第40話 なんやかんやで元通りである

 魔人ハーティアを探し出す。そう決めたは良いものの先にも述べた通り、吾輩にはハーティアを探し出すための当てを何一つ持ち合わせていない。

 嗅覚を頼りに出来ないのが捜索を困難たらしめている。嗅覚の範囲内に不自然な匂いの空白があれば、それが魔人の居場所という事になるのだが、魔人自体に匂いがあるわけでは無いので、残り香を追うということが出来ないのだ。

 しかも、人類融和派の魔人にはグァルプやガ・エルのような粘着いた殺意や悪意が無い事もあり、捜索をより困難なものにさせていた。

 聴覚も意識を総動員すれば「あなたの自分の命を蔑ろにするところ好きじゃないわ」と中央棟の病室で主を叱るカトリエル女史の声を拾えるが、そもそもハーテイアの声を知らないので、ヴァルバラを頼りにするしかない。


「それじゃ空間転移でその辺を飛び回ってみよっか」


魔人の身体能力で逃走されたら到底追いつけるものでは無いが、ヴァルバラの空間転移能力なら速度、体力、距離は関係ない。彼女が得意げにふんぞり返るのも当然だ。

 事実、トルトーネ街から何の気配もなく、吾輩の背後に転移して来たのだから――待て。ハーティアの近くに転移するくらい簡単に出来るのではないか?


「ん-、君の気配を頼りに転移してきたわけだし、同じようにハーティアの気配を探っているんだけど、これがさっぱり見つからないんだよね。探知範囲を拡げ過ぎても心配性の人類殲滅派が出しゃばってくるかもだし、ガ・エルとグァルプが一人相手に負けたって知ったら……そもそも、グァルプが裏切りを知ったら面倒くさいことになるかも」


 序列一桁の魔人が一撃でサマーダム大学を真っ平にしても吾輩は驚かない。


「あたしでも出来るんだけど」


 ――何を張り合っているのだ。帝国人じゃあるまいし。


 しかし、魔人の感覚でもハーティアの居場所が分からないとはどういうことだろうか? グァルプの言葉を信じるなら校舎内、或いはその近辺にいる筈だ。魔人ですら感知できない手段で封印されている――いや、不可能だ。

 決して帝国人を見下すわけでは無いが、その手の技術があるとしても下地にあるのはルカビアン文明の叡智。科学技術にしても魔術にしても帝国人でも理解、運用できるように原始的に簡略化されたもので、そこに独自性や発展性は無く、言うなれば劣化コピーだと吾輩は考えている。


「お察しの通り。それに魔術の復元や、オウラノにも使えるように簡略化したのだって大半はいち早く融和志向に転向したティアメスの施しだしね。だから断言できる。サマーダム大学の地下にハーティアを封印して、その存在すら探知できないようにするのは帝国人にはまだ無理。学校でも魔術の成績はあたしの方が上だったもんね」


 負けず嫌いで子供じみた一面や帝国式魔術の祖が魔人ティアメスという歴史的な事実はさて置き、ヴァルバラの言葉は吾輩の予測を補強するものだった。

 しかし、ハーティアは何処にいる?

 魔術的、科学的な手段で無いのだとしたらヤンクロットの眼のような神から与えられた魔術兵装か、もしくは――

 普通なら一笑に付されるかも知れないほど荒唐無稽だが、魔人の存在その物が荒唐無稽なのだから、調べてみる価値はあるかも知れないと天井を見上げる。


「空――いや、宇宙!? いや、でも確かに盲点だったかも。衛星も宇宙ステーションもヴァルカン・アザリンに破壊されてるし、フツーは逃げ込むなんて考えないし」


 ヴァルバラの背後で不吉な音と共に、これまた不吉な大穴が開く。


「それじゃ行くよ!」


 ――いってらっしゃい。吾輩はお留守番だ。


「君が来ないと匂いの空白が分からないじゃん」


 吾輩の繊細な身体は真空や放射線といった宇宙の過酷な環境に適していない。

 即死しかねない上に、吾輩の死と原因を知った主が何を仕出かすかなんて想像するまでもないので、全力で拒否柴を決め込むことにする。

 死の恐怖もあるし、吾輩を失った八つ当たりでこの星の破壊を目論見、世界の敵となる恐怖もあった。更に言えば、主を差し置いて宇宙に進出するのが憚られる後ろめたさもある。


