第44話 オライオンはアジテーターである
「それじゃ、先に進もうか。胡桃さん」
吾輩が八雷神教会に鼻先を向けていると、主からお声がかかる。
振り返ると主の視線はオライオンが戦力を結集さえているであろう最上層、要塞地区に向いていた。
てっきり宗教嫌いを暴走させて教会を灰と瓦礫にしてしまうと思っていたのだが、意外にも理性的で感心関心。
「まだオライオンが帝位継承を宣言したわけじゃない。帝位は空席のままで、アンドウン要塞は氷の団に不法占拠されている状態だからね。大陸最大の宗教を灰燼に変える気は無いよ。さっきの連中だって八雷神教会の総意では無いだろうからね」
アンドウン要塞の教会側も神官たちが主を襲撃した事は把握している筈だが、増援も無ければ、謝罪を伝える使者の姿も無い。
一部の信徒が暴走した体で、相互不干渉を暗黙したようだった。
襲撃を受けた側の主が泣き寝入りさせられているみたいで、忠犬としては不満が残るが――主に力強く頭を撫でられた。嬉しいがもう少し丁寧に撫でろ。
「そんなに腹を立てるなよ、胡桃さん。こっちだってコイツら皆殺しにして、完全に被害者とも言い辛いし。それにコイツら言ってたろ? 邪神アルフールってさ。そいつが振り上げた拳の落としどころだ。敵を殺すのは当たり前だけど、同じ敵でも気持ち良く殺せる奴から殺した方が気分良いだろ?」
人殺しよりも神殺しの方が気楽に感じられるのは主ならではの思想だ。
主にとって敵とは強くて狡猾な存在だ。恐ろしいが故に敵足り得ると考えているからだ。
敵足り得ない存在であっても命を狙われてしまったら敵として扱い、殺しもするが、恐ろしさを感じない敵を殺していると胸が居心地の悪さを感じてしまうのは当然と言えた。
「それに今回の目的は自分がオライオンに強烈な殺意を向けている事を自覚させる事。そして、一柱でも多くの邪神を復活させて加護を得なければ、反乱どころか護身すら出来ない事を理解させる事だからね。奴の兵隊を皆殺しにするよりも、目の前で神が殺される所を見せつけ、加護を失わせてやった方が余程、堪えるだろ」
主が貌に凶相を浮かべる。
内弁慶ならぬ外弁慶と呼ばれ、ご近所さんの目の届かない場所での振る舞いは横暴、粗暴、乱暴、短気、短絡、短慮と幾つもの社会的欠陥を抱えるチンピラだ。
そして、この地は日本でも無ければ、ソウブルー要塞でも無い。
――何よりカトリエル女史がいない。
「この先にいるのは氷の団とオライオンに加担する裏切り者。神を殺す俺を批判しようとしても反逆者の出任せを信じる奴は多くない。信仰されなきゃ存在を維持できない欠陥品なんか簡単に壊せる事を証明して、誰が敵なのか自覚させないとな」
地元の人間は勿論の事、民間人の目も無く、ここから先は敵しかいない。
日頃隠している暴力性を剥き出しにしているが、これは主なりの強がりだ。
カトリエル女史には何も告げずにアンドウン要塞の襲撃に繰り出してしまい、今頃、彼女がどういう感情を抱いているのかという不安がついて離れずにいる。
言葉や態度、戦意や闘志で誤魔化しても匂いは雄弁だ。不安によって分泌される脳内物質の匂いがプンプンする。
――まあ言わぬが華か。
吾輩は柴犬だから何も言えないが、内心でカトリエル女史の叱責を恐れる主の後に続く。
それにしても、要塞都市の中枢に行くのは二度目――レーンベルク要塞で龍殺しの称号を受勲した時以来だ。
主の足取りは確りとしているのは既知の場所だからというのもあるだろうが、それい以上に何処に誰がいるか、態々匂いを嗅ぐまでも無く、魔力や気配を感じ取るまでもないからだ。
