第5話 キャンプ飯は美食である
「よーし、血抜きするか。胡桃さん、近くの水場まで先導よろしく」
ソウブルー要塞が建つ岸壁と陸地の間には大きな河が流れている。
大体の方角に向かって行けば水場に辿り着ける筈だ。
それは主も承知していると思うが、人間の知覚能力では方向感覚が狂う可能性が極めて高い。
己を過信することなく吾輩に先導を任せた方が確実だと判断したのだろう。実に賢明な判断である。
吾輩の先導で暫く歩くと、水の匂いと流れる音が聞こえてきた。
「流石、胡桃さん。完璧!」
主が親指を立てて嬉しそうに吾輩の功績を誉めそやす。
誇らしい気分になり思わず尻尾が揺れる。賞賛は実に良いものだ。
懐に仕舞い込んだ干し肉をご褒美に頂ければ尚良い。
「はいはい、ご褒美だね。そんなにガン見しなくても分かってるって」
主が苦笑しながら干し肉を差し出してくれた。
聞き分けのない子供のような振る舞いをしてしまったみたいで少し気恥しいが、干し肉の豊潤な香りの前では些細なことなので、羞恥心に蓋をして有難く頂戴する。
「それじゃ、やりますか」
フェニックスの血抜きで吾輩にできることは何も無い。
周囲を警戒しながら干し肉を咀嚼して歯応えと旨味を堪能する。
主が言うにはフェニックスは鶏の締め方と大体同じらしい。
既に絶命した五羽のフェニックスを木の枝に逆さに吊るして首を切り落とし、全身を捩じって体内の血を一気に絞り落とす。
流れ出る鮮血は周囲にいる肉食獣を誘き寄せる撒き餌になり、いなければ草食獣の忌避薬になる。
「他の四羽は兎も角、こいつは自分たちの昼飯だな」
そう言って、主は骨がバッキバキに折れ曲がったサブリーダーから羽根を毟り取っていく。どうやら振り回しすぎたようだ。まだまだ手加減が完璧になったとは言い難いらしい。
はらはらと舞い散る羽根を見ていると遊びたくなってくるが固く尖っていて危険なので玩具としては不適格だ。
主の靴下を丸めてボールにするのが最良である。
本能的に遊びたくなる衝動を堪えてプイっと顔を背け、薪拾いを始めることにする。
相応しい働きをせずとも一番美味い手羽の部分を食わせてもらえるのは分かっている。
分かっているからこそ自ら働くのだ。無知で、脆弱で、飼い主がいなければ自分では餌の一つも捕れずに餓死をするのが現代の愛玩犬。そんなレッテルを貼り付け、一方的に与え、見下す行為に愛情と名付けるのが現代の倣い。ただの欺瞞だ。そんな怠惰で惰弱な
同じ食うでも共に力を合わせてこその相棒。遥か古来からの人間の隣人のあるべき姿だと吾輩は考えている。だから率先して働くのだ。
「お、胡桃さん、薪拾いしてくれたのか! 固いのと柔いの両方揃ってるし完璧じゃないか。流石だなぁ!」
一通り、薪拾いを終えると一心不乱に羽根をもいでいた主が吾輩の成果に気付いて破顔して賞賛する。我ながら完璧な仕事だ。吾輩の頭を撫でまわしていた主が距離を取った。不思議に思って首を傾げると主が得意げに笑みを浮かべる。
「危ないからちょっと離れててね。ちょっと試してみたいことがあるんだ」
そう言って主が指先に紫電を纏った。主の人間離れが加速していく。
「魚に電気を流してアニサキスなんかの寄生虫をぶっ殺すって話を思い出してさ、ちょっと雷撃魔術を覚えてみたんだ。これで付加価値が付いたら良いんだけど……どうかな?」
主が電流を流すと鴨肉のように真っ赤なフェニックスの肉が鶏皮のように白くなっていく。
しかし、何気なく主は言ったが、聞き及ぶ限りでは魔術はちょっとやそっとで覚えられるような代物ではない。金も時間も要る。
いつの間に覚えたのか。吾輩が寝ている間にだろうか。
「真っ白になったのは電気の熱の影響で火が入ったからって思ったけど、肉の状態は生のままか。科学的じゃなくて魔術的な電気だからか? それとも電気に関わらず、魔術的な干渉による影響か?」
主が真っ白になった肉をつついて検証を口にする。
「確か、モンスターと動物の違いは肉や骨、神経細胞と魔力が結合しているかどうかだったな。ってことは肉の赤い色素は魔力で、死んだことで魔力抵抗が無くなり、俺程度の雷撃でも一気に破壊できたってことか?」
程度と言う口ぶりから察するに狩りや戦いに使える程、習熟しているわけではないようだ。極一部の天才を除いて、大半の魔術師が魔術の習得に並々ならぬ学習と修練を必要とする。
覚えた魔術の数が増えるにつれて、それまでの学びを応用して習得期間は加速度的に短縮されていくらしいが、兎にも角にも最初の一つを覚えるのが大変らしい。
帝国に召喚されて一か月、食肉の寄生虫を殺すのが目的で一番大変な最初の一歩を乗り越えられるものでは無い筈だし、サマーダム大学の魔術師たちがこの事を知れば歯軋りして悔しがりそうだ。
「となると……魔力が失われたことによって栄養価が下がったり、味が悪くなる。そうでなけりゃ、肉が柔らかくなったり、栄養の消化吸収効率が上がって、あとは雑味が減るか、だな」
世の中の魔術師たちが憤死しそうな程の理不尽なまでの才能に溢れていることに気付いているのか定かでないが、主は楽し気に考察を続ける。最早、気分は研究者だ。
「よく分からないけど食ってみるか。自分の魔力による状態変化だし、別に腹壊したりしないだろ」
――毒見か?
