第二章 氷の反乱
第41話 宣戦布告は火の雨である
「カトリエルさん、今頃、カンカンに怒ってるだろうなぁ」
サマーダム大学襲撃事件から三日目の夜に、主が困ったように笑みを浮かべる。
死にかけていた筈の主の身体はカトリエル女史の手厚い看護のお陰――と言うよりは主自身の驚異的な回復力で重症の身体を完治させた。
カトリエル女史は「表面上は治っていても身体の内側がどうなっているのか分からないのだから、一か月は安静にしていなさい」と言っていたが、やる気スイッチがオンのままの主がベッドの上で大人しくできる筈もなかった。
宇宙にハーティアがいなかった事も主の進軍を後押しする原因となった。
「まー、でもサマーダム大学にいたんじゃ帝国議会の動きも分からないし、トチ狂ったオライオンがやっぱり帝位に就くなんて言い出しかねないし、そうなったらアイツの命を狙う自分は反逆者って事になってしまう」
オライオンをこの一戦で抹殺できればそうならないが、今回のアンドウン要塞侵攻はあくまで氷の団に圧力を与え、邪神の復活に意識を傾けさせるのが目的だ。
折角、氷の団が邪神復活の手立てを知っているのに、頭を潰せば組織の離散、復活手段の失伝に繋がる。
帝国社会にとっては良いことだが、カトリエル女史の解呪にはデメリットでしかない。
反逆者扱いされずに事を収める為にも、主には立ち止まる選択が無かった。
「自分はオライオンを人となりを知らないからな。奴が帝位に就かず、反逆者のままであり続けるのか、それとも心変わりにして帝位に就くかも予測できない。だったらアンドウン要塞をぶん殴ってオライオンの気配や魔力を感じておかないとな」
――という脳筋的な理屈で、いよいよ氷の団と激突する時が来た。
問題はカトリエル女史に告げる事無く、一人と一匹で来てしまったということだ。
説得するのが面倒臭いというか、説得しても言い負かされる未来が見えたのだろう。
不言実行と言うより、無断突撃を強行するという愚行に至ったのだ。
こんなんでも飼い主なので、何処にだってついて行くが……多分、そろそろ本気で怒られるんじゃないかと思う。
あの人形のような鉄面皮が感情を剥き出しにして怒る姿を見てみたくもある。どうせ怒られるのは吾輩では無く、主だし。
「よし、見えてきた。アンドウン要塞だ」
切り立った崖の上に螺旋状に聳え立つ帝国の伝統的な要塞都市。
レーンベルク要塞やソウブルー要塞と外観や構造は同じだ。
目新しさがあるとすれば雪が覆い被さっている程度。勝手知る場所も同然だ。それ故に襲撃し易くもある。
「普通だったら警備の手薄な所を狙って、密かにオライオンを暗殺するのが定石なんだが、今回はあくまでオライオンをビビらせるのが目的だからな。寧ろ、姿を隠さず、正門から堂々と正面突破といこうか」
単身での要塞攻略。普通に考えたら無謀以外の何物でも無いわけだが、主は二体の魔人と連戦するという無謀の極みを踏破している。常人では何人集まったところで主を止めることは適わない筈だ。
「そういうわけだから胡桃さん。氷の団の連中の誘引と、警戒網の厚い所を探してくれるかな? 正面から押し入るのは決定事項だけど、オライオン探しに時間をかけ過ぎて帰りが遅くなったら、余計にカトリエルさんの機嫌が悪くなるかも知れないからね」
確かに、それは今一番の懸案事項だ。
肯定の意を込めて「わん!!」と一吠え。
周囲は静まり返っているので吾輩の咆哮はよく響き渡る。
「オイ、そこのニンゲン!!」
程なくすると牛頭の男が近付いてくる。主に誘引を頼まれて咆哮を響かせたが反応が早い。早過ぎる。まるで最初から警戒網を敷かれていたかのようだ。
何にせよ攻撃的な口調と足取り、氷の団の匂いを覚えるには好都合だ。
「何か?」
吾輩の意図を知ってか知らずか、主は牛頭の男を問答無用で殺すことなく、ふてぶてしい態度で口を開く。
「何かじゃねぇだろうが。何かじゃよォ。此処は氷の都。俺たち氷の団、そして氷の王オライオンの居城だ! 領土侵犯だぞ、帝国人! 皇帝ハルロンティ・アーリーバードを討った俺たちと戦争してぇのか?」
「ハッ、そういう魂胆ですか」
主が愉快そうに口の端を釣り上げた。
状況は柴犬の吾輩でも分かった。
アンドウン要塞を占拠したオライオンは氷の国を建国し、王となった。
帝国議会がどんな採択をしようともオライオンが帝位に就くことはない。
しかも、帝国式の礼服を身に纏った主に対し、強い攻撃性を示した。
主が帝国からの使者である可能性を一切検討しない態度は、帝国に戦争を仕掛ける気満々……制覇戦争の続きをやろうとしているようにも見えた。