「仕方がないね。それじゃあたし一人で行ってくるけど手掛かりなんて全然ないんだから時間かかっても許してよね」


 ――数年とかじゃなければ問題ない。


「そんなに待たせたら君がお爺さんになっちゃうからね。大丈夫、分かってるって。遅くなっても明日には戻るから」


 そう言って黒い空間に飲み込まれ宇宙に旅立った彼女は三日が過ぎた今でも戻っていない。


「不吉なこと言わない!」


 ――ほんの出来心から出た冗談だ。


 ヴァルバラは舌を出して今度こそ暗闇の中へと進んでいった。

 愛らしい笑みを浮かべて見送ってやっているというのに冗談の通じぬ奴だ。


 さて多少の暇つぶしにはなったわけだが、やれることが無くなってしまった。

 東棟の地下、封印指定級魔術兵装が封印されていた区画に行ってみたいのだが、まだ消火は済んでいなさそうだし、明日以降にして一旦、主の下へ戻ろうか。


「……これは流石にやり過ぎだと思うんですよ」


 病室に戻ると包帯でグルグル巻きにされた挙句、ベッドに繋がれた哀れなミイラ男が哀愁漂う悲痛な声を漏らした。

 いや、あれ程の重症を負ったのだ。縛り付けられるくらいで調度いい。


「この調子だと明日には完治できるくらい出鱈目な治癒力が備わっているのは分かったのだけれど、だからと言って身体を粗末に扱って良い理由にはならないわよ。別の魔人が襲撃してきたとかなら、そうも言ってはいられないでしょうけど、今は急を要する事態では無いのだから休みなさい。骨が変な形に癒着するのは嫌でしょう?」


 カトリエル女史が呆れたように言う。主の人間離れに拍車がかかっている。


「分かりました。元々自分は怠け者ですからね。休むのは得意ですよ……お、胡桃さん、戻ったのか。成果は――」


 今は待ちの時間だ。果報は寝て待てという奴だ。

 そう伝達するために主の腹に飛び乗り丸まろうとすると――


「いってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 主が絶叫する。


「あばらが何本か折れてるから、あまり無茶なことはしないでちょうだいね」


 カトリエル女史が坦々と――いや、含み笑いを持たせて言う。

 心配をかけさせた御仕置としては丁度良いということなのだろう。


「ああ、クソ。ほんっとにいってぇなぁ……果報は寝て待てって言いたいのか、胡桃さん」


 肯定の意を込めて「わん」と一吠え。


「この子に何をさせていたの?」


「自分は何も。サマーダム大学にハーティアが潜伏しているとグァルプがほざいていたのです。だから動けない自分の代わりに探しに行ってくれたんだよな」


 主が吾輩の頭を撫でながら言う。


「魔人ハーティアが? さっき、必死に何か伝えようとしていたのは、その事だったのね」


「ええ、なのに有無を言わさずに自分を縛り付けるんだから……」


「つまり、わたしの判断は何一つ間違っていなかったと言うことね。そんな事よりもあなたの治療が何よりも優先されて然るべきよ」


「そう言って頂けるのは嬉しいのですが、やれる事をやれる内にやっておかないと」


「何を焦っているのかしら?」


「色々、ですよ。どうしてもグァルプを殺せたという手応えを実感することができない」


「根拠は?」


「言葉です」


「言葉?」


「知っての通り、自分は異世界から召喚された人間です。この世界の言葉を存じていません。この世界の主な言語は二つ。帝国の現代語。そして、魔人たちのルカビアン語――、つまり古代語。しかし、自分はそのどちらも喋っていません」


