第43話 神官は生臭坊主である
レイオットを撃退し、アンドウン要塞のなだらかな坂道を昇る。
帝国の要塞都市は殆ど同じ造りをしているので、ソウブルー要塞との差異は小さい。
しかし、その小さな差異のせいで、乾いた血で汚れた地面や焼け焦げた壁がそのまま放置されている光景は勝手知ったる地元が穢されたみたいで気分が悪い。
これは吾輩にとってソウブルー要塞が帰る場所になったからなのだと思う。
匂いも、暖かさも、空の色も違うのに表面的には同じ要塞都市だからこそ、人気の無さが不気味で、不吉に思えてならなかった。
「襲撃が止まったな。あのレイオットとか言う自称幹部が引き上げさせたか?」
誰もが息を潜めている。アンドウン要塞の住民たちは氷の団を恐れ、氷の団は我が主を恐れ、時折、主が放つ殺気に虫や動物さえもが息を潜めている。帝国が誇る堅固な要塞都市が死都になったと錯覚する程に静かだ。
「要塞部に戦力を集結させて一気に此方を潰す腹積もりか、そうでなければ無駄死にを避けるために雑魚を逃して、邪神の加護を得たオライオンが待ち構えているか」
主の勘は決して的外れなものではなかった。気配と濃密な殺気が一箇所に結集しつつある。静かだが、動きは素早い。しかも、肉球を刺激する振動からして雑踏のような規則性の無い足音の中に、明らかに訓練された軍靴の音がする。
「どちらにせよ一網打尽だ。戦力の逐次投入なんて面倒臭い事をされなくて良かったと思えば良いのさ」
吾輩が不穏な気配を感じ取った事に気付いた主が軽い口ぶりで言い放つ。
しかし、それとは裏腹にいつもより足早だ。知識として帝国の要塞都市が共通の構造をしている事を知っているとは言え、寂れた光景に筆舌し難い不快感を覚えたのだろう。吾輩と同じように。
「邪神崇拝をやってるって割に教会地区はまるっきり無傷なんだな」
誰ともすれ違う事無く、なだらかな坂道を上り続け、商業地区、職人地区を通り抜け、教会地区に足を踏み入れるなり、主が不思議そうに呟いた。
事実、一歩足を踏み入れただけで空気感が此処だけ違った。反乱組織に占拠されたにも関わらず、平時の正常さを保つという異常な空気が教会地区に漂っている。
「邪神崇拝をしても八雷神には逆らってはならない。そういう文化的な風土が帝国と言うか大陸にはあるんだろうな。そして、その常識を捨てない限りは八雷神の不興を買うことは無く、八雷神がとやかく言わないなら教会も黙認する……と」
ある意味で中立地帯なのだろう。その割にはアンドウン要塞の住民たちが避難している様子は無く、教会の関係者たちだけが世はなべてこともなしと言わんばかりにしているだけだ。
「黒髪、黒目、黒礼服、長身よりも長い二又剣。四つ足茶色の使い魔……七代目龍殺し、倉澤蒼一郎殿とお見受けします」
吾輩たちの姿に気付いた神官が怪訝そうな顔をしたかと思えば、初老の男を先頭にぞろぞろと集まってきた。敵意や殺意の類は感じられなかったが、何と無く見下されているような気がする。
見下していると言うより、己の存在を一段上に置いている。悪意なく他人を見下してきた手合いだ。
武を尊び力を貴ぶ帝国の気風からすると龍殺しの称号を授与された主を下に見る感性は、龍殺しが人間という枠組みの中の強者に過ぎず、神という超越した存在に選ばれているという自負がそうさせたのだと洞察することができた。
「如何にも自分が倉澤蒼一郎です」
「多くの活躍が錯綜し、まるで同一人物が成し遂げたようには思えず、真意を確かめたく、こうして声をかけさせて頂いた次第です」
「………………」
主は少し考える素振りをした。
恐らく、錯綜する活躍の噂の大半は本当だが、八雷神教会を味方につける――最悪でも敵に回さないためにもどのような発言が適切だろうか。
世俗に中立的と言うよりは傍観的な連中だが、腐っても帝国の主神に仕える者たちだ。
神が実体を持って存在し、全ての信仰者たちに加護という力を与えている。
いつぞやの邪教徒相手にしたように神は塵なんて言うわけにもいかないのは主にも分かっている筈だ。
「この地には邪神復活を阻止する為に」
成程、その場しのぎとしては上手い返しだ。
これなら氷の団に圧力をかけつつ、オライオンを殺さずに見逃す口実にもなる。
吾輩たちはオライオンが邪教徒たちが特定の邪神を崇拝しているのでは無く、邪神の力その物を崇拝しており、力を与えてくれるならどんな邪神でも良いと考えている事を知っている。
しかし、対外的にはオライオンがどのような邪神を崇拝しているのか吾輩たちは知らない事になっている。復活を未然に防ぐなり、事後対応をした体で神を殺した時点で、オライオンの野望を打ち砕いた事になる。