つい先ほどまでカトリエル女史を恐れていた主の呼気が徐々に攻撃的な物へと変性していく。
先帝ハルロンティ・アーリーバードの仇がいるからか、神への嫌悪からか定かでないが、今確実なのは敵が待ち構えているという事だ。
要塞都市の最上層に屹立する豪奢な城に八雷神を象徴する八本の巨大な石柱。
それが帝国が誇る要塞都市の中枢、要塞地区の威容だ。
運動不足の人間が絶望する程の長い階段を昇り、主の身長の三倍ほどもある巨大な扉をこじ開け、薄暗く冷たい空気が漂う回廊を進む。
回廊を抜けるとドーム状の議事堂がある広間に出るのだが、千人ほどを収容できる議席にいるのは貴族では無く、氷の団の暴徒たちでインテリジェンスの無い、ヴァイオレンスの雰囲気は議事堂と言うよりは闘技場に近しい。
「初めまして、先代」
「ああ、初めましてだ。当代」
広間の中心にある議長席、レーンベルク要塞では其処にハルロンティ・アーリーバードがいて、主は龍殺しの称号を叙勲した。
アンドウン要塞では長い金髪と口髭、筋骨隆々の美丈夫がいて、主が放った言葉に応じた。どちらも声色は平坦だった。
――この男が卑劣の王、オライオン。
身に纏う外套と腰に差した二振りの剣からは嗅ぎ慣れた龍の匂いがする。
主と同じ龍殺しとは言え、魔人と互角以上に戦える主ほどの力は無いと思っていたが、全身から漲る生命力と魔力は、例え目には見えずとも常人とは比べ物にもならないくらい漲っているのが――決して見くびることの出来ない圧力を感じた。
「そして、さよならだ。先代、アンタは此処で潰す」
「気の早いことだ。まずは言葉を交わして相互理解に励むべきだとは思わないのか?」
「アンタに恩義は無いが恨みはある。陛下には恩義も無ければ恨みも無いが友情はあった。敵対するには理由が分かったな」
「怨恨か」
「敵対するには十分過ぎるだろ」
レーベインベルグを一閃し、刀身に宿った炎が迸る。砲弾よろしく放たれた炎がオライオンを飲み込む寸前で霧散した。弾かれる事無く、消失したのは魔術的な防壁による無力化では無く、魔力的な結合を解かれた事によって生じる現象だ。
魔力光の放出が無かったのでオライオンが攻撃的な魔術で主の牽制を相殺したという事はなさそうだ。
氷の団の構成員でひしめき合っているような場所だ。あの人波の何処かにいる魔術師による介入か。それとも魔術兵装か。
いずれにせよ奴は微動だにする事無く、主の攻撃を無力化した。
とは言え、主に驚きは無い。まずは小手調べ。殺意は本物でも邪神復活に奔走させなければならないため、今はまだ殺せない。この程度で死にかけられても手加減するのが困難になり、主の負担が増えてしまう。
「我々は人間、亜人、獣人の区別無く、隣人と手を取り合い営む、変わらない日常を求めただけだ。我々は土地、人、物、金、贅、そういった物を一度でも要求したことがあるだろうか。否。断じて否である。そんなことは一度もしなかった。だが、帝国は人間以外の人類を認めず、我を卑怯者だと罵った。しかし、これを見よ。奴は恥知らずにも我等の家に忍び込み、火を付け、物を破壊し、人を殺した。これが奴等の言う正義だ。こんな物が正義だと言うのなら我は卑怯者で構わない。我は戦う。帝国の正義に涙を流し、命を落とした者達のために。我は戦う。帝国の正義に辛酸苦難を受けて尚、生き抜く者達のために。八雷神の名に懸けて!!」
オライオンの宣言。そして広がる歓声――思わず主と顔を見合わせる。
吾輩たちの表情は言葉よりも雄弁だった。
――何言ってんだ、コイツ。
氷の団の異様な盛り上がりもそうだ。何もかもが理解できない。
これが邪神アルフールの加護によってオライオンが得た力なのだろうか?
