第7話 主はモンスタースレイヤーである

 ソウブルー要塞から西に向かって二時間ほどの距離にあるベルカンタンプ鉱山。

 その道中に吾輩の春はなかった。解せぬ。


「ベルカンタンプ鉱山まで徒歩二時間って言われたら滅茶苦茶遠く感じるけど、精々十数キロ。しかも信号もなければ、歩道に突っ込んでくる車もない。日本で散歩するより楽かもしれないな、胡桃さん」


 ちょっとしたお散歩だな、主よ。


「しかし、ソウブルー要塞の職人地区全体を賄うだけの鉱山資源と、それを採掘する鉱山労働者がいる。しかも彼等は人間の膂力を上回る筋骨隆々のドワーフたちだ。カルト宗教に走って、反乱軍でインテリを気取る青瓢箪の人生負け組集団が襲撃して占拠できるものか? 一瞬で返り討ちにされそうなものだけどなぁ」


 大口を叩いて依頼を快諾した後になって、なぜ今更そんなことを言い出すのか?


 答えは簡単。歩くことで脳がリラックスして闘争心と殺意が萎え、理性が優位になってしまったからだ。数多く存在する主の悪癖の一つみたいなものなので、矯正は最早不可能だろう。


 しかし、主の懸念も尤もだ。


 主の言うカルト宗教に走る愚物のイメージは現代社会で培われた物。

 帝国では神が実体を持って現実に存在し、人の祈りが神に届き、加護やご利益を与えてもらえる世界だ。

 現状を嘆き、変えようもせず、現実逃避に走り、破滅し、更には伝播し、滅亡の種子を拡散させていく現代社会でよく見かける社会不適合者とは少し話が違う。

 虚像に縋り付く惰弱な阿呆――と簡単に切って捨ててしまうのは危険な考え方だ。


「それにしても氷の団、ね。カルトに走る馬鹿野郎共って言いたいところだけど、神が実体を持って、信仰すれば加護を与えてくれるとなると要はテロリストだよな」


 カトリエル女史の未来視で邪教徒を蹂躙し、根絶やしにせんばかりの暴れっぷりを見ているとは言えだ。未来は変わる。変えられる。主のような強い意志を持った人間なら猶更で、変わることが決して良いこととは限らない。


「とは言え、今まさに要らんことしてる邪教徒たちが巣食っているベルカンタンプ鉱山に向かっているわけだし、警戒するなんて今更にも程があるな。思考し、警戒したからって敵が弱くなってくれるわけでも無いしね。なー、胡桃さん」


 いや、今まさにそういう考え方が危険なのだと洞察しているのだが。

 流石に肯定し難いが、言葉を発せないので、ワン!と一吠え。


「うんうん、胡桃さんもよく分かっている!」


 残念ながら意思の疎通に齟齬があるようだ。

 素でやっているのか、故意なのか定かでないが、主は吾輩の思惟を自分の都合の良いように解釈することがある。

 普段はお互いに言葉が無くても雰囲気だけで完璧に意思の疎通ができているので、主は自分の都合の良いことしか受け入れる気がないのかも知れない。


 ――単純にアホなだけなのかも知れないが。


 そうこうしている内に鉱山街に辿り着く、真新しい血と暴力の残り香が漂っている。

 吾輩も倉澤蒼一郎を主に戴き、倉澤家に籍を置く身だから闘争の匂いは好きだ。


 しかし、しかしだ。


 暴力の匂いは好かん。とても、とても嫌いだ。

 特に涙の匂いなんてのは最悪だ。最悪極まる。心臓の奥が騒めいているようで気分が落ち着かなくなる。

 もう既に途絶えた筈の泣き声が、風に乗っていつまでも耳の中に居座っているみたいだ。

 これが強者や悪漢の類なら、自分が敗者となって朽ち果てることを想像だにできなかった間抜けだと嗤って済ませることが出来ると言うのに。


「大気中の魔力が奇襲を受けたドワーフたちの嘆きと怒りを反響しているのか。胸糞悪いな」


 吾輩の嗅覚から感じた心の痛みが、感傷からくる錯覚ではなく、確たる根拠のある現象であることを主が示唆する。余計に暗澹たる気分になった。

 これが錯覚ならば吾輩の心の弱さの証明だと自嘲することも出来たのに。これでは言い訳ができない。


「血痕の遺り方からして女子供や老人も無差別に、それこそ目についた端から殺して回っているな。ドワーフたちは唐突過ぎる凶行に状況理解が及ばず、ほぼ無抵抗といったところか。死体が残っていないのは邪神の復活に使う気か……?」


 血痕だけが残る大通りを睨め付け、主が固い声で嫌な推理を披露する。


「急ごうか胡桃さん。邪神の贄にされた者はそれが例え死体であったとしても魂を囚われると聞いたことがある」


 吾輩もソウブルーの商業地区で社会不安に心を痛める人々の声を聞き集めていたから知っている。

 この世界は神が実体を持ち、所謂あの世という死後の世界――小異世界が存在する。

 死ねば終わりではない。死体が邪神の贄に使われたら、例え天国の門を通り抜けた後でも邪神の座に引き寄せられ、転生することすらできず、邪神の玩具として地獄すら生ぬるく感じるほどの苦痛が永劫に与えられ続ける。