主は慣れた手付きで焚火を二つ用意し、それぞれに大きな鉄鍋と小さな鉄鍋を置いて加熱。大きな鉄鍋で皮を炙って脂を出し、小さな鉄鍋に移し変えてフェニックスの首を五つ放り込む。
肉の焼ける音、脂の弾ける音、そして芳ばしい香りが漂い始める。これは吾輩のオヤツになる。
その間、悪党やモンスターを解体する時よりもずっと丁寧な包丁捌きでフェニックスを解体し、鉄鍋に放り込み、焦げ付かないように揺する。鉄鍋の上で炎と肉が躍る。こちらも良い香りだ。
「胡桃さん、涎が垂れてるぞー」
主が横目で吾輩を見て、くくくと笑う。
涎があふれ出るような物を作っているのだから、これは自然な反応だ。
涎の一滴も垂らさず、淡々とフェニックスに火を通す主の方が変なのだ。
吾輩の方が正しいのは明白だが何となく悔しいので、いい具合の焼き加減のもも肉を主の手から奪い取る。
「あ、この野郎。一番美味いのがどれかよく分かってやがる」
フフン。熱々で美味だ。
「電撃で加工した肉の味はどう?」
しまった。今回の肉は主の実験だった。主に味見させて反応が良ければ食べようと思っていたのに、つい反射的に奪い取ってしまった。こういう時は獣の本能が恨めしい。しかし、味の違いだとかそういうのはよく分からなかった。どれもう一口。
「成程。無言で夢中になるくらい美味いってわけだ」
いや、まだ分からん。分からんので主が鍋から取った手羽先を奪い取る。
矢張り、違いはよく分からん。分からんが美味いので良しだ。
「おい、この野郎」
主と肉を奪い合いながら満腹になるまで、ひたすら食う。食って食って食い続ける。
そして、主と共に出した結論は――
「肉質や味の変化が出たのは間違いないけど、どっちが美味いのか良く分からないな。胡桃さんはどっちが好きだった?」
主の意見に概ね同意だ。咀嚼をしながら首を右に左に傾け、よく味わってみるが肉は肉だ。どっちが好きかと言えば、どっちも食いたい。多分、その日の気分による。
「やっぱ、分からないよな。ま、売り手が売りやすいように都合の良い売り文句を勝手に考えて売れば良いさ」
余った肉は干して、保存食兼、吾輩のオヤツに。骨と臓器はソウブルー要塞に戻って寸胴鍋でまとめて煮て汁物として振る舞い、謝礼としてその日の寝床を確保するのだ。
何せ主は住所不定だから、そういったことを一々やらなければならない。
帝国の常識や情勢を知るためにも現地人との交流は決して欠かせないとは言え、少しばかり情けない。
今はまだ寒くないから寝床が確保できず野宿をすることになっても主の身体を吾輩が温めればよいだけなので問題はないが、冬が訪れるまでに定住地を見つけねば。
非日常を楽しんでいる場合ではないぞ、主よ。
吾輩が人間ならば説教の一つでもしてやるところだが、生憎と吾輩は柴犬なので土台無理な話なのだ。
出来ないことに執着しても仕方が無いと割り切り、後片付けをする主を後目に、乾燥させたフェニックスのアキレス腱を齧って歯磨きをしていると森の畔に似つかわしくない匂いが漂ってきた。
ミカンに似た匂いの香水に隠れているが、ドクダミ、イチョウ、トリカブト、オトギリソウ、ヨモギをはじめとした様々な草の混ざり合った匂いが、そして更にその奥から鉄と火が一体となった匂いがする。
吾輩が耳をピンと立て、匂いがする方に視線を向けていると、それに気付いた主が警戒心を顕わにするが、吾輩の尻尾が左右に揺れているのを見て、朗らかな笑みを浮かべた。
「胡桃さんが尻尾を振って歓迎するとなると……」
結論を出すよりも先に匂いの主が現れた。
フード付きローブで頭の天辺から爪先まで覆い隠しているが、背丈は我が主よりも頭二つ分くらい低く、体格も細身だ。
ローブの色は森の外の荒野と同じ色で、監視塔の衛兵たちの目を誤魔化すことを目的とした装いで、森の中ではよく目立つ格好だ。
主に接近を悟られるのは構わないが、第三者――例えば、監視塔の衛兵団に気取られるのは不都合であるという意思を洞察できた。
まるっきり不審人物だが、そうではないことを吾輩の嗅覚と記憶力が証明していた。
不審者などとんでもない。彼女は我々の恩人だ。
「すっかりこの世界に適応できたようで安心したわ」
彼女がフードを脱いだ。蜂蜜色の髪をした女だ。
人間の美醜感覚で言うのなら、絶世の美女という奴なのだろう。
悪漢から救出した少女からどんなに秋波を送られても、微塵も靡かなかった主があからさまに喜色満面の笑みを浮かべている。いつもの作り笑顔ではない。心の底からの笑顔だ。
彼女は安心したとは言うものの、微塵もそんな風に思っていないことを窺わせるような無表情で、凡そ、愛想というものを知らないようにも見える。
それにも関わらず、主ですら俗物的な反応になってしまう。それ程の女だ。
「ええ、フリーのモンスタースレイヤーとしてソウブルー要塞に馴染んだつもりですよ。貴女の提案通り、自分があの地にいて、商業地区の事業者たちが細々とした依頼を持ち込むのは自然なことだと認識される程度には」
「そう。それは重畳」
帝国騎士団、帝国衛兵団、そして
全ては先月、吾輩たちがこの世界に召喚された日に遡る。
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