「何が八雷神の名に懸けてだ。邪神ガエルの次は邪神アルフール。節操無しも大概にしておけよ、邪神崇拝者が」
「同志諸君、見たか! 一方的に攻め立て対話にも応じない! これが帝国だ!」
主の抜刀にオライオンが声を張り上げ、氷の団が激昂する。
特に獣人は感情的で月の光や月齢で昂り易くなると言うが、それにしてもこれは異常だ。月が出るような時間帯では無いし、獣人の他にもエルフやドワーフといった亜人種も感情の波が激しくうねっている。
「話をする気が無いのはてめェだろうが。獣人や亜人の感情を昂らせる言葉を選んで吐き出すだけの扇動者が」
主の言葉で違和感の正体に気付くことが出来た。唐突に始まったオライオンの演説と獣人と亜人の激昂。
それに対し、人間の構成員は敵意や殺意の類を吾輩たちに向けてはいるものの、たった一人で乗り込んできた主を小馬鹿にしたり、警戒するような気配で、オライオンの言葉によって感情を突き動かされた様子はない。
吾輩は、この状況とよく似た感情の匂いを覚えている。
ソウブルー要塞職人地区で獣人と亜人の職人をいじめていた人間たち――つまり、獣人と亜人を蔑視して差別する奴等の匂いだ。
主とオライオンの戦いの余波に巻き込まれないように広間を俯瞰していると、それが顕著に見て取ることが出来た。
奴は人間、亜人、獣人の区別無く、隣人と手を取り合うと言ったが大嘘だ。
オライオンを含め、氷の団の人間の大半が演説で心を大きく動かされ、主と帝国に対する怒りを燃やす獣人と亜人の事を心の中で嘲笑っている。
「扇動と言いたければ言え! 彼等が抱える怒りと悲しみは帝国が積み上げた罪の重さと知れ! 往くぞ、同志諸君! 私と共に帝国の尖兵を打ち倒すのだ!」
オライオンの号令に氷の団の暴徒たちが議席から飛び出し、主に殺到するが、獣人と亜人だけで人間たちはニヤついた表情で遠巻きに見ているだけだ。オライオン本人も勇ましく声を張り上げ、龍の牙で出来た鋸刀を指揮棒のように振り回しているが、その場から一歩も動いていない。
「なにが私と共になんだか」
帝国に反旗を翻した革命人。人種差別の溝を埋めようとする人道主義者――オライオンを評価する声の中にそういうものがある。
しかし、その実態は帝国の貧困層と同じく、亜人・獣人に対する差別意識の持ち主で、反乱の徒どころかただの俗物だ。
亜人や獣人たちの被差別意識を利用して反乱を煽り、仲間面しておきながら平然と捨て駒にする。
効率良く亜人や獣人を大量に虐殺する手段として反乱軍の体裁を作っているのではないかと邪推したくなるが、まあ相手が悪かったとしか言いようがない。
トレスドア地方の支配者アルスディヤの獣人・亜人弾圧を発端に大陸中で差別に苦しみ怒りを募らせる獣人と亜人は多い。捨て駒にしたところで変わりはいくらでもいる。
それがオライオンの思惑なのだろうが、柴犬の吾輩ですら察せる事を主に察せない筈もない。
「テッペンが共にって言ったンだから戦えよ、莫迦共」
レーベインベルグを構えたまま、津波のように押し寄せる獣人、亜人の群れに突っ込み、先頭のエルフの肩に飛び乗り、頭を足場にして人波を飛び越え、四方八方に真っ赤な剣閃を飛ばす。獣人と亜人が呆気に取られるが、かすり傷一つ無い。
血飛沫をあげて崩れ落ち、屍が炭化したのは人間だけだ。
「貴様」
「おいおい、何て顔しているんですか、先代。この広間にいるのは全員自分の敵だ。どんな順番で誰から殺すかなんて此方の勝手だ。まさか殺す順番に暗黙の了解なんて物があるとでも思っていたのか? 人間ってこと以外、自分とは何の共通点も無いのに? そうだとしたらとんだ阿呆だな」
