第20話 彼と彼女は不仲である

 主とカトリエル女史が手を取り合っているので、吾輩も前足を乗せて可愛さアピールをすべきか、それとも二人の関係性がもう少し柔らかい物へと進展する後押しも兼ねて、二人の世界でいさせるべきだろうか。

 お互いに惹かれつつある匂いを感じるが、二人とも仕事意識を優先しているのか、あくまで協力者だとか恩人という堅い建前を崩そうとしない。

 良い言い方をするなら節度を保っているということになるのだろうが、人間には包み込むような柔らかみと暖かさを隣人に分け与える力が備わっている。

 それを吾輩に教えてくれたのは他の誰でもない我が主、倉澤蒼一郎だ。


 ――矢張り、ここは吾輩が一肌脱ぐべきだろうか。


 意を決して動き出そうとすると扉をノックする無遠慮な音が響き渡る。


「無粋ね」


 カトリエル女史が硬く冷たい声で主の手を離す。なんてこったい。


「待ってください」


 主が再びカトリエル女史の手を取り、背に隠すようにして彼女の前に出た。


「此処、空き家なんですよね? 胡桃さん、彼女を頼む」


 家の構造上、光が外に漏れることは無い。

 近所の者たちの認識で言えば、この家は空き家で無人。

 人が訪ねてくること自体がおかしい。主はそう考えたのだろう。


 主はカトリエル女史に尋ねながらも精霊剣を召喚し、臨戦態勢を取る。


「大丈夫よ、こういう時だけ目敏い遠慮知らずが来ただけだから」


 吾輩の懸念が最悪の形で的中してしまった。

 扉の向こう側にいる来客の匂いを吾輩は知っている。


 ――敵対者ではない。当然、不審者でもない。


「遠慮知らずって……ま、まあ良いや。自分が出ますよ――って、アーベルトさんじゃないですか。こんな時間にどうしたんですか?」


「大方、あなたが七代目かどうかの事実確認に来たのでしょう? 知っているのは、わたしとロイドくらいなのだから。それにあなたが六代目のようになることを恐れている貴族も少なからずいるのではないかしら」


 カトリエル女史らしからぬ刺々しい物言いに、アーベルト殿は表情を崩すことは無かったが言われていない筈の主がたじろいだ。


「ええと、六代目だとか七代目だとか、龍殺しのことですか?」


「そうだ。そして、カトリエルの言う通り、反帝国派の貴族が貴様を恐れている」


 此処で言う反帝国派とは日本で言うところの左派を意味している。


 帝国は簒奪という形で帝位を継承して来た流血の伝統がある。

 しかし、世界制覇を成し遂げた今こそ、暴威を以ての帝位簒奪は時代にそぐわないとし、現帝ハルロンティ・アーリーバードを正統な皇帝の血と定め、その血筋に連なる者達を帝室に入れ、出血では無く、血脈による継承を主張する勢力がいる。それが反帝国派だ。


 反帝国という言葉の響きからすると氷の団のようなテロリストをイメージするが、現代日本の価値観に照らし合わせると、かなり穏当な勢力のように思える。

 とは言え、武を尊び、力を貴ぶ帝国の気質には適さない主張のようで、主流派となるにはあと一歩が及ばないようである。


「成程。自分が皇帝を弑殺し、帝位簒奪を企てるのを恐れていると」


「六代目のオライオンと帝位簒奪のために対立、或いは共謀し、内乱を引き起こす可能性もな」


 そして、帝国派の貴族は今までの在り方を是とする典型的な保守派だが、何せ帝国的価値観に基づく保守派だから、現代日本の価値観を基準にするなら物騒極まりない政党だ。

 分かりやすく力を持った者――即ち、我が主、倉澤蒼一郎による帝位簒奪を望んでいる可能性がある。

 主は現代日本の若者らしく、政治に無関心な不届きものだぞ。

 派閥争いに巻き込んでくれるなと言いたいが、龍殺しの雷名がそれを許してくれそうにない。


「懸念を晴らしてやる代わりに衛兵団に加われ。そういう脅迫かしら?」


 カトリエル女史が刺々しい口調で主とアーベルト殿の間に割って入る。

 主よ、いつまでも彼女の変貌に戸惑っている場合ではないぞ。


 ついさっきだってアーベルト殿のことは信じられると主が口にしたら不快感を露わ――にはしていなかったが、微妙に不機嫌になっていたのを矢張り、主は気付いていなかったようだ。

