第42話 レイオットはメッセンジャーである

 自ら作り出した焼死体を踏みしめ、屍の上を歩き続ける主の顔を見上げる。

 弱者を殺傷した罪悪感や葛藤は一切無さそうだ。


「ん、胡桃さん、心配してくれてるのかい? まあ、強制徴用されたり強要されてそうな人も何人かいたしね。この人たちにだって帰りを待つ家族や友人、恋人がいる。遺された人の悲しみは相当なものだと思う。自分がその悲しみを作ってしまった」


 主が足を止めて、吾輩に言う。懺悔や自罰では無い。

 他人事のように事実をただ淡々と語り、再び歩みを再開する。

 もう少しくらい悲壮感を出してもバチは当たらんと思う。


「自分に罪があるとしたら力を示せなかった事だよ。オライオンと同じ龍殺しって言っても、こっちは一人と一匹。オライオンや氷の団に逆らえないのも当然だ。単身乗り込むなら、せめて大軍勢で押し寄せたように錯覚させるべきだった。今更だけど」


 結果論だ。主には二体の魔人を単独で撃退したという確たる脅威の尺度がある。

 主の襲撃を受けている氷の団は、魔人の襲撃を受けているも同然なのだが、それを正しく理解し、受け入れる事の出来る帝国人がどれだけいるだろうか。

 主が――と言うよりも魔人と匹敵する人間が存在するという事実を帝国人に理解出来ない。真に受ける奴は騙されやすそうだし、虚言と断じる方がずっと常識的だ。

 いっそ馬鹿正直に七代目龍殺しを名乗るよりも、二十人目の魔人を名乗った方がまだ力の差を理解させられたとさえ思える。だからこその結果論なのだが。


「一人でカチコミかけてきた奴の言うこっちゃねーなぁ!! 七代目ェ!!」


 ガラの悪そうな叫び声と共に空気が一気に冷え込む。

 石畳が冷た過ぎて肉球が痛い。思わず右手と左足を上げるが、地に着いたままの左手と右足が痛い。

 吾輩としては必死だが、傍目から見たらピンと手足を伸ばした茶目っ気抜群の可愛らしいポーズになってしまい、死地なのに何故吾輩は間抜けな格好をしているのだろうと思わず、自問自答してしまう。


「オライオン四天王が一人、レイオット!! 七代目龍殺しを殺す男の名を覚えろ!! 覚えたな!? 覚えたら死にやがれッ!!」


 吾輩の葛藤を他所に、頭の悪い名乗りと共に突撃を仕掛ける男が一人。身体から溢れ出る魔力光が吹雪へと変換されていく。氷の団だからって律儀に氷っぽい攻撃をしなくたって良さそうな物を。


「寒いな、糞莫迦が」


 急激な寒気に主は苛立ちを静かに漏らし、魔力を炎に変換して冷気を焼き尽くす。

 レイオットが気圧されたかのように表情を歪めるが、吾輩にしてみれば最早おどろきにすら値しない。サマーダム大学を侵食しようとするガ・エルの毒々しい魔力さえ焼き尽くしたのが我が主だ。

 氷の団の幹部らしきポジションからして普通の帝国人としては強者の側にいるのだろうが、はっきり言って常人が主に挑むなど無謀の極みだ。

 事実、霜焼けしそうになっていた肉球が今はお昼寝に打ってつけと言っても良いくらいの塩梅の暖かさに温められている。

 しかし、魔力攻撃の真価は魔力その物を破壊する事にある。レイオットが冷気に変換し、周囲一帯に拡散した魔力が一気に燃え広がり、辺り一面が炎の紅に染まる。

 魔力の炎は科学的な燃焼とは違い術者が解除するか、魔力が途切れなければ消える事は無く、獲物を探し求める蛇のように燃焼を続け、燃え広がっていく。力尽くで潰すなら同等以上の魔力で相殺するしかない。

 先手を取ったにも関わらず、主を殺せなかった時点でレイオットに勝ち目は無い。


「しゃらくせぇ!!」


 不規則に荒れ狂う炎を、俊敏な体捌きで潜り抜けてきたレイオットが吠える。

 主の炎に焼かれないように魔力の放出を完全に遮断したのは見事。勇気ある判断と言える。

 しかし、主の頭蓋目掛けて力任せに斬撃を振り落としたのは大失敗だ。

 主は無造作に突き出した右腕で、レイオットの剣の柄を鷲掴みにすると受け流すようにして投げ飛ばす。

 レイオットの力を利用しているとは言え、科学的限界を遥かに超えた主の力が加われば人体にかかる負荷も半端な物では無く、その勢いは剛速球さながら。家屋の壁を突き抜け、建物を支える重要な支柱が壊れたせいか、屋根からぺしゃんこになった。