亜人と獣人が隊列を変えて、再び主に突撃しようとするが広間の床が裂け、その隙間から天井をも貫く火柱が次々に立ち昇る。暴徒たちは分断され、火柱の中には吾輩、主、そしてオライオンだけにになった。
「アンタが見下している獣人や亜人が助けに来るのが先か、俺がてめェをぶっ殺すのが先か」
「フン……一対一なら勝てると? 思い上がりだな!」
「御託は良いから、かかって来いよ。それとも一人じゃ怖くて何も出来ねェか?」
安い挑発だが、オライオンも負けず劣らずに安い男のようで、顔に憤怒を浮かべて猛然と主に迫る。
跳躍と共に、主の頭蓋目掛けて振り落とされた斬撃を上体を逸らして避け、オライオンの剣の根元に斬撃を落とす。パッと火花が散り、オライオンの剣先を地面に縫い留めるように押さえ付け、前方につんのめるように態勢を崩すオライオンの両手に靴裏で踏み付ける。
剣を握り締めたままの両手を踏み潰され、苦悶の表情を浮かべるが絶叫をあげなかったのは矜持によるものだろうか。
しかし、主が振り上げたレーベインベルグの刀身が放つ冷たい光は、そういった情緒を介するだけの感受性など持ち合わせていないとでも言いたげなくらいに冷徹で、無感情にオライオンの首筋へと吸い込まれていく。
まだ殺してはならないことを主は忘れてしまったのだろうか。それとも――
「来たれ、アルフール!!」
オライオンが邪神の名を呼んだ瞬間、主の態勢が崩れた。床が腐れて崩れたからだ。足元の床だけではない。周囲一帯が腐れ落ちていく。範囲が広がるにつれてオライオンの身体から赤黒い魔力光が溢れ出す。
「神頼みが過ぎる――と言いたいが、結構。邪神諸共に焼き殺してやる」
腐った床から飛び退いた主を追うようにオライオンが跳ぶ。
電光石火の踏み込みで間合いを詰め、瞬きをした瞬間、巨大な鋸刀を大降りに構え――攻撃を繰り出す事無く、防御姿勢を取ったまま明後日の方向に吹っ飛んでいった。と言うか主が吹っ飛ばした。
ギャグのような飛び方をしたが、オライオンから骨が軋む音が吾輩の鼓膜に飛び込んできた。常人ならまず間違いなく即死している一撃だが、流石は先代龍殺し。気合の籠った叫びと共に両の足を地面に突き刺し悠然と立ち姿を見せた。
「真っ当な人間の耐久性じゃない。だったら、もう少し出力を上げていこうか」
腐食していく床が主の炎で塗り固められていく。まるで火の海のような有様だ。
そして、火の海から蛇を象った炎が幾つも飛び出し、オライオンの身体を焼きながら拘束していく。
オライオンは拘束から逃れようと藻掻くが、オライオンの力が強くなるにつれて、炎の蛇も同じように拘束する力を増していき、奴の身体を主の眼前まで引き摺る。
拘束を解こうとオライオンは躍起になっているが、主が胸元に主を突き入れる方が早い。
オライオンの背からレーベインベルグの切っ先が飛び出したが、主の表情には殺しの愉悦も無ければ、仇敵を討った達成感も無く、無言で剣を引き抜く。傷口から壊れた蛇口のように鮮血が噴き出すが、オライオンの双眸は生命力に満ち溢れ、咆哮と共に立ち上がる。
「思ったよりも頑丈だ。先代、これはアンタの力か? それとも邪神頼りで身に着けた外付けの力か?」
「それの何が悪い! 貴様の力とて神に与えられたものだろうが!」
「法と秩序を乱してまで得た力が、この程度では徒労が過ぎると思っただけですよ? 先代」
オライオンは再び立ち上がれたものの、主の炎で拘束されたままで満足に身動きも取れず、レーベインベルグの切っ先から迸る爆炎に飲み込まれた。今度は無力化させないどころか、広間の天井さえも崩れる程の衝撃で吾輩と主以外の全てが吹き飛ばされた。