「あなたの口の動きと発音が一致していないのは翻訳の魔術がかけられているから。かけたのは当然――」


「ええ、グァルプでしょうね」


 柴犬の吾輩ですら帝国文字どころか古代文字すら読めるくらいだ。奴の仕掛けが完璧と言うよりも、異世界人とは言え、同じ純粋種としての敬意がそうさせたのだろう。

 だったら洗脳などするなという話になるのだが、本来対等である筈のガ・エルを殺して力を奪うような男だ。自己顕示欲と承認欲求の暴走が矛盾に満ちた行動を引き越したであろうことは想像に易い。


「だとすれば、未だに意思の疎通が出来ているのは奴が生きているからに他ならない。奴はこの地にハーティアがいると口にしていた。末席とは言え、魔人は魔人。奴にハーティアを奪われるわけにはいかないのです」


「それは人類融和派の魔人に伝達を依頼したら良いことでしょう? 全ての物事にあなたが矢面に立つ必要はないのよ。魔人討伐は神殺しによる社会的な排除を防ぐ為の栄誉を得る手段でしかなかった事を忘れてしまったのかしら?」


 主が焦る気持ちは分からないでも無い。主がオウラノと認識されているなら勝ち目はある。奴らの「ヒトモドキに本気を出すのは見っとも無い」という習い性のお陰で手加減されたり、勝ちを譲ってもらえるからだ。

 しかし、対等な人間同士の闘争となれば話は変わってくる。しかも、ルカビアン文明に存在したという異世界脅威論が加わることで、どんな心変わりが起こるか想像できないが、ろくな変化ではないに違いない。

 故に、奴らに主の正体を知られるわけにはいかないのだ。

 他の魔人は兎も角、グァルプだけは絶対に殺さなくてはならない。

 ヴァルバラも明日には戻ると言っていたし、グァルプの企みを彼女から伝えてもらうべきだろうか。無論、主と戦ったことは伏せて。


「大丈夫です。殺し合いに傾倒して忘れてしまったわけではありません」


「だったら何故?」


「……本当は」


 主が重々しく口を開く。


「信憑性が薄く、荒唐無稽が過ぎるため、確証を得るまで胸の内に留めておくつもりでしたが……、実はベルカンタンプ鉱山で邪教徒を皆殺しにした後で魔人ライゼファーと出会いました」


「魔人ハーティアの双子の兄ね。それが、あなたがハーティアを気にする理由?」


「恐らくヴァルバラと同じ人類融和派の魔人ですが、それ以上に彼の立場は我々に大きく影響を及ぼすものだったからです」


「魔人がわたしたちと関係している? 自分で言うのもなんだけど、わたしは邪神の呪いにかけられていることを除けば普通の女よ?」


「翻訳魔術の不具合のせいか普通の定義が大きく揺らぐ発言がありましたが、それはさて置き、彼が真実を語っているのだとすれば……」


 主がカトリエル女史から顔を背け、深呼吸。

 口を開くことに躊躇いを見せる主の手にカトリエル女史の手が添えられる。


「わたしにとって、何か衝撃的な事実を口にしようとしているのでしょうけど大丈夫よ」


「え?」


「だって、あなたは傍にいてくれるのでしょう?」


「それは当然です」


「だったら大丈夫。だから教えて。あなたは何を知って焦っているの?」


「魔人ライゼファー。彼はあなたのことを姪と言いました。つまり、魔人ハーティアは……」


 しかし、それはヴァルバラから否定された。

 世代間対立の激化と流行で子宮を摘出しており、魔人ヴィヴィアナでも設備が無ければ、再生医療を行うのは難しいと。


「幼い頃、邪教徒に誘拐された時、実の両親は殺されたわ。手紙を受け取った後、村に戻って遺体を確認したから間違いないわ。両親だけではない。果物を分けてくれた地主のおじさん、わたしを着飾るおねえちゃん、お菓子をくれるおばあさん、みんな、いなくなっていたわ」