「何を笑ってやがる。状況が理解できてねぇのか、帝国人」
その言葉を合図に牛頭馬頭に鶏の頭や虎の頭をした男たち――獣人が吾輩たちを取り囲んだ。
勝ち誇った笑みを浮かべつつも、まるで浮世離れしているかのように余裕の態度を崩さない主が癇に障ったらしく戦斧を地面に叩き付けて威嚇してくる。
「お前たちよりは理解できているつもりですよ、ケダモノ面」
「てめ――」
獣人種に対する差別用語を言い放ち、頭に血を登らせ一閃。
何が起こったかを理解するよりも先に胴から首が落ち、炎が燃え盛る。
因みに顔に毛がない人間種に対する差別用語はハゲ、ヒゲの多い男性に対しては中途半端ハゲである。
「喧嘩を売りに来たのですが、先に売られてしまうとは流石は獣人の早業と言ったところでしょうか。しかし、自分も速さには少々自身がありまして。一勝負してみますか? お代は貴方達の命で結構ですよ」
焼き殺した獣人は十人――、半数ほどだ。
その気になれば皆殺しに出来た筈だが、騒ぎを大きくするために敢えて半数を生かした。それでも十人も残したのは――
「この野郎!! よくも仲間を殺りやがったな!! ぶっ殺してやる!!」
血気盛んな奴が実力差も弁えずに突っかかってくるからだ。力の差が圧倒的であることを理解しても、此方は一人。数の差は本拠地であることも含めて向こうが圧倒的に有利というのもある。
戦意を削ぎ、恐怖心を煽るために態々首を切り落とした死体に火を放っても恐怖よりも怒る奴が少なからずいるのは全世界共通だ。
その場合は――対応がより過激になる。
「流石は獣人。血の気が多い」
仲間の凄惨な死にも怯まず主に向かってきた獣人の身体が突如として地面から生えてきた火柱に貫かれる。
しかも、一瞬で墨屑になる程の火力が無い為、完全に死ぬまで暫しの時間を要する。途切れることのない絶叫が空に木霊する。
そして、主の足元から地面に真っ赤な亀裂が走り、獣人たちを追いかけるように火柱が次々と地面に屹立する。
魔人相手には心許ないが、常人相手なら十分すぎる脅威となる。
「ひ、火が!! こ、こいつ炎術師か!! 人手を集めろ!! 囲んでぶっ殺すぞ!!」
「ここまで追い詰めなきゃ逃げてさえくれないんだから困りものですね」
そして、主は逃げる獣人たちの背中に向かって大声でカウントダウンを開始。
数字が減るにつれて空を焦がす紅蓮の光が輝きを強くしていく。
ゼロになった時、何が起こるか理解した獣人たちはなりふり構わず脱兎のごとく走り出し、口から出る怒声はいつしか助けを乞う悲鳴になっていた。
「――ゼロ!!」
空を焼き尽くす炎が爆発的に広がり、アンドウン要塞一帯を真っ赤に照らす。しんしんと降る粉雪が火花に変わる光景は、一見するとこの世の全てが灼熱地獄に叩き落とされたかのような光景だが、真っ当な魔術師が冷静な思考をしていれば、一目でただの見かけ倒しでしかないことが分かる。
だが、数人とは言え、氷の団の屈強な獣人戦士が焼き殺された現実が、ハリボテに実体を与え、大きな混乱を呼び起こした。
「それじゃあ胡桃さん。行こうか。仲間が殺されたのを目の当たりにして焦る外周部の奴等と、これがただの見掛け倒しだと一目で看破できる内部の奴等で生じる意見の食い違いは、より大きな混乱。そして確執を生み出す種子になる」
主の悪質な謀にドン引きしつつ、頼もしさを感じながら歩みを始める。
走らずに歩くのは角質の種を芽吹かせるのが目的なのだろう。感情的になっている連中に道理を説いても、却って油に火を注ぐだけだということが分かっているからだ。
感情的になっている奴等を説得するには、時間を置いて落ち着かせてから理を唱えるか、より大きな感情と利益をぶつけるしかない。
しかし、主の殺意に晒され、炎上した混乱の火種は一気に拡散し、要塞内部の者達からでは火元も分からない状態に陥り、時間を置けば置くほど混乱は肥大化していく。
要塞外縁の者とは脅威に対する認識と感情の差異が、要塞内部の者が却って理性的にさせ、理を以って落ち着かせようとする。
それは要塞外部の、しかも我が主の殺意を一身に受けた者たちとの間で深い溝を生じさせる結果となる。
ましてや、相談の時間を与えず、主が電撃的に襲撃すれば意識の齟齬を埋める結果になるだろうが、主はあえて歩く。相手に準備の猶予を与えてしまうリクスがあるが、血気盛んな獣人が冷静になるとは思えなかった。
要塞内部の者たちは思う筈だ。外周で警備にあたっていた奴らは担がれたのだと。
要塞外部の者たちは苛立つ筈だ。内部で微温湯に浸っていた奴らは何も分かっていないと。襲撃者が単独犯ともなれば猶更だ。