 まあ、吾輩は過去のトラウマから情報収集のみならず、警戒も兼ねて人間観察をしているから、主よりも人間の感情の機微に敏感なのかも知れない。


「いや、ただの現状報告だ。倉澤とて現状を把握せねば心の準備もできまい。本題は別だ」


「本題ですか?」


 いつもの勧誘とは違うとなれば――、それにカトリエル女史に貸与された空き家に住むという報告や書類の提出はまだ行っていないと言うのに、アーベルト殿は此処に主がいることを何故か知っていた。


 昼にカトリエル女史が訪ねてきた時に衛兵団に対する迷彩をしていたことを鑑みるに、衛兵団の監視の目は広く、しかも正確なのかも知れない。


「数日後、貴様には召喚命令が下される。場所は帝都、レーンベルク要塞」


「なんでまた反乱を疑われている自分が皇帝陛下のお膝元に?」


「その皇帝陛下御自らからの召喚命令だ」


「なんでまた、そんな自殺行為みたいなことを……」


「あなたの存在に懸念を示しているのは反帝国派の貴族だけ。陛下御自身も、帝国派の貴族もあなたが力で帝位を簒奪したとしても――」


 喜ばしい出来事として歓迎される可能性が高い。帝国派――つまり主流の保守派だ。

 現帝ハルロンティ・アーリーバードとて帝国派の思想があるからこそ、先帝を暗殺し帝位に就いたと考えられる。

 帝位に就くことは次代の皇帝に殺されることを意味する。皇帝自身もそういうものだと納得――いや、常識として染みついているのだろう。


「ああ、そういうことですか」


 だが、主の口ぶりは納得とは遠く離れたものだった。


「倉澤、はっきり言って貴様の存在は異質と言うか唐突だ。龍殺し足り得る力を持ちながらも従軍記録はなく、家名はあれど貴族ではない。過去も洗い出せず、八雷神が箱舟から連れ出した英雄を気紛れに配置したと言い出しても納得出来るくらいだ」


「買い被りですよ」


 そう買い被りだ。我々は氷の団の邪教徒に召喚された被害者に過ぎないのだから。

 衛兵団が如何に優秀だろうと主の力の背景を探り当てるのは不可能だ。


「反乱を企てるよりも阻止する方が趣味に合うし、帝位簒奪や帝室入りに興味を示すような野心があるなら貴方の誘いに一も二もなく乗って衛兵団に入り、今頃は手柄稼ぎに奔走してますよ」


 そして、それが出来るなら主はとっくに偉くなって、大金持ちになっている。


「いっそ貴様がそんな人間ならば腰抜けた貴族たちも安心したのだろうがな。如何せん貴様には力を得た筋道も、その力を使って何を得ようとしているのか、何の背景も欲望も見えんのだ。臆病者らしく勝手な憶測で勝手に怯えるのは当然だろう?」


「そうですね……それじゃ、腰抜けたちには、こう報告してください」


 主はカトリエル女史の肩に手を回して抱き寄せた。


「七代目は惚れた女の気を惹くために、ネズミのようにうろちょろしているだけの小物だと」


「貴様、本気か!?」


 まあ、さっきはあれこれとカッコつけたことを言っていたが、端的に言えば、これだ。照れくさいのか冗談めかして言っているが、この発言に関しては本気だ。


 しかし、アーベルト殿の驚きよう――二人の確執の原因だろうか。

 もしかしたら彼もカトリエル女史が借り腹の儀による呪いを受けていることを知っているのかも知れない。


「彼が本気だとして、それがお前に何か関係あるのかしら? 随分と都合が悪いようだけれど彼をお前たちの権力闘争に巻き込まないでもらいたいものね。この人は帝国軍人でも無ければ、お前の部下でも無い。フリーのモンスタースレイヤーなのだから」