「こんな所で……立ち止まってなどいられるかァァァァァッ!!」
全身に大火傷を負い、顔の皮膚も剝げ落ちているにも関わらず、オライオンは炎の拘束を力任せに引き千切り、主の腹に前蹴りを見舞い、その衝撃に数十メートルも吹き飛ばされ、地に落ちるよりも先に疾走するオライオンに顔面を鷲掴みにされる。
「これが邪神の、私の力だ!!」
オライオンが主の顔面を鷲掴みにしたまま重力に逆らって飛翔し、錐揉み回転しながら加速して主を地面に叩き落とす。爆音と共に砂埃と瓦礫が爆炎の如く舞い上がる。
土煙を貫いて主が飛び出した。後頭部から落下した割に血の一滴も流れていない。常識外れの石頭で一安心だが、間髪入れずにオライオンが主に肉迫する。アルフールの加護によるものか火傷は消え、吹き飛んだ筈の顔の皮膚も再生して美丈夫に元通りだ。
「弱くはないな。強くもないが」
主が炎を纏ったレーベインベルグを横凪に一閃する。オライオンどころか僅かに残った壁や氷の団の団員さえも真っ二つに引き裂かれ、切断面から激しく燃え盛る炎に飲み込まれ、消し炭になった。
しかし、オライオンだけが時を戻したかのように、肉体を再生させて立ち上がる。
咆哮――さっきも再生と同時に咆哮を轟かせていたが、声量が段違いに大きく、何より迸る魔力光は閃光と言うよりも荒れ狂う雷光のようだ。
「これだけの力を手に入れた私をまだ侮るか!!」
「たったそれだけで? ガ・エルやグァルプの方が遥かに強かった。程度の知れた力に畏怖も敬意もあるわけがないでしょう?」
勢い余ってオライオンを殺してしまう可能性を恐れていたが、吾輩が思っていたよりもずっと冷静だったようだ。
敢えてオライオンの攻撃に我が身を晒す事で、どの程度の攻撃に耐えられるのかを図っていたようだ。
オライオンにとっては不幸な事だが、奴が力を引き出せば引き出す程、主の攻撃がより苛烈になっていっている。
既に両者の力のぶつかり合いは人間同士の戦いという枠組みを遥かに超えている。凄まじい力と勢いで剣同士がぶつかれば飛び散るのは火花では無く、アンドウン要塞を真っ赤に照らす程の爆炎だ。
炎が燃え盛る度にオライオンは立ち上がり、身体を再生させて主に挑み続ける。
勝てないもどかしさと怒りによるものか、それとも自棄になっているのか定かでないが、オライオンがアルフールの力を引き出せば引き出す程、主も力を引き出していく。
どうしても力で上回ることの出来ないいたちごっこにオライオンは苛立ちと焦りに苛まれているようだった。
奴からしてみれば悪夢に違いない。どんなに力を引き出しても主に届かない。後一歩で届きそうだと思っても、その一歩を埋めさせてくれない。
何度も繰り返されれば嫌でも気付く。主が手加減をしていて、常にオライオンの一歩上の力しか出しておらず、そんな繊細な力加減が出来る程に両者の力の差が隔絶している事に。
「侮るなあああああああああああ!!」
悲鳴じみた叫びに応えたのは立て続けに放たれる紅蓮の爆炎で、オライオンの咆哮は全身を真っ黒にして地面に倒れ伏すまで途切れることは無かったが、主は決して構えを崩すことは無かった。
再び肉体の再生が始まる。主に斬られ、焼かれる度に再生速度が上がり、魔力、速度、膂力も加速度的に増し、遂には立ち上がろうともせず、予備動作も無く、倒れ伏した状態から一瞬にして主を斬撃の間合いに捉える。
「子供の駄々じゃあるまいし、認めて欲しければ力を示して見せろ」
主が一歩踏み込み、腹に膝蹴りを突き刺し、顎門に強烈なアッパーを見舞う。
