第46話 人間関係の基本は譲歩と妥協である。

 ルカビアンの十九魔人、序列九位、ヴィヴィアナ・デルニエール。

 ヴァルバラの攻撃を捌き、防戦一方になっている主に対し、彼女が如何様に介入するか気掛かりもあり後を追う。

 戦場では不吉な音が悪ふざけのように鳴り続け、次から次に裂けた空間から漏れ出す闇夜よりも深い漆黒が辺り一面に広がっているにも関わらず、ヴィヴィアナは散歩でもするかのような軽い足取りで主の隣に立つ。


「やっほ」


 足取りと同じくらい口調も軽い。風が吹くだけで飛んでいきそうな程に。

 主はヴィヴィアナの顔に視線を動かし、次に吾輩の顔を見て、首を逸らす。

 さっきまで主の顔があった所を礫が通過していき、ヴィヴィアナがお見事と言わんばかりに口笛を吹いた。


「新手のルカビアン、ですか。胡桃さんウチの子と何やら話していたようですが」


「中々興味深い子だし、あのまま話を続けていても良かったんだけどさー、ヴァリーウチの子の解呪に手間取ってるみたいだから、ちょーっとお手伝いをね」


 ――なんだ、このウチの子合戦は。


「助かります。八方塞がりでしたので」


「だよねー。でも、最後の最後まで女の子に手を上げなかったのは評価してあげよう」


 困り切っていることを隠すこと無く口にしながらも、自身を飲み込もうとする裂けた空間に炎を纏った斬撃を浴びせる。金属音によく似た甲高い音が響き、割れた空間が元の正常な姿に戻り、ヴィヴィアナが感心したように拍手する。


「へぇ、器用だね。魔力で相互干渉して相殺するのって、魔力の放出量と濃度調整の計算が面倒だから、土壇場ではあんまりやらないんだけど」


 ヴィヴィアナが嫌味なく称賛するが、主がそんな面倒な計算をやるわけがないし、そもそも出来る筈がない。術理も論理も無い。ただ出来そうだからやった。やったら出来た。本能的な行動だ。

 そして、今まで出来る出来ない以前にやろうとする発想すら浮かばなかった事が、今になって出来てしまったのは、魔人ヴィヴィアナという上位の魔人が現れ、状況の打開が可能となったからだ。

 後事を任せられる。その事実が主に考えなしの暴挙に打って出させた。


「恐縮です」


「それじゃあ、まずはヴァリーを救出してあげないとね。罪悪感で死にそうになってるし――……ちょーっと痛いかも知れないけど、効果は抜群だから我慢してねー。聞こえてるかどうか知んないけど」


 あっけらかんとした口調と共に踏み出された軽い足取りとは裏腹に、一瞬だけ地面が揺れた。

 ヴィヴィアナが消えたと思った次の瞬間、ヴァルバラの顔面を鷲掴みにしていた。いや、鷲掴みなんて生易しいものではない。彼女からしてみれば歩いて近付き、顔を掴んだだけのつもりなのかも知れないが、その実態は瞬間移動じみた高速移動から繰り出された掌底だ。

 しかもヴィヴィアナの五指はヴァルバラの顔に深々と突き刺さっており、掌底から生じる凄まじい衝撃を受け流せず、ヴァルバラの首の位置が大きく歪み、穿たれた顔の穴という穴から排水口の詰まったような音と共に鮮血が飛び散った。

 そして、頭の軽そうな笑みを浮かべたまま地面に叩き付ける。その衝撃でヴァルバラの鼻骨が潰れたのか、ヴィヴィアナの掌から鮮血が弾け飛ぶだけに留まらず、大地が砕け、地面が陥没した。


「体内に魔力を直接流し込んで支配ベレスを押し出したのですか……しかし、やりすぎでは?」


 止める暇も無く、唐突に行われた凶行に流石の主も呆気に取られ、どうにか絞り出せた言葉がそれだった。ルカビアンの肉体強度を考えたら、文字通り叩き起こす程度の事で命に関わる程のものでは無いのかも知れないが――主の咎めるような視線も何処吹く風といった調子で、陥没した地面から地上に飛び上がる。