「ベルカンタンプ鉱山にドワーフの知人もいなければ、恩人もいない。何人死んだところで、ただの数字でしかない。だが、そうだとしても邪神の贄にされるのはあんまりだ。せめて死後だけでも救ってやらなきゃ、関わった此方もやりきれない」


 主は忌々しげに吐き捨てると身体を脱力させながら、右腕に巻き付けたリードを緩める。

 周囲一帯が濃い鉄と汗、血と涙の匂いと、敵意と殺気に覆われはじめたからだ。闘争の気配だ。

 この手の探知能力に関しては主は犬の嗅覚や直感にも勝る。

 ぞろぞろと姿を現したのは邪教徒ではなく、ずんぐりむっくりとした矮躯の毛むくじゃらの男たち。誰もが怪我を負い、顔色は青白く憔悴しきっているのが見て取れた。

 それでも目は萎えることのない闘志の炎が燃え滾っている。


「戦う相手を間違えるなよ……」


 主が口の中でぼそりと呟く。ドワーフたちに対する同情心は間違いなく存在する。

 だが、一方的に敵意を向けられ、攻撃を受けた場合、まず間違いなく主は惨劇を巻き起こすことになるだろう。

 日本にいた頃はそうでもなかった。帝国に来て暴力と殺戮に慣れすぎてしまっている。今や我が主は殺せる人間だ。


「何者だ、お前」


「お前もアイツらの仲間か」


「構やしねぇ、一人なら俺たちでも勝てる。やっちまうぞ!」


 主はどうするつもりだろうか。

 主要目的では無いが助けに来たと言うのに、このままでは被害者に鞭を打つ羽目になる。


「自分は」


「あ?」


「フリーのモンスタースレイヤーです。姓は倉澤、名を蒼一郎。ソウブルー要塞職人地区の錬金術師、カトリエルから依頼を請け、鉱山資源の納品が遅れている原因の究明と対応に参りました。代表の方にお目通りを願います」


 おお、凄いぞ、主。冷静に礼儀正しく言えたな。

 敵意に晒されているせいで声が無茶苦茶強張っていて、慇懃無礼と言うか、悪人が無理して良い人ぶっているみたいで却って怖さが増しているような気がしなくもないが。


「モンスタースレイヤー、だと?」


「噓を言うな! 丸腰のモンスタースレイヤーなど聞いたことがない!」


 返す言葉もない。


 吾輩の主は物臭なのだ。しかし、それが理由の全てではない。

 態々高い金を払って良し悪しの分からぬ剣や槍を買うよりも、その辺で戦いに敗れたであろう躯が所有している剣や槍を使い捨てた方が主にとっては楽なのだ。

 殴り殺すだけなら、その辺に落ちている石や煉瓦、空き瓶で事足りる。

 なんなら、今朝も六人掛けのテーブルで悪漢を撲殺している。

 頭突きでも殺したし、蹴り殺しもした。フェニックスの群れだって一匹ふん掴んでブン回して壊滅させた。

 道具の用途は目的を果たすこと。その目的コロシが素手やその辺に落ちている物で果たせるのなら態々武器を持つ合理的な理由が無いのもまた事実だった。


「どうせ邪教徒の術師だろう! 詠唱の暇は与えんぞ!」


「どうしよっか、胡桃さん」


 眼を血走らせたドワーフたちが薪や鶴嘴、ハンマーを持ち上げ、雄叫びと共に迫ってきていると言うのに、犬に問いかけている場合ではないぞ、主よ。


「悪党以外を、特に虐げられている者を殺すのは気が咎めるのですが、ドワーフはとても頑丈だと聞いていますので……精々死なないでくださいよ。お願いだから」


 もしも吾輩の身体が人間と同じ構造をしていたら頭を抱えるべき発言だ。

 ドワーフの頑強さを期待する言動。つまるところ、普通の人間なら死に至る攻撃を繰り出す気だ。


 ドワーフたちが一斉に凶器を振り下ろし、金属同士が衝突したような轟音が鳴り響く。

 明らかに人間の皮膚から出るような音では無い。主が無骨な盾で防いだ際に生じた音だ。

 音よりも目に映る物にドワーフたちが驚き、戸惑う。丸腰であった筈の主が盾を手にしていたことに。


「精霊兵器――だと!?」


 ドワーフの声色が驚愕で歪んだ。


 精霊兵器――その名の通り、精霊の手で作られた武器防具の数々である。

 素手、或いはその辺に落ちている物で敵対者を殺す主には似つかわしくない装備だが、先月カトリエル女史から雇われた際、前金として貰った物だ。

 これで死傷者が一人でも減ることを祈るばかりだ。


 表向きとは言え、主はヒューマンスレイヤーでは無く、モンスタースレイヤーなのだから。

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