白目を剥いて仰け反るオライオンに繰り出した斬撃は左の肩口から食い込み、胸骨の辺りで止まった。オライオンの骨が硬すぎて切裂けなかったのではない。
主なりの手加減――それと同時に力の誇示だ。赤熱化する刀身から真っ赤な稲妻が走り、一際巨大な爆炎が崩壊しつつある議事堂を完全に破壊し、巨大な火柱が天を貫いた。脅威である事を示しつつ殺さないように調整された一撃だ。多分。
「なあ、先代」
再生中のオライオンに悠然とした足取りで近付き、喉首を掴んで持ち上げる。
「陛下を弑殺し、帝位継承の資格を得たアンタがどんな奴かと思って来てみれば、この有様だ。あまりにも無様だ。これで? こんな程度の奴が陛下の仇? 舐めているのか貴様」
オライオンの首筋に、ズブズブと音を立てて主の指先が侵入していく。
そして、額と額がぶつかり合う寸前まで顔を近づけ、口を開く。
「弱い。あまりにも弱すぎる。力も、主張も。アンタ如きの惰弱が法と秩序を乱し、陛下を討った事を認めるわけにはいかない。なあ、卑劣の王、オライオンは何処にいる? 陛下を殺した真犯人は何処だ?」
オライオンの瞳が動揺に揺れるが見え、主の目論見が吾輩にも洞察する事が出来た。
はっきり言ってしまえば、この男は帝国人の中でも下層の常識に染まった俗物だ。
亜人や獣人が好みそうな言葉で扇動し、反乱組織を結成し、先帝の暗殺、アンドウン要塞の占拠という一定以上の成果を得た。
そこでオライオンの心を満たしたのが、武を尊び力を貴ぶという帝国の規範だ。
氷の団の頭領、オライオンは尊貴に値する人物であると自認できる程に、そう成り上がる事が出来た。
しかし、主の口から出た事をオライオンである事を否定する物だった。
主が心の中に抱いている理想のオライオン像と比べ、あまりにも脆弱過ぎる。
今この場で主に殺される事になれば、オライオンはオライオンの影武者、或いは偽物として無名の存在として散り、忘れ去られる事になる。
これは帝国人の中でも戦いを生業とする者にとっては、ある意味、死ぬ事以上の恐怖を煽る事だった。
「わ、私が!! 私がオライオンだ!! 私が先帝ハルロンティ・アーリーバードを討ち取ったのだ!!」
「嘘を吐くな!! お前はオライオンでは無い。オライオンの偽物だ。陛下を暗殺した男が、先代の龍殺しがこんなに弱い筈が無い!! 俺に血の一滴も流させる事すらできない雑魚が!! オライオンを出せ!! 本物のオライオンは何処にいる!!」
主の迫真の演技にオライオンは絶望的な表情を浮かべて荒い呼吸を繰り返す。
「来いアルフール!! この地の獣人と亜人の魂を捧げる!! 顕現せよ、アルフール!!」
オライオンが主の視線から逃れるように藻掻き、拘束から逃れると四つん這いになったまま逃げながら、邪神アルフールを召喚しようとする。
漸くの本命のご登場に主が口の端を吊り上げる。オライオンの絶望の始まりだ。
議事堂が神域に塗り替えられ、仰々しくアルフールが出現。オライオンは涙を流しながら勝ち誇ったかのように哄笑をあげ、それでも逃げ足を止める事は無い。
まあ、好都合と言えば好都合だ。主がどうやって邪神を殺すのかを見られると邪神復活に奔走するどころか、邪神では勝ち目がないと諦めてしまう可能性がある。
だからオライオンが見ていなかったのは好都合だし、奴が再び主の方に振り返ったのは思惟のみで零落し、小動物程度の大きさの蜘蛛に姿を変えたアルフールが踏み潰されてからの事だった。
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