 指先からの手のひらにかけて付着していたヴァルバラの鮮血は無く、陥没した地面の壁側に叩き付けられたような血痕が残っていた。

 恐らく、飛び上がる際に手を振って血糊を取ったのだろうが、そうした挙動は一切見られず、そもそも手を振っただけであんなに綺麗に取れるものだろうかと疑問に思っているとヴィヴィアナと目が合い、得意げに舌を出した。


「ヘーキヘーキ。ヴァリー、起きたよねー? 操られてた肉体の記憶が一気に流れ込んできて動作が混乱してるかも知れないけど、あとは自力でどうにかできるよねー?」


 寝坊する子供を起こすような口調のヴィヴィアナに対する返事は空間が裂ける不吉な音で、異空間に飲み込まれたヴァルバラが再び現れた時には傷どころか顔にへばりついた血すら綺麗に無くなっていた。


「あいたたた……お騒がせしました~。でも、ヴィヴィアナ先生、顔を傷付けるのはどうかと思うの。傷ってか、穴空いてたし。首の骨折れてたし、脳のシナプスもぼろぼろになったし」


「一発で目が覚めたから良いでしょ? 手っ取り早いし」


「それにしても、何があったのですか? 支配ベレスなんて、てっきりグァルプをはじめとしたルカビアン文明の魔術だと思っていましたが」


 流血沙汰のお目覚めにも関わらず、ヴァルバラとヴィヴィアナの間に流れる空気の緩さに心配するだけ無粋だと思って主が口火を切る。それはそうとしてヴィヴィアナの脳筋っぷりに主は咎めるべきか、呆れるべきか。主の表情は複雑そうだった。

 超文明で教鞭を取っていた人間が取る手段とは信じ難いのは事実だが、主とて帝国の常識に染まり、物事の解決手段に暴力や殺人を用いているのだから蛮族思考はお互い様だ。


「ん? なんで、そこでグァルプが出てくるかな?」


 それまで軽い口調で飄々としていたヴィヴィアナの眼が鋭く吊り上がり、声が固くなる。殺気と錯覚するほど強すぎる嫌悪感に思わず、尻尾が垂れてしまった。

 頭の軽そうな女に見えても序列一桁の魔人なだけある。グァルプから感じた殺意や敵意も相当だったが、ヴィヴィアナの怒気から奴の殺気を遥かに上回る圧力を感じた。

 それは魔人でも同じようでヴァルバラの顔に血の気が無いのは支配ベレスの後遺症が全てでは無い筈だ。


「自分をこの世界に召喚したグァルプに支配ベレスで洗脳されかけたからですが……そう言えば、あの時は氷の団に扮していたな。奴め、支配ベレスを帝国人に伝授して回っていたのか?」


「あっちゃー……処刑したのは失敗だったかも」


 主が所感を述べると、再びヴィヴィアナが元の口調に戻る。

 感情の切り替えの早さはルカビアンならではか。


「裏切りの代償ですか――しかし、矢張り、自分では殺せていなかったか」


 主が当然であるかのように言う。殺し切れていなかった事もそうだが、僅か十九人しか存在しない同胞の中から出た裏切り者を許していては、その数を更に減らしてしまう事になる。そういった意味では処刑するのは妥当な判断であり、支配ベレスを用い、魔人間の力関係を一変させようと目論んでいた事がその裏付けとなった。

 尤もそれはヴィヴィアナにとっても寝耳に水だったようだが、処刑済みにも関わらず、焦り過ぎのようにも思える。


「まともに再生できなくなってたし、イイ線いってたけどね。ま、花丸はまた今度かな。もう少しがんばりましょう」


 内心の焦りを隠すようにヴィヴィアナは先生ぶると言うか、お姉さんぶった言い方をする。彼女にしてみれば、この世界に支配ベレスが現存するのはライゼファーとティアメスの手抜かりだという決め付けがあった。

