち、涙を流しつづけた。
その雫を風が乾かしていく。
陽の光が潤んだ瞳を輝かせる。
孤独な夜がとうとう終わりを迎え、長い夢からやっと醒めることができた。
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