第45話 ヴィヴィアナは先生である
「き、さま……何を、何をした!?」
オライオンが驚愕を顔に浮かべる。裏返った声と言い、表情と言い、氷の団の頭領、六代目龍殺し、卑劣の王。奴を称する二つ名の数々が砕け散る程の無様さだ。
この場に集まっていた氷の団の団員たちの大半が戦いの巻き添えになって焼け死ぬか逃げ出している事もあり、奴は恥も外聞も無く、無力な弱者のように狼狽える。
オライオンの化けの皮が剥がれたと言うよりも、帝国の宗教観から来る至極真っ当な反応と感情だが、オライオンの視線が床に向いた瞬間、主の表情が雄弁に語った。
『追い詰めすぎた』
目的はオライオンを追い詰めて危機感を煽り、邪神復活に狂奔させる事であり、奴を殺し、氷の団を壊滅させる事は吾輩たちの望むところではない。
しかし、これでは最悪の場合、オライオンの心が折れてしまうかも知れない。
邪神復活の手段を熟知しており、邪神の加護を欲し、邪神の力を信仰し、しかも監視が用意な大組織。
カトリエル女史を借り腹の儀から解放するには打ってつけの条件を満たしているのは、今のところオライオンだけだからだ。
「流石は偽物。その目と感性は飾り物らしいな。見れば分かるだろ。ゴミカス同然の邪神を神域諸共踏み潰した」
しかし、今更方針転換する事も出来ず、主はオライオンの反骨精神を煽り、奮起を促す事しか出来なかった。
多少は邪神ともちゃんと戦って、それなりに苦戦して見せて、後一歩及ばないが、邪神を二柱なり三柱くらい復活させたら勝てるかも知れないと思わせるべきだったと思う。犬の浅知恵だし、今更な話だが。
「あ、有り得ない!! 私を偽物呼ばわりする貴様こそ一体、何者だ!? 神を踏み潰すだと……化け物め!! お前が人間であって堪るものか!!」
「偽物だけあって理解力の乏しいなァ。信仰から独立した人間だからこそ、だろうが」
「私を……偽物と、呼ぶなッ!!」
オライオンが叫び声と共に主に斬りかかるも、鋸刀の柄をオライオンの指ごと握り潰して受け止めるが、それ以上にオライオンの論点が神から偽物に切り替わった。
矢張り、主の無神論と言うか、狂信じみた反神、反信仰の精神自体が理解が及ばないどころか、理解しようとする事さえも拒絶的になったのだろう。
神域諸共、神を踏み潰し、信仰から独立した存在は帝国人にとって、存在を構成する全てが意味不明で正体不明の化け物に映ってしまう。
だから、偽物扱いされて怒りを露わにする事で我が主、倉澤蒼一郎の宗教観から逃げ出したのと洞察する事が出来た。
そういった意味では、無様に怯える姿を見せるオライオンだったが、見た目とは裏腹に本能的な防衛反応は正常に働いているし、思考も吾輩が思っているよりも冷静だ。
しかし、それ以上にオライオンの感性は普通過ぎると言っても良いくらい普通に思えた。主と同じ、龍殺しなのだから、矢張り、何処か頭のネジが外れたところがある筈だと推察するのは深読みでも何でもなく至極真っ当に思える。
地球上に存在するどんな猛獣よりも巨大で強大で凶暴なドラゴンを前にして、逃げるでも無く、大人数で共闘するでも無く、自分なら殺せるという確信を抱いて、たったの一人で戦いを挑み、そして勝って殺してしまう。まともである筈が無いのだ。
なのにオライオンの精神や感性が普通の帝国人から逸脱していないのは、それはそれで特異な事のように思えた。
普通という特異性を見誤ったからこそ、主はオライオンを追い詰め過ぎてしまったのは皮肉以外の何物でも無いが。
「渾身を込めた一撃もこの程度。やっぱ、紛い物だよ。お前は」
「化け物め……早々に切り札を使う羽目になるとはな……!!」
オライオンの戦意はまだ衰えていない。普段なら安堵すべきでは無い事だが、今の吾輩たちにとって、漸く安心材料とアンドウン要塞の戦いの意義が生まれた。
きっと主も内心で胸を撫で下ろしている筈だ。