 しかし、真実は違った。グァルプが隠し持っていた。しかも、三千年ほど前から。

 今回の裏切りは決して衝動的な物では無く、機会を虎視眈々と狙っていた。

 奴の裏切りの動機はヴィヴィアナが思っているよりもずっと根深く、それを悟ったからこその焦りなのだろう。


「脱線したのは自分ですが、話を戻しましょう。グァルプが支配ベレスを使えるのが、まるでおかしい事のような口ぶりでしたが」


「そうだね。支配ベレスは禁忌の魔術だから」


「ルカビアンが言うほどの物ですか? 対策さえ知っていれば無力化は容易いですが」


 同感だ。事実、主は魔術も魔力も知らないにも関わらず、カトリエル女史の助言一つで解呪出来ていたし、解呪と同時にグァルプを殺しにかかった。


「耳が痛い……」


 魔術の大家の一人である筈のヴァルバラが気まずそうに肩を落とす。

 まるで宿題をせずに遊びに出ていって夜遅くに帰って来て叱られる小学生のようだ。

 この世界に召喚される前、繁華街の路地裏に住むキャバ嬢の子供が怒られているのをよく見かけたが、今のヴァルバラはあの時の小学生と同じような顔をしている。年齢は桁三つほど違うが。


「失礼。そうか、ルカビアン文明で生まれた魔術だから、ルカビアンであっても対策を知らなければ操られてしまうのか」


「さっき、お前の下僕にも言ったんだけどさ、オズヴェルドさんが支配ベレスに操られて、帝国人風に言うなら上位の魔人全員で抑えようとして返り討ちに遭って皆殺しにされたんだよ。しかも、普通なら二百年前後で復活できる筈が千年もかかった」


「それは……深刻だ」


 主の口ぶりは決して大げさなものではない。

 ライゼファーの言葉を信じるなら、この時代に全ての魔人が復活する。

 ルカビアンの十九魔人、序列三位オズヴェルド――かつてのルカビアン文明では地下格闘技のチャンピオン。ヴィヴィアナの言葉を額面通りに受け止めるなら操られていて尚、全ての魔人を相手にして返り討ちに出来るだけの圧倒的な戦闘能力を持つ。

 オズヴェルドが融和派か否か次第ではあるが、主の生涯でも恐らく最大の脅威となり得る男だ。


「そう、深刻なんだよ。深刻に受け止めたからライゼファーとティアメスは支配ベレスを遺失させるために、ヴィヴィアナ先生たちが復活するまでの間に、この星をずっと渡り歩く事になったんだよ」


「しかし、実際にはグァルプは支配ベレスを隠し持ち、力を得る為に、その事件を知らないルカビアンを狙った。とすれば、奴がオライオンに支配ベレスを伝授したのは――」


「当然、力を得るための布石だよねぇ? もう死んじゃったけど」


「しかし、また数百年もすれば復活するのでは?」


「ん-ん? しないよ。だから処刑したのは失敗だったなーって。まあ、でも氷の団とかいう奴等を皆殺しにしたら解決する問題ではあるのかな」


 ルカビアン文明は蘇生法の発明により不老不死を現実のものとした。

 例え命を落としたとしても二百年前後で復活する事ができる。

 しかし、一度、不老不死になったからと言って永久不滅の存在になれるわけではない。事実、ルカビアン文明の崩壊後に世を儚んで多くのルカビアン達は自ら命を絶っている。蘇生法は自らの意思で手放す事ができる。


 ――同時に他者の蘇生法を剥奪する事も。


 魔人は決して一枚岩の存在ではない。

 当然だが、個々に異なる人格、価値観、思想を持つ他人の寄り合いだ。

 数少ない同胞。そして、星を埋め尽くす程に繁殖してしまった人工生命体オウラノが人間の立場に成り代わってしまった現状への反発が、彼女たちに一応の絆と結束を生み出していた。

 しかし、グァルプの処刑は魔人同士の加害。蘇生法の剥奪という現実はルカビアンには、ルカビアンを完全に殺す手段が存在し、死を突き付けるも同然であり、真の死の恐怖を思い出させる事に他ならない。

 それは魔人たちが持つ、一応の結束を破壊し、新たな対立構造を生む事になるのではないだろうか?

