第25話 願い

雨が降っていた。それは長く陰鬱な雨で、何もかもが湿っぽくなって、そこから苔が生えて来そうだった。

「そういやさ、なんであいつと話すようになったんだ?」

八月一日は友人に問われて答えに窮した。まさか殺されてからなどとは言えず、興味があったからだと誤魔化してみせる。それも一応事実だった。

「でも実際さ、俺らと変わんないんだよな。普通っていうか、ちょっと安心する。」

そんな言葉を聞きつつ、少し、なんとも言えない違和感を覚えた。どこがとは言えないが、なにか違う、そんな感じだった。

「おはよう。」

かすかな微笑みに応えているうちに、そんな違和感は雲散霧消して、後には青白い顔の男とガラスのような笑みだけが残っている。

「あ、来た来た。今度さ・・・」

司は約束を交わしながら外の空模様を見た。暗雲垂れ込め、もう先が見えなかった。

「M.R?」

人から離れ、暗い廊下で悪魔を呼ぶ。特に願いがあるわけでもなかったが、名状し難い苦しみで、痛みで、この湿度の中傷が産んで心の中まで流れ込んできそうだった。

「呼んだかな。」

出会った時よりさらに透明度を増している魂を見て、そのように計らったのだろう相手のことを思い描いた。

(本人のためとかこつけて、それが本当に良いことだと思っているのだから、悪魔より余程たちが悪い。)

「私は、近いうちに死ぬらしい。」

(これ以上純度が上がれば、彼の方が耐えられないだろうからね。)

神のもとから離れて幾千年、栄光とか永遠なるものが、ひどく胡散臭いものだと人に吹き込んで何百年、心からそう思ったのは初めてだった。

「そうか。」

「それで、これはできるかどうかわからないが・・・最後の願いを聞いてくれるか。」

人間にしては美しすぎる少年は、馬鹿げた願いを口にして笑っていた。本当の願いが他にあることも知って、その方は必ず叶えてやろうと心に誓った。

「司、君は私の主人だ。」

「ありがとう、K.X。」

心からの礼を受けたのは、ひょっとしたら初めてかもしれなかった。そして、おそらく最後の名前の変更で、真実に行き当たってくれたことが、なぜかひどく嬉しかった。

「人とは不可解なものだな。」

絶対的に強者である自分と、その半ば言いなりになるように破滅の道を突き進んだ人間たち、強いものが現れたらそれにすがり、自分のものにしたくなるのが筋のはずだった。

「なぜ、君はなにも望まなかった?」

優秀さが、己の努力の結果であるという、わかりきった真実を彼は知っていたからかもしれない。

「なぜ、こんなふうになるまで私を頼ろうとしなかった?」

彼は、自分が側にいる理由を、それが重要な意味を持つまで忘れさせていた。 その間、過ぎた欲望でなくとも、なにらかしら頼めることはあったはずなのだ。

「なぜ、私は彼を騙して、命を刈り取ってやらなかったのだろう。いつだって、その機会はあったのに。」

こんな悲惨な結果にはならなかったはずなのだ。

「なぜ、心が痛む?なぜ、彼は私を心から求めてくれるのか・・・」

今すぐにでも「あの人」を殺しに行きたかった。せめてその翼を折ってやりたかった。

「あんな物を手に取らなければ、彼は魂は不完全になっても普通に・・」

悪魔は、自分自身こそが、恐らくは天使以上にそれを望んでいないことはわかっていた。自分の手の中に入る魂は、美しく完全であって、それだからこそ価値で、それだからこそ手に入れたいと思い契約したのだ。

重い雨が降っていた。きっと7日以内に、彼は死ぬだろう。

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