第2話:塚田家の先祖の話2

 この頃になると、旧華族や、政治家、高級官僚達が、持っている、金、宝石、

乗用車、壊れずに残った武蔵野の大邸宅、東京の土地を家族の食料の確保や

武蔵野、千葉、埼玉、に土地を手に入れるために必要になっていたのを見て、

塚田宗一は、足元を見て、超安値で、買い取っていた。そして、埼玉の多くの

蔵に、安く買った品物を貯蔵して、頑丈な錠前と、管理人を住まわせて、

守った。更に、昭和5年から6年の昭和恐慌の時も、持っていた金で、更に、

金持ち達の足元を見て、超安値で、高価な金品、財宝、土地を買い集めた。


 つまり、需要が高まり、価格が上がると売って、供給が増えると、安値で

買うという、経済の常道で、大金持ちが,更に、大金持ちになった。しかし、

決して金で、貴族院議員の様な地位や名誉を欲しいとは、全く思わず、

ひたすら,富を蓄える事に情熱を燃やし続け、巨万の富を作った。やがて、

昭和10年が過ぎて、軍国主義の時代が来ると、息を潜めて、静かに暮らし、

食うものに困らない様に、地元名産の川越のさつまいもや、お米、麦、野菜、

鶏肉、卵を確保するため、小作人に給料を払って、雇い、塚田宗一と息子の

塚田勝一が、塚田一族が不自由のなく、生きていけるようにしていた。


 戦争が始まると、昭和16年から、都心や、工業地帯は、危ないと考えて、

秩父の山奥に、小作人を集めて、夜中に荷車に乗せ、高価な金品、金や宝石、

財宝などを一気に運び、秩父の農家の蔵を借りて、一晩のうちに、運び込んだ。

 そして、川越は、危ないと、塚田一族に、安全な山間部、秩父に行くように

指令を出した。そうして、地元の人に、金を払って、田畑を借りて、小作人を

雇って、お米、麦、野菜、鶏肉、卵を確保して、生き延びていった。その後、

B29の爆撃で、焦土と化す都心部を見ながら、栄養失調になる事もなく、

秩父の荒川で川魚をとって、昭和20年の終戦を迎えた。


 終戦後も、世の中が、落ち着く迄、秩父に住んで、時の過ぎるのをひたすら

待っている時に、父の塚田一郎が1946年に生まれた。1950年、

昭和25年になると、朝鮮戦争が起き、建築に必要なセメントが売れると考え、

秩父セメントの株を大量に買って、また、値上がりする前に、一気にセメント

を大量に買って、秩父セメントの倉庫に保管してもらい、数ヶ月度、セメント

が上昇し始めると、少しずつ、高い値段が崩れないように,上手に、売った。

 先が見えないので1年で売り切ろうと考えて、いたが、実際には、2年間

特需が続いた。


 それでも、十分な利益を得て、また、秩父セメント株も下がり始めると一気

に売り切り富を増やした。その後1953年3月5日、ソ連のスターリン死亡

時のスターリン・ショックで当時の株価が3月4日の株価378円が340円に急落した。これを見て、祖父の塚田勝一が日本の東京海上、平和不動産、

新三菱重工の株1億円、購入し、その後、神武景気、岩戸景気と続き、上がり

始めると、すぐに全株を一気に売って、5億円を手に入れた。その後、再度、

株が上がりだすと思い、4億円で日本の主要株を買った。翌年、1968年

4月8日に、父,塚田一郎が、近所に住む、塚田富子と結婚した。

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