しかも、主は公的な機関に在籍しておらず、あくまでフリーのモンスタースレイヤーだから、オライオンを誅罰する権利はあれども義務はない。
復活阻止を成し遂げた時点で成敗完了とし、オライオンを見逃してやるのは道徳的な問題が多少生じるが、法的には何の問題も無い。
その後、オライオンが吾輩たちの望んだ通りに新たな邪神を復活させたとしても、それはオライオンの罪であって主の罪にはならないし、更に言えば、対応が後手後手に回っている帝国の怠慢でしかない。
「邪神崇拝の嫌疑が広がっていると聞いていましたが誠でしたか」
「ソウブルー衛兵団から氷の団を絶対悪として、帝国全土に通達すると聞いていますが、ご存じありませんでしたか?」
「届いていないとすれば、何処かで揉み消されたかですな」
有り得ない。主も思った筈だ。
「邪神崇拝を揉み消す……?」
「意外にお思いですかな?」
「それはそうでしょう。邪神崇拝は重罪。しかも、皇帝を暗殺しておきながら帝位に就かず、戦力を結集して、このアンドウン要塞を陥落、占拠した。これは明らかな反逆行為です。そんなオライオンの罪を揉み消そうなどと考える者がいるとは……」
「しかし、オライオンは次期皇帝になることが出来る人物でもある。皇帝は権力の絶対者では無いのは周知の事実です。しかし、力の象徴であり、帝国は力の国です。彼が帝位に就いた時、彼が邪神崇拝を解禁すると言えば――」
神官たちの身体から殺気と共に嗅いだ覚えのある匂いが吹き荒れた。
そうだ。邪神ガ・エルの斎場から漂っていた匂い……邪神の匂いだ。
「絶対中立、世俗への不干渉。それが貴方達に何処か他人事のような態度を取らせているのだと思っていましたが、成程そういう事か。この生臭坊主共が……!!」
主が吾輩を抱き上げ、大きく飛び退いた。安全圏に離脱したと見て、主の腕の中から飛び出し、状況を俯瞰的に見る事が出来る場所へと移動する。既に主は抜刀したが、すぐさま距離を詰めようとはせずにいた。攻めあぐねていると言うよりは真意を探るために様子を見ているようだった。
「信仰はどうした? 主神に逆らってでも力が欲しくなったか?」
「まさか! 我々の神々への畏怖と敬意、信仰は決して揺るがないとも! 帝国の主神たる八雷神は信仰する! 同時に僅かな信徒を贔屓してでも神の座に返り咲きたいと願う哀れな邪神も信仰する! 神の敬愛は僅かとも揺らいでなどいないのだよ!」
「神の力に魅せられただけの俗物が。力欲しさに誰彼構わず尻尾振って、恥って物を知れよ。見苦しい」
「それは生まれ持っての力に恵まれた強者の傲慢だ! 武を尊び力を貴ぶ――尊ばれ、貴ばれるには神の力が必要不可欠! 弱者の生存戦略なのだよ!」
「説得力が微塵も無い。八雷神教会の神官という時点で社会的地位の高さは最低でも貴族に次ぐ。八雷神が帝国の主神であり続ける限り、神官の権力は絶対的だ。貴様たちは人よりも恵まれた豊かさを自覚出来ないまま、ただ我欲を満たしたいがために法と信仰を捨てた。だから生臭坊主と言っているんだ」
だが、アンドウン要塞が氷の団の力のみで陥落したのでは無く、邪神の力を欲する神官たちの手引きによって成し遂げられたのは決定的だ。
支配者メサルティム・アルブレヒトの行方不明が報告されたが、それも何処まで真実であるか定かでなくなった。
もしかしたら神官が裏切るどころか支配者さえも手引きをした側である可能性すら出てきた。
「矢張り、心を持たぬ強者には弱者の苦しみが分からんか」
「貴様らが弱者を語るな。厚かましい。いずれにせよ、自分に殺気を向けたんだ。貴様等が弱者だろうが強者だろうが知った事か。殺すぞ、豚」
「八雷神、そして邪神アルフールの加護を受けた我々を、たった一人で殺せるなどと強者とて思い上がりが過ぎる! 現実を知れい!」
「で、束になった貴様等は魔人よりも強いのかよ?」
吾輩を退避させる際に一歩で十数メートルを飛び退いたのだから、当然踏み込めば一息でそれだけの距離を詰めることが出来る。一歩踏み込み、真紅の残光を伴う斬撃で刎ね飛ばされた首が爆弾に変化したかのように爆炎を燃え盛らせ、要塞都市の外壁に穴を開けた。
爆炎を背に神官に肉薄して、今度は掌を添えるように心臓に押し当てると、それだけで身体の穴と言う穴から勢いよく血を噴出して死に至らしめた。
「ッ!! 不心得者とは言え、龍殺しだ!! 好きにさせるんじゃない!!」
神官の一人が勇敢にも主に突進。それを主は難なく受け止めようとするも、邪神の加護による影響の為か、主の力に拮抗する形で鍔迫り合いの恰好となった。主は体勢を崩しつつも、背後から迫る奇襲に精霊剣を召喚して一突きにする。