「切り札抱えたまま死ぬ程の間抜けでは無かったんだな。ほらやってみろよ。それで勝てると思っているならな」
主が突き飛ばすようにしてオライオンの手から指を放す。
腕力差からオライオンが二歩三歩とよろめきながら後退して、膝を付く。
見るからに満身創痍だが、それでもオライオンは自身ありげに勝ち誇っている。
「
魔人グァルプが持つ魔術の一つであり、この世界に召喚された直後、
カトリエル女史の介入で事無きを得たが、この世界で警戒すべき魔術の一つだが、彼女の助言のみで
「生憎だが、俺に同じ手は二度と通用しねェよ。クソ雑魚が」
一瞬だけ焦りを見せる主の額の前で魔力光が紫電のように弾け飛ぶ。
「同じ手だと……まあ良い。本命は既に捕らえてある。化け物は化け物同士で殺し合っていろ」
奴にとっては我が主、倉澤蒼一郎という強力な手駒が一つ手に入れば御の字程度。
本命となる戦力を既に得ているようだが、主と戦い殺されかけていながら、ここまでの大口が叩けるのだから、それは相当な戦力を持っているのだろう。
しかし、主がかつて
力をひけらかさなければ自らの足で立ち続けるのも難しいのだろう。
犬の吾輩が言うのも変な話だが、弱い犬ほどよく吠えるという奴だ。
「この娘は……」
空間を割って現れたのは幼い顔立ちをしたエルフの少女だった。
よく知る人の姿に主は虚を突かれたような顔で言葉を吐き出す。
吾輩も同じような表情になっている。多分。
普段の快活な印象を受ける双眸に生気は無く、吾輩たちがよく知る姿とは裏腹に雰囲気や空気がまるっきり別人だ。
そして何より、茫然と突っ立っているだけなのに全身から垂れ流しになった不可視の魔力の量は膨大すぎる程に膨大で、一個人が内包するとは到底思えない程だった。
それだけ彼女は日ごろから吾輩たちの前では力を抑え込んでいたことが察せられた。
「そうだ、魔人――」
「ヴァルバラ……」
主が表情を歪める。ルカビアンの十九魔人、序列十五位、ヴァルバラ。
僅か十九人にまで同胞が減った事を憂い、閉塞する自身の環境を変える為に帝国人との融和を決断し、吾輩たちと友達になりたいと言っていた齢七千を超える子供だ。
魔人ハーティアを探しに何処かへと去っていったかと思ったら、何を油断したのか囚われの身になっていたとは……友達なのに不甲斐ないことだ。
「フン……知っていたか。曲がりなりにもガ・エルとグァルプを撃退したなどという大袈裟な話も、全てが嘘では無いようだが……貴様がどんなに化け物であろうとも所詮は人間。たった一人の人間が死の具現たる魔人と戦っても勝ち目は皆無だ!!」
中々思った通りに話が進まないものだ。ここで奴が繰り出した魔人が別の誰かなら尻尾を巻いて逃げ出す口実に出来ると言うのに、支配されたのが
「邪神と魔人の二段重ね。あれだけ力の差を見せつけてやったってのにレイオットとかいう雑魚が調子に乗っていたのも頷けるな」
嫌な手を使う。心なしか主の声も固い。
オライオンはそれを主が怯んでいるのだと錯覚し、ヴァルバラを嗾ける。
周囲の瓦礫が一斉に宙に浮いて主に降り注ぐ。主は瓦礫の雨を最小限の動きで全てやり過ごしたが、難しい表情をしたまま。反撃に転じるでも無く、攻めあぐねている。
「潰せ!! 魔人ヴァルバラよ!!」
やり過ごした瓦礫の雨が不規則な軌道を描いて、再び主に迫る。
主は意を決したように地を踏み込み、ヴァルバラへと肉迫する。瓦礫の雨が主を追うが、主の方が僅かに早い。しかし、主はレーベインベルグを上段に構えたまま歯噛みする。剣先はピクリとも動かない。
明らかに迷いが生じている。巨大なドラゴンに斬りかかり、邪神とは言え神を踏み潰し、魔人相手でも勇猛果敢に戦う主が迷っている。
斬るべきか、斬らざるべきか。斬るのならば、何処を斬るべきか。迷いを抱えたまま間合いを制した主は斬撃を浴びせる事無く――主の眼前で空間が真っ二つに裂ける。
「キャスタードラゴンを喰った空間制御術式……!! 胡桃さん、巻き込まれるなよ!?」