 カトリエル女史は主に抱き寄せられて不快感を露にするどころか、僅かに得意気だ。

 前々から幼稚なところがあるとは思っていたが、借り腹の儀に起因する対人能力の未熟さによるものなのかも知れない。説明中でも彼女の両親の話が出てこなかった。

 主も敢えて追究しなかったのもそういうことなのだろう。


 親の愛や教育も受けられず、胎に宿った邪神に怯えながらも駆除する手段を得るためにサマーダム大学で学び、それと同時に生計を立てるために錬金術師組合の組長にまでのし上がった代償。それが無表情、無感情、無愛想で鉄面皮の中に残ったままの幼稚な本性――そう考えると短気で、短慮で、短絡で、横暴で、粗暴で、乱暴な吾輩の主のような色々と欠けた不完全な人間とお似合いなのかも知れない。


「ま、まあまあ、二人とも落ち着いてください。ご助言には感謝します。確かに知っていれば立ち回りやすくなるのも事実です。お互いに」


「お互いに? どういう意味だ」


「邪教徒を装った氷の団の一員と戦闘になりました。これを」


 邪教徒たちが所持していた氷の団のマークが刻まれた邪神ガエルの偶像アイドル

 カトリエル女史とアーベルト殿の確執らしき物の間に挟まれている現状を打破するには、これ以上ないタイミングだろう。


 問題を先送りする為に、新たな問題を追加投入したとも言う。


「彼らの口ぶりでは邪神復活の対価に絶大な加護を得ることが目的のようでしたが、この刻印と邪神復活に動いている構成員の人数を見るに、氷の団の目論見は一柱や二柱で済むとは思えません」


「貴様が交戦した構成員は何人だ?」


「20人程」


「氷の団の規模を考えたら、あまりにも少なすぎる。貴様の推測通り、いや、それ以上の規模で、邪神の復活に複数の部隊を展開していると考えるのが妥当か。その内の幾つかの部隊がに壊滅させられるのも織り込み済みなのかも知れんがな」


 偶然の遭遇でないことがバレているような口ぶりだ。

 あの場に帝国衛兵団が現れなかったことを考えると、推測や経験からくる直感で気取られたと言った方が正確だろうか。


「問題は、それがソウブルー地方だけでの作戦なのか、それとも帝国全土で展開されている作戦なのか、ですね」


「良いだろう。バーグリフ様には私から上奏しておこう」


 バーグリフ様――、ソウブルー要塞の支配者。

 帝国の世界制覇に数多くの戦果を得て貢献したことでソウブルー要塞の支配者の地位に就いた男だ。

 戦時中は戦鬼の二つ名で知られており、噂によるとアーベルト殿の養父にあたるらしい。

 平和になった今では二つ名とは裏腹に善政を敷き、慈悲深き賢君で知られ、民からも強く慕われている。


「ええ、お願いします。領土拡大なら兎も角、反乱軍相手の防衛戦争なんて何も得る物の無いことのために平和が脅かされるのも面白くありません」


 戦後の帝国人らしからぬ物言いだったが、戦時を知る帝国人には思うところがあったようで、アーベルト殿は主に首肯してみせた。


「お互い情報の擦り合わせは終わったわね。用が済んだなら、さっさと失せてご主人様に報告なさい」


「そのつもりだ」


 カトリエル女史の敵意を剥き出しにした物言いに、アーベルト殿は何の痛痒も見せずに踵を返すも、矢張り、主は自分が言われたわけではないのに酷く気まずそうに弱り果てた表情を浮かべていた。


 犬でも人間でも怒る美女は怖いな、主よ。

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