あとがき
この話を書こうと思った発端は数ヶ月前、お寺にお参りした時のことでした。
その時は本当に初めて感じたような気がしたのですが、恐らくそれよりずっと以前から、潜在的に考えていたことだと思われます。
「神様はただでは何もしてくれない」
怪しげな新興宗教にしてもそれは同じです。お金、体、心、求めるものは宗教によって変わるでしょうが、漠然と願っているだけ、縋るだけではなにもしてくれない。いや、心を砕き、身を削って神に願ったとして、答えてくれるとは限らない、なんとも非情でありませんか?
それに対して「悪」はどうでしょう。「善」より明らかに身近に寄り添い、時に人を豊かにもする。(無論、その代償に人生が台無しになることもあるわけですが。)しかも神よりよほど具体的な形をとって目の前に現れることすらあります。
では、「善」の側が非情であり、「悪」の側にある種の情があったとき、人は果たしてどちらを選ぶのか。「神」の言う「善」と「悪」が、こちらに判然としない以上、それがいかに「悪」の顔をしていようと、人間には美しいものに見えることもあるのではないでしょうか?
最後に。八月一日の扱いが雑になってしまったことが心残りなので、できれば外伝という形で書きたいと思っています。ここまで読み通して下さった方、本当にありがとうございました。
天使 八割 四郎 @hakubi77
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