主が飛び退きながら叫ぶが、言われるまでも無い。
支配されているせいでヴァルバラの口は重く閉ざされ、表情も無い。言動や感情、動作から思考や行動を洞察する事が出来ない。
吾輩が天才犬とは言え、推測の糸口が無ければヴァルバラの思惑を読み解き、安全圏の予測は困難だ。いつもより遠く離れた場所でなければ観察出来ないのは自明だ。
「チッ……流石は死の具現なんて言われるだけの事はある! 序列がどうとか以前に魔人ってだけで常人の手に余りすぎる……!! 頼むから正気に戻ってくれ!! 術式その物は少し気合を入れたら壊せるくらい単純だ!! 君を殺さずに無力化できる程、自分は器用じゃないんですよ!」
主がヴァルバラに呼びかける。かつてカトリエル女史がしてくれたように。
しかし、主の叫びに返ってきたのは空間が断裂する不吉な音だった。
主を引き裂き、或いは主を飲み込もうとする空間の破壊は、やがて主を防戦一方に追い込んでいく。
時折、レーベインベルグが赤熱化するも、矢張り、主が攻撃を決断する事は出来なかった。
「ああ、クソ!! グァルプと戦った時よりも遥かに神経が磨り減る!! ド突いてやったら少しは
そう言いながらも、とうとう主は構えを解いた。
こうなるとレーベインベルグも無駄に長いだけの棒切れでしかない。
それでもヴァルバラの攻撃を全て捌き、擦り減る神経とは裏腹に肉体だけは無傷も同然。
埒が明かないと判断したのか、支配されていて其処までの判断力があるか定かでないが、ヴァルバラの動きが変わった。
主を飲み込もうと迫っていた空間の断裂が今度はヴァルバラを飲み込んだ。
――これは良くない。
彼女には断裂した空間の中に侵入し、別の空間に移動する能力がある。
以前、サマーダム大学で再会した時も、この能力で忍者のような現れ方をした。
能力を戦闘に転用するとなれば――
「ッ!?」
死角からの無感情な奇襲。戦闘状態における主の先読みも、吾輩の洞察と同じで相手の行動や言動、感情から読み解き、持ち前の人間離れした反応速度と身体能力で実現しているのだが、魔術によって思考と感情を封じられ、同等以上の身体能力を持つ魔人に奇襲されては先読みも何もない。
ヴァルバラの膝蹴りが主の右肩甲骨に綺麗に突き刺さり、その衝撃に手からレーベインベルグが零れ落ちる。
「魔人だろうが女の子に手を上げる趣味は無いんだけどな……ッ!!」
地面に落ちたレーベインベルグを一瞥して、拾い上げる事もせずに拳を握って構えを取る。
まともに攻撃を受けて漸く危機感が湧いたか、それとも斬るのはアウトだが殴るのはセーフなんて頭の悪いDV男の思考が乗り移ったか定かでないが漸く、まともに戦う気になったか。
しかし、あまり見ていたい戦いでは無いな。気分が悪い。
「ふーん、アイツがグァルプに痛い目見せたって奴なんだ。」
突如として吾輩のすぐ後から女の声が聞こえた。
知らない女の声――いや、それ以上に
反射的にその場から飛び退き、真正面から声の
血のように赤い長髪の女だ。真っ白なワンピースの上に現代日本の医者が着てそうな白衣を羽織っており……何故か裸足だ。よく見るとワンピースと白衣の裾が破れている。
何となくだが、映画とかで見かける気の触れたマッドサイエンティストのような雰囲気がある。
何より口振りと、帝国の服飾文化とは大きく赴きが異なる格好からして魔人である事は疑いようがない。
ヴァルバラやグァルプよりも遥か格上の女の魔人、序列六位のメラーナ、或いは九位のヴィヴィアナ・デルニエール。いずれにせよ化け物揃いの魔人の中でも序列一桁の選りすぐりの化け物だ。
「獣の癖によく頭が回るようだけど、化け物化け物って失礼な男だねぇ? ヴィヴィアナ先生たちが強いんじゃなくて、お前たちが普通のハードルを下げなきゃいけないくらい弱すぎるだけなんだけど、その辺の理解がどうして及ばないのかな? ま、バカだから仕方ないか」
