第15話:子供の大学受験と投資
長男の肇君が、東工大か東大、早稲田大学理工学部をめざすと言い、俺も、
留学したいなと話していた。その後、家族会議をして、塚田守が、もし両親が、
海外に移住を希望して、日本を出たいと考えているとした、どう思うか、子供
達に聞いて見た、すると、和美さんと、肇君と、二郎君は、もし、離ればなれ
になっても、教育費は出してくれるんですねと聞くので、教育費は責任持って
出すというと、それなら構わないと言った。その後、二郎が、せめて、俺が
大学に合格する2008年夏まで、待って欲しいと言った。それに対して、
塚田守が、わかったと答えた。2006年夏、肇君は、予備校の模擬試験で、
早稲田の合格確率80%となり、東大、東工大が70%になった。その後も、
問題集を徹底的にやっていて、10月の最終も模擬試験で、早稲田85%、
東大、東工大75%となった。
一方、投資の方では、2006年10月に3090万豪ドルを6年間6%
複利運用し4135万豪ドルになり、1豪ドル90円で両替すると37.2億円
になり残金の2.6億円と合計して39.8億円となり、2006年10月の
塚田守の資産が39.8億円となった。
そして、2006年12月になり、早稲田大学理工学部電子工学の出願〆切、
1/25,受験日2/26,合格発表日、3/5と決定。東工大は出願〆切
2/6,受験日2/16,合格発表日、2/26と発表されて、塚田肇は、
東工大と早稲田大学理工学部を受験することに決めた。
そのご、早稲田大学理工学部に合格し、東工大は、不合格となり2007年
4月、早稲田大学理工学部電子工学科に通うことになった。一方、塚田二郎も、
兄の肇君と同様に、ソフトウェア技術者をめざしていた。二郎の方は、2年生
の段階で、既に、学年トップの成績までなって、予備校の模擬試験でで早稲田
理工学部95%、東大、東工大80%となっていた。
彼も、最後は、問題集を何回も、解いて、どれだか早くとけるかの練習を
続けていた。2007年11月になって、最終的に早稲田大学理工学部電子
工学科と東大工学部情報工学科をめざすと宣言した。早稲田大学理工学部電子
工学の出願〆切1/26,受験日2/27,合格発表日、3/6と決定。東大
は出願〆切2/8,受験日2/17,合格発表日、2/27と発表された。
まず、早稲田に合格したことを、両親が見に言って確認して、その後、東大
も、見事合格した。そして、2008年4月から東大に通うことになった。
この結果に、彼らの祖父の塚田一郎が、驚いて、良くやったと、誉めてくれ、
合格祝いに、それぞれの卒業時に、奨学金400万円ずつ渡してくれた。
2008月12月1日 1米ドル88円で2億円を227万米ドルにして、
長女、和美の新生銀行の米ドル口座に送金し、兄弟の米国留学の時に使う様に
伝えた。2006年10月の塚田守の資産が39.8億円から2008月12月
1日に2億円を使って、2009年に塚田守の資産が37.8億円となった。
2008年になると、リーマンショックで急激な円高になり、2009年
1月3日、1豪ドル57円で30億円を豪ドルに両替すると5250万豪ドル
になり、残金が7億8千万となった。
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