 吾輩の疑惑が決して大袈裟では無い根拠はある。たった今、グァルプの処刑、完全な死を知ったヴァルバラの表情が全てを物語っている。

 その結果、何が起こるのか分からない怖さに繋がってしまったように思えてならなかった。


「オズヴェルドが操られた事件を知らないルカビアンに注意勧告するだけで済む話なのでは?」


「それはそうなんだけど、この有様はお前がした事だよね? ヴィヴィアナ先生がコイツらを皆殺しにして、異世界人のお前に何か不都合でもあるのかな?」


 アンドウン要塞の中枢部は、ほぼ完全に破壊されている。

 ここまでの破壊は戦時中ですら無かったのでは無いだろうか。

 何せ、残留する魔力の残骸や残り香は全て主の物だけだ。

 見る者が見れば、激戦による影響と言うよりは、主の術理による一方的な破壊によってもたらされたとしか思えない程の有様だった。

 ルカビアンのヴィヴィアナからしてみれば、主が融和派の純粋種では無い事は一目瞭然だ。

 別に庇うわけでは無いが、これだけの有様でありながら目的は破壊では無く、オライオンを邪神復活に狂奔させる為の示威行為でしかない。少なくとも民間人の被害者は出ていない。

 そして、何より――嘘みたいな話だが、主は本質的に善性の人間だ。

 無差別な殺戮を看過できる筈が無い。

 それはそうとして目下の課題はオライオン一派を皆殺しにして支配ベレスの遺失を完全な物にしようとしているヴィヴィアナを思い留まらせることだが。


「あー、そうだね。おにーちゃんとしては今すぐオライオンたちを皆殺しにされるのは都合悪いよねぇ」


「ふーん? 同胞でも無いお前の都合を酌量してやる理由は一個も無いんだけど、ヴァリーの友人らしいし、同じ純粋種のよしみって事で、その都合次第では待ってあげても良いよ?」


「一言で言ってしまえば、惚れた女のためですね」


「は? は? は? うぇ? え? 何? 何なの?」


 ヴィヴィアナから攻撃的な気配が粉々に飛び散った。落ち着きなく身体を左右に揺すり、朱に染まる頬を隠すように両手で抑えて、視線を右往左往させてた。何を想像したのか分からないが、推定一万年歳とは思えない程の初心な反応だが、主が一瞬ばかり口の端を釣り上げた。

 剣呑な空気を僅かでも弛緩させる為に放った冗談交じりの本心を語った事が、魔人ヴィヴィアナという死の具現を戦わずして切り崩す、切り口になると判断したからだ。


「そんなに変な事ですか? 惚れた女のために一生懸命になる事は?」


「いやいや、待って待って。ちょっと整理させて。だって、お前純粋種でしょ? ヴィヴィアナ先生でしょ。ヴァリーでしょ。ティアメスに、ハーティア、それからメラーナ。で、ヴィヴィアナ先生は初対面だから無い。態度からしてヴァリーも無い。メラーナもヴァレイグラルフとライゼファー狙いだからない。ティアメスは彼氏いるから違う。ハーティア……ハーティア狙い!? それはそれで茨の道だよ、お前!!」


 ヴィヴィアナが動揺を隠す事無く、早口で女性陣の恋愛事情を口にする。

 しかし、動揺だけでは無い。突然降って湧いた恋バナの気配に明らかに喜色ばんでいる。

 年齢は兎も角、見た目だけなら若い女だ。ルカビアン文明崩壊以来の恋バナに心躍っている様子だ。

 興味深くはあるが、今はそれどころではない。


「えっとね、ヴィヴィアナ先生。そこがちょっとややこしくなってて」


「自分の惚れた女と言うのは推定オウラノです」


 ヴィヴィアナの表情がスッと真顔になった。それまで真っ赤になっていた顔色も元通り。


「はぁ……面倒くさい。はいはい、お前も融和派なわけね。異世界人とは言え、七千年ぶりに出会えた純粋種がティアメスのご同類。こりゃ、トゥーダス・アザリンがまた荒れそうだ。でも、推定ってのはどういうこと? オウラノよりもスペックが高いって意味なら、アドバンスドモデルだからだよ。新人類として設計された奴ら。どっちにしてもオウラノだから計画倒れに終わったけど」