「そう、ですか」


「あなたが気落ちしてどうするの」


 カトリエル女史がぐずる子どもを慰めるように、主の二の腕を撫でる。

 五歳も年下の女に慰められるとは情けない――と言うか、この場合、主が慰める側の筈だが……まあ、涙枯れ、感情が摩耗した当事者の代わりに死を悼む姿を見せることが慰めになる事もあるが。


「もう十年以上も前の話よ。振り返っても過去は戻らない。未来を少しでも良くするために現在を見据えなければ、でしょう?」


「そうでしたね」


 二の腕を撫でるカトリエル女史の手に、掌を重ねて主は首肯する。

 納得したから、もう慰めてくれなくて大丈夫とでも言いたげな様子にカトリエル女史は無表情のまま、目だけで不満を訴えるが主は気付いていない。既に次の思考に移っている。


「しかし、ライゼファーとハーティアの兄妹は貴女とは関係無いとなると……担がれたか」


 人類融和派のライゼファーが主を担ぎ上げ、魔人と戦わせる理由――……想像の範囲を超えるものでは無いが、ヴァルバラと通じ、判断材料の幾つかは揃っている。

 極論、彼らは異なる思想を持つ同胞が邪魔なのだ。全人類共通の脅威として一緒くたにされている現状はオウラノと友達になりたいヴァルバラの望みは叶わない。

 意思を表明しようにも人類融和派は能力的な要因で他派閥の魔人たちから庇護の対象と見られているらしく、言葉に耳を傾けてもらえない。

 そうとなれば、他派閥の魔人たちを納得させるための行動や成果を出す必要があるのだが、それも出来ないのなら残された手段は暴力しかなくなる。

 しかし、彼らは僅か十九人しかいない生き残り。思想が違えどルーツを同じくする同胞との対立に強い忌避感を示す。

 不滅であるが故に一度生まれた禍根は未来永劫続いていくからだ。


 ――だから、ライゼファーは異世界の純粋種である主に人類殲滅派の魔人を殺させようとした。


 極論だろうか? 論理の飛躍だろうか?

 しかし、人類殲滅派のグァルプは同胞にして同派閥のガ・エルを殺した。

 ルカビアン文明崩壊から七千年余、帝国建国から六千年余……不滅の魔人ですら、ついに心変わりする者が現れている。

 もしかしたら、ライゼファーはグァルプの心変わりを知り、妹のハーティアを守るために主を使って殺し合わせようとしたのかも知れない。


「でも、そうなると話は元通りね」


「元通りですか」


「グァルプは驚異だけどヴァルバラを通じて、裏切りを伝えてやれば良い。真実が魔人同士の内輪揉めだとしても状況証拠的から、あなたは二体の魔人を討伐した栄誉を得られる。当初の予定通りオライオンに圧力をかけて邪神復活に奔走させる。他は全て些末事。あなたは状況が動くまで休んでいればいい」


 もう良いから休んでいろという意を込めて、「わん」と一吠えする。

 本来、我が主は怠け者だ。使命感なんてものは無い。金や物に頓着が無く、仕事は最低限。帝国では世間体を気にする必要がなくなったせいで野宿が数日続いても気にしない程、社会性に欠如が見られるどうしようもないズボラ人間。

 ライゼファーと出会ってからの主は、ちょっと主らしくない。

 最初は吾輩も常日頃から怠けているのだから、こういう時くらいは頑張りすぎるくらいで丁度いいと思っていたが、死にかけているにも関わらず、動き続けようとするのは流石に異常だ。


「新たに加わった問題と言えば、帝国語が分からなくなるかも知れないということだけれど、これはわたしが付きっ切りで面倒見るから、別に何の問題もないわね」


 カトリエル女史の有無を言わさぬ態度に主は諦めたように嘆息する。

 吾輩が働けと言っても聞かないが、休めと言っても聞きやしない男だが、カトリエル女史に言われては流石の主も観念するしかないようだ。


 休みすぎて、またサボり癖がぶり返すかも知れないが、まあそれも主らしさ――元通りと言う奴かも知れない。

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