「知名度が低過ぎて、オライオン四天王が何なのかは存じませんが、あの卑劣の王の幹部らしき事を自称するだけの事はありますね。いや、まさかまだ死んでいないとは。頑丈さだけは立派、立派」


 主が瓦礫の山に向かって挑発する。中からレイオットの荒い呼吸が聞こえるだけでは無く、脳内物質が分泌される匂いが漂ってきた。相当なお怒りのようだ。

 レイオットが瓦礫の中から飛び出し、壁を蹴って高く飛び上がると宝石や巻物を放り投げる。


「魔術写本……金があるのやら無いのやら」


 魔術写本――、魔力を宿す草木の繊維を編み込んだ特殊な用紙に魔術刻印を施した物で魔術兵装同様に、微量な魔力を流し込むだけで魔術を習得していない者でも手軽に魔術が使える魔道具の一つだ。

 魔術兵装よりも安価だが、一回こっきりの使い捨て。主のような闘争を常としながらも定期収入を持ち合わせていない者にとっては、安物買いの銭失いでしかない。


「魂魄ごと凍殺せ! 凍土から呼ぶ声ベリ・アサグ!」


 レイオットの叫びに呼応するかの如く、魔術写本から吹雪が吹き荒れ、冷気を纏った細長い腕が幾つも伸びる。更に魔術写本と同時に投げられた魔石が反応し、鋭い魔力光を放つ度に、冷気の腕が巨大化し、空を埋め尽くしていく。


「見掛け倒しが」


 一見すると、空を巨人に支配されたかのような不吉な光景だ。

 しかし、魔術写本から吐き出される猛吹雪は太陽の光さえも塞ぎ切っているにも関わらず、主の炎は些かも輝きを失っていない。何よりも石畳の地面は未だいい塩梅の熱で日向ぼっこが出来そうな陽気で、このまま暖かさに微睡む事さえできそうだ。

 主の言う通り、視覚的な効果しか発揮していない。


「ほざけッ!! コイツをまともに食らって、まだそのスカし顔が続くか思い知らせてやらぁッ!!」


 冷気の巨腕が空から降り注ぎ、吾輩たちを押し潰すように迫ってくるも、主が翳したレーベインベルグの一閃によって生まれた爆炎で溶け、飛び散り、突風が白煙のような水蒸気を一気に押し流した。

 冷気も陽気も無く、アンドウン要塞の空気が澄み切った。魔力的な反発を使って要塞都市に滞留するチリや埃といった淀みを吹き飛ばして清掃するという皮肉めいた荒業を披露したのだ。


「この程度の冷気じゃ自分の薄皮一枚冷やせやしませんよ。ま、雑魚でも氷の団の幹部のようだし、殺す価値も意味もゼロでは無さそうだ」


「上等だ、テメェ!!」


 壁を蹴って宙に浮いたままのレイオットが不自然な加速で急降下。背後に魔力の残光が空間に刻まれている。魔術写本一辺倒と思いきや、身体能力を向上させる類の魔術兵装を身に着けているようだ。

 家屋に押し潰されても平気だったり、圧倒的な力の差を見せつけられても怯まないのは、それが原因なのだろう。


「魔術兵装に魔術写本。一応、本気で殺す気で来ていることは伝わりましたが――」


 半身を逸らして、頭上から急襲するレイオットを避ける。急降下と共に繰り出された鉄拳が石畳を砕き、地面にめり込んだ拳を軸に反転。追撃を仕掛けようとした瞬間、奴よりも早く、主が地面を踏み抜いて十数センチほど地盤を沈下させる。

 思わぬ衝撃に、身体の軸がぶれたレイオットはバランスを崩して地面に転がる。


「チクショウ!! テメェ!!」


「意思は十分。しかし、肝心な力が不十分。力の差は歴然だ。貴方一人では自分を殺すことは愚か、最大限に手加減してやらなければ足止めすら出来ない。持てる戦力の全てを自分に投入しなければ、戦いが成立しません。それが理解出来る程度の力量はあると思いますが」


 首筋に当てられたレーベインベルグが赤熱化している事に気付いたレイオットは、周囲を漂う肉の焼ける匂いが自分の首から発せされていると知り、それ以上、何も言えず悔し気に歯噛みする。