「ライゼファーの姪ということを彼本人の口から聞かされまして」


「言葉通りに受け止めるならハーティアの娘って事になるんだけど、ライゼファーが姪なんて言い方するわけがわけが無い。娘って言った筈」


 ハーティア狙いが茨の道である理由が分かった気がする。ライゼファー、彼はシスコンだ。それも重度の。そして、ハーティアも同等にブラコンなのだろう。


「ルカビアンは近親婚は珍しくないのですか?」


「まともじゃないけど、オウラノに欲情するよりかは、ずっとまともな性癖だね。いや、この場にティアメスがいないから言える事だけど。ヴァリーも三人には内緒ね」


「言えないって。数少ない友達と喧嘩なんてしたくないし。って言うか、あたしは近親相姦にもオウラノとの恋愛にも隔意ないし」


 世代交代が存在しないからこそ世代間の対立が激化し、血を分けた親子であっても対立構造の例外にならないのがルカビアン文明の倣いなのだとしたら、家族間の憎しみを超えて育まれた兄妹愛が異性愛に発展する事も珍しくは無いのかも知れない。

 僅か十九人しか存在しない同胞と荒廃してしまった世界。背徳的な恋愛感情を燃え上がらせるには十分過ぎる環境だ。

 そして、同胞が少なすぎるが故に、かつてはヒトモドキと蔑んだ人工生命体相手に恋愛を楽しむという倒錯した性癖。一枚岩になれないどころか魔人たちが空中分解を起こすのも時間の問題のように思える。性癖で崩れる人間関係というのもどうかと思うが。


「ん? 今、遠回しにヴィヴィアナ先生のこと年寄扱いした?」


「してないよ!! 被害妄想!!」


「えーと、話を戻して良いですか?」


 そう言って、主は返事も待たずにライゼファーと出会ってから、この地に至るまで経緯を淡々と説明した。若いヴァルバラは兎も角、大人のルカビアンであるヴィヴィアナにとってはショッキングな内容だ。共有するべきことをまずは言い切ってしまいたいという思惑が主の声色に表れていた。


「ハーティアの子宮を再培養できる人間がいるとすれば、このヴィヴィアナ先生とガラベル、そして、ライゼファーの三人。当然、ヴィヴィアナ先生とガラベルはやってないから消去法でライゼファーって事になるんだけど……」


 一通りの説明を聞いたヴィヴィアナが腑に落ちないとでも言いたげな表情を浮かべた。


「ライゼファーにそんな事ができるの?」


「知らなかった? あの子、あれでああ見えて生命工学の道に進んで、ガ・エルとグァルプと一緒にオウラノの初期設計に関わってたんだよ。だから、子宮培養くらい簡単に出来るよ。設備だって何でも屋のトリスガストに依頼すればどうにかなるだろうし……でも、だからこそお前の想い人の甥がライゼファーになるのはおかしいんだよ。母親がハーティアなら父親はライゼファーじゃないと変だ」