「この混乱を瞬時に沈静化するには徹底的な統制。さっきの連中の対応を見る限り、氷の団は組織って言うよりも無秩序な寄合でしかない。そうなると統制でこの混乱は沈静化しない。強烈すぎるほどのカリスマ、つまりオライオンの一喝しかあり得ないわけだ」
つまり、混乱の沈静化が発生する起点。其処にオライオンがいる可能性が高い。
仮にいなかったとしても氷の団の幹部や、精神的支柱となる人物がいるに違いない。
いずれにせよオライオンに圧力をかけるのが簡単になる。
「もう少し火種を増やすか」
アンドウン要塞の正門を徒歩で通り抜けた辺りで主が悪意に満ちた笑みを浮かべる。またろくでもない事を思いついたようだ。
「先帝ハルロンティ・アーリーバードにより七代目龍殺しを継承した倉澤蒼一郎が、卑劣にして蒙昧な氷の団の衆愚に宣戦を布告する!! 不幸にも多くの命が失われるだろうが、それは当方の意思ではない。卑劣にも先帝を暗殺し、大陸全土の帝国国民を裏切る愚行を犯し、世の平穏を乱すオライオンの跳梁を座視することは平和な未来への期待が失われてしまうからだ!! 現にオライオンは先帝ハルロンティ・アーリーバードを暗殺し、帝国法に則ること無く、帝位から逃げ出したばかりか、アンドウン要塞を不当に占領し、オライオンには平和を愛する誠意が少しも見られない!! 民の安全は今まさに危険にさらされ、帝国の国益は脅かされている!! 事態は、既にここまで悪化している!! 今となっては武力によって平和を取り戻すしかない!! 七代目龍殺し倉澤蒼一郎は不忠にして卑劣な氷の団を速やかに殲滅し、永久的な平和を回復し、帝国の栄光を確たるものとすることを此処に宣言する!!」
頭の悪い奴が必死になって考えた、頭の良さそうな宣言が魔力に乗ってアンドウン要塞全体に拡散する。
要は倉澤蒼一郎がお前らのことをぶっ殺しにやってきたぞ――ただそれだけだ。
元々アンドウン要塞に住む無辜の人々がどうなっているか定かでないが、氷の団への反乱の誘発と更なる混乱の激化が見込めればラッキー程度。
本命はあくまでもオライオンに対する圧力でしかない。
「さて、これでオライオンは全力で自分を叩き潰すしか無くなった。ここで怖いのは混乱の鎮静化だからな」
最初に交戦した獣人たちの焦りが更なる説得力を生んだ。オライオンが本格的な鎮圧に乗り出すのも時間の問題だ。
「龍殺しの雷名が何処まで轟いてくれるか次第だけど、本格的に帝国と事を構えることになったって血気に逸る奴と怯える奴でグダってくれたら良いんだけど……それで自分を鎮圧出来るのはオライオン自身、オライオンの右腕、氷の団の幹部クラスによる少数精鋭って考えてくれたら、人死にも最小限で済む……と良いなぁ」
帝国法に則って考えるなら氷の団の団員を虐殺したとしても咎められる事は無いが、流石に要塞都市を陥落させられるだけの戦力を皆殺しにするのは後ろめたいのだろうか。逆に誉になりそうなものだが。
「多分、アンドウン要塞に常駐するオライオンの戦力の中には降伏した帝国軍や、協力を強要されている帝国民もいると思うんだ。そして、自分には区別が付かないからね。胡桃さんの嗅覚が頼りだけど、氷の団と要塞都市の住民との混成部隊なんかが攻めてきたらどうしようもないだろ?」
主の視線が吾輩の眼から正面へと移る。
正に主が口にしたような獣人と人間が入り混じった武装隊が主を待ち構えていた。
怒り、戸惑い、恐れ――様々な匂いが渦巻いている。
しかも、氷の団とは元より獣人だけの集団ではない。
頭目のオライオンは人間だし、獣人だからと言って皆が皆、氷の団に参加して反乱を謳っているわけではない。人間の加害者と獣人の被害者もいる。
「死にたくなければ今すぐ立ち去りなさい。逃げるなら追いません。しかし、留まるのなら氷の団に強要されていようと、脅迫されていたとしても一切の酌量も無く、一切合切全員まとめて焼き殺します」
主の身体から発散される魔力光が紅蓮の炎へと姿を変えて、石畳の地面を火の海に沈める。
「氷の団の正規団員でも今なら逃げる猶予を与えましょう。ですが、今だけですよ」
「ヘッ……ビビッてんなぁ、勢いでブッコンできた癖に日和りやがって! 七代目を殺せば栄誉になるぞ、野郎共殺せェェェェェェ!!」
主は善良な人間だが、同時にチンピラだ。暴力性に忠実な本性もまた主の持つ一面だ。
一歩踏み出し――
「自分は言いましたよ。今だけと」
天をも貫かんばかりの火柱が、燃え盛る石畳の上を疾走する氷の団と民間人の混成部隊を一人残らず貫き、新たな悲鳴と絶叫を空に轟かせるのであった。
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