相手の力量を見誤って動きを止めてしまったものの、背後に回り込んだ新手が格闘戦を仕掛けて来る事を見もせずに瞬時に判断したのは流石と言うべきか。
「成程。流石は邪神の加護。思っていたよりもやるじゃないですか。ま、それなりには」
大きく前に出した右足で地面に弧を描いて灰と瓦礫を巻き上げ、煙幕にすると地に向けた切っ先を掬い上げるように切り上げ、脇腹から肩口にかけて両断。斬撃の際に生じる荷重移動に乗って身体を旋回させると煙幕に翻弄される人影に横薙ぎの剣閃を放つ。
「三人やられ――」
「四人目」
主が喜々として口の端を吊り上げ、飛び膝蹴りで神官の顔面を陥没させ、耳と後頭部から真っ赤な脳漿を飛び散らせるも、主の蹴りの勢いは止まらず、首を吹き飛ばす。
勢いのまま飛翔する主は次の神官の肩口に着地して地面に押し倒すと心臓に切っ先を突き入れて確実に絶命させた。
「おのれェェェェェェっ!! 神の力が宿ったのだぞ、我々には!!」
絶叫と共に煙幕が引き裂かれた。剣を振るった際に生じる風切り音は無い。不可視の斬撃――否、何か鋭い攻撃を放つ魔術の類だ。その正体を主は見切ったらしく、身体を深く沈めて、やり過ごすどころか低い姿勢のまま半円を描くようにして駆け出す。
主の礼服の肩が裂けると同時に、神官の両足が切裂かれ、支えを失って地に落ちようとした瞬間、主の拳が顔面に突き刺さり地面に叩き付ける。その衝撃は地面が陥没する程のものだった。残った顔面は半分にも満たないが、残っている部分が辛うじて原型を留めていたのはある意味、奇跡か。
「な、なんなんだこれは!! 邪神の力まで得たのだぞ!! 全然……全然勝てないじゃないか!! なんなんだ……お前は何なんだ!?」
遂にと言うべきか、漸くと言うべきか、圧倒的な力の差を理解して神官が背を向けて逃げ出したが、判断が遅いし、何より足が遅い。其処はまだ主の間合いだ。
「逃がすわけ無いだろうが。それに何者かだなんて、お前の方こそ何者だ。背信者? 背教者? どちらにせよ裏切者には変わりないだろ。信心深い神官のつもりになっているところなんか、邪教徒よりも質が悪い」
背後から首を鷲掴みにして、頚椎を握り潰す。
「魔人だの、邪神だの、氷の団だの糞面倒臭ェって時に、八雷神教会が帝国を割るような事して余計な面倒を増やそうとしてんじゃねェ」
邪神が復活したところで、吾輩たちの目的達成が近付くだけなので問題が無いと言えば、問題無いのだが、教会地区の神官を中心に邪神崇拝が大陸中に波及していくと吾輩たちでは制御できなくなる可能性が高くなる。
例えば、邪神崇拝の解禁。そうなれば神殺しどころか邪神復活の阻止さえも重罪となる可能性が現れる。
神官達はオライオンが邪神崇拝をしている事とその理由を知り、対立するどころか完全に契合してしまった。奴等はオライオンが帝位に就いた暁には邪神崇拝を解禁しようとさえしているのだから、決して大袈裟な話ではない。
「オライオンの横っ面引っ叩いて、邪神復活に奔走させて、復活しかけてる邪神の尽くを零落させてりゃ、いつかは彼女の身体を蝕む邪神に行き着くなんて思ってたけど、思っていたよりも時間が残っていないな。万が一、オライオンが帝位に就いたら帝国の社会や信仰その物が変わってしまうかも知れない」
仮に邪神崇拝が解禁されたとして、喜ぶのはオライオンのシンパのみで、大半の帝国軍、貴族、帝国民、神官から猛烈な反発が出るのは目に見ている。
今まで重罪で、法律以前に社会的な常識、道徳的な規範として決してやってはならない事の許諾は自由化と言うよりも無秩序化でしかない。
人の心に大きな反感や不満が燻るのは考えるまでも無く、やがて邪神崇拝をする者としない者の間に差別が生まれ、差別は争いに代わる。
邪神を一柱残らず零落させて、カトリエル女史の救出が遅くなればなるほど、争いに巻き込まれる可能性が高くなる。そもそも、神殺しの意味合いが変わる。
帝国の変化次第で社会秩序を破壊する大罪人、或いは社会秩序を取り戻す大英雄。
事と次第によっては、主がオライオンを殺して帝位を継承して再び、邪神崇拝を禁じなくてはならなくなる。
これは中々面倒なことになってきた。
だからと言ってカトリエル女史を見捨てるという選択肢が主にある筈もない。
まあ、吾輩にとってはどちらでも良いことだ。
無事にカトリエル女史を救出して、後は日々を穏やかに過ごすも良し、オライオンから帝位を簒奪して帝国に君臨するも良し。
人として真っ当な日々を得るか、栄達するかの違いでしか無く、吾輩にとっては誇らさしかなく、いずれにせよ苦労するのは主であって吾輩では無いのだから。
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