 何でも屋のトリスガスト――序列七位の魔人だ。当然と言えば当然だが、次から次に魔人の名前が飛び出すと、何だかんだで通じ合っているのだなと思わせられる。

 しかし、死の具現と言われている魔人がやっている事が何でも屋と言うのはどうしても繋がりを感じられずに、何となく戸惑ってしまう気持ちがある。


「ハーティア、もしくはライゼファーのどちらかが心変わりしたとか」


「ありえねー」


 即答するヴィヴィアナの隣でヴァルバラが無言で何度も頷いた。彼女の口ぶりから何となく察していたが、矢張り筋金入りのシスコンブラコン兄妹のようだ。


「そういうものですか? 不老不死を会得したルカビアンなら生き飽きる事を防ぐためにも意識的な心変わりなんて頻繁にしそうなものですが」


「ああ、そっちは不老不死じゃないんだ。寿命、何年?」


「男性なら約八十年、女性なら約九十年。但し、百年以上生きる人も珍しくありませんね。確か、最高齢で百二十くらいだったかな」


「なるほどなるほど。短命種らしい、長命種――人間への幻想だね」


「幻想ですか」


「うん、幻想。不老不死なんて固定観念をより強固にするだけの呪縛みたいなものだし、それまでの歳月で身に着けた常識や価値観に縛られて新しい事を受け入れられないんだよ。よっぽど強い意志が無い限り、意識的な心変わりなんて無理無理。そんな無理するくらいなら、今まで通りを流されるようにやるだけ。そういった意味ではオウラノの老人たちの方がルカビアンよりも老成してるんじゃない? 調べたわけでは無いから知らないけど」


 ホモサピエンスという長命種が身近にいる吾輩の方が納得し易い話だ。

 寿命が二十年にも満たない吾輩にとって、気付きや発見、成長や変化は日常茶飯事で変化していないのは主への恩義と忠義だけだ。

 だからと言って吾輩の寿命が人間並みになったとして、長くなった生涯を通じて更なる気付きと発見によって成長出来るのかと言えば、そうはならないと思う。

 根拠はある。他の誰でもない人間の在り方だ。テレビでは旧い人間の価値観がアップデートされず、現代に適応出来ていないことに苦言を漏らす声が珍しくない。

 人間は変わらない。変われない。新世代が新たな価値観を持って生まれても、それに合わせられる旧世代の人間は多くない。価値観は増えるだけで変わらない。変わったように見えるのは旧世代の人間が寿命を迎えていなくなる。或いは淘汰され、その存在を黙殺されるからだ。それを歴史が繰り返してきた。

 ルカビアンとは違って不老不死では無いから世代の生と死によって価値観の循環が生まれているだけだ。アップデートでは無い。今の新しい価値観も世代交代が続く限り、近い未来では古くて現代にそぐわない価値観だと蔑まれ、淘汰されていくのだ。これまでの歴史と同じように。

 だから、世代交代と寿命が無いルカビアンの価値観が変化しないのは当然なのだ。

 ホモサピエンスだろうが、ルカビアンだろうが変化するには寿命が、生涯があまりにも長すぎる。


「それは難儀ですね」


 ――本当に難儀な話だ。


「難儀なんだよ。でも、譲歩はできる」


「譲歩、ですか」


「ライゼファー、もしくはハーティアをヴィヴィアナ先生の所に連れてくること。お前の想い人について真意を問い質す。まー、こっちでも探すけどさ」


「それでしたら、ハーティアを探してくれませんか? グァルプがサマーダム大学を狙ったのはハーティアを吸収する思惑があったからです。しかし自分とヴァルバラではハーティアの痕跡すら辿ることが出来ませんでした」


「ハーティアが、ね。まあ良いよ。卒業生って言ったって、ヴィヴィアナ先生からしてみれば問題児のまま何も変わってない困ったさんの生徒だから。見つかったらヴァリーを通じて連絡頂戴。ヴァリー、ヴィヴィアナ先生はいつもの所にいるから」


「はーい」


 そう言って、ヴィヴィアナは立ち去った。

 恋バナをフックにしてヴィヴィアナの感情を引っ搔き回して、彼女から物事の優先順位のすり替えに成功した主は疲労感を口から吐き出して、地面に座り込む。

 オウラノがルカビアンさえも操ることができる支配ベレスを遺失させる事も重要だが、解呪手段が確立されている魔術でもある。

 それよりもカトリエル女史の正体を明らかにする方が大人世代のルカビアンにとっては重要になるのは吾輩でも分かる。

 彼女たちの言葉を借りるなら難儀な話だからだ。

 ヴィヴィアナの態度からも分かる通り、ルカビアンは純粋種の新たな仲間に飢えている。その一方で子宮を再培養して子供を出産する事に強い抵抗を覚えているのは、かつての世代間対立のトラウマの記憶によるものだろう。増やしたいが増えて欲しくない。そんな矛盾した思いが燻っている中、ライゼファーとハーティアの間に子供が産まれたという疑いがある以上、それをはっきりさせなければ他の事に一切手がつけられず、また考えてはいられないくらい心をかき乱されてしまうのだ。


「行きましたか」


「ふー……焦ったぁ……職員室に呼び出しくらった時のことを思い出したよ」


「殺気や敵意は感じませんでしたが、何かの力に圧倒されそうになりました。あれが上位の魔人……と言うより、大人のルカビアンということですか。職員室の気配がアレとはルカビアンの児童たちには同情しかありませんが」


「それもあるんだけどヴィヴィアナ先生、おにーちゃんに蘇生法を施すか悩んでる感じだったから」


「自分を?」


「うん、おにーちゃんが純粋種だから強い親しみを感じたってのと、グァルプが裏切って十八人になっちゃったから。でも、不老不死ってあんまり良いものじゃないから、同じ苦しみを与えるのもなーって事で」


「それは勘弁願いたいですね」


「やっぱり、オウラノとの融和は避けられないと思うんだよね。見ず知らずの他人を同じ純粋種ってだけの理由で強い親しみを感じられる程度には人に飢えてるってことだし」


「しかし、不老不死が原因で固定観念が却って強固になると言うなら、オウラノをヒトモドキと呼んでいた貴女が何故、オウラノとの融和を望んだり、ティアメスはオウラノと恋仲になれたのでしょうか?」


 主の問いにヴァルバラが人差し指を唇に向けて「ん-」と考え込み、そして、再び主に向き直ると「まだ若いから?」と、この場にヴィヴィアナがいたら言い訳の暇さえ無く、ぶっ殺されそうな事を言い出した。

 だからこそ価値観の固定化の話が出た時に反論しなかったのだろう。

 しかし、ルカビアンの十九魔人、今は十八人だが、たったの十八人でも大人と子供で価値観に大きな隔たりが確りと存在している。話に聞く崩壊以前と何も変わっていないように思える。ただ敵対していないだけで。

 矢張り、そういった意味では一時の衝動で、主を不老不死にするべきではない。

 世代や性別、国どころか世界その物が違う。価値観の差異はあまりにも大きい。

 ヴィヴィアナは主が純粋種というだけの理由で蘇生法を施し、仲間にしようとする程、親しみを感じているようだが、それは一方通行の感情でしかない。

 日本で、主がバーテンダーをやりながら接客をしている姿を見ていて思った事がある。

 極論、人間関係というのは妥協だ。相手に妥協して、相手からも妥協させる。謂わば、処世術だ。先程の主とヴィヴィアナの会話はどうだろうか? 殆ど主の一方的な妥協で漸く、ヴィヴィアナから一つ譲歩を引きずり出したに過ぎない。

 何故、主が妥協せざるを得なかったのか、それは単純な力関係だ。今の主ではどんなに殺意を漲らせても序列上位の魔人であるヴィヴィアナには絶対に勝てないという厳然たる事実があるからだ。

 そもそも、ヴィヴィアナが主に好意的でいられるのは、純粋種であっても百年前後で死ぬ短命種だからだ。主が蘇生法によって不老不死になれば、いずれ力の差が埋まる。主が妥協をしなくなれば、差異に耐えられず将来的には敵対することになる。

 そうなるまでにヴィヴィアナがどれだけ妥協を認めるか次第で、かつての世代間対立が現代の帝国の世で再現される事になる。

 それで命を落とすのはオウラノ――帝国人。そして帝国人たちは純粋種同士の争いに巻き込まれて命を落とす事を妥協しなくてはならなくなる。それが吾輩の考えだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛犬と一緒に異世界転移 芥川一刀 @akutagawa_sanpo

現在ギフトを贈ることはできません

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画