第3話:塚田守の誕生と脳腫瘍1

 その3年後の1970年3月1日に長男の塚田守が誕生した。一方、日本株

投資の方では、1973年2月に下げ始めたので、全株を売り10億円以上の

金を手に入れた。塚田守は、生まれて、3歳になり言葉を話し始めた頃には、

塚田家に近所に住む4人の大学生達に、依頼して、小さい時から、塚田守に、

算数、英語、漢字、地理をスパルタ式で教え込ませ、小学校に入る頃には、

算数、特に、暗算が得意で、小学校4年でソロバンは3級の腕前で、英語の

日常会話を話せる様になり、地理も、大きな地球儀を買ってもらい、世界に

興味を持っていた。中学に入っても、小さい時のスパルタ教育のお陰で、成績

は主席で、高校は、都立の名門、国立高校に入学して、スポーツの方は、陸上

部で長距離を担当していた。


 高校1年で、ソロバン3段を取得し、化学、物理、数学が得意であり、将来

は、電子工学か医学のどちらかを勉強したいと話し、集中して勉強していた。

そうして、高校2年で、遂に、国立高校でも、学年で主席となり東大工学部か、

東工大の電子工学のどちらにするか悩んでいたが、最終的に、東大工学部と

早稲田大学理工学部を受験することを決めて、最初の受験で、早稲田大学工学

部に合格し、続いて、東大工学部電子工学科への試験で、合格を果たし、東大

工学部に入学した。


 入学して、1年生、1988年6月、大学の授業中、激しい頭痛に襲われて、

東大病院を受診して、精密検査を受けると、頭部に小さな腫瘍が見つかった。

 入院して数日で,痛みが治まり、退院した。しかし、その後、8月に、同じ

痛みに襲われ、入院した。やがて、1989年2年生になり、この年には、

何もなく過ごして、1990年3年生の時も無事過ごし、1991年4年の

11月に三度、激しい頭痛に襲われた。そうして、精密検査をして、やはり、

頭部の腫瘍が少し大きくなっていることがわかり、1ケ月の入院を余儀なく

されて、1991年12月、大学4年生で留年が決まった。


 そして脳神経外科の先生が、塚田守の両親を呼び、「放射線療法で、脳腫瘍

を小さくするしかない、それには最先端医療で数百万円の費用がかかるが、

どうするか」、と聞くと、父の塚田一郎が治療して下さいと言うと、塚田守の

脳腫瘍に1992年2月、日本で,始まったばかりの強度変調放射線治療を

開始することが決まった。


 この治療は、コンピューター制御による逆解計算法という複雑な計算法を

用いて治療計画を行うことで、今までの外部照射より細かく放射線照射の形状

を設定することができ、放射線の強さも変えられるので、病巣の周囲にある

正常組織の線量を抑えながら、病巣に線量を集中させることができ、その結果、

腫瘍は多くの線量が投与できることで効果が良くなり、正常組織にはより少な

い線量しか照射されないので副作用が減らせる、画期的な方法だった。

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