ヴァルバラがそうだったから今更だが、この女も平然と吾輩の思考を読んでくる。
腕力と知能はずば抜けて高いが、残念ながら品性までは備わらなかったようだ。
「このヴィヴィアナ先生にそんな大口を叩くなんて何千年ぶりかな? まあ、所詮は獣の戯言だし、別にどうでも良いんだけど――
興味深いが女友達相手に手を上げられない主が追い詰められているので、早々に手を貸して欲しいのだが。
何をしに現れたのか知らないが、友人が
「うーん? ああ、そっか。危ないし、ライゼファーとティアメスが遺失させたと思っていたからヴァリーには解き方教えてないんだよね。何より危ないし」
危ない? 魔術の祖たるルカビアンが危ないと考える魔術が存在するのだろうか。
「危ないよ? 対策方法を知らなかったら、オズヴェルドさんですら支配されちゃうし。いやー、あの時はホントにヤバかった。トゥーダス、ベネディクト、ヴァレイグラルフ、メラーナ、ガラベルに、このヴィヴィアナ先生が総出で抑えにかかったけど、返り討ちにあって復活するのに千年以上かかったからね」
魔人は復活するまでに二百年程度を要すると聞いているが、攻撃能力次第ではそれ以上の年月がかかってしまう。それが魔人の復活周期にバラつきが生じる原因なのだろう。
しかし、魔人の序列を決めたのは帝国人であり、帝国にとっての脅威度を示す指標とは聞いていたが、序列三位のオズヴェルド。ヴァルバラに聞いていたよりも遥かに危険な存在のようだ。
「そりゃそーだよ。ヴィヴィアナ先生は先生だし、殆どが研究者とか学者で、後は子供ばっか。オズヴェルドさんみたいな地下格闘技のチャンピオンや軍人のヴァレイグラルフと喧嘩したって勝てるわけが無いって」
それは……かなりの重要情報だと思うのだが、それをペラペラと喋っているのは、それだけ吾輩たちが脅威と見做されておらず、ただの暇つぶしの雑談相手にしか思われていないからなのだろう。
「せーかい。花丸をあげよう」
――ルカビアンの文化にも花丸があるのか。
「翻訳魔術の影響もあるから、ヴィヴィアナ先生が言う花丸とお前が知る花丸が同じとは限らないけどねー。さて、お前のご主人様もそろそろヤバそうだし、ヴァリーも罪悪感で死にそうになってるから助けてあげよっかな」
情報は惜しいが主の命はもっと惜しい。
興味深いが柴犬では活かせそうにもないので、なるべく早めに助けてやって欲し
い。
だから、今の今まで急かす事無く、良い子に待てをしていたのだから。
吾輩が主以外の人間にこんな事をするのは奇跡のようなものだぞ。
「はーいはい。ま、ヴィヴィアナ先生に任せときなって。それにしてもライゼファーとティアメスにはお説教だね」
あー、やれやれと言いながら、ヴィヴィアナが戦場に向かって飛び降りる。
死の具現と言われた魔人が次から次へと吾輩たちの前に現れる。
ライゼファーは復活周期の一致により、この時代に全ての魔人が現れると言っていたが、友好的なのか敵対的なのかも分からず、何ともまあ振り回されっ放しだ。
かつて主はカトリエル女史に対し、異世界人であるが故に彼女を守る事でこの世界での立ち位置に、立脚点としたいと言っていたが、此処に来て漸く真意が掴めてきたような気がする。
はっきり言って吾輩は天才だ。主も希代の英雄と呼ばれるに相応しい力の持ち主だ。
しかし、どれ程の知と力を有していようとも、それらを活かす背景が我々には無い。
故に必要だ。我々――では無く、主には主の。吾輩には吾輩のこの世界で生きる立脚点が。
そうでなければ、知恵と力を持て余し、ただ振り回される。
ヴァルバラの心が囚われになったのもそうだ。友人の窮地でありながら、吾輩は何も出来ていない。
偶々、ヴィヴィアナと出会い、あの女に何と無く興味を持たれるという幸運があったから手助けしてもらえただけなのだから。
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