 まるで歯が立たなかった事もそうだが、脅威を伝えるためのメッセンジャーにされようとしている事に気付いたからだ。

 事実、魔人を二体倒したでは現実味が薄く、事実を疑われている。オライオン四天王が一対一で戦っても、全く歯が立たず、まるで勝負にならなかったと伝達させた方が現実的な脅威として認識されるようになる。


「テメェ……ここで俺を殺さなかった事を後悔させてやるからな。必ずだ!!」


「へぇ? そうだと願いたいものですね。お前と同程度の力を持った奴が他に三人。そして、それに毛が生えた程度の力しか持っていないであろうオライオン。五人がかりでも無傷で殺しきれる」


 小物臭い態度だが、流石に刃を交えれば力量を図る事が出来る程度には力という物に精通しているようで、主の言葉が決して大言壮語では無いと感じたようだ。

 しかし、主から距離を取り、安全圏まで離脱したレイオットの表情は何処か必死でもありながら、勝機を見出しているようにも見える。


「魔術兵装、魔術写本、戦術級魔術。それだけが俺たちの手札だとは思わないことだな。例えテメェでも絶対に太刀打ち出来ない切り札があるんだからな。精々覚悟しておけよ、七代目」


 切り札――恐らくは邪神復活による加護の増強の事を言っているのだろう。

 それは主も感じたようで、離脱していくレイオットの姿に口の端を釣り上げた。


「良かった。あの様子だと復活の当てがあるのは、邪神ガエルだけでは無さそうだ。邪神崇拝と言うよりも神の力その物を信仰している。力さえあればどんな神でも良いと考えている。これなら楽勝だな、胡桃さん」


 氷の団に圧力をかけて邪神復活に狂奔させる作戦を実行する上で、一番の懸念となっていたのが、オライオンが邪神ガエルの崇拝者であり、他の邪神に信仰心は無く、新たな邪神復活の手段を持ち合わせていないかも知れない事だ。

 懸念が晴らせた今、主の心を惑わせる物は何一つとして無くなった。


「さて、後は氷の団の戦力を何処まで削り取るか、だな。攻め切れずに逃げ出したと舐められたら邪神復活に動かないかも知れない。けど、だからと言って削り過ぎたら邪神復活の前に氷の団その物が崩壊してしまう」


 そもそもの構成人数が不明というのが困りものだ。

 氷の団の戦力のみで衛兵団を撃退して、アンドウン要塞を占拠。西方のトレスドア要塞と南方のソウブルー要塞から挟撃される位置であるにも関わらず、要塞内部に立て籠もっている。

 ふと野良犬時代の事を思い出した。繁華街の路地裏にも縄張りとそれに付随する争いがあった。野良犬、野良猫、イタチにタヌキ。そして人間。

 基本的に定住地を作らず、強い敵から逃れ、弱い敵を攻めて縄張りを移動する。生きていくためにより弱い敵を探して彷徨う。それが戦いの基本だ。主のように自分よりも強そうな敵を付け狙うのは異常者のする事だ。


「いや、でも、やり過ぎて滅ぼしてしまうって事は流石に無いかな」


 奴等が異常では無く、正常である根拠、或いは納得を得たのだろう。


「力の差は分からせた。既にオライオンの眼前に刃を突き付けている状況で、アレだけの口が叩けるって事は邪神復活は目前。それか邪神の加護をオライオンが独占しているとも考えられるな。でなけりゃ、アンドウン要塞の衛兵団が負けた理由が分からない」


 帝国の大陸制覇事業が完遂して10年余。衛兵団や騎士団といった帝国軍も徐々に代替わりが行われ、戦争を知らない世代の割合が増えつつあるとは言え、武力によって世界征服を成し遂げ、統一国家を樹立した帝国が弱いわけが無い。

 オライオンが龍殺しと言えど、軍を動員して帝国軍に戦争を仕掛けても正攻法では無理だと断言できる。

 主の洞察は非常に納得のいくものだった。


「まあ、でも、それが奴の力の秘訣だとしたら本来の目的に一歩近付けるな」


 邪神が零落し、力を失えばオライオンとて次の邪神を復活させなくてはならなくなる。そうしなければ、トレスドア要塞とソウブルー要塞から挟撃される危険性が高く、主と刃を交わしたオライオン四天王の一人の実力から察するに、二つの要塞都市に挟撃を受けた場合、氷の団にそれを跳ね返す力はない。

 これで、オライオンに圧力をかける作戦を遂行する確実な第一歩を漸く踏み